川尻浩作、Fly High with キヴォトス 作:堂廻り 眞くら
川尻浩作はこう言った。
「
例えば君が、突然『念動力』に目覚めたとする。
その念動力は極めて強力であり、念じるだけで岩を粉砕したり、トラックを持ち上げたり、弾丸を受け止めたりできるのだ……。
誰だって子どもの頃に、一度くらいはそう言う力を夢見たことがあるんじゃないだろうか。もちろん、これはあくまで一般論を語ったまでであり、私自身、そんな幼稚なことを考えたことは一度も無いがね。
兎に角、そーゆー力に、君が目覚めたのだと仮定するのだ。
所で、君はその能力を一体全体【どうやって操る】?
いや、それ以前に君は、その能力が自身に発現したという事実を【どうやって認識する】?
念動力ってのは、目に見えない力だ。私たちの目に重力や、磁力、電波なんかが見えないのと同様に、念動力も目に見えない。目に見えないものを、どう認識し、操ればいいのだろう。
例えば、……言語で操ってみるか? いや、おそらくそれは、コンピュータに実行させたいプログラムを一から書き込むのと同様に、困難を極めるだろう。お勧めしない。
「歩け!」とキーボードで打ち込んで、それで素直にスタコラ歩いてくれるロボットなどこの世に存在しないのと同様に、念動力も「ペットボトルを持ち上げろ!」と強く念じたところで、実際にペットボトルが持ち上がることはないだろう。それは、例えば【手】に力を入れない状態で、「ペットボトルを持ち上げろ!」と【手】に叫んでみても、それで【手】が勝手に動き出さないとの同じだ。
畢竟、我々は目に見えないものを、認識できないものを操作することはできないのだ。操作できるのは、確かに存在する、自身の肉体だけなのだ。足とか【手】とかを、当たり前に操れるように、ね。
だから、仮に【念動力】のような力に目覚めたところで、君はそれをコントロールすることはおろか、それが自身に発現した、ことにすら気が付かないまま一生を終えるだろうね。というのが私の見解だ。
所で、今までの話を全力でブチ折ることになるんで済まないが、私には【念動力】に近い【超能力】を既に【獲得している】。そしてそれを完璧に【コントロールしている】。
この話は矛盾しているようで、実はしていないんだよ。
何故なら、私の【念動力】は【私の目に見える】からだ。
【目に見える形で存在している】んだよ。だから、【認識できる】し【コントロールできる】。
【第三の腕】みたいなものを、触手みたいに身体から出したりひっこめたりできる……とでも言えば想像しやすいのかな。私の能力はその【腕】なんだよ。
あー。つまり、何が言いたいのかとゆーとね。
ラジコンに、ラジコンをコントロールするためのコントローラーがあるのと同様に、
すべての【能力】には、能力者にそれを【認識】し【操作】できるような【像(ビジョン)】があるもんだ……。もっとも、それは【能力者】にしか認識できない代物だろうがね……。
」