月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第十一話 「清算」

繰り返す。ただ繰り返す。変わることなく、同じ結末を。死と言う絶対の因果。世界の滅亡。霊長の絶滅。星の終焉。

 

これまで、幾多の人々が挑み、そして絶望していった変わることない結末。星の死は避けられない。自分達はただ、自滅へと生き急いでいる。生きようとしながら死へと向かっている。矛盾した存在。だが自分はまだ知らなかった。

 

本当に恐ろしいのは死ではない。もっとも恐ろしいこと。それは、『死ぬことができない』ことなのだと――――

 

 

 

 

「―――っ!」

 

 

飛び起きたのは反射だった。自分が覚醒したのだと気づいたのはベッドで身体を起こした後だった。ただ自分が今どこにいるのか確かめる。手の感触、空気、光の具合。視界以外から得られる全てを動員し必死にそれを探る。

 

 

(ここは……遠野の、家か……?)

 

 

当たり前の結論を得ながらも、何故か安堵する自分がいる。一体何を怖がっていると言うのか。今の自分が遠野の家以外で目覚めるはずがないのに。そのはずなのに、違和感を覚えるのは何なのか。

 

ふと気づく。それは騒音だった。風が吹いているような、そんな音。それが自分のすぐ傍から聞こえてくる。もしかしたら窓が開いていたのだろうか。なら、閉めないと。いくら朝だといってもそのままでは風邪を引いてしまうかもしれない。

 

 

「……あれ?」

 

 

そこでようやく気づく。自分の体が、動かない。身体が、鉛のように重い。感覚がマヒしているかのよう。まるで身体がゼリーになってしまったよう。海月にでもなってしまったのだろうか。まるで、現実感が、ない。

 

 

「どうなってるん、だ……これ……?」

 

 

そう口に出すのすら精一杯だった。言葉を発しようとするたびに息があがる。肩で息をしている。ヒューヒューと、隙間風が吹くようなみっともない音が聞こえる。何のことはない。騒音は自分が発していたのだろう。そこでようやく自分の身体が汗にまみれていることに気づく。まるで病人そのもの。そう言えば、昨日、確か自分は――――

 

 

「――――おはようございます、志貴さん。お目覚めになられたんですね」

 

 

そんな思考を断ち切るように、聞き慣れた少女の声が響き渡る。いつもと変わらない、心地いい、人形のような声。

 

 

「……琥珀、さん?」

「はい。お身体の調子はどうですか? ちょっとお熱を計らせて下さいね」

 

 

自分が朦朧としているのに気づいているのか、それとも気づかないふりをしているのか。琥珀はテキパキと自分の体の状態を確かめて行く。本当なら寝起きに加えて、彼女に身体を触られるのは恥ずかしさで断りたいのだが有無を言わせない勢いに抵抗できない。そもそも今の自分は身体を満足に動かすことができない。腕を上げることも、足を上げることも。体力もほとんどない。起きた瞬間身体を起こしただけでこの有様。一体何でこんなことになっているのか。

 

 

「うーん、やっぱり熱がありますね。それに疲れもあるみたいですし、今日は安静にしててくださいな」

 

 

自分の容態を確認したのか、琥珀はまるで子供をあやしつけるような慈悲を見せながらしゃべりかけてくる。病人であれば、癒されるような振る舞い。だが今の自分にとっては不信感の方が勝っていた。そもそも彼女は――――

 

 

「……琥珀さん、どうして俺、こんなことになってるんだ……?」

「……? 志貴さん、覚えてらっしゃらないんですか? 昨日、お買い物から戻られてから体調を崩されたんですよ」

「買い物……?」

 

 

琥珀の不思議そうな言葉によって、ようやく思い出す。思い出してしまった。

 

 

頭が割れるような頭痛と吐き気。そして

 

 

自らの蒼い両目と、それに映し出される深い死の世界を――――

 

 

 

「っ!!」

 

 

咄嗟にマスクを外し、目を見開く。動かない身体を酷使し、反動も度外視して。それによってさらに息があがり、眩暈が起こるもどうでもよかった。ただ、確かめたかっただけ。結果は、最悪に近い物だった。

 

 

(夢じゃ……なかったのか……)

 

 

死の線と点に満ちた、深い死の世界。以前よりもはるかにはっきりと見える世界の裏側。間違いなく直死の魔眼が強まっている。いや、これはそんな生易しい物ではない。遠野志貴の魔眼は意識を集中して死を見ることによって蒼く光る浄眼でもある。だが、今自分はただ意識することなく眼を開けている。にもかかわらず眼が蒼くなっている。明らかに普通ではない。どうしてたった一日でこんなことに。変わったことなど、何一つない、のに――――

 

 

いや、違う。今まさに起こっている。頭痛と吐き気。加えて身体を動かすことすらままならない原因不明の体調不良。問題はこれが魔眼が強くなってしまったせいなのか。それとも、この体調不良のせいで魔眼が強くなってしまっているのか。だがどちらにせよ自分に出来ることはたった一つ。今までと変わらない。魔眼を晒すことなく閉じていることだけ。

 

 

「志貴さん、目を開けられて大丈夫なんですか? 昨日も眼が……」

「いや、大丈夫だ。ちょっと確かめたかっただけだから……それよりも悪かったな、せっかく歓迎会を準備してくれたのに台無しにしちまった……」

 

 

再び眼を閉じながら、話題を変える意味でそう謝罪する。ようやく思い出して来た。昨日自分は琥珀と買い物に行っていた。加えて自分の、いや遠野志貴の歓迎会の準備を彼女がしていたことを。わざとではないとはいえ、それを無駄にしてしまったのは申し訳なかった。

 

 

「いえ、お気になさらないでください。志貴さんを連れ回してしまったのはわたしですから。そのせいで無理をさせてしまったようです……ごめんなさい」

 

 

申し訳なさそうに琥珀はそう謝罪してくる。どうやら自分が買い物に連れて行ったせいでこんなことになってしまったと思っているらしい。

 

 

「琥珀さんが気に病むことじゃない。貧血で倒れるなんて、珍しくもないし……調子が戻ったら、もう一度歓迎会をしてくれ。荷物持ちでもなんでもするさ」

 

 

何とか今の自分の辛さを隠しながら、いつものように告げる。息が荒くなっているのは誤魔化せていないかもしれないが、仕方ない。

 

 

「――――はい。約束です。じゃあ今は志貴さんの身体が早く良くなるように看病させてもらいますね」

 

 

こちらの意図が伝わったのか琥珀はいつもの明るさを取り戻したように笑いながら応えてくれる。本当に彼女が笑っているのかどうかは分からないが、それでもこっちの方が自分は話しやすい。ただ問題はどうやら必要以上に彼女が違う意味で張りきってしまっているらしいこと。

 

 

「……看、病?」

「はい。前にも言いましたけど、わたし薬剤師の資格も持ってるんです。それにわたしは志貴さんの付き人ですから。任せてください」

 

 

知らず、声が震えているこちらの反応を楽しんでいるのか割烹着の悪魔は楽しげに宣告する。看病と言う名の違う何かが行われようとしているのではないか。知らず、冷や汗が背中に伝うも今の自分には抗う術はない。

 

 

「ではまず朝ご飯からですね。おかゆを作って来たんです」

 

 

お待たせしましたとばかりに琥珀はいつのまに持ってきていたのかおかゆを取り出してくる。その匂いだけでそうなのだと分かる程。昨日の夜から何も口にしていなかったからなのか、知らず唾を飲み込んでしまう。病人である自分にはこの上ない振る舞い。ただ問題は

 

 

「はい、志貴さん。ではお口を開けてくださいね」

 

 

あーん、などとこちらの期待を裏切らない彼女の優しさだけ。もしかしたら、楽しんでいるだけなのかもしれない。しかし、今の自分には他に選択肢がない。目を開けられず、手も満足に動かせない以上、彼女に手伝ってもらうしかない。

 

 

仕方なく、それでもこれ以上なく顔が紅潮しているであろうことを意識しながら自分は口を開け――――

 

 

 

 

「――――え?」

 

 

思わず、そんな声を漏らしてしまった。今、自分は口を開けようとしていたはず。なのに。

 

 

「…………琥珀さん?」

 

 

目の前にいた筈の琥珀の姿がない。気配が、感じられない。もしかして自分を驚かせるために隠れてしまったのだろうか。

 

でもおかしい。あんなに近くにいたのに、自分に気づかれずに隠れられるはずがない。そういえば先程まで部屋に満ちていたおかゆの匂いもない。まるでそんなことがなかったかのように、何も残っていない。

 

分からない。何が分からないのか分からない。そんな思考の矛盾。とにもかくにもまだ自分の体は変わらず。どうしたものかと考えるのも束の間

 

 

「失礼します、志貴さん。お邪魔しますよ」

 

 

ノックと共に先程と変わらないように彼女が部屋にやってくる。何も変わらない、いつもどおりの彼女。だがそれが何よりも不自然だった。

 

 

「琥珀さん……一体どこに行ってたんだ。あんな恥ずかしいことさせて隠れるなんて、人が悪いにも程があるぞ」

 

 

ぶっきらぼうに愚痴るが当然だ。あんな羞恥を晒したにも関わらず、食事をさせてくれなかったのだから。しかもそのまま何の断りもなくいきなりいなくなるなど。いくら自分でも悪態の一つもつきたくなるというもの。だが

 

 

「……? なんのことですか、志貴さん? わたし、隠れてなんかいませんよ?」

 

 

琥珀はまるで自分が何を言っているか分からないかのようにポカンとした様子を見せていいるだけだった。

 

 

「何言ってるんだ? 他人にあーんなんてさせておいて、結局朝ご飯をお預けなんて酷過ぎるだろ」

「朝ご飯ですか? 今お持ちしたのはお昼ご飯なんですけど……」

「お昼……ご飯……?」

「ええ、そうですよ。もしかして熱で寝ぼけてらっしゃいます? 朝ご飯ならきちんと全部召しあがられましたよ」

 

 

くすくすと笑いながら琥珀は淀みなく昼食の準備を始める。その間に朝の自分の醜態を逐一話題に上げながら。ぼうっとしながら自分はそんな琥珀の話を聞くしかない。どうやら自分は本当に朝ご飯を食べたようだ。

 

なのに、実感がない。時間の感覚がない。まるでフィルムが切れたように、朝から今までの記憶が、ない。意識をなくしてしまっていたように。知らぬ間に寝ていたのだろうか。そもそも、今自分は起きているのだろうか。何も、かもが、あやふやで――――

 

 

「それでは志貴さん、おまちかねのお食事ですよ。朝は味が薄いと仰っていたので濃い味付けにしてみました」

 

 

どこか得意げにしながら、琥珀は自分に寄り添い、スプーンに乗ったおかゆを差し出してくる。気恥かしさと同時に、言葉にできない違和感を覚えながらもそれを口にした瞬間

 

 

口一杯に、苦い、血の味が広がった――――

 

 

「うっ……!?」

 

 

悶絶しながら、毒を口にしてしまったかのように口にある物を吐きだす。それだけではない。身体に残っている、胃の中にあるものも同様。まるで身体が受け付けないように異物を吐き出し続ける。

 

 

「志貴さんっ!? しっかりしてください! 志貴さんっ!?」

 

 

誰かが自分を呼んでいる。だがそんなことはどうでもよかった。今はただ、口に広がる血をどうにかしたかった。鉄の味。間違うことない死の味。

 

 

そう、今まで何十、何百と繰り返して来た死の証を――――

 

 

 

「あ、ああ…………っ!!」

 

 

頭痛が、起こる。頭が割れる。身体が、割れる。もしかしたら、もう身体なんてないのかもしれない。

 

視界が点滅する、白と赤の螺旋。光と闇。視界が歪む。頭が、イタイ。ただ、イタイ。痛みを通り越して、痛みを感じなくなる程の。意識を失う程の痛み。なのに、痛みによって意識を取り戻す無限地獄。

 

そんな中、夢を見る。思い、出す。

 

そこには自分がいた。数えきれないほどの自分。自分ではない自分。同じはずなのに、少しずつ違っている自分。万華鏡のように、映し出された映像が、見える。

 

それは記憶であり、記録だった。自分がここに至るまでに辿ってきた道程。それが、今まで自分が見てきた夢の正体だと気づくのに、時間はかからなかった。

 

 

「――――――――あ」

 

 

無数に連なる自分。その記憶が、感情が、感覚が。押しよせてくる。暴風のような暴力。触れれば粉微塵にされるような力。それに自分は、一人で晒されている。

 

立っていることができない。ただ流される。その全てが、自分の内に飲みこまれていく。犯されていく。

 

 

『遠野君、あなたは何者ですか』 『あなたが……兄さんを』 『志貴さん、この箱、お父様の遺産みたいですよ』 『あなたは……誰ですか?』 『お兄ちゃんは、あたしのお兄ちゃんだもん』 『――――邪魔よ』 

 

 

 

聞いたことのある、聞いたことのない声。意味が理解できない、言葉の羅列。これまでの螺旋の中で経験した、体験したものが、書き込まれていく。

 

 

「ハアッ……ハアッ……!!」

 

 

目を覚ます。胸を抑える。頭を押さえる。涙が流れる。嗚咽が漏れる。身体が震える。なのに、なのに終わらない。

 

 

「――志貴さん! ――――貴さん!」

 

 

誰かの声が聞こえる。でも聞こえない。そんな物は聞こえない。分からない。今自分がどこにいるのか。

 

寝ているのか、起きているのか。昼なのか、夜なのか。上なのか、下なのか。生きているのか、死んでいるのか。

 

 

「―――――――あ、あ」

 

 

みっともなく、声を上げる。あるのは痛みだけ。自分が、自分に削られていく痛み。一人分しか入れないのに、そこに数えきれない自分が入りこんでくる。膨らまし過ぎた風船のように、後は破裂するしかない。でも、そう、ならない。

 

見える。視える。みっともなく這いつくばっている自分が。殻を被った自分の姿が。出口を探して迷路をさまよっている迷い人。そもそも出口があるのかも分からないのに。それに気づかないように。気づかないふりをしながら。

 

死んでいく。自分が死んでいく。呆気なく、無残に。糸が切れた人形のように。十八に分割されながら。熱を奪われながら。命を切られながら。精気を吸われながら。獣に食われながら。

 

だが終わらない。どんな死に方をしても、生き方をしても。終わりが、訪れない。

 

 

痛い。痛、い。いたい。いた、い。イタい。イタイ。イタイイタイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ―――――――!!

 

 

どうして。どうしてこんなにイタイのか。どうしてこんなにイタイのに終わらないのか。死にたくない。死にたくない。生きたい。死にたくない。生きたい。

 

ただ生きたかった。死にたくなかった。そのために必死に足掻いてきた。必死に逃げ続けた。何もかも振り切って。目を閉じ、耳と塞ぎ、口をつぐんだまま。

 

なのに終わらない。映像は途切れない。まるでビデオテープのようだ。同じ長さしか録画できないのに、終わりが来れば巻き戻してまたダビングする。上書きする。自分に自分を上書きする。自分で自分を殺していく。そんなことをすればテープは劣化する。摩耗していく。途切れて行く。

 

 

最初の自分がどれで、今の自分がどれか、ワカラナイ。

 

 

そもそも、ジブンなんて物が、あったのかすら、ワカラナイ。

 

 

 

「―――――――――あ、ああ」

 

 

だから、考えるのを止めた。考えることが、できなくなった。

 

 

いつからだろう。何も感じなくなったのは。

 

 

いつからだろう。自分の周りの全てが、人形に見えてきたのは。

 

 

何度も、何度も聞いていく内に何も感じなくなる。――が何を言っても。――が何をしても。もう知っている。何も、感じない。自分が死んでも、誰かが死んでも。何も感じなくなっていく自分が、いる。

 

 

それが嫌だった。怖かった。自分が死ぬのは怖い。でも、心が死ぬのが怖かった。何も感じなくなる自分が怖かった。人形になる自分が怖かった。

 

 

反転する。生きたいと思っていた心が、いつの間にか、逆になる。どう生きるか、ではなく、どう死ぬかを考えるようになった。

 

 

そう、死にたかった。永遠なんていらない。一度きりだから耐えられる。死は、一度だからこそ価値がある。命は、一つだから価値がある。だからこんなものはいらない。こんなもの、望んではいなかった。だって、こんなにイタかったら、もう――――

 

 

 

 

『……イタイ、の?』

 

 

もう名前すら思い出せない、誰かの言葉。忘れてはいけない、大切な名前だったはずなのに。

 

 

『……わたしも、イタイの』

 

 

彼女の痛み。それと比べることはできない。でも、やっとその言葉の意味が、理解できた気がした。

 

 

『だから、自分が人形だと思うの。そうすれば、イタくなくなるから』

 

 

今なら、あの時の言葉の意味が、分かる。そうだ。そうしなければ、耐えられない。人間のままでは、耐えられない。生き延びられない。なら、人形になるしかない。それでも

 

 

「――――違うっ!」

 

 

否定した。それだけは認められない。自分は、人形じゃない。人間で、イタイ。

 

 

手に力を込める。先の指を向ける。自らの胸にある黒い点に。これまで繰り返しながらも一度も試すことのなかった死。生きるために足掻いてきた自分を否定する行為。八年前、誰かのおかげで助かった命。それでも

 

 

「俺は、人形じゃない――――!!」

 

 

このまま人形になるくらいなら。人間として死にたい。相反する願い。生と死。自分が持つ、たった一つの願いは

 

 

 

――――決して、叶えられることはなかった。

 

 

 

「―――――え?」

 

 

――――黒い海を漂っている。それが一番近い表現だろう。

 

 

だが分からない。どうして自分がこんなところにいるのか。いつもの死の世界とは違う。あの恐怖が、孤独がここにはない。数えきれないほど潜ってきたあの感覚を間違えるはずはない。例え摩耗し、自分が誰であるか分からなくなっても、きっとそれだけは忘れない。忘れることは許されない。だからなおのこと不可解だった。

 

自分のカタチが分からない。どこからが自分で、どこからが世界なのか。境界線が消え去ってしまったかのよう。ないものを動かすことはできない。無から有を生み出すことはできない。そんなことができるのは、きっとカミサマだけだろう。

 

だがそんな宙に浮いた疑問も氷解する。否、全てを理解させられる。頭ではなく体で。思考ではなく、反射で。

 

ここは全ての始まりであり、終わり。全てがあり、だからこそ何もない空の境界。

 

無から有を生み出すのではない。ここには初めから全てがある。故に何も生まれることはない。ただそこにあるだけの、無価値なもの。

 

そんなものに、数えきれないほどの魔術師達が挑み、求め、挫折していった。自分では至れぬと絶望すればいいものを、ならば次の世代ならと淡い期待を抱きながら。次がダメならその次。年月を積み重ねれば、いつかは頂きに辿り着けるのだと。もはや呪いにも似た呪縛。目的と手段を履き違えている愚かな者達。彼らは気づかない。少し考えれば分かる、単純な真理。

 

どんなに学ぼうと、血を重ねようと意味はない。ここに至れるのは、初めからそう決まっている者達だけなのだと。

 

至れることができたとしても意味はない。ここに至ればその瞬間、自分は消え去る。無限に、無尽蔵に広がる記録と記憶の檻。ちっぽけな人格など圧殺され、何も残りはしない。ここに至り、戻って行ったのはたった五人。きっと彼らは人間ではない。だからこそ魔法使い、という言葉が相応しい。

 

なら、今ここにいる自分は何なのか。六人目の魔法使いなのか。いや、あり得ない。確信。六人目はあり得ない。そもそも自分は彼らとは根本が違う。至る必要など最初からない。何故なら―――――

 

 

自分は、『 』そのものなのだから。

 

 

「――――――」

 

 

全てを理解する。思い出す。何故自分が生まれたのか。何故自分は死ぬことができないのか。何故自分は遠野志貴の殻を被っているのか。

 

始まりは些細なこと。本来生きるはずの遠野志貴が、死んでしまったこと。

 

だが世界はそれを良しとはしなかった。修正しようとした。しなければ、ならなかった。

 

遠野志貴が為すべきこと。為すはずだったことをなかったことにはできなかった。

 

蛇の死。遠野志貴でなければ為し得ない絶対死。

 

でなければ、世界は滅びる。<ruby><rb>原初の一</rb><rp>《</rp><rt>アルテミット・ワン</rt><rp>》</rp></ruby>と同義となった蛇には誰も敵わない。

 

その全てを識ってしまう。

 

抑止力。ガイアとアラヤ。根源の渦。霊長の存続。意識されないはずの守護者。魂の知性。形を得てしまった自分。偶然と必然。余分と無駄。永遠。転生。

 

 

「――――は」

 

 

嗤ってしまう。だってそうだ。あんなに求めていた答えが、自分が見つかった。こんなにもあっさりと。呆気なく。だから、嗤うしかない。

 

 

「―――――は、ハハ」

 

 

あんなにも生きたいと思っていたのに、もう思い出せない。分かるのは、自分がシヌコトガデキナイということだけ。死の点を突いてもなお、自分は廻り続ける。

 

 

『蛇を殺す』という、どうでもいい目的を果たすまでは。

 

 

自分はただそれだけのための人形。付属品。装置。なんのことはない。抗っていたのは自分だけ。振りをするまでもない。ただ――――

 

 

自分は最初から、人形で、人間ですらなかったという笑い話。

 

 

「ハハハ、ハハハハハハ―――――!!」

 

 

嗤う。そもそも何で嗤っているのか。そんな余分、自分にはなかったはずなのに。何の意志もない『 』だったはずなのに、殻を被ったせいで余分を手に入れてしまった。そのせいで、こんな目に会っている。

 

 

壊れている。自分は壊れてしまっている。いつから壊れてしまったのか。

 

 

そうだ、きっとあの時だ。

 

 

彼女と出会った時。あの時、自分はおかしくなった。あれがなければ、自分はただ―――でいられたのに。なのに。

 

 

そしてもう一つ。あの出会いがなければ――――

 

 

 

「―――――」

 

 

瞬間、意識が戻る。自分が、世界に戻ってくる。変わらず頭痛は続いている。だがその痛みが自分が生きている証。生きている罰。周りには誰もいない。変わらない、遠野の家だけ。もう見るまでもなく、身体に染みついている感覚。

 

他人事のように思い出す。あれから何日たったのか。それとも何時間しか経っていないのか。彼女の姿はない。服が変わっている。着替えさせてくれたのか。それとも自分で着替えたのか。どちらでも構わない。そのままようやく少しは動くようになった手でマスクを取り、目を見開く。

 

直死の魔眼。死を潜るたびに力を増す呪い。根源と繋がる、自分が螺旋を潜ってきた証明。だがどうやらまだ全てを思い出したわけではないらしい。まだ空白がある。それを埋めるべく、頭痛と共に自分が削られていく。

 

だがどうでもいい。死ぬことはできない。だがこれは輪廻ではない。円ではなく螺旋。終わりがある。生きながら死に続ける終末。後はその時を待ち続けるだけ。

 

 

「ハアッ……ハアッ……! 志貴さん……大変です!」

 

 

白痴のように全く反応せず自分はただ目を開けたまま天井を見上げている。声は聞こえているのだろうが、認識できない。どうやら彼女が自分の部屋にやって来たらしい。そういえば、今自分はどういう状況だったのか。遠野の家にいることは分かるが、それ以外が分からない。全ての自分が混ざり合って、判別がつかない。

 

 

ただカーテンが閉まっていること、日が差していないことから夜らしい。今、何日目だろうか。次に死ぬのはいつだろうか。終わるのは、いつだろうか。機械のように、人形のようにただ待ち続ける。しかし

 

 

「都古ちゃんが……夜になるのにまだご自宅に戻っていないそうなんです! 志貴さん、何か知りませんか!?」

 

 

瞬間、何も映していないはずの瞳が見開かれる。同時に全てを理解する。思い出す。この展開を。結末を。

 

 

自分を人間たらしめていたもう一つのもの。それを清算する瞬間がやってきたのだと。

 

 

 

――――サァ、約束ノ刻限ダ――――

 

 

そんな、誰かの声が聞こえた気がした――――

 

 

 


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