月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第十七話 「月触」

月明かりと、街の光によって未だ人々が行き交う深夜。昼とは違う、夜にしか見せないもう一つの世界が広がっている。日中は仕事や、しがらみによって違う姿を晒している人々が、夜という魅力に取り憑かれている。怪しげな店や、危なげな人種。ヒトの二面性、矛盾を形にしたかのよう。そしてそんな中、人々と同じようにもう一つの顔を見せている少女がいた。

 

 

「…………」

 

 

腰にまで届く程の長く美しい黒髪。見る者を委縮させてしまうほどに強い意志を秘めた瞳。同時に令嬢とでもいうべき気品を兼ね備えた少女。

 

遠野秋葉。

 

だがその姿は屋敷や学校で見せるものとは明らかに違う。他人を寄せ付けない凄み、存在感がある。その証拠に彼女が進む先には人が避けて行く。深夜に歩いているのがおかしい年端のいかぬ少女に、その場にいる人々が圧倒されている。しかし、遠野秋葉はそんな人々の存在に気づいていないのか、無視しているのかそのまま気にする素振りを見せることもなく悠然と歩いて行く。同時にその瞳が何かを探しているかのように動くも、見つけることができない。ならば次の場所へと誘われるように。

 

そんな遠野秋葉に続くように、もう一人の少女が付いて行く。遠野秋葉とは対照的に少女は全く存在感を感じさせない程に希薄だった。黒を基調にした洋装。一見すれば喪服に見えかねない影に徹した容姿。同時にその表情も無表情。人形のように、感情を感じさせないもの。

 

それが今の琥珀の姿。昼ではなく、夜の。遠野秋葉の付き人であるもう一つの彼女の姿だった――――

 

 

 

ただ、琥珀は秋葉に付いて行く。影のように、黒子のように。そこに狂いも無駄もない。己の役目を果たすだけ。自らの主である秋葉は一片の迷いもなく夜の街を、道を進んでいく。そこに少女としての姿はない。あるのは厳格な、遠野家当主としての姿だけ。彼女はその役目を果たすために夜の闇を進んでいく。

 

『遠野四季』

 

彼を処断することが秋葉様の目的であり、今街を歩いている理由。秋葉の実の兄であり、同時に父の仇であり、遠野志貴を殺した張本人でもある。遠野家の地下に監禁されていたものの、父を殺すと同時に行方をくらませてしまった存在。だが四季がまだこの街にいることを秋葉は確信していた。

 

吸血鬼事件。ここ最近、三咲町で頻発している猟奇事件。被害者が血を吸われているという異常性。間違いなく、反転した遠野四季の仕業。その凶行を阻止するために、一族の長として、妹として遠野秋葉は夜の街で遠野四季を探していた。

 

 

「――――」

 

 

そんな遠野秋葉の姿を、どこか他人事のように、琥珀は見つめている。職務を放棄しているわけではない。その証拠に、変わらず一定の距離を置きながら付き人に相応しく主の後ろを歩いて行く。異常の痕跡を見落とすことがないよう辺りを警戒もしている。なのに、どうしようもないほどに彼女の意識は、ここにはなかった。

 

 

――――なんでだろう。からだがふわふわする。わたしがわたしでないかのよう。ちゃんとからだは動いているのに、実感がない。勝手にからだがうごいているみたいに。現実感がない。実感を、持てない。

 

秋葉様が四季様を探していること。これは、わたしの計画の一部。四季様を懐柔し、槙久様を殺させた。後は、秋葉様と四季様を殺し合わせるだけ。相討ちが一番理想的だけど、どちらかが死んでくれさえすればいい。後始末の方法は、その後考えればいい。それでわたしのフクシュウは果たされる。八年前から変わることのない、わたしの存在理由(ゼンマイ)。なのに、そのことに全く感情が湧かない。関心を持つことができない。

 

元々、わたしは誰も恨んでいない。だから、感情もない。でもおかしい。それでもここまで無関心じゃなかった。他人事じゃなかった。でも、いつからだろう。こんなにも、それがどうでもよく感じるようになったのは。まるで――――

 

 

「――――今日はここまでね。屋敷に戻るわよ、琥珀」

「…………え?」

 

 

そんなわたしの思考を止めるように、秋葉様の声が耳に届くも呆然とするしかない。みっともない反応を晒すしかない。気づけば、秋葉様はこちらに振り返り、呆れ気味に腕を組んでこちらを睨んでいる。間違いなく、不機嫌なのは明らか。

 

 

「え? じゃないわ。屋敷を出てから思っていたけれど、何をそんなにぼーっとしているの。遊びに来ているわけではないことは分かっているでしょう?」

「……はい。申し訳ありません、秋葉様」

 

 

返す言葉もない。今自分達は四季様を探すために動いている。いわば殺し合い。裏の世界。いつ何時そうなってもおかしくない状況に身を置いている。にも関わらず自分は集中できていない。体は動いているが、心がついていっていない。いや、そんなもの人形の自分にあるはずがないのに、何かの熱に浮かされているように。だがそれは

 

 

「……兄さんのことを気にしているの?」

 

 

秋葉様のその一言であっけなく晒されてしまった。

 

 

瞬間、ぴくんと身体が強張るのを抑えることができなかった。同時に息を飲んでしまう。それは秋葉様に彼がいなくなってしまったことを知られてしまったのかと心配したからではない。ただ単純に、自分がここまでおかしくなっている理由が分かっただけ。

 

彼がいなくなってしまった。

 

ただそれだけのことで、わたしはおかしくなってしまっている。頭の中が、彼のことだけでいっぱいになっている。遠野家へのフクシュウが、どうでもいいと感じてしまうほどに。

 

同時に、チクンと胸がイタくなる。胸が締め付けられるような、痛み。でもおかしい。わたしは人形だからイタくなんてないはずなのに。怪我も何もしていないのに、イタいなんて。

 

彼の言葉を思い出すたびにイタくなる。彼のことを考えるたびにイタくなる。イタくてどうしようもなくなる。なら、考えなければいい。忘れればいい。なのに、できない。どうやってもイタくなる。

 

 

「……兄さんのことなら心配ないわ。体調は優れないようだけど、四季を倒せばきっと良くなってくれる。だから夜の間はこちらに集中しなさい」

 

 

秋葉様はそう言いながら屋敷へと戻って行く。わたしは、それに一歩遅れながら従い付いて行く。今のわたしは秋葉様の付き人なのだから。感応能力者として秋葉様をお支えすること。それが役目。それがわたしのフクシュウに繋がる。なのに、違うことを考えているわたしがいる。

 

心と体がちぐはぐになっている。致命的な何かに気づきかけながらも、それに蓋をしながらわたしは『琥珀』を演じる。もうどれが本当のわたしなのか、分からなくなりながらも――――

 

 

 

 

朝。わたしの仕事の中で一番忙しい時間帯。朝食の準備と、彼を起こすこと。だけどもうそれはない。彼はもういないのだから。作る食事も三人分でいい。なのに、知らず四人分の食事を用意してしまっているわたしがいる。そう決められているから動く機械のように。でも、本当は違うのかもしれない。もしかしたら、わたしはまだ彼がいないことを認めていないのかもしれない。子供のように意地になって――――

 

 

「――――姉さん」

「……翡翠ちゃん? 秋葉様のお送りはもう済んだの?」

「ええ。今日はこのままお部屋の掃除に回るわ。姉さんは?」

 

 

いつの間にか帰ってきていたのか、翡翠ちゃんはいつもと変わらぬ様子で自分へと話しかけてくる。でもきっと、そう振る舞っているだけ。翡翠ちゃんなりに、自分の仕事を全うしようとしているのだろう。自分とは違って。ならわたしもそうするべき。いつも通りのわたしを演じながら、ただ人形のように動けばいい。なのに

 

 

「――――わたし、は……ちょっとお買い物に出かけてきますね。夕方には戻ってくるからお屋敷の方はお願い、翡翠ちゃん」

 

 

わたしは、知らずそう口にしていた。体が勝手に動いていた。買い物なんてないのに、出かけると告げる。その理由が分からない。人形のわたしではない、何か。それが怖かった。今までのわたしが壊れてしまうような悪寒。それでも抑えられない感情。

 

 

「――――分かった。気をつけて、姉さん」

 

 

そんなわたしの言葉を聞きながら、翡翠ちゃんは静かにそう言い残したまま去っていく。何も聞くことなく、何も言うことなく。言葉など必要ないと告げるように。そんな妹の姿を見つめながらも、既にわたしは動き出していた。ただ思っていた。これでは、どちらが翡翠(わたし)なのか分からない、と――――

 

 

 

 

――――陽が差してくる。穏やかな陽気。絶好の行楽日和。休日であることもあって、公園には人が溢れている。親子連れ、カップル、老夫婦、子供達。皆が皆、笑顔を見せながら戯れている。

 

そんな中、公園のベンチで一人腰掛けている少女の姿があった。着物姿という珍しい服装であることもあってすれ違う人々は皆、少女を見つめるも誰一人声をかけることも立ち止まることもない。何故なら、少女は笑っていたから。見る者が和んでしまうような柔らかい笑顔。きっと、誰かと待ち合わせをしているのだろう察せるような姿。

 

誰も気づかない。気づけない。彼女が、来るはずのない誰かを待っていることを。その笑みが、ただの虚構であることを。

 

 

(…………何をしているんでしょうか、わたし)

 

 

自嘲しながら、ただ空を見上げる。雲ひとつない晴天。時刻は正午を回った頃。なのに、わたしは何もしていない。何もすることがない。ただベンチに座っているだけ。隣に誰もいないのに、誰かが座れる隙間を開けたまま。

 

何もしていなかったわけではない。屋敷を出てから、すぐに動き出した。何かなど、考えるまでもない。ただ彼がどこに行ってしまったのか。彼を探すことが今のわたしの行動の理由。わたしの存在理由には何の関係もないのに、当然のようにわたしは駆けまわった。

 

まずは有間の家。

 

彼がいる可能性が一番高い場所。でも、そこには彼はいなかった。落胆はなかった。最初から彼がいないことは分かっていたのだから。電話で知らせを受けた時から彼が有間の家から屋敷へ戻ったことは聞いている。ただ違うのは、彼はあの夜、屋敷の戻ることなくどこかへ行ってしまったということだけ。だから、わたしが有間の家に行ったのは一人の女の子と話がしたかったから。

 

有間都古。

 

有間家の長女であり、彼にとっては妹でもある女の子。そしてあの夜、いなくなってしまった彼女を探すために彼は出て行ってしまった。アイマスクをしないまま、彼には使えないはずの七夜の短刀を手にしたまま。それがわたしが見た彼の最後の姿。明らかに、今までの彼とは違う、彼の姿。

 

電話によれば、都古ちゃんは彼に連れられて家に戻ってきたらしい。なら、都古ちゃんなら彼がどこに行ったのか知っているかもしれない。何があったのか知っているかもしれない。しかし、そんな一縷の望みをかけた願いはすぐに消え去ってしまう。

 

 

それは有間都古が何も答えることがなかったから。

 

 

会ってくれなかったわけではない。警戒されている様子はあったが、きちんとわたしと目を合わせてくれたし、話も聞いてくれた。でも、何も答えてくれなかった。

 

 

『……何も言えない。それが、お兄ちゃんとの約束だから』

 

 

ただそれだけ。都古ちゃんは唇を噛み、泣きそうになるのを必死にこらえながらそう呟くだけ。一体何を約束したのかも話してくれはない。ただ頑なに、それでも必死に彼女は口を噤んでいる。それを守ることだけが、自分の役目だと。その約束を守ることで、兄が戻ってくることを信じているかのように。そんな兄を想う小さな少女を前にして、それ以上追及することはわたしにはできなかった。分かるのは、彼が何かを都古ちゃんに約束したことだけ。

 

それを前にして、何故か胸がイタくなる。知らず持っている白いリボンに手を触れる。果たさせることがなかった約束。なら、目の前の女の子の約束はどうなのか。迷いながらも、そのままわたしは有間の家を後にした。次の手掛かりを求めて。

 

 

彼の学校。それが次の、最後の手掛かり。彼が足を運ぶ可能性がある最後の場所。でもほとんどあきらめていた。彼は休学しており、また屋敷を出て行っているのに学校に来るはずなどない。それでももしかしたら何か手掛かりがあるかもしれない。あってほしいという望み。

 

結果から言えば、収穫はあった。それは彼の手紙。担任の教師から教えられた手紙の話。何でも彼から学校に手紙が送られていたらしい。しかもそれは彼がいなくなった次の日。切手もなかったことから直接投函したことは間違いない。だがその内容が不明瞭だった。

 

 

『シエル』

 

 

それが彼から手紙を送られた少女の名前。何でも留学生らしく、この学校でボランティアをするために訪れていたらしい。問題は、彼がその少女に接触しようとしていたと言うこと。知り合いなのかもしれない。もしかしたらそのシエルという人が、彼の居場所を知っているかもしれない。はやる気持ちを抑えながら教師に彼女の連絡先を尋ねるも、それを知ることは叶わなかった。だがそれは教えてもらえなかったのではない。

 

教師も、学校にいる誰も、シエルという少女の連絡先はおろか詳細なことを何一つ知らなかったから。それどころかどこの学校に留学しているかすらも不明という明らかに異常な事態。それを異常だと誰も気づいていない矛盾。

 

わたしは何とかしようとしたものの、全ては徒労に終わってしまった。分かったのはシエルという名前と容姿だけ。それだけでは何もできない。明らかに一般人ではない。だからこそ、見つけ出すことなどできないだろう。そんなことをするならば、直接彼を探した方が何倍も可能性がある。

 

 

――――だがそれでも、彼を見つけることはできなかった。

 

 

当たり前だ。この街に一体どれだけの人がいるのか。それだけの広さがあるのか。そもそも彼がこの街にいるかも定かではない。砂浜から一粒の砂を見つけるような物。できるわけがない。そもそも彼は何も言わずに屋敷を出て行った。つまり、もう戻ってくる気はないということ。なのに、どうして――――

 

 

(そういえば……彼と八年ぶりに話をしたのもこの場所でしたっけ……)

 

 

ふと、思い出す。この公園のベンチで、自分は彼と八年ぶりに話をした。半ば強引に、そのせいで彼は随分困っていた。今思えば、ちょっとやりすぎだったかもしれない。

 

 

その次は、買い物に付き合ってもらった時。ここで、彼が笑っているのを初めて見た。驚いた。ここで、初めて彼の方からわたしに触れてきてくれた。嬉しかった。

 

 

取るに足らない、思い出。数えるほどしかない、彼とのやりとり。その全てが、まるで夢だったかのよう。

 

 

もう何もない。彼との繋がりはもう残されていない。ただこの公園しか、ない。白いリボンも、彼はもう持っていない。

 

 

ぽとりと、雨粒が膝に落ちる。驚きながら空を見上げてみるも、そこには雲ひとつない空。雨など、降ってはいない。なのにどうして

 

 

――――ああ、そうか。

 

 

何のことはない。わたしは、泣いているらしい。涙が、知らず流れて落ちただけ。もしかしたら、あくびでもしてしまったのかもしれない。目に、ゴミが入ってしまったのかもしれない。なら、拭かないと。でも、止まらない。いくら拭いても止まらない。壊れてしまった蛇口のように、溢れてくる涙を止めることができない。何で涙が出てくるのか分からない。笑っているのに、どうして。

 

 

どれぐらい、そこでそうしていたのか。涙が止まった後も、変わらずベンチで待ち続ける。来るはずのない、誰かを。でも、変わらない。いつまでもこうしていても何も変わらない。それでも、ここであきらめればもう二度と彼に会えないかもしれない。そんな予感。だがそれは

 

 

一つの人影がわたしの前を横切ったことで確信へと変わった。

 

 

「――――え?」

 

 

 

それは彼ではなかった。見たこともない女性。互いに面識も何もないただの赤の他人。なのにわたしはベンチから立ち上がっていた。目を見開いていた。ただ通り過ぎたその女性の後ろ姿に目を奪われているだけ。

 

 

思い出す。いつか彼が言っていた言葉。ここで、わたしはそんな彼をからかった。ただの冗談だと思っていたもの。

 

 

――――金髪の、外国人女性。

 

 

それが琥珀とアルクェイド・ブリュンスタッドの出会い。月触の始まりだった――――

 

 

 


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