月姫転生 【完結】   作:HAJI

21 / 43
第二十話 「無駄」

陽が落ち始め、晴天だった空は、赤みに染まっていく。昼から夜へ。表から裏へ。人ならざる者達が動き始める時間。刻一刻とその時が迫って行く最中、一人の少年が公園のベンチに腰掛けていた。どこにでもいる、何の変哲もない少年。だが一つだけ、奇妙なところがあった。

 

 

「…………」

 

 

少年が眼を閉じていること。それ自体はおかしいことではない。ベンチに座ったまま寝てしまっていることもあり得る。だが少年は座り、目を閉じたまま微動だにしない。姿勢から寝ていないことは明らかにも関わらず、ただ空を見上げている。人気のない公園であるため、通行人もいない。一人、少年はベンチに座り空を見上げ続けている。それがいつまでも続くかと思われた時、初めて少年はその眼を開く。蒼い双眼。見る者を魅了してしまうような美しさと同時に危うさも併せ持つ魔眼。その瞳が空から目の前にある公園の時計へと視線を移す。時刻が午後六時ちょうど。それが合図となったのか

 

 

「――――もう出てきてもいいんじゃないか、シエルさん。覗きをするために来たわけじゃないだろう?」

 

 

再び目を閉じ、夕焼けを眺めながらどこかどうでもよさげに少年、遠野志貴は口にする。独り言にも思える呟き。その一瞬の間の後

 

 

「……いつから気づいていたんですか。気配は確かに消していたはずですが」

 

 

観念したのか、それとも先の言葉に思う所があったのか。若干、困惑気味の表情を見せながら公園の茂みの一画から一人の女性が姿を現す。その姿は少年とは対照的に明らかに普通ではない。黒い法衣とそれには不釣り合いなブーツ。いつもなら掛けているはずの眼鏡もない。夜の、代行者としてのシエルの正装。

 

 

「いや、気配は分からなかった。ただいるだろうなって思っただけで」

「答えになっていませんよ、遠野君。わたしが約束通りここにやってくるとは限らないでしょう」

「……? よく分からないな。シエルさんが約束を破るわけがないだろ。時間も同じだ。まあ、覗きはいい趣味じゃないと思うけど」

「そうですね……これからは気をつけることにします」

 

 

シエルの嫌味も何のその。遠野志貴はさも当然のように二日前と同じようにどこかズレた返答を返してくるだけ。暖簾に腕押し。そも会話が成り立っているのかも怪しい、どこか違和感を覚えずにはいられない。

 

 

(約束を破るわけがない……か。どうやら彼は、わたしのことも知り尽くしているようですね……)

 

 

知らず、溜息を吐きながらも理解する。遠野志貴、彼が自分のことを知り尽くしているのだと。恐らくはその性格も、在り方も。何度かは分からないが、彼は自分と接している。いや、正確には自分ではなく、過去か、並行世界の自分と。その証拠に彼の言葉の節々には経験が見える。シエルという自分に対する理解と対応。同時に、目の前にいる自分へではなく、違う自分に向かって話しかけられているのではと思える異物感。

 

 

「とにかく、お変わりないようで安心しました遠野君」

「ああ、シエルさんも。久しぶり……っていうのもおかしいか。確か、二日前にあったばかりだったっけ?」

「ええ。まさか、自分がした約束をもう忘れているんじゃないでしょうね。もしそうならこのままお暇させてもらいますが」

「いや、流石にそれは覚えてる。ただ時間の感覚はどうしても曖昧で、たまに良く分からなくなる時があるんだ。だからシエルさんに確認できるのは助かる」

「……わたしは遠野君の時計代わりになった覚えはないんですけど」

「それもそうか。でも時間をきっちり守るのは同じだろう。とりあえず立ったままってのも悪いし、座ってくれ。もう俺を警戒する必要もないだろ?」

 

 

変わらず、まるでこちらの答えをあらかじめ予知しているようなタイミングで彼は自分に話しかけてくる。以前から感じていた違和感。その正体に薄々気づきながらも口にすることなく改めて彼の姿を見る。服装は以前と変わらないジャケットにジーンズ。話している相手が目の前にいるにも関わらず目を閉じ、空を見上げている。その理由も既に承知しているがやはり無視されているように見えるのは何故だろう。何よりも変わらないのが座っているベンチの隣にスペースが空いていること。恐らくは自分が座る部分を空けてくれているのだろう。

 

 

「……? どうした、座らないのか? それともまだ警戒してるのか? ならナイフを預けても」

「いえ、結構です。全く警戒していないわけではありませんが、わたしは遠野君のことは信じています。単にそこはわたしが座る場所ではない、というだけです」

「そうか。よく分からないけど、シエルさんがそれでいいって言うんなら構わない」

 

 

だがあえてそこ腰掛けることはお断りする。彼はまだ警戒されていると取ったのか、またナイフを預けてこようとする奇行を見せるが理由は全く違う。単純に彼の隣に座るのが恥ずかしかったから、というのもあるが大きな理由はもっと別。きっとそこに座る資格があるのは彼女だけなのだろうという確信だけ。

 

 

「世間話はこのぐらいでいいでしょう。遠野君、これが約束の物です」

 

 

このまま無意味な会話を続けていても益はないと話を強引に切り替える。同時に法衣からある物を取り出し、彼の手に差し出す。白く長い包帯。一見すれば、ただの包帯だがその正体は違う。ある効果が付加された魔術品。シエル自身には意味はない、彼が手にして初めて用途がある命綱。

 

 

「ああ、こっちが先か。ありがとう、シエルさん。これで少しはマシになる」

 

『魔眼殺し』の包帯。

 

正確には魔眼を抑える術式を施した包帯。シエル自らが作成した品。もっとも、彼女にとっては知識外の物であったため本物の魔眼殺しには及ばない劣化品。それでも遠野志貴にとっては確かな寿命を延ばす必需品だった。

 

 

「……見ずに触っただけで分かるんですか? わたしがただの包帯を渡しただけかもしれませんよ」

「シエルさんはそんなことはしないだろ。それに、この感触は覚えてる。間違うこともない」

「……やはり、その魔眼殺しを何度も手にしたことがあるんですね。今までと変わりませんか?」

「ああ、変わらない。でも今回は少し心配してたんだ。猶予も一日だけだったし、これで何もできないまま死ぬことはなさそうだ」

 

 

そのまま彼は慣れた手つきで包帯を自らの両目に巻いて行く。言葉通りなら、少しは安堵してもいい場面。にもかかわらず彼は変わらない。出会った時と変わらず。どこか他人事のように自らの状態を確認している。同時にシエルは理解する。恐らく、自分が作った魔眼殺しの模造品が、これまで彼が手にしてきた物と変わらないであろうことを。

 

 

「――――遠野君、やはり死は見えるんですか?」

 

 

分かり切った問いを口にする。もはや問うまでもない。何故なら遠野志貴は変わらず空を見上げている。包帯をしながらも。それはつまり、目を閉じ、魔眼殺しを使ったとしても彼には死が見えているということ。

 

 

「ああ、こればっかりはどうしようもない。でも点は見えなくなるし、線も随分マシになる。おかげで頭痛も少しは収まっていると思う。ありがとう、シエルさん」

 

 

本来なら絶望してしかるべき事態を前にしながらそれでも彼は変わらない。それどころか、こちらを気遣うような素振りを見せている。知らず、感情が表情に出ていたかと思うもすぐに気づく。彼には自分の顔は見えていない。死の線を見ることによって外の世界を見ることができるとしても、人の表情までは読み取れない。だからきっとそれは単純な作業。恐らくは何度も経験しているがゆえにとっている行動。

 

 

「礼には及びません。遠野君からは少なからず、有益な情報をもらっていますから。協力関係であるなら当然です」

「それもそうか。じゃあ、そっちの話もしてもいいかな。シエルさん、蛇の城は見つかった?」

「え……? い、いえ……残念ながらまだ。死者は何体か滅したので少なからず妨害は出来ているはずですがロア本体も城も見つけられてはいません」

 

 

一瞬、呆けてしまうも何とかすぐに彼の質問に答える。詰まってしまったのは遠野志貴の方から尋ねてきたから。以前は自分が主体になっていたにもかかわらず。記憶の引き継ぎによる記憶の混濁が収まったということなのか。それともそうせざるを得ない理由が彼にはあるのか。判断ができないものの、この二日間の成果を口にする。もっともあってないようなもの。決して手を抜いたものではないものの、大きな進展はなし。だがそれは無理のないこと。吸血鬼退治は短時間で行えるものではない。痕跡を探し、死者を滅し、城を見つけ出し、吸血鬼を滅し、土地を浄化する。その過程でも城を見つけ出すことが最も時間を要する。何よりも相手はかつて希代の魔術師であったロア。その知識を受け継いでいるとはいえシエルのそれは残滓に過ぎない。容易に見つけ出すことができないのが現状だった。

 

 

「そうか……でもそろそろ動きがあるはずだ。それを見逃さなければきっと……」

「……遠野君の方はどうだったんです? 本当にアルクェイド・ブリュンスタッドを尾行していたんですか?」

「ああ。でもこっちも収穫なしだ。あえて言えば、ブリュンスタッドが死者を何体か消滅させたことぐらいか」

 

 

どうやら彼の方も大きな進展はなかったらしい。もっとも、あったのならこうして呑気にしている暇はないのだろうが。だが少なからず驚きがあった。それは

 

 

「遠野君、どうやってアルクェイド・ブリュンスタッドを尾行しているんですか?」

 

 

遠野志貴が本当に彼女を尾行しているということ。正確には彼女に見つかることなく、気づかれることなく尾行しているという事実。曰く彼は自分には嘘をつかないらしい。それを信じ切っているわけではないが、にわかには信じられないことだった。

 

 

「どうやってって……別に普通に尾行してるだけだけど……」

「嘘です。普通に尾行しているだけでは絶対に彼女に見つかるはずです。いくら人間だからといっても、彼女は見逃す程甘くはありません」

「それは知ってるけど……ああ、まだ言っていなかったか。俺、直接ブリュンスタッドの後を尾けてるわけじゃない。その気配を追ってるんだ」

「気配……?」

「ああ。前にも話しただろう。この体は七夜、退魔の一族のものでさ。殺人衝動ってものがあるんだ。それを頼りに後を追ってる。流石に視認できる距離で尾行してたら気づかれる」

 

 

遠野志貴はようやく気づいたように種明かしをする。もっとも、彼からすれば隠していたわけではなくただ単に自分に話していたのだと勘違いしていただけ。

 

『殺人衝動』

 

退魔の一族である七夜の人間が持つ特性。本能とでも言うべきもの。ヒトでありながら魔に対抗するための縛り。ヒトでない者を殺そうとする防衛機能であり、本能。真祖であっても例外ではない。むしろ真祖以上にその衝動が感じられる者はいないだろう。

 

 

「殺人衝動……確か、人でない者を殺そうとする衝動でしたか。それは今も?」

「今は感じてない。流石に遠すぎるし、そんなに便利な物でもない。おおよその位置は意識しないといけないし。できればロアを探すのにも役立ったんだが」

「…………」

「……? ああ、心配しなくてもいい。シエルさんは人間だから問題ない。間違いなくシエルさんは人間だ」

「……そうですか。安心しました」

 

 

まるでこちらの心を読んだかのように彼はわたしが気にしていたことを口にする。自分が人間であるかどうか。その答えをまさかこんなところで得ることになるとは思ってもいなかったが、彼がそういうのなら間違いないだろう。もっとも、不死である自分が人間であるかははなはだ疑問だが。否、蛇を殺して初めて自分は人間に戻れるのかもしれない。

 

 

「ですがその殺人衝動は抑えられるものなんですが? 元々は魔と戦うため、逃げ出さないための物だったと聞きましたが?」

 

 

出ることのない答えに蓋をしながら彼に尋ねる。単純な疑問。衝動はいわば本能。吸血衝動と同じように、抑えることができないからこそ衝動と呼ばれる。殺人衝動はいわば退魔の人間が魔を前にしても逃げ出さないようにするためのいわば枷。強制的な興奮状態であるはず。だが

 

 

「そうなんだが、この体は人形だから何とか切り離してるんだ。そうすれば衝動に飲みこまれることもないし」

 

 

遠野志貴は当然のように、そんなヨクワカラナイことを口にした。

 

 

「人形だから切り離す……? どういう意味ですか?」

「……? どうって……この体は自分の身体じゃないって思いこむんだ。そうすれば痛みも何も感じないし、思い通りに動いてくれるだろ? 実際、この体は俺の身体じゃないから、当然と言えば当然なんだけど」

 

 

遠野志貴が口にしている内容は取りとめのない物。聞くだけなら、そういう心構えを持っているで済ますことができるだろう。しかし、そう流すことはできない。何故ならそこにこそ、彼の根本、異常の本質があると確信できたから。

 

 

「……それは、いつから?」

「いつからだったかな……覚えてないな。何かきっかけがあったような気がするんだけど、まあいいさ。それに最初から上手くできたわけじゃない。殺人衝動が抑え込めるようになったのも、確かつい最近なんだ」

「最近、ですか? ならアルクェイド・ブリュンスタッドを尾行するのはそれまでどうやって……?」

「今までは途中で殺されてたんだ。単純に見つかるのと、殺人衝動に飲まれる場合の二通り。そのままじゃ尾行できないのに気づくのに十数回、殺人衝動を抑え込むのにその倍かかったかな。おかげで今回は上手く行きそうだ」

 

 

さも当然のようにわたしの問いに彼は答える。そこには何もない。ただ聞かれたから答えているだけ。その内容は決して淡々と語れるようなものではない。自分が殺された内容。しかも一度ではなく、何度も。同じ相手に。

 

 

「憎しみはないんですか……? あなたは、アルクェイド・ブリュンスタッドに何度も殺されているんでしょう? なのに……」

 

 

なのに、彼には憎しみがない。怒りがない。悲しみがない。まるで自分でない誰かが死んだように、彼には全く感情がない。せいぜい人形が壊れたくらいにしか、思っていない。

 

 

「別に何も。殺されたから、死んだだけだ。別に誰に殺されようと関係ないだろ?」

 

 

それが彼の答え。死は等価値。そこに至る過程も、誰によるものかも無関係。例えそれが蛇であっても変わらない。もしかしたら彼は誰も恨んでいないのかもしれない。そもそんな感情は摩耗し無くなってしまっているのかもしれない。ただ蛇を殺すためだけの人形。

 

 

「そうか……心配しなくてもいい。シエルさんに殺されたことは今のところないから。あっても気にすることはないし」

 

 

自分が言葉を失っている理由を勘違いしたのか、彼はそんな意味不明なフォローをしてくる。彼なりにこちらを気遣っているのかもしれないが、こんなに全く嬉しくない気遣いは初めてだった。

 

 

「そうですか……なら、一番多いのは誰に殺されているんです? ロアですか? それとも死者……?」

 

 

頭を抱えながらも一応聞いておくことにする。単純な興味。繰り返しきた彼が一体誰に一番殺されているのか。本当なら聞くべき質問ではないのだが、あまりにも自分の死に無頓着な彼だからこそした問い。だがその答えは

 

 

「殺されたのは多分死者だけど……一番多いのはきっと自殺かな」

 

 

わたしが全く予想していなかったものだった。

 

 

「自殺……ですか? それは、自暴自棄になって……?」

「そういえば最初の方はそんなこともしてた気がするけど、一番は違う。ただ効率よく繰り返すために自殺してたんだ」

「効率よく、繰り返す……?」

「ああ。前に話しただろ。俺、最初は全然戦えなかったんだ。ま、当たり前だけど経験がなかったから。だから戦って死ぬのを繰り返して経験を積もうとしたんだ」

 

 

彼は語る。自らが最も死んだ理由を。笑ってしまうほど単純な、だからこそ常軌を逸している選択。ゲームのように、何度もリセットをしながら経験を積むという狂気。

 

 

「その一番効率が良い相手が死者だったんだ。死者ならどこで現れるか把握できるし、すぐに殺されることもない。後は繰り返すだけ。死者に触れるようになって、次はナイフを刺せるようになるまで。次がこっちが無傷で済むようになるまで。これが一番難しかったかな。どうしても体の一部が持って行かれるから」

 

 

壊れている。狂っている。なのに、彼は気づいていない。気づくことができない。いつからかは分からない。きっと、彼はそんなことを覚えてはいないのだろう。覚えていてはここまでたどり着けなかったのだろう。

 

 

「それができるようになってからは決められた死者を殺してから、死の点を突いて自殺するようになった。その方が時間を無駄にしないで済むから。後はその繰り返し。知識にある遠野志貴の動きを頼りに再現するように経験を積んだ。まあ、人形だから本物のそのままってわけにはいかなかったけど」

 

 

それが自殺が一番多い理由。死者と戦って生き残ったとしてもまだロアには届かない。ならそこまでの時間を無駄にしないために最短の繰り返しのために自らの死を突き、また繰り返す。リセットボタンを押すように、自らの命を捨ててきた彼。彼曰く、人形。

 

 

「――――遠野君は、『死』が怖くはないんですか?」

 

「――――? シエルさんは『死』が怖いのか?」

 

 

ようやく絞り出した問いに、間髪いれずに彼は問い返す。何を言っているのか、と。同じ死を繰り返しながらも、死が怖いのかと遠野志貴は問う。そこでようやくシエルは知る。まだ答えとしては半分。だがそれでも

 

 

「ええ、わたしは死ぬのが怖いです。きっと、この世の誰よりも」

 

 

死にたくない。不死であるからこそ、死にたくはないと。死を知っているからこそ、それは変わらない。例え何回繰り返したとしても、死に慣れることなど人間にはできない。ならきっと目の前の彼は人間ではない。いや、きっと人形の振りをしているのだろう。それが彼の自己暗示の正体。同時にここにはいない、彼女もそれは同じなのだろう。

 

 

「……そうか。てっきり、シエルさんは死にたがってるんだと思ってた。もし、どうしようもない時には、直死の魔眼なら不死のシエルさんでも殺せるけど」

「魅力的な提案ですが、お断りしておきます。自分の死は自分で決めますし、そんなことお願いしたら、遠野君も死んじゃいそうですから」

「俺が……?」

「ええ、先輩としての勘です。遠野君は、自分の死を許容できても他人の死を許容することはできないでしょうから」

 

 

空気を変える意味も兼ねて、少し冗談っぽく振る舞う。死に続ける、死ぬことができない因果に囚われた先輩としての助言。その意味を介していないのか彼はどこか呆然としている。そんな彼を見ているのも楽しいが、自分にはもう一つ確かめるべきことがある。それは

 

 

「ところで、遠野君。わたし、今日遠野君のお屋敷にお邪魔して来たんです」

 

 

彼の中にまだ、人形ではない人間が残っているのかどうか。

 

 

「遠野家に? 何でそんなところに行ったんだ?」

「いえ、遠野君から聞いた話が本当かどうか確かめるためです。信じていなかったわけではありませんが、やはり裏は取らないといけないので」

 

 

彼の反応、一挙一動を見逃すまいと集中する。結果は何もなし。自分が遠野家に行ったことを明かしても全く動じることはない。もしかしたら、同じ展開を経験したことがあるのかもしれない。

 

 

「そうか。それでどうだった? 俺の話は信じてくれたのか?」

「ええ。お話の通り、遠野四季が今代のロアである可能性が高いのは間違いないようです。ですが驚きました。遠野君の家にはあんな綺麗な使用人さんもいたんですね。彼女、心配してましたよ。あなたがいなくなってしまって、探していると」

 

 

本題を口にする。もちろん前者ではなく後者。後半の内容こそが今のわたしにとっては本題。だが彼は何も反応しない。先と変わらずただ空を見上げているだけ。

 

 

「そうか。琥珀には悪いけど、どうしようもない。そんな無駄なことをしてる余裕はないし」

 

 

彼はそう告げる。何もおかしくはない、答え。でもわたしには分かる。いつもの彼ならばあり得ない変化が。

 

 

「そうですか……でもおかしいですね。わたし、心配しているのが琥珀さんだなんて一言も言ってませんよ?」

 

 

それがわたしのひっかけ。私は今、使用人としか口にしてない。遠野家には使用人が二人いる。琥珀と翡翠。にも関わらず、彼は迷うことなく彼女の名を口にした。それはつまり、自分を心配しているのが彼女だと知っているということ。意識しているということ。

 

 

「…………」

「少し彼女とお話する機会があったんです。彼女、遠野君が本物の遠野志貴じゃないって知っていましたよ。なのにどうしてわたしにそのことを教えてくれなかったんですか?」

「教える必要がないと思っただけだ。琥珀も、翡翠さんもこの戦いには関係ない。それだけだ」

「そうですか……では、琥珀さんに会ってあげることはできませんか? 彼女、ずっとあなたのことを探してるみたいですけど」

「必要ない。そんな無駄なことをしている時間は、俺にはない。俺は琥珀とは会わない。決まってることだ」

 

 

そのまま彼は口を閉ざしてしまう。その言い回しも、どこか機械的なもの。決めている、ではなく決まっていること。まるで自分自身にルールを定めているかのよう。琥珀、彼女に対しては会わないこと。自分に対しては嘘を言わないことが彼の中でのルールなのかもしれない。まるで決められたことしかできない、しようとしない機械人形。それを理解しながら、わたしは口にする。

 

 

「遠野君は、どうして彼女に会いたくないんですか?」

 

 

根本的な問い。何故、彼女と会いたくないのか。その理由。彼はわたしに嘘をつかない。もし答えないならそれだけで十分。

 

 

「――――俺は、あいつが嫌いだからだ」

 

 

だが彼は口にした。間違いなく、彼の本心。同時に、初めて聞いた彼の本音だった気がした。

 

 

「――――そうですか。なら、仕方がないですね」

「……? どうしたんだ、シエルさん?」

「いえ、少し先が長くなりそうだと思っただけです。お気になさらずに」

 

 

腰に手を当てながら、肩をすくめるしかない。期待していた答えではなかったが及第点だろう。むしろ、想像以上だったと言っていい。嫌い、というのは間違いないだろう。だがそれはそのまま否定につながる言葉ではない。わたしが危惧していた彼の答えは無関心だったのだから。表裏一体。愛と憎しみ。反転することによって入れ替わる感情。どちらが先だったのかは分からないが、まだ彼の中にはそれが残っている。

 

 

「さて、長く話し込んでしまいましたけどそろそろ動きましょうか。遠野君は今夜もアルクェイド・ブリュンスタッドを?」

「ああ。シエルさんもこれまで通り頼む。時期でいえばそろそろのはずだ」

「分かりました。くれぐれも無理はしないように。それと――――」

 

 

既に法衣をはためかせ、夜の闇に紛れる間際

 

 

「遠野君から見れば、わたし達はたくさんいるのかもしれませんが、わたし達にとっての遠野君はあなただけです。それを忘れないように」

 

 

シエルはそう残しながら去っていく。その意味を知らぬまま、遠野志貴も立ち上がり公園を後にする。そこに無駄は一切ない。あるはずがない。

 

 

彼は動き出す。その無駄なものによって、自分があり得ない選択をすることを知らぬまま――――

 

 

 

 

 

月明かり。その恩恵を受けながら彼女は進む。そこには何もない。無駄なものは何一つない。ただ機械のような在り方だけ。

 

人が流れていく。彼女の横を無数の人が過ぎ去っていく。その一つ一つが意味を為さない。道端に転がっている石と同じ。気に留めることもない。

 

彼女は歩く。一歩一歩。無造作な足取り。にも関わらず、その所作には気品が満ちている。姫と呼ばれる者が持つカリスマ。だが彼女はヒトではない。真祖と呼ばれる吸血鬼。吸血姫でありながら『処刑人』と忌み恐れられる存在。

 

その足が止まる。場所は人気がない公園。まるで最初からそこに至ることが決まっていたかのように彼女は無駄のない動きでそのまま誰もいないはずの背後に振り返る。変わらない無表情。彫刻を思わせる美貌と無機質さ。違うのはその瞳の色。深紅ではなく金色。

 

同時に、鳥が公園、彼女の周りから無数に飛び立って行く。否、戻って行く。夜のように黒い鳥の群れ。その全てが彼の元に戻って行く。

 

 

「待たせたな……真祖の姫君」

 

 

いつからそこにいたのか、それとも初めからそこにいたのか。コートを纏った巨大な群れが形を為す。

 

 

『真祖』アルクェイド・ブリュンスタッドと『混沌』ネロ・カオス。

 

 

ようやく始まりの鐘が鳴る。二人の吸血鬼の邂逅。それが長いこの夜の始まりだった――――

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。