月姫転生 【完結】   作:HAJI

30 / 43
第二十九話 「反転」

慣れた手つきで調理を済ませ、手際良く食事の準備を済ませている少女。割烹着にエプロンという時代錯誤な恰好だが、それがこれ以上なく絵になっている。何よりも傍目から見ても少女、琥珀は楽しそうにしている。そう、まるでようやく自らの望みが叶ったかのように。

 

 

(……よし! こんなところでしょうか)

 

 

味見を済ませ、心の中でそう呟く。目の前には彼のために用意した食事がある。だがその内容はご飯に味噌汁、卵焼きだけ。質素と言ってもいい。個人的にはせっかくの機会なのだから御馳走を用意したかったのだが仕方ない。軽い食事がいい、というのが彼、志貴さんの要望。シエルさんの希望に沿ったカレーはどうやら志貴さんには合わなかったらしい。だが本当にこれだけでいいのかふと考えてしまう。確かに彼は目は見えないが屋敷にいた頃は小食ではなかった。食が細くなってしまったのだろうか、と疑問を抱くも切り捨てる。早くしなければせっかくの食事が冷めてしまう。何よりも

 

 

「はい、お待たせしました志貴さん。お食事をお持ちしましたよ」

 

 

これ以上待たせると、間違いなく彼の機嫌を損ねてしまうのは明らかだったから。

 

 

「…………」

 

 

そこにはいつもと変わらぬ無表情で床に座り込んでいる志貴さんの姿。目には包帯を巻いているため余計に無愛想に見える。だが容姿だけではない。今、間違いなく彼は不機嫌だった。体から見えないオーラが滲み出ているかのよう。

 

 

「あらあら志貴さん、何をそんなに不機嫌になってらっしゃるんですか?」

「……誰のせいでこんなことになってると思ってるんだ?」

 

 

口元を押さえるも笑みを堪えることができない。見えずともそんな自分の気配を察したのか志貴さんは余計に不機嫌になっていく。だが仕方ないだろう。誰だってこんな光景を目の当たりにすれば面白がるに決まっている。

 

 

「……?」

 

 

そこには自分達が何を言っているか分からないのか、きょとんとしている白い女性がいる。金髪に赤い瞳。およそ人間離れした容姿をした美女、アルクェイド・ブリュンスタッド。彼女がいること自体は何の問題もない。だが今の状況は彼にとってはそうも言っていられないらしい。何故なら今彼は、アルクェイドさんに後ろから羽交い絞めにされている状態なのだから。端から見れば恋人に後ろから抱きつかれているかのような光景がそこにはあった。

 

 

「何を仰ってるんですか志貴さん。わたしはただわたしが触れない分も志貴さんに触ってあげて下さいとアルクェイドさんにお願いしただけですよ。それに満更でもなさそうに見えますけど」

「……どこを見ればそう見える。お前の目は節穴か?」

「いえいえ、そんなことは。志貴さんとは違ってわたしは特別な眼はもっていませんから」

「……」

 

 

クスクスと笑いを隠し切ることができないまま用意した軽食を彼の前に置く。先程の自虐のお返しとばかりに彼の目のことを話題に挙げるも応えはない。口にする必要がないからなのか、口にしたくないのか。きっと後者の方なんだろうと理解しながらもそれ以上追及するのは控えることにする。

 

 

「さあさあ、早く召し上がってくださいな。冷めたら美味しくなくなってしまいますよ?」

「…………」

 

 

やや強引に勧めるも彼は箸を手にしたまま固まってしまう。まるで時間が止まってしまったかのよう。一体どうしてしまったのか。要望通りに軽めの食事にしてみたけれど、何か違っていたのだろうか。知らず不安に襲われるも

 

 

「……? シキ、どうかしたの?」

 

 

それを代弁するように志貴さんの後ろから抱きついているアルクェイドさんが肩から顔を覗かせながら尋ねる。アルクェイドさんから見ても志貴さんはどこかおかしく見えたらしい。そんな声が聞こえていないのか、彼は身動きしないまま何かを思い出そうとしているかのように唇を動かしている。それが何度続いたのか

 

 

「……いただき、ます」

 

 

ようやく辿り着いた当たり前の言葉を彼は口にする。もしかしたら、長い間口にしていなかったかのように。

 

 

「――――はい。どうぞ召し上がってください」

 

 

知らず笑みを浮かべながら応える。まだ彼が出て行ってから一週間も経っていないのに、何年も聞いていなかった気がする。いつも通りのやり取り。それが、ようやく彼が帰って来たのだと思える瞬間だった――――

 

 

 

 

手早く洗い物をすませ、リビングへと戻って行く。彼一人分の食器なので十分もかからない量。結果は完食。ゆっくりではあったがちゃんと自分が作った食事を食べてくれたことで安堵するも、その光景はどこかおかしなものだった。

 

一つがその食べ方。彼は箸を持ったものの、決して自らの手元を見ることなく窓の外に視線を向けたまま食事をしていた。初めは目を閉じ、包帯をしているから食事がどこにあるのか分からないのかと思ったがそうではないらしい。

 

そう、思い返せばずっとそうだった。再会してから彼はずっと窓の外を見ている。決して他の物に視線を向けることはない。わたしはもちろん、シエルさんにも向かい合うことはない。今のわたしが分かるのは、それが以前シエルさんが言っていた彼の特別な眼のせいであるということだけ。

 

そしてもう一つのおかしな点。それは

 

 

「ふふっ、志貴さんすっかりおもちゃにされちゃってますね」

 

 

まるで毛玉にじゃれつく猫のように、アルクェイドさんにいいようにされている彼の姿だった。

 

 

「…………」

 

 

わたしの声が聞こえているのか無視しているのか。彼は胡坐をかいたまま座りこんでいるだけ。アルクェイドさんに抱きつかれても、つねられても、引っ張られてもされるがまま。ただ物置のようにそこにいる。唯一の抵抗がテレビを点け、それに聞き入っていること。恐らくはアルクェイドさんと会話するのが面倒になったのだろう。いや、もしかしたらそこにはわたしも含まれているのかもしれない。現にわたしの言葉にも反応してくれない。それでは面白くない。

 

 

「ダメですよ、志貴さん。ちゃんとアルクェイドさんのお相手をして差し上げないと。志貴さんには責任があるんですから」

「……責任? 何の責任があるっていうんだ?」

「決まってるじゃないですか、アルクェイドさんを傷物にした責任です! シエルさんからお聞きしたんですから!」

「……それは、意味が違うんじゃないか?」

「いいえ同じです。女の子の体を傷つけたんですから。ちゃんと誠意は見せるべきです!」

「……? コハク、キズモノってなに?」

「それはですね……」

「そこまでだ。余計なことをブリュンスタッドに吹き込むな。お前みたいになったらどうする」

「ひ、ひどいです志貴さん! わたしを何だと思ってるんですか?」

「割烹着を着た怪しい女……いや、悪魔か」

 

 

これみよがしにアルクェイドさんに耳打ちしようとするも、流石に黙っていられなかったのか志貴さんは割って入ってくる。どこか懐かしいやり取りに思わず笑みがこぼれるも彼には見えていないので構わない。

 

 

「……?」

 

 

対照的にアルクェイドさんはどこか不思議そうにわたしと志貴さんのやり取りを見つめている。きっと言い合いをしているのに嬉しそうにしているわたしが彼女には奇妙に映ったのだろう。

 

 

「そんなことを言っていいんですか志貴さん? わたしにはお見通しですよ。アルクェイドさんに抱きつかれて本当は嬉しいと思ってるんでしょう。不機嫌そうな顔をしても騙されませんよ?」

 

 

以前と変わらない彼の反応に気を良くしながらもあえて意地悪な返しをする。指差した先にはアルクェイドさんに纏わりつかれている志貴さんの姿。どうやらもはや振り払うことはあきらめたのか気にするそぶりすら見せていない。それでは面白くない。アルクェイドさんも志貴さんの反応があった方が楽しいはず。何よりも彼女に抱きつかれて嬉しくない男性などいるはずもない。だというのに

 

 

「……何を言ってるんだ? 大体ブリュンスタッドをけしかけたのはお前だろう」

 

 

彼は微塵も慌てることもなく、淡々とわたしの行動を容赦なく叩き伏せるだけだった。

 

 

「そ、それはそうですが……その、志貴さん? 本当に何も感じないんですか? こう、恥ずかしいとか、どきどきするとか」

「別に何も。暑苦しいだけだ」

「そんな訳ないでしょう!? こんな美人さんに触られてるのに、何も思わないんですか!?」

「美人……? ああ、ブリュンスタッドのことか。確かに美人だとは思うが関係ない。第一、今の俺には見えないしな」

「そ、それはそうですが……その、感触だけでも何か思う所はないんですか?」

「そうだな……温かいってことぐらいだが」

 

 

こちらから振った話題だと言うのに何故かわたしの方があたふたしながら対応する羽目になっている。だがおかしい。確かに反論されるのは分かるがここまで反応しないなんて。確かに、彼は年相応の初心なところがあったはず。あれは確か

 

 

「誤魔化されませんよ、志貴さん! わたし、覚えてるんですから。遠野のお屋敷で起こして差し上げる時、あんなに恥ずかしがられてたじゃないですか!」

 

 

初めて彼を起こした時の出来事。朝だから無理のない生理現象なのだが、自分を意識して恥ずかしがっていた彼の姿。彼からすれば思い出したくないであろう恥ずかしい出来事。流石にあのことを話題に出すのは意地が悪かったかと少し反省するも

 

 

「…………ああ。そんなこともあったのか」

 

 

彼はどこか他人事のように呟くだけ。まるで、遥か彼方の記憶を思い出そうとするかのように。それができないまま、どこか摩耗した老人のような面影が垣間見える。

 

 

「……志貴さん?」

「……? 何だ、まだ俺の恥ずかしい話は続くのか。正直もう横になりたいんだが」

「い、いえ……でもいいんですか? 確かシエルさんが戻ってこられるまで待たれてるんじゃ……」

「そうか。そうだったな、じゃあまだ寝るわけにはいかないな。シエルさんを怒らせると怖いからな」

 

 

本当に忘れていたのか、一人納得しながら志貴さんはまた窓の外を見ながら無言になってしまう。寝ているわけではなく、ただぼうっとしている。ただそれだけ。なのに、どうしてだろう。何か言いようのない不安が胸を締め付ける。まるで、何かが失われていくような感覚。だがそんな中ふと気づく。

 

 

「――――」

 

 

猫のように志貴さんに纏わりついていた彼女が動きを止めている。そういえば絶え間なく彼女も志貴さんやわたしに話しかけていたはずなのにいつの間にか黙りこんでいる。ただ無表情で、その赤い瞳で彼を見つめている。

 

 

「……アルクェイドさん?」

「…………」

 

 

声をかけるも聞こえていないのか反応がない。ただ観察するように志貴さんを見つめているだけ。先程までの純粋さは欠片もない。どこか冷たい機械のような気配が満ちている。初めて会った時の彼女を想起させる姿。それに気づいているであろう彼もまた同じ。違うのは――――

 

 

「そう言えばアルクェイドさん、この街でのお仕事が終わったらどうされるんですか?」

 

 

ただ思いつきで彼女に尋ねる。理由はない。ただこの空気を、現実をどうにかしたかった。過去も、現在も必要ない。その二つにおいて、自分は彼らの役には立てない。裏、非日常の世界でのやり取りにおいて、吸血鬼退治の上でわたしができることは何もない。だから先のことを話そう。そうすればきっと希望があるはずだから。

 

 

「……どうもしない。城に戻って眠るだけ。これまでと同じ」

「そうですか……でも、ちょっとぐらいは時間があるんじゃないですか?」

「時間?」

「はい。この街にいる吸血鬼を倒した後、一緒にどこかに遊びに行きませんか? もちろん、アルクェイドさんがお忙しいなら無理強いはできませんが……」

 

 

突然だったからなのか、アルクェイドさんは怪訝そうな表情を見せたまま。もっとも、そういった表情すら最近見るようになったもの。わたしや、志貴さんと接する中で確実に彼女は人間らしさを手にしている。機械、人形のような在り方から外れて行く。それがいいことなのか、悪いことなのか今のわたしには分からないけれど、きっと何か意味はあるはず。意味を、持たせてあげたかった。

 

 

「……分からない。何故、そんな無駄なことをする必要があるの。そんなことをしても、わたしにもコハクにもメリットはない」

「そんなことはありません。少なくとも、わたしは嬉しいです。アルクェイドさんもきっと、何か得るものがあると思いますよ。少しぐらいお仕事をサボっても誰も怒りません。わたしは……そうですね、こっぴどく怒られてばかりでしたがへっちゃらでした」

 

 

思わず脳裏に鬼になった秋葉様が浮かび上がるもなかったことにする。決してよくサボっていたわけではないと言い訳するも誰も聞いてくれないのは分かり切っている。今はアルクェイドさんのこと。わたしの言葉に何か思う所があったのか、彼女は黙りこんだまま。でもすぐ否定してこないところを見るに悩んでいるのは間違いない。ならばここは一気に畳みかけるのみ。

 

 

「なら志貴さんとシエルさんも一緒に、四人で遊びに行くのはどうでしょう? きっと賑やかになりますよ? 場所はそうですね……遊園地なんてどうでしょう、志貴さん?」

「…………え?」

 

 

上の空、完全に自分の世界に入り込んでいた志貴さんにキラーパスという名の奇襲を仕掛ける。それが成功したのか、志貴さんは口を開けたまま。もし包帯をしていなければ眼をぱちくりさせているのは間違いない。

 

 

「ですから、遊園地です。アルクェイドさんとお話して、吸血鬼退治が終わったら皆さんで遊びに行こうと」

「それは分かったが……何で遊園地なんだ?」

「わたし、遊園地一度も行ったことがないんです」

「……は?」

「ですからわたし、生まれてから一度も遊園地に行ったことがないんです。志貴さんは行ったことはあるんですか?」

「さ、さあ……どうだったかな……」

「あるんですか?」

「……多分、あるはず……」

「そうですか。きっと都古ちゃんと一緒に行かれたんでしょうね……ところで志貴さん、わたし遊園地に行ったことがないんですよ?」

「…………分かった。分かったからそれ以上近づくな」

 

 

満面の笑みを浮かべながら彼にお願いする。そのおかげもあり、志貴さんは快く引き受けてくれた。うん、これぐらいは許してもらえるはず。働き者の使用人の我儘ぐらい叶えてくれるのがご主人様の甲斐性なのだから。

 

 

「……思い出した。そういえば、いつかも似たような脅迫をされた気がする」

「そうでしたか? きっと気のせいですよ。それはともかくこれで決まりですね。シエルさんならきっと二つ返事で了承してくださるはずです」

「だろうな……あの人はお人好しだからな」

 

 

彼の言葉に思わず相槌を打つ。本人の前では言えないが、シエルさんには引率の先生のような雰囲気がある。頼んでもいないのに周りに気を配ってくれる委員長タイプ。何はともわれ約束を交わした。想像するだけで賑やかな四人組。だがそんな想像は

 

 

「――――何で、そんな意味のない約束をするの?」

 

 

理解できないという表情のアルクェイドさんの言葉によってかき消されてしまった。

 

 

「……? アルクェイドさん、やっぱり遊びに行くのは嫌ですか?」

「そうじゃない。わたしは構わない。理解はできないけれど、興味はある」

「なら――――」

「でも、その時にはシキはいない。四人で遊びに行くことはできないのに、どうしてコハクはそんな約束をしているの?」

「―――――え?」

 

 

何のためらいもなく、ただ当たり前のようにアルクェイドさんはそんなヨクワカラナイ言葉を口にする。予言にも似た宣告。固まっているのは自分だけ。志貴さんは微動だにしないままアルクェイドさんを見つめている。分からない。一体彼女が何を言っているのか。知りたくない。心のどこかで、もう一人のわたしが囁く。そう、いつかシエルさんが口にしていた言葉。そして、いつも通りのはずなのに、いつもと違う彼の姿。その意味。

 

 

「アルクェイドさん、それは一体」

 

 

どういうことなのか、と口にする前にそれよりも大きな声によって遮られてしまう。だがそれは志貴さんでもアルクェイドさんでもない。ノイズの混じったテレビの音声。しかし、明らかに様子がおかしい。それを示すようにニュース速報のテロップが流れ、あわただしく画面が切り替わっていく。

 

 

『ドラマの時間ですが予定を変更して今は入ってきたニュースをお伝えします。市内にあるセンチュリーホテルで事件が発生した模様です。ホテルから従業員、宿泊客など少なくとも百数十名が忽然と姿を消し行方不明となっているとのことで……』

 

 

次々に俄かには信じがたい不可解な事件の内容が伝えられていく。

 

残された大量の血痕。動物の毛と思われるもの。途絶えた行方不明者の足取り。その全てが常軌を逸している。わたしはただその場に立ち尽くすしかない。それはニュースに驚いたからではない。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

彼と彼女が無言のまま、ただじっとニュースに集中していたから。先程まで見せていた姿は微塵もない。そこにいるのは、自らに必要な情報を手に入れんとしている二つの人形、機械。

 

 

『繰り返し行方不明者のお名前を読み上げます。オオハシケンジ、シマバラユウコ、カワジマタケオ、カワダミサキ、ユミヅカサツキ――――』

 

 

読み上げられ、映し出される数えきれないほどの行方不明者の名前。その一人一人に帰りを待っている家族や友人がいるはず。だが彼と彼女は表情を変えることはない。無表情。眉一つ動かすことはない。それは彼らが誰よりも現状を理解しているから。

 

わたしには、何もできることはない。できるのはただ、人形のようにその場に立ち尽くすことだけ。いや、今のわたしは人形ですらない。人形にも、人間にもなりきれない半端者。

そんな中

 

 

「――――遠野君、ネロ・カオスが動き出しました」

 

 

感情を感じさせない声色と共にリビングのドアが開き、弓の名を冠する代行者が帰還する。お節介さんの彼女からは想像もできない鋭利な刃物のような空気。

 

 

表と裏。日常と非日常。今一度、その全てが反転する時が来た――――

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。