月姫転生 【完結】   作:HAJI

34 / 43
第三十三話 「初心」

 

「…………え?」

 

 

ただ間抜けに呆けるしかない。何が起こったのか。何故自分がまだ生きているのか。夢を見ているのではないか。そんな思考すら目の前の光景を前にしては無意味だった。

 

アルクェイド・ブリュンスタッドに子犬のように首元を掴まれて持ちあげられているという理解できない状況。きっと周りから見れば自分の比ではないだろう。

 

 

「…………」

 

 

その証拠に自分以外にこの場にいるシエルさんと混沌も言葉を失っている。突然乱入してきた白い吸血姫。それだけならまだ驚くには値しない。彼女は吸血鬼でありながら吸血鬼を狩る者。蛇の消去を第一に動いているが、それでも二十七祖であるネロ・カオスを滅するためにここに来るのはなんら不思議なことではない。だからこそその場にいる誰もが驚愕し、言葉を失くしている。

 

 

そう、何故混沌を攻撃できたはずのあの刹那に、自分を助けるような真似をしたのか――――

 

 

「ブリュンスタッド……お前どうし、ぶっ!?」

 

 

何とか声を上げようとした瞬間、無造作にその場に落される。こちらへの気遣いも何もあったものではない。掴んでいた猫を床に落とすかのように為すすべなく地面に落され苦悶の声をあげるもアルクェイド・ブリュンスタッドは表情を変えることなく、いつものように不思議そうに自分を見下ろしているだけ。そういえば眼を開けた状態で彼女の表情を見たのは初めてだった。処刑人とはかけ離れたどこか子供のような純粋さを感じさせるもの。命がけの殺し合いをしているこの場には似つかわしくない彼女の姿にただ目を奪われるしかない。

 

 

「――――ア、アルクェイド・ブリュンスタッド!? 何故貴方がここに……それよりもどういうつもりですか!? どうして遠野君を……」

 

 

助けるような真似をしたのか、と口にしかけたところで口を紡ぎながらシエルさんは慌てながら自分へと駆け寄ってくる。先の言葉を止めたのはまるで自分が助けなくてよかったと取られかねなかったからだろう。そのままアルクェイド・ブリュンスタッドは自らの右手、そして今はない左手があったはずの場所に目を向けた後、ゆっくりと自分を赤い瞳で見つめてくる。何かを思い出しているかのような仕草。それが何なのか分からない。ただ白い吸血姫は口にする。自分がここに来た理由を。それは―――――

 

 

 

――――静けさを取り戻したマンション。人の気配も、それ以外の気配もない。その場に残されたのは二人だけ。琥珀とアルクェイド・ブリュンスタッド。およそこの場に居合わせることがおかしい二人組は何をするでなくその場に留まっている。いや、留まらざるを得なかった。琥珀はただその場に立ち尽くしたまま、遠野志貴が出て行ったドアを見つめることしかできない。

 

 

(志貴さん……)

 

 

ただ見送ることしかできなかった。止める術がなかった。金縛りにあったように。包帯を外すことは彼にとっては禁忌に近い行為だったはずにも関わらず、微塵の躊躇いもなく彼は包帯を外した。何よりもその蒼い瞳で見つめられながら言われた言葉が耳から離れない。

 

 

『――――本当にお前は変わらないな、琥珀』

 

 

何気ない、意味のないような言葉。でもそこに、彼の想いがこもっているような気がした。親愛にも似た何か。同時に哀愁を感じるもの。そう、これでもう会うことはないのだと悟ってしまうほどに。

 

でもわたしにできることは何もない。今も、昔も。それでもわたしは――――

 

 

「…………」

 

 

そんな思考を巡らせているのも束の間。突然アルクェイドさんが動き出す。自然に、そうするのが当然だとばかりにその動作には無駄がない。一言も発することも振り返ることもなく部屋を出て行かんとしている。

 

 

「ア、 アルクェイドさん、どこに行かれるんですか!?」

「……ここを出て行くだけ。もうここにはシキもシエルもいない。ここにいる意味はわたしにはない」

 

 

思わず大きな声で制止してしまうもアルクェイドさんは僅かに顔をこちらに向けるだけ。まるで機械のような反応。出会ったばかりのころに戻ってしまったかのよう。そんな彼女の姿に面喰ってしまう。

 

そう、これが本来の彼女の姿。ただ吸血鬼を殺すことだけを目的に生み出された処刑人。同時に得もしれない既視感、同族嫌悪が生まれて行く。そこにはかつての自分の姿がある。ただ一つの目的という名のゼンマイしか持たないまま人形として生きてきた『琥珀』の姿。そして、『遠野志貴』として生き、死んで行こうとしている彼の姿が――――

 

 

「……アルクェイドさんは、知っていたんですね。志貴さんがもう、長くは生きられないことを」

 

 

ぽつりとただ純粋な疑問を口にする。アルクェイドさんを引きとめる意図もあったが、それ以上にしっかりと確認がしたかった。シエルさんから聞かされた内容。あの人がもう、長くても一週間しか生きられないであろうという事実。

 

 

「ええ。シキの身体は限界にきている。生命力がほとんど残っていない状態」

「生命力……?」

「そう。直死の魔眼による負担によって生命力が急激に失われ続けている。クルマに例えればガソリンが常に漏れ続けているようなもの。なくなれば動けなくなる。死と同義よ」

 

 

淡々と彼女は事実を告げて行く。そこには感情はない。まるで事象を観察する観察者のように、そこには何もない。だが今のわたしにとってはそんなことはどうでもよかった。ただ一つだけ、わたしにもできることがあるかもしれないという光明だけ。

 

ようやく理解する。あの人が、どうしてわたしに何も事情を明かさなかったのか。シエルさんが言っていた。あの人は知識として全てを理解している。なら、わたしのことも知らないはずがない。でも同時に安堵する。もし彼が本当に人形なら、何のためらいもなくわたしに事情を明かしているはず。そうしないのは、きっと――――

 

 

「それにシキはもう戻ってくる気はない。後一度しか戦えないのに、ネロと戦うなんて無駄なことをしているから」

「無駄なこと……? 何でそんなことを志貴さんが」

「……? 何を言っているの? コハクのためでしょう? シキが言っていた。自分が生きているのはコハクを守るためだって。でも分からない。どうしてそんなことをしているのか。貴方達の寿命は短いのだから、無駄なことをしている暇なんてないはずなのに」

 

 

知らず視線を下に向けながら、アルクェイドさんは独白する。理解できない、自らの在り方とは真逆の物を見せつけられた少女のように。

 

その姿がかつての自分と重なる。八年前、初めて彼と出会った時。自分と同じ人と出会えた喜びと、同時にそれを否定されてしまった悲しみ。

 

 

『そんなことをしても痛みはなくならない。君は人間だから、人形にはなれない』

 

 

人間は人形にはなれない。幼いわたしは、それがわたしを否定した言葉なんだと思っていた。それに八つ当たりをするように生きてきた。でもようやく分かった。

 

そう、あれは肯定の言葉だった。人形ではない、人間としてのわたしを認めてくれた言葉。同時に、人間になりたいと願った彼のユメ。

 

そのままアルクェイドさんは部屋を出て行く。振り返ることはない。行く先はどこか。きっと彼女にもそれは分かっていない。

 

彼ももう戻ってくることはない。アルクェイドさんの言葉が正しいなら、例え吸血鬼を倒したとしてももう命は尽きてしまう。それでは間に合わない。帰ってきてくれなければ、わたしの力は意味を為さない。今のわたしには何もできない。でも、彼女ならもしかしたら――――

 

 

「――――」

 

 

言葉が出てこない。たった一言なのに、口にできない。動悸が激しくなる。身体が震える。おかしい。小さい頃は、この言葉しか考えてない時期があったのに。声が出なくても、ただノートに書き続けるぐらい、滲んだコトバだったのに。いつからだろう。それを口にしなくなったのは。いつからだろう、それをあきらめたのは。そんなことを考えるから、イタくなるんだと分かっているはずなのに。それでも、わたしは――――

 

 

「――――助けて」

 

 

人形になってから初めて、心から誰かに助けを求めた――――

 

 

「――――?」

 

 

消え入りそうな声は、それでも彼女に届いたのか。ただ目を見開き、驚いたようにアルクェイドさんはこちらに振り返っている。でも一番驚いているのはわたし自身。

 

 

「お願いです……志貴さんを、助けてあげて下さい」

 

 

壊れた人形のように、涙が止まらない。どこからくる想いなのか分からない。ただ子供のように助けを乞う。かつて狂おしいほど望んだ願い。地獄にも似た世界から救い出してくれる誰か。あの時と違うのは、自分ではなく、彼を助けてほしいという願いだったということ。

 

 

「――――」

 

 

静寂だけが支配する。アルクェイドさんはただ固まったまま。さっきのわたしの言葉の意味が理解できなかったかのように。しかし、徐々にその瞳に揺らぎが生まれて行く。機械が故障したかのように、無駄という名の異物を前にして、白い少女は

 

 

「――――できない」

 

 

ぽつりと、言葉を漏らす。できない、と。だが落胆はない。初めから分かっていたこと。自分ではできないことを都合よく彼女に押し付けようとしただけなのだから。かつてのわたしなら、もっと上手くやったのだろう。今なら、ネロという吸血鬼を殺すことができると、彼女にとってのメリットを提示して状況を整える。遠野家に復讐する時のように。でもそれはしたくなかった。それはもう一度、わたしが人形になることを意味する。彼を裏切ることになってしまう。だから、仕方がないと思った時

 

 

「…………だって、そんなの……したこと、ない」

 

 

彼女はまるで初心な少女のように、戸惑いながら独白する。

 

 

そんなことはしたことがない。初めての行為に戸惑う処女のように、その姿は愛らしいものだった。もしわたしが志貴さんだったら、思わず抱きしめたくなるぐらいに。もしかしたらわたしも、あんな反応をすることがあるのかもしれないと笑ってしまうほどに、今の彼女は眩しかった。

 

 

「――――アルクェイドさん」

 

 

知らず流れていた涙を拭った後、彼女に向かって助言をする。彼女が何に戸惑っているのかわたしには分かる。ちょっとずるいけれど、これが彼女の新しいゼンマイになることを願いながら。

 

 

「もし志貴さんに何か言われたらこう言ってあげて下さい。それだけできっと大丈夫です」

 

 

その時の彼の反応を見れないことを残念に思いながら、割烹着の悪魔は助言という名の悪戯をしかける。それは――――

 

 

 

 

「――――わたしをキズモノにした責任、ちゃんと取ってもらうんだから」

 

 

白い吸血姫は真っ直ぐ遠野志貴を見つめながら宣言する。その言葉の意味を半分しか理解しないまま。もう半分の意味を込めた少女はこの場にはいない。だがそれだけで充分だった。

 

遠野志貴はただ呆然と魅入られる。その姿と言葉に。そう、知識として知っている彼女が口にしていた、始まりの言葉。そして決して聞くことが無いだろうと思っていたもの。それだけならまだ驚くだけで済んだだろう。なのに

 

 

「…………ふっ」

 

 

思わず噴き出してしまった。あまりにも、不可解で、呆れたこの状況に。

 

 

「ははっ、はははははは――――!」

 

 

眼を閉じながらただ笑う。ボロボロになった身体も、頭痛も全て消え去ってしまった。ただ可笑しくてたまらない。こうして生きている自分も、自分をきょとんとした様子で見つめているアルクェイド・ブリュンスタッドも。困惑しているシエルさんの姿も。

 

憑きものが落ちたかのように、全てが晴れて行く。ただアルクェイド・ブリュンスタッドの姿に琥珀の姿が重なる。全く悪い冗談だ。一人でも持てあましているのに、もう一人アンバーな吸血鬼が増えるなんて、笑えない。

 

 

「……? 何がおかしいの、シキ?」

「はは……いや、何でもない。ただこの先苦労するだろうなって思っただけだ」

 

 

ようやく笑いを抑えながら愚痴をこぼす。そういえばこの先、なんて言葉を使ったのはいつ以来だろう。全く、調子が狂ってしまう。いや、狂っていた調子が元に戻ってきただけなのかもしれない。だがいつまでも笑ってばかりはいられない。

 

 

「分かった……確かに、責任は取らなきゃいけないもんな。とりあえず、その左腕分は働かせてもらう」

 

 

身体を起こしながら右手を差し出す。手を貸すと言う意志表示。彼女からすれば意味のない、無駄な行為。だからこそ、責任を果たすために。

 

 

「――――ええ、手を貸してもらうわ」

 

 

どちらの、とは口にしないまま。アルクェイド・ブリュンスタッドはその手を握り返す。あの時のように何となくではなく、明確な意志をもって遠野志貴の手を握る。

 

 

「と、遠野君……一体何を」

「悪い、左手はないからシエルさんの手は握れないんだ」

「な、何の話をしているんですか!? それよりも今は―――」

「ああ、とりあえずは――――」

 

 

眼を開けながら先にある混沌を見据える。アルクェイド・ブリュンスタッドが現れたことで警戒しているかその場に留まっている吸血鬼。それを超えなければどこにも行けない。ただ不思議と恐れはなかった。

 

状況は何も変わっていない。眼の痛みも、頭痛も。身体の限界も。長期戦になどならない。できるのは後一度の接触のみ。故にその一瞬で勝負は決する。だが

 

 

「――――力を貸してくれ、二人とも」

 

 

向こうは六百六十六でありながら一人分の意志。こっちは四人分。なら、負ける道理はない――――

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。