月姫転生 【完結】   作:HAJI

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第三十六話 「約束」

 

 

日が沈み、夜へと変わりかけている夕刻。夕陽に照らされているビルの屋上に二人の女性の姿がある。一人はアルクェイド・ブリュンスタッド。屈みこみ、両手で頬杖をつきながら眼下で行き来している人々を眺めている。まるで興味があるものに目を奪われている猫のように身体がゆらゆらと揺れている。放っておけばずっとそのままなのではないかと思えるほどにアルクェイド・ブリュンスタッドは楽しそうだった。

 

そんなアルクェイド・ブリュンスタッドの姿を少し後ろから見つめながらシエルは大きな溜息を吐くしかない。だがそれも仕方ないだろう。なにしろ彼女は遠野志貴と琥珀がいる部屋から出てから今までほぼ半日アルクェイド・ブリュンスタッドに振り回されっぱなしだったのだから。

 

 

(まったく……何をやっているんでしょうか、わたしは)

 

 

思い返すだけで自分のお人好し具合に溜息しか出ない。蛇の居場所を探るためにアルクェイド・ブリュンスタッドと共にあの場を離れたまではよかった。アルクェイド・ブリュンスタッドも言っていた通り半分以上あの場を離れたのは二人に気を遣ってのこと。いくら遠野志貴の延命のためとはいえ自分達があの場にいたのでは場違いにも程がある。煙草を吸わないのに、煙草を吸ってくると言って部屋を後にするように見え透いた行動だが仕方ない。そうでもしなければ目の前にいるアーパー吸血鬼が何をするか分かったものではなかったのだから。

 

しかし、予想外だったのはそこからだった。自分としてはそのまま夜まで適当に時間を潰し、部屋に戻る予定だった。奇しくもアルクェイド・ブリュンスタッドが言ったように昼までは死者は行動せず、蛇の気配もまともに追うことはできないのだから。にもかかわらず、だからこそなのかアルクェイド・ブリュンスタッドはただ興味に赴くままに動き始める。

 

 

『シエル、あれは何?』

 

 

何度その言葉を聞いたのか分からない。アルクェイド・ブリュンスタッドはまるでタイムスリップしてきた過去の人間のように、はしゃぎ始める。目に付く全ての店に乗り込み、喋り続ける。遊び続ける。食べ続ける。およそ思いつく全ての行為をしながら嵐のように過ぎ去っていく。それを止めることもできず、かといって放っておくこともできず振り回されるしかなかった。真祖の吸血鬼の監視をしていたはずなのにいつのまにか子供のお守をすることになるなど思いもしなかった。もしかしたら死徒と戦う方が気が楽なのでは、と思ってしまうほどに今の自分は精神的に疲れてしまっていた。

 

 

「…………そんなに人が行きかうのを見るのが楽しいですか、アルクェイド・ブリュンスタッド?」

「ええ。前までは全然気にしてなかったけど、あんなに多くの人間がいたのね。あんなに急いでみんなどこに行こうとしてるのかしら」

「きっと帰宅途中でしょう。もう夕方ですし……」

「そうなんだ。家に帰ってるんだ。何でそんなに早く家に帰りたいんだろう。家に帰っても眠るだけなのに」

 

 

そうなんだー、とこっちの気が抜けるように呟きながら明らかにずれていることを口走っている吸血姫に突っ込む気も起きない。本当に目の前にいる彼女は、あのアルクェイド・ブリュンスタッドなのか。だが何度考えても変わらない。蛇が永遠を見た、自分が知識として知っている彼女の姿はもはやどこにもない。ただ世間知らずのお姫様。

 

 

「不思議ね。こんなにも、世界が違って見えるなんて。前は石コロぐらいにしか思ってなかったのに、こんなにも面白いものだったのね」

「そうですか……ですが貴方は確かその時代に即した知識を起きる時に得ているはずでは?」

「そうよ。でもそれって全然損をしていたみたい。知っているのと経験するのは全然違うんだもの。でも……わたし、やっぱりどこかが壊れてるのかもしれない」

 

 

変わらずビルの上から下を眺めながら吸血姫は呟く。自身の異常とも言える変化。知らず知らずのうちに自分がおかしくなってきていることを。

 

 

「壊れている……何のことですか」

「余分な感情が大きくなっている。さっきの混沌の戦いもそう。シキを助けるなんて行動、今までのわたしなら絶対にするはずがない。なのに、わたしはそうしている。これって壊れてるってことでしょう?」

「……遠野君を助けたことを後悔しているんですか?」

「…………ううん、後悔はしてない。それどころか……うん、嬉しかったの。何でか分からないけど、わたしは嬉しかったの。でもそれって無駄なことでしょう? 吸血鬼退治がわたしのすることなんだから、それ以外は全部意味がないのに」

「言っていることがむちゃくちゃですよ、アルクェイド・ブリュンスタッド。ならわたしはその無駄なことに半日付き合わされたわけですか?」

 

 

腰に手を当てながらまたも溜息を吐くしかない。無駄、余分。確かに処刑人たるアルクェイド・ブリュンスタッドにとっては体験したことのないことなのだろう。それがいいことなのか悪いことなのか自分には分からない。ただ、彼女が何かのきっかけで変わり、それに戸惑っていることは間違いない。きっかけについては心当たりがないでもないが当の本人達がこの場にはいないので口にするだけ野暮というものだろう。

 

 

「――――シエルはどうしてロアを殺そうとしているの? ロアを殺したらあなたは不死ではなくなる。死んでしまうのにどうして自分を殺すような真似をしているの?」

「……え?」

 

 

そんな唐突に、全く遠慮のない問いが白い吸血姫から告げられる。自身の命題。ロアによって与えられている不死という呪い。皮肉な話だ。転生をしてまでロアが求めている永遠、不老不死を抜け殻である自分が体現しているのだから。それがなくなれば自分はいつか死ぬ。アルクェイド・ブリュンスタッドからみればそれは自ら死のうとしているのと変わらない。

 

 

『――――君は人間に戻って、生きたいのかな? それとも人間に戻って、死にたいのかな?』

 

 

いつかのメレムの言葉が蘇る。答えることができなかった、わたしの矛盾。だが今は違う。今のわたしには明確な答えがある。あの時には持ち得なかった、彼によって自覚し、彼の生き方によって確信した自身の答えが。それは

 

 

「決まっています。わたしは生きるために、蛇と戦っているんです。不死でも心が死んでるんじゃ死んでるのと同じですから」

 

 

生きること。それが自身が蛇と戦う理由。復讐もある。だがそれ以上にもう一度、自らの生を取り戻すために。

 

 

「そう……なら、蛇を殺した後はどうするの? 埋葬機関でまだ吸血鬼を殺し続けるの?」

 

 

だがアルクェイド・ブリュンスタッドはさらに踏み込んでくる。その先。生きて何をしたいのか。考えたことが無いわけではない。でも、考えることを放棄していた未来。蛇を殺すことができればどうするのか。

 

――――埋葬機関を抜ける。

 

すぐに思いついた選択肢。だがきっと、自分はそれを選ばないだろう。確かに自分の怨敵とも言える蛇がいなくなれば埋葬機関に留まる理由はなくなる。それでも、吸血鬼がいなくなるわけではない。自分のような犠牲者を出さないためにも、自分はきっと戦い続けるはず。何よりも飽きたらからやめるなんて子供のような真似、するわけにはいかない。

 

だがそんな中で、ふいに思い出した光景がある。

 

もう忘れかけている、思い出すことが許されない日々の記憶。

 

朝寝坊して、父に怒られながらも、楽しかったあの日々。

 

 

「…………そうですね、いつかお菓子を作ること。それがわたしの目標です」

 

 

ぽつりと口にする。それがいつになるかは分からない。もしかしたら二度と来ないかもしれない。それでも、いつか自分を許せるときがきたら、あの時できなかったことをするのもいいかもしれない。そんな少女じみた夢。

 

 

「…………?」

「気にしないように。ただの独り言ですから。じゃあ今度はわたしの番ですね。アルクェイド・ブリュンスタッド、蛇を殺すことができたら貴方はどうするんですか?」

 

 

自分の言葉の意味が分からずぽかんとしているアルクェイド・ブリュンスタッドに逆の問いを告げる。

 

 

「決まっている。城に戻って眠るだけ。わたしの中の吸血衝動は抑えられないところまで来ているから、きっともう起きることはない」

 

 

間髪いれずアルクェイド・ブリュンスタッドは自らの未来を告げる。これまでと変わらない答え。処刑人としての在り方。吸血衝動という逃れられない真祖の寿命。それに殉ずるように彼女は眠り続ける。朱い月が満ちるその時まで。だが

 

 

「…………でも、その前に、一つ約束がある」

「……約束、ですか?」

 

 

アルクェイド・ブリュンスタッドが思い出したように口した単語に思わず聞き返してしまう。約束。およそ彼女が口にするとは思えないような言葉。一体何の約束なのか。それを問いただすよりも早く

 

 

「遊園地」

 

 

彼女は約束を口にする。シエルからすれば意味が分からない言葉。ただシエルは眼を丸くするしかない。

 

 

「…………え?」

「コハクと約束したの。吸血鬼退治が終わったらみんなで遊園地で行こうって」

「そうですか……ちなみにそのみんなにはわたしも含まれてるんですか?」

「……? ええ。コハクもシキもシエルはお人好しだからきっと来てくれるって言っていた」

 

 

顔に手を当てながら黙り込むしかない。自分が知らない内に巻き込まれていたこともだが、それ以上にその未来を想像してのこと。

 

遊園地で好き勝手をするアルクェイド・ブリュンスタッドとそれを制止する遠野志貴。それを楽しそうに茶化す琥珀。その全てに振り回される自分。想像するだけで騒々しい、あり得ない組み合わせの光景。

 

 

想像するだけで、叶わない夢。

 

 

「その通りですが……せめて一言言っておいてほしいですね。それで……遠野君もその約束は了承していたんですか?」

「していたわ。その時にはシキはいないから意味がないって言ったのに、シキは約束をしてた」

「そうですね……でも、約束は守らなくてはいけないものです。貴方もそれは覚えておきなさい、アルクェイド・ブリュンスタッド」

 

 

そう、守るからこそ約束がある。破っていい約束など一つもない。なら自分の約束を果たすだけ。それがどんなに困難のことでも、途中であきらめることだけは絶対に許されない。シエルが決意を新たに動き出そうとしたその瞬間、それは発動した。

 

 

「――――っ!? これは!?」

「…………」

 

 

日が沈み、夜の闇と月明かりが辺りを照らし始めた夜の街。その土地に流れる霊脈の流れが変わっていく。土地の魔力がある一点に向かって流れ出す。同時にその起点となるであろう魔術式が次々に街に刻まれていく。この街を食らい尽くさんとする術式。

 

もはや口にする必要もない。これだけの大魔術を発動することができる魔術師は自分以外にはもう一人しか存在し得ない。魔術の隠匿など欠片も気にしていない有様。逆に言えば、自らの居場所を隠すことなくさらけ出している。すなわち、もう身を隠す必要がなくなったということ。

 

 

希代の魔術師であり、かつての力を取り戻した死徒、ミハイル・ロア・バルダムヨォンの挑発にも似た宣戦布告。

 

 

「―――!! アル」

 

 

瞬間、思考が遅れながらもアルクェイド・ブリュンスタッドの動きを制止せんとする。このままアルクェイド・ブリュンスタッドに動かれては取り返しのつかないことになりかねない。先のように、彼女の力が奪われれば勝機はない。加えて遠野志貴もこの場にはいない。これまでの自分達の行動が無になってしまう。だがそんな焦りは

 

 

「…………何をしているの、シエル? 早くシキ達のところに帰るわよ。もう夜になってるからいいでしょう?」

 

 

早く戻ろうと自分に背中を向けながら飛び立とうとしているアルクェイド・ブリュンスタッドの姿によって霧散してしまう。そのあまりに自然な姿に呆気にとられてしまう。言葉の通り、彼女はロアの城よりも先にその場所に向かおうとしている。彼女自身、そのことに気が付いていないのかもしれない。

 

だが、その言葉にかつての琥珀の姿が重なる。自分を出迎えてくれた、彼女の言葉。

 

 

「――――ええ、遠野君と琥珀さんのところに帰りましょう。アルクェイド・ブリュンスタッド」

 

 

帰る、という言葉。眼下の人達と同じように今の自分達が戻るべき場所へと急ぐのだった――――

 

 

 

 

身体を起こし、手を握る。いつものような機械の確認ではない。自身の肉体の血の流れを感じる。人形ではない、人間である証。身体の節々に感じる痛みも、その証拠。頭痛はない。眼に痛みも同じ。きっと痛みなんて通り越してしまっているんだろう。だが構わない。今はこの感覚だけが愛おしい。

 

温かさ。

 

今までになかった熱が身体に満ちている。誰かに抱かれているかのような温かさ。彼女との繋がりによって自分は命を繋ぎとめている。男として情けないが、これならきっと戦える。後一度なら、いや、最期の一度になる自分の戦いのために。

 

右手でナイフを拾い上げる。もう身体の一部のように慣れ親しんだ得物。自分の物ではない、借り物。でも構わない。これがなければ自分はここまでこれなかった。ならこのナイフも、誇っていいものだろう。

 

だが左で持つものがない。左手がないから、ではない。もう一つ大事な借り物があったはずなのになくしてしまった。心残りがあると言えば、それだけだろう。

 

 

「――――遠野君、ロアが動き出しました」

 

 

感情を感じさせないシエルさんの声が聞こえる。そこにはいつもと違う彼女の姿がある。その身に纏っているであろう法衣が無く、完全武装であったこと。手には巨大な鉄の塊がある。それによって確信する。ようやく、その時が来たのだと。

 

 

「シキ、コハクは?」

 

 

シエルさんに続くようにブリュンスタッドもまた部屋に戻ってくる。少し意外だった。てっきり先に蛇の元へ行っているとばかり思っていたのに。加えて自分のことだけでなく、琥珀のことを気にしているなんて。

 

 

「――心配ない、琥珀は奥で休んでる。俺ももう準備はできてる」

 

 

琥珀は奥のベッドで眠りについている。起こさなくても大丈夫。もう伝えることは伝えた。後は自分がするべきことをするだけ。

 

 

「――――遠野君、」

「約束しただろ。一緒に蛇と戦うって。それにこれは俺の戦いでもある。蛇を倒せなきゃ、俺は先に進めない」

 

 

シエルさんが何を言おうとしているのか分かっていながら先に告げる。その決意を示すように魔眼殺しの包帯を外す。共に戦う、と。ここで逃げればこれまでと変わらない。自分で選んで、自分のために戦う。先に進むために。

 

俺も、シエルさんも、ブリュンスタッドも。蛇という呪縛を超えなければ先に行けない。

 

これまでと違うのは、蛇を殺すことが目的ではなく、その先に目的ができたということ。わずかな、それでも確かな進歩。

 

その一歩を踏み出す前に

 

 

「――――志貴さん」

 

 

後ろから聞き慣れた少女の声が耳に響く。振り返るとそこにはいつもと変わらない琥珀の姿があった。違うのは、今の彼女が人形ではなく、人間であったということだけ。そして

 

 

「――――約束です。必ず、帰ってきてくださいね」

 

 

その手に、白いリボンがある。八年前、自分に渡してくれた約束。自分が無くしてしまっていたはずの物。愛おしそうに握ったリボンを琥珀は自分の手に握らせる。忘れるはずがない、その感触。

 

 

帰ってきてほしい、という彼女の願いが込められた約束。

 

 

「――――ああ、今度こそ約束は守る」

 

 

それを握りしめながら出発する。もう振り返ることはない。恐れるものはなにもない。後はただ、自分が約束を守るだけなのだから――――

 

 

 

 

満月。月が新円を描く刻。

 

ここに一人の探究者がいる。『永遠』という命題を追い続けた愚か者。十七回もの転生を繰り返しながらも、ただ一つの妄執という名の恋慕に焦がされてきた一人の男。

 

 

「――――待っていたぞ、真祖の姫君」

 

 

男は告げる。十八回目となる告白。その姿もかつてと変わらない。初めて彼女に永遠を見た時と変わらない初代の身体。劣化していない完全な人格。黒の月触姫すら退けた全盛期の力。その全てがただ永遠を手に入れるために。

 

自らの城の中から、ただロアはアルクェイド・ブリュンスタッドを迎え入れる。ただ、そこに彼にとっては異物が二つ紛れ込んでいる。

 

自らにとっての抜け殻である代行者。そして、自らを滅ぼすために生み出された、一人の人間。

 

 

ここに、『月姫』ではない紛い物の物語が終焉を迎える時が来た――――

 

 

 

 




作者です。第三十六話を投稿させていただきました。長くかかりましたがようやく最終決戦です。月姫リメイクの新しい情報も出てテンションも上がっているので完結まで一気に行きたいと思っています。残りは三話。楽しんで頂けると嬉しいです。では

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