月姫転生 【完結】   作:HAJI

41 / 43
「日向の夢」

「ハアッ……ハアッ……!」

 

 

息を切らせながら必死に走り続ける。吐く息は白くなって、喉が痛くなってくるけど仕方ない。早く行かなければバスに乗り遅れてしまう。

 

 

(もうー……みんなひどいよ。わたしに掃除当番させて先に帰っちゃうなんて……)

 

 

半分涙目になりながら今ここにはいないクラスメートに愚痴をこぼす。自分がからかわれやすい正確なのは分かっているが流石にやりすぎだろう。明日にはちゃんと文句を言わないと。

 

 

「はあー……な、何とか間に合った……」

 

 

ぜーぜー息を吐きながらもようやく目的のバス停に到着する。本当に助かった。これを逃せば次のバスは三十分後。それまでこの寒空の下待ち続けるのは辛い。スカートなのでお腹も冷えてしまう。もう三カ月になろうとしているがはやはりバス通学は慣れない。

 

気づけばバスが到着し、次々に待っていた人々が乗り込んでいく。遅れないようにその流れに乗ろうとしたその時

 

 

「…………え?」

 

 

ふと、その少年に目を奪われた。

 

 

年は自分と同じぐらいだろうか。学生服を着ている。それだけなら気にすることもない。ただ、少年は目を閉じたままだった。その手には白い杖が握られている。間違いなく、目が見えないのだろう。だが目の前にいる自転車によって前に進むことができていない。放置自転車だろうか。点字ブロックの上に置かれているため、少年は上手く前に進むことができていない。バスに乗るつもりだろうに、このままでは間に合わない。

 

手伝ってあげなきゃ。そう思うがすぐに声が出せない。わたし以外の人達は見ないふりをしている。きっと気が引けるのだろう。声をかけても余計な御世話だと言われてしまうかもしれない。周りから奇異の目で見られるかもしれない。そんな自分勝手な理由。それでも、

 

 

「あ、あの……お、お手伝いしましょうか……!?」

 

 

勇気を振り絞りながら少年に声をかける。変に思われないだろうか。無視されてしまうんじゃないだろうか。そんな臆病なわたしを何とか誤魔化しながら名乗り出る。それがどう映ったのか、少年は何かに驚いたかのように動きを止めてしまう。緊張感。時間が止まってしまったかのように感じたのも束の間

 

 

「……ありがとう。じゃあ悪いけど、少し手伝ってもらっていいかな」

 

 

そんなこっちの困惑など一瞬で吹き飛ばしてくれるぐらい、優しく微笑みながら少年は手を差し出してくる。その姿にしばらく呆然とするもすぐさまその手を握り、慌てながらもたどたどしく自転車を避けながらバスへと案内する。

 

 

それがこれから長い付き合いになる、わたしと彼との出会いだった――――

 

 

 

 

「あ、あの、いつもこの時間にバスに乗ってるんですか?」

「いや、今日はいつもより遅くなっちまって。おかげで助かった。時間帯がずれるとあの辺は色々歩きづらくなるから」

「い、いえそんなこと気にしないでください! わたしもちょうど遅れそうだったら同じです!」

 

 

少年と並んでバスの席に座りながら取り留めのない会話をする。いや、会話というよりは彼が一方的に話しかけてきてくれているだけ。緊張している自分を察してくれているんだろう。いつも通りに、と必死に自分に言い聞かせるもやはり上手く行かない。あがり症もあるけど、同じぐらいの男の子と並んでおしゃべりするなんてわたしにはハードルが高すぎる。

 

 

「そ、それにきっと迷惑をかけてるのはわたし達の方です。校舎を貸してもらってるから……新しい校舎ができるまで、どうしても半年ぐらいはかかるみたいだし」

 

 

何とかこちらからも話題を必死に振る。彼との共通の話題になりそうなもの。今、わたしを含めた学生は一時的に彼らの校舎を借りている。三か月前、突然学校の校舎が崩れ去ってしまったから。文字通り、一晩の内に跡形もなく無くなってしまったらしい。

 

 

(でも一体何だったんだろう……? 結局原因も分かってないみたいだし)

 

 

不可解なのはその原因が全く不明なこと。地震があったわけでもないのに学校が崩壊するなんてあり得ない。欠陥住宅……ではなく、欠陥校舎だったのだろうか。だが

 

 

「……いや、悪いのはこっちだな」

 

 

ぼやくように少年はよく分からないことを口にしている。何かまずいことをしてしまったことを思い出しているかのよう。それまで見せていた態度から一変してしまっている。

 

 

「……? 何でですか? 迷惑をかけてるのはわたし達の学校の方なのに」

「それはそうなんだが……まあ、確かに俺のせいではないな」

 

 

うんうん、と何か自分に言い聞かせているような彼の仕草に思わず笑ってしまう。そういえば、最初は敬語で話していたのにそれが無くなりつつある。慣れてきたのか、それともそうなるよう彼が気を遣ってくれているのか。

 

それから他愛ないことを喋り続ける。いつから学校に通っているのか。どこに住んでいるのか。どんなことをしているのか。こっちが聞きにくい目のことも、何でもないことのように彼の方から面白おかしく話題にしてくれる。

 

知らず、その姿に見惚れていた。同年代とは思えない、言葉では言い表せない穏やかさが彼にはある。でも、それと同じぐらい、一緒にいると、ふと不安になるような危うさ。それが何なのか考えようとした時

 

 

『次は―――番地。―――番地前。お降りの方はバスが止まるまで席を立たずにお待ちください』

 

 

機械的なアナウンスによって容赦なく現実に引き戻される。わたしの降りるバス停。どうやら彼も同じようだ。ただ、もう着いてしまったのが残念だった。もう少し、お話しがしたかったのに。そんな中ふと気づく。一番肝心なことを、まだ自分が聞いてなかったことに。

 

 

「あ、あの……な、名前を教えてもらってもいいですか……?」

「え……?」

 

 

彼にとっても予想外だったのか。今まで閉じていた目を一瞬開けながらこちらに振り向く。その瞳は黒。ただ焦点があっていない。彼には自分の姿は見えていない。それでも不思議とその眼には引き込まれるような何かがあった。

 

 

「志貴……遠野志貴だ」

 

 

彼は自分の名前を何でもないように告げる。当たり前なのに、どこか噛みしめるように彼は自分の名を口にしている。

 

 

「わ、わたしはさつき……弓塚さつきです……!」

 

 

あたふたしながら自分も名前を告げる。何だろう、何故か落ち着けない。上手く言えただろうか。だがそんなわたしの心配をよそに

 

 

「弓塚……さつき……?」

 

 

心底驚いたように、心ここに非ずといった風に彼は口を開けたままぽかんとしている。まるで信じられないものを見たかのように。

 

 

「え……? あの、どうかしたんですか……?」

 

 

思わず心配になって声をかけるも、彼は固まったまま。だがようやく何かに納得したかのように

 

 

「――――そうか、そういうこともあるんだな。宜しく、弓塚さん」

 

「――――」

 

 

本当に嬉しそうに、彼は笑顔を見せてくれる。思わずこっちが赤面してしまうぐらい、彼の笑みには喜びが満ちていた。

 

排気音とともにバスが停留所に到着する。運転手の人とも知り合いなのか、一言二言会話しながら彼がバスを降りてくる。彼に比べると何だが自分が子供のように思えて恥ずかしくなってくる。もっと頑張らなければ。そんな気持ちになってくる。

 

 

「じゃあ、弓塚さん。俺はこっちだから。ありがとう、助かった」

「う、ううん……気にしないで! それじゃあ、私の家はこっちだから」

 

 

互いに帰り道は反対方向なのでここでお別れ。ほんとうにたまたまの出会い。もしかしたらもう会うことはないのかもしれない。でも

 

 

「――――またね、遠野君!」

 

 

もう一度会うことができるように。そんな気持ちを込めながら夕陽を背に遠野君に向かって手を振る。まるでそれが見えているかのように振り返りながら、遠野君も手を振ってくれる。

 

後は、恥ずかしさを誤魔化すように全力疾走で、胸の高まりを抑えながら家へと帰るのだった――――

 

 

 

 

「―――――ふう」

 

 

大きくため息を吐く。疲労というよりは驚きの方が大きかった。まさか、こんな形で彼女と会うことになるなんて、思ってもいなかった。自分は彼女のことは知識でしか知らない。その知識の根源も今はなく、摩耗していっている。だがそれでも安堵した。あの時、命を落としたのだと思っていた彼女が生きていたのだから。それを見捨てた自分が言えることではないが、本当によかった。

 

知らず笑みを浮かべながら意識を切り替える。右手に持つ杖に力を込める。浮かれたまま交通事故にあっていたら笑い話にもならない。いざ帰路へ。そんな意気込みを

 

 

 

「――――楽しそうでしたね、志貴さん。もしかしてガールフレンドさんですか?」

 

 

一気に消し去ってくれる、聞き慣れたはずの割烹着の悪魔の声が耳に届いた。

 

 

「…………一応聞くが、そんなところで何をしてるんだ?」

「いえいえお気になさらずに……それよりも見ましたよ志貴さん! 浮気です! 浮気現場発見です! これは現行犯逮捕もやむなしではないでしょうか!?」

 

 

こっちの呆れ具合も何のその。我が世の春が来たとばかり、水を得た魚のように誰かさんは生き生きしている。そのまま溺死すればいいのにと思いながらも向き返る。どうやら少し離れたところに彼女はいるらしい。確かあの辺りは家の塀があったはず。なるほど、もしかしたら家政婦は見たごっこがしたかったのかもしれない。恰好は家政婦かもしれないが、お金を払ってでもどこかに行ってほしい家政婦はこいつぐらいだろう。

 

 

「そうか。じゃあ俺は帰るから。気をつけて帰れよ」

「ちょ、ちょっと待って下さい志貴さん!? もう、少しぐらい付き合ってくださってもいいじゃないですか。これから修羅場ごっこになる予定なんですから」

 

 

なるほど、最低だなと思いながらさっさと帰ろうとするも先回りされてしまう。酷い既視感を感じる。これでは、都古の方がマシかもしれない。中学一年生と比べてもその有様。

 

 

「とりあえず……ただいま、琥珀」

「はい。お帰りなさい、志貴」

 

 

きっといつものように向日葵のような笑みを浮かべながら琥珀は自分を迎えてくれる。

 

それが今の自分の日常。琥珀と共に生きている。何でもない、自分が望んだ日向の夢だった――――

 

 

 

 

「そういえば都古はどうしたんだ? 今日は都古が迎えに来る日だったはずだろ?」

「はい。ですがどうしても外せない用事が出来たみたいでわたしが代わりに。決してわたしが何かしたわけじゃないですよ?」

 

 

腕を組み、自分を先導してくれる琥珀に向かって都古のことを尋ねるものらりくらりかわされてしまう。楽しそうにクスクス笑っている琥珀の言葉が真実なのかは分からないが、都古が忙しくなっているのは確かだろう。もう中学一年生。勉強はもちろん、部活や習いごともある。そんな中で自分を迎えに来るのは大変に違いない。もっとも、最近は俺を迎えに来ること以上に、琥珀に対抗する意味合いが大きいようだが。

 

 

「でも都古ちゃんも可愛いですね。きっと、志貴さんがわたしに盗られそうだと思ってやきもちを焼いてるんですよ?」

「そうか……もう思春期だしな。そろそろ兄離れしてもいい頃だが」

「そんなこと言っていいんですか? きっと『もうお兄ちゃんの下着と一緒に洗濯しないで!』なんてことになりますよ?」

「どういう例えだそれ」

「でも心配しないでください。志貴さんの下着はわたしが洗って差し上げますから」

 

 

意味不明なことを口走っている琥珀を無視しながら、ただ自分の目の前の視界に集中する。

 

 

――――何もない暗闇。

 

 

それが今の自分の世界。目を閉じているからではない。目を開けても、もう自分は何も見ることはできない。完全な全盲。それがあの戦いの代償、そして自分が螺旋から解放された証だった。

 

 

「……志貴さん、眼の方は大丈夫ですか?」

「ああ、変わりない。もう包帯を巻く必要なさそうだ」

 

 

自分の僅かな気配を感じ取ったのか、さっきまでふざけていたのが嘘のように真剣に琥珀が尋ねてくる。だが問題はない。自分にはもう、何も見えない。

 

死の点も、線も。もう直死の魔眼は存在しない。

 

どうしてそうなったのか分からない。根源との繋がりが絶たれたのか、それとも最期の眼の力の反動か。蛇との戦いの決着からもう死を視ることはできなくなった。自分にとっては喜んでいいこと。本当に目も見えなくなってしまったが、それは今までの生活となんら変わらない。アイマスクをしていたとはいえ、八年間ずっと全盲と変わらない生活をしていたのだから。

 

ただ、未だに分からない。どうして今自分が生きているのか。ここにいるのか。自分は蛇を殺すためにだけに存在するもの。その役目が終えれば消えるだけ。なのに、自分はまだここにいる。

 

ふと、思い出す。最後の瞬間、感じた僅かな熱。温かさ。琥珀との繋がり。もしかしたら、それが自分をこの世界に繋ぎとめてくれたのかもしれない。そういえば、あの時自分は何を口にしたのか―――――

 

 

「志貴さん、どうしたんですか? やっぱりどこか具合が悪いんですか?」

「いや、何でもない。今日も寒いなって思っただけだ」

 

 

言いながら自分の手の感触を確かめる。自分の物ではない、借り物の両腕。義手。それが今の自分の両手。本当なら失われたはずの腕を補うためにシエルさんが用意してくれた物。曰く凄腕の人形師が作ったものらしい。その通り、本物の腕と同じ、それ以上に使い勝手がいい。元々自分の体を人形のように扱う感覚には慣れていたこともあり、すぐに自由に動かせるようになった。一体どれだけの価値がある物なのか。しかしシエルさんは気にしなくていいと断言した。曰く、蛇を殺してくれたことに対する報酬だと。

 

 

「そうですね、じゃあ早く帰りましょう。今日は特別な日ですから」

 

 

悪戯を楽しむ子供のように、本当に楽しそうに琥珀は自分の手を引いてくれる。行き先は有間の家ではなく、琥珀が今住んでいるマンション。そこに今自分は住んでいる。同棲、と言ってもいいかもしれない。流石に学生の身分でそれはまずいのではと断ったのだが琥珀は頑として譲らなかった。あっという間に有間の家族(都古以外)を説得し、外堀を埋めてしまった。契約と称して何かの紙に名前を書かされたがあれは何だったのか。

 

そんな自分の戸惑いをよそに琥珀は自分と共に歩き続けている。その温かさが、匂いが、空気を肌で感じる。目が見えなくても、確かにそこに見える彼女の姿。

 

ただ、彼女が白いリボンを着けている姿が見えないことだけが、少しだけ残念だがきっとそれは欲張り過ぎだろう。

 

 

 

 

「はい、着きましたよ志貴さん」

 

 

バス停から歩いて十分ほどでマンションの部屋へと到着する。バス停まで近いことが有間の家からこっちへ越して来た理由の一つ。だがいつもは先にドアを開けてくれる琥珀が動かない。一体何なのか。不思議に思いながらドア開けた瞬間

 

 

「おかえり、シキ――――!!」

 

 

白い吸血姫が、突撃という名の出迎えを盛大にかましてくれた。

 

 

「ぶっ!? あ、アルクェイドか!? 何でこんなところに」

「えへへ、今日帰って来たの。本当ならすぐに迎えに行きたかったんだけど、コハクがこの方がきっとシキが驚いてくれるからって」

 

 

親が帰ってくるのを待ちきれなかった子供のように、アルクェイドは自分へと抱きついてくる。自分の首元に掴まり猫のように纏わりついてくる。暑苦しいことこの上ない。振り払おうとするが真祖の力に対抗できるわけもなくされるがまま。大きな二つの胸の塊が遠慮なく押し付けられるが意識しないようにするしかない。

 

 

「ふふっ、言った通りでしょうアルクェイドさん? 志貴さん凄く驚いてくれてますから」

 

 

もし余計な反応をすればこの割烹着の悪魔の思惑通り。どれだけそれでいじられるか分かったものではないのだから。

 

 

「何をしているんです、アルクェイド!? 早く遠野君から離れなさい、はしたないですよ!?」

 

 

そんな中、この集団の中で唯一の良心であり、苦労人である女性が慌てて飛び出してくる。全く変わってない、お人好しの代行者。シエルさんは慣れた手つきでアルクェイドを自分から引き剥がしてくれる。物理的な意味でアルクェイドに対抗できるのは彼女ぐらいだろう。

 

 

「邪魔しないでよ、シエル。わたしはシキと挨拶してただけなんだから」

「あれのどこが挨拶なんですか? いい加減にしなさいアーパー吸血鬼! 琥珀さんがいる前であんなことをするなんて、いい度胸ですね」

「あらあらわたしは構いませんよ? ささ、早く中にどうぞ皆さん。お茶をお淹れしますから」

 

 

騒がしさも何のその。この状況の黒幕であるにも関わらず我関せずと言った風に琥珀はさっさと部屋へと入って行ってしまう。ある意味、いつも通りの光景。それを前にしながらもいい忘れていた言葉を思い出す。

 

 

「まあ、とにかく……久しぶりだな二人とも。元気そうで良かった」

 

 

アルクェイドとシエル。自分にとっては友人でありながら家族同然の二人の帰郷をねぎらう。姿は見えないが、二人が元気であることはもはや見るまでもない。

 

 

「うん、シキも元気そうで良かったわ」

「ええ。ただ少し元気すぎる誰かさんもいますが」

 

 

互いに笑い合いながら再会を喜び合う。それが久しぶりに、この部屋の住人が全員揃った瞬間だった――――

 

 

 

 

「そっちはどうなんだシエルさん? 上手く行ってるのか?」

「とりあえずは大丈夫です。蛇の事後処理も済みましたし、目下の問題はそこにいる吸血鬼だけです」

「ん? 何か言った? シエル?」

「いいえ、何も。これからのことに頭を痛めているだけです」

「そうなんだ。大変ねーシエル。あんまり考え事してるとハゲてくるわよ」

「誰のせいですか誰の!? 貴方が無茶苦茶をする後始末をしているのが誰か分かっているんでしょうね!?」

「ねえ、シキ。明日わたしも学校ってところに行ってもいい? シキが過ごしている場所を見てみたいの」

「それはいいですね。わたしもご一緒していいですか? ちょっとした授業参観ですね志貴さん?」

「気にするだけ無駄だぞ、シエルさん。ほら、お茶」

「ありがとうございます。ですが遠野君……いえ、やっぱりいいです」

 

 

何かを言いかけながらもシエルさんは自分がおみやげとして持ってきた紅茶をがぶ飲みしている。その心労は推して知るべし。

 

蛇が死に、シエルさんは不死ではなくなった。アルクェイドは奪われた力を取り戻し、俺が切り裂いてしまった右腕も元通り。それでめでたしめでたし……とはいかなかった。

 

 

『わたし? まだしばらく起きてることにしたの。眠るのも何だかもったいないし』

 

 

そんなどうでもよさげな吸血姫のきまぐれによって。

 

 

同時に世界が震撼した。死徒も、教会も、協会も。その全ての勢力にとって畏怖の対象でしかない真祖の処刑人が眠りにつかずに活動する。にわかにも信じられない異常事態。それを収めるために我らがシエルさんに白羽の矢が立ったわけだ。もっとも、最初からそれは決まっていたようなものだったが。

 

表向きは真祖を監視する名目で、教会の死徒討伐に参加させる。いわゆるシエルの相方としてアルクェイドは活動している。この危ういパワーバランスを保てるかどうかは彼女の肩にかかっている。少し同情したくなるが仕方ない。今の自分にできることは、またに戻ってくる彼女のを労わってあげることぐらいだった。

 

 

「でもシエルも物好きよね。せっかく不死じゃなくなったのにまだ吸血鬼退治を続けるなんて」

「貴方にだけは言われたくありませんね。それにわたしが活動しているのはそれだけじゃありません。遠野君の目を治す方法を探すのもわたしの目的ですから」

「俺の目……?」

「ええ。魔術には様々な用途で使える物があります。遠見の魔術……転移の一種ですがそれを使えば遠野君に外の世界を見せることができるかもしれません」

 

 

初耳な話題に思わず言葉が出ない。なるほど、それは考えていなかった。そもそも目を治す、という発想自体が自分には全くなかった。何故なら

 

 

「要するに使い魔の視覚共有みたいなことをシエルは考えてるのね。でもそれでシキがまた死が見えるようになったらどうするの? 今は閉じているけど、いつそうなるかは分からないわよ」

 

 

目が見えるようになると言うことは、自分にとっては死を見ることと同義だったから。そうなるとは限らないが、ないとは言い切れない。それを言い当てられたからかシエルさんは黙りこんでしまう。

 

 

「ですが……遠野君は目が見えるようになりたくはないんですか?」

「そんなことはないけど……見えなくてもいいかな、とは思ってる。シエルさんの気持ちは嬉しいけど、今までもそう生活して来たんだし」

 

 

そう、これでいい。もしかしたら、見えるようになる可能性もあるかもしれない。でも今のままでも充分だ。完璧を求め過ぎてもきっといいことはない。何かが欠けているぐらいがちょうどいい。

 

 

「いえいえそうはいきません! 志貴さんにはイメチェンしたお二人の姿を見て頂くと言う重要な役目があるんですから!」

 

 

だがそんなシリアスな空気などしったことではないと琥珀は騒ぎ始める。今度は何なのか。できれば自分に実害がない方向でお願いしたい。

 

 

「イメチェン……? 何のことだ?」

「はい。実はアルクェイドさんとシエルさんの容姿をわたしがいじらせてもらったんです。シエルさんは前髪を伸ばして、眼鏡を新調してます! 知的なお姉さんスタイルです! そしてアルクェイドは髪を少し整えてから、何とミニスカにブーツを履いもらってます! ミニスカですよミニスカ!」

「そ、そうか……で、お前はどう変わったんだ?」

「わたしですか? わたしはいつも通りですよ? あ、もしかして志貴さん、そういう趣味だったんですか? 早く言ってくだされば今晩からでも」

「いいや、いい。大体見えないんじゃ何着てても一緒だからな」

 

 

一人でフィーバーしている発情猫を放置しながら紅茶を楽しむ。だが琥珀はともかく、二人の新しい服装、容姿が見れないのは確かに惜しいかもしれない。特にアルクェイドのミニスカート姿など想像できない。そんな自分の機敏を察知したのか

 

 

「見えないなら触ればいい。ほら、これ。少し涼しいけど動きやすいわ」

 

 

そういいながらさも当然とばかりにアルクェイドは俺の手をスカートの中に引き入れる。なるほど、確かにミニスカートになっている。だが見えていないが、今の自分の姿が間違いなく犯罪者であることは間違いない。アルクェイドのスカートの中に手を突っ込んでいる変質者以外の何者でもないだろう。

 

 

「なっ――――何をしているんですかこのアンバー吸血鬼!? 貴方には恥じらいという物がないんですか!?」

「別にいいじゃない。シキには見えてないんだし。シエルも同じようにすればいい」

「どうですか志貴さん? 女の子のスカートの中には夢が詰まってるんですよ? パライソです!」

 

 

ぎゃあぎゃあと騒がしい声が響き渡る。それを前にして溜息しか出ない。きっと、こんな日常が続いて行くんだろう。いつ終わるかは誰にもわからない。ずっと先かもしれないし、明日かもしれない。でもそれでいい。

 

 

ただ生きているだけで楽しい。今なら、そう胸を張って言える。不安はある。でも、きっと楽しい事の方が多いはず。

 

 

そっと、手を伸ばす。もう手には何もない。ナイフも、リボンも。どちらも借り物だった。でも今は違う。

 

 

その手に彼女の手が重なる。言葉なんて必要ないかのように自然に、琥珀の手の温もりが伝わってくる。そう、自分が欲しかったのはナイフでもなく、リボンでもなく、その温もりだけだった。

 

 

ようやく思い出す。全てが終わったあの時、自分が口にした、この世界に留まる力をくれた一言。恥ずかしくて、とても口にできないような言葉。

 

 

 

「―――――愛してる、琥珀」

「―――はい。わたしもです」

 

 

 

当たり前のように、二人は自然に口にする。まるで挨拶するように、誰にも聞こえないような小さな声で。柄にないもない台詞だが、たまにはいいだろう。

 

 

日々は続いて行く。きっと、終わりでさえ幸福だろう。

 

 

それじゃあとりあえず、約束の場所へ、四人で遊びに行くことにしよう―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき

作者です。最終話を投稿させていただきました。長くかかりましたがこれで完結となります。これまで読んで下さった読者の皆様、本当にありがとうございました。ここでは二つのエンディングの補足と、作品の裏話をしたいと思います。

『彼方の夢』

ノーマルエンド。主人公が最後に『ありがとう』を選択した結末。月姫をプレイした方ならお気づきだと思いますが原作のアルクェイドルートのトゥルーエンドを強く意識したものになっています。琥珀のテーマである『人形と人間』に対する解答。互いのことを認め合いながら、それぞれの道を歩き始めるエンディングです。当初予定していたのはこちらのエンディングのみであり、物語として一番綺麗にまとまっている内容だと思っています。

「日向の夢」

トゥルーエンド。主人公が最後に『愛してる』を選択した結末。Fateで例えるなら桜ルートのトゥルーエンド。ぶっちゃければ『ハッピーエンドで何が悪い』なエンディングでご都合主義の塊です。蛇足である部分もありますが、それでも物語はハッピーエンドであるべきだという作者の我儘です。どちらのエンディングが上ということもありませんが、月姫やfate のように複数のエンディングがあるのが型月作品の魅力の一つでもあるのでこのような形になりました。

この作品を書くきっかけになったのは、もし遠野志貴が盲目だったら、というSSを知ったことです。残念ながらそのSSはもう読めなくなっており、作者も読むことができなかったのですがなら自分で書いてみようと思った結果がこの作品です。

最初は遠野志貴が遠野家に戻った時に、琥珀に気づきすぐに白いリボンを返すという内容で考えていましたがあまりにも話が短くなってしまうこと、何よりもどうしても遠野志貴というキャラクターが描けず、オリ主のようになってしまうことが問題でした。そのため主人公を憑依、転生のオリ主に変更。性格を遠野志貴と七夜志貴を足して割ったようなイメージに設定しました。トゥルーエンドで盲目になったのもその名残。最初の着地点に何とか着地できた、といったところ。目が見えるようになる案もありましたがやはりご都合が過ぎるだろうという判断です。Fateでイリヤが言っていたように何かがたりないぐらいがちょうどいい、と作者も思います。

長くなりましたが、ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。最後に月姫リメイクが早く出ることを期待しながら。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。