対ホロウ行動部六課、オフィス内。
あれから星見雅は、変わらぬ日々を送っていた。
念の為と受けたバイタルチェックは異常なし。VR訓練も動きに支障は無かった。それどころか、以前よりも疾さに磨きがかかったように感じた。あの映画か、それとも空想戦闘のおかげか。
青いコートの男と何度か修行したが、暗闇に呑まれることはなかった。アキラにもう一度映画を見せてもらい、彼に見守られる形ですぐに空想戦闘も行ったが、裂け目は開かれなかった。
それはそれとして、純粋に話の続きが気になった雅は、数日ビデオ屋に通ってアキラと共に後のシリーズを鑑賞した。
一作目のホラー要素で怯えるアキラを守り、二作目は銃のアクションが主の為あまり参考にはならず、四作目は新主人公の豪快な動きに着目し、最後の五作品目はこれまでの集大成として物語もアクションも満足のいくものとなっていた。外伝作品もあると聞いていたが、アキラは「あれは世界観も登場人物も別物だから」と、見せてはくれなかった。
そして雅が修行相手にもしていた青いコートの男だが、一作目にして鎧を纏い登場し、五作品にして完全復活を果たした。何故か黒いコートに新調した彼の姿は、不思議にも雅へ既視感を抱かせた。
彼の行いは雅の立場としては目に余る非道だが、剣士としての腕は一流であった。だからこそ、雅は修行相手によく選んでいるのだが。
中でも気になったのは、次元を切り裂く業。あれを会得できれば、より迅速にエーテリアスの殲滅を行える筈。
そういえば柳と零号ホロウの調査に赴いた時、彼女が似たような業を用いていたなと、雅はふと思い出す。早速聞いてみようと柳を見たが、交換条件として会議への出席を求められそうだったので思い止まった。
そしてもうひとつ、気になる業があった。幻影の剣を出現させ、遠方の敵も狙える飛び道具である。ただ飛ばすだけでなく敵を囲うように、時には天から降らし敵の動きを止め、剣を座標にして瞬間移動するなど、用途は様々。是非とも会得したい業だ。
しかしどういった仕組みで剣を発現させているのか、皆目見当がつかない。せめて変幻自在の飛び道具さえ使えるようになれば──そう思った時、雅の目に一人の男が映った。
テキパキ事務仕事を進める柳とは対象的に、あくびをしては時々「しんどい、眠たい、帰りたい」と呟き書類を片付ける男、浅羽悠真。彼の使用武器は弓──六課の中で唯一の遠距離武器を持っている。その腕は折り紙付きだ。
彼ならばと、雅は悠真に声を掛けた。
「悠真」
「はい? なんですか課長? もしかしてボーナス休暇を与えてくれたり──」
「同時に八本の弓を射り、余すこと無く敵に当てることは可能か」
「ちょっと何言ってるかわからないです」
「敵の周囲へ円陣の型になるよう飛ばし、同時に当てることは」
「もっと意味がわからないんですけど」
悠真から冷静にツッコまれた。お前ならいけると思ったのだがと、雅はしゅんと落ち込む。
と、先のやり取りを聞いていた柳が声を掛けてきた。
「それってもしかして、最近課長が夢の中でよく修行相手にしている男の業ですか?」
「あぁー、前に課長が悪夢見てうなされたっていう映画に出てきた男? スタイリッシュクレイジーアクションの」
「悠真の腕に文句をつけたつもりはない。ただ、あの業を会得できれば更なる飛躍を遂げられると見た所存」
「なになに何の話!? ボスが見た映画のこと!? 私もその映画見たいー!」
「あの映画は、蒼角ちゃんにはまだ早いんじゃないかなー。変な影響受けて、指ぬきグローブとかはめてジャラジャラしたアクセサリーなんかも付けて……いやそれはそれで見てみたいかも」
「浅羽隊員、変なことは考えないでくださいね?」
「あっハイ」
柳から静かな牽制を受け、悠真は即座に返事をする。それから仕切り直すようにコホンと咳き込んでから、雅に言葉を返した。
「つまりこういうことですか? あの幻影剣みたいに複数弓を飛ばして、もれなく敵に当てたり、敵の周囲を囲むように放ったり、頭上から降らして地面に串刺しにしたりできないかって?」
「そうだ」
「無理です」
悠真から再び冷静に言い返された。
「一本の矢と弓を持って走り回るだけでも重労働だってのに、矢を八本同時に射る? 僕にそんな力があると思います? 無いでしょ! そもそも八本同時撃ちなんてできるわけないから! 常識的に考えて!」
「悠真、お前が病弱なのは承知している。だが、人間の限界とは侮れないものだ」
「時速200キロで走る人の常識を押しつけないでくれません!? 仮に挑戦してみたとしても血反吐出して終わりでしょ! 課長こそ、僕の貧弱さを甘く見ないで欲しいんですけど!」
何故か胸を張って反論する悠真。本人がここまで強く言うのであれば、やはり幻想に終わるかと雅が諦めようとした時、柳が声を上げた。
「では、浅羽隊員が時速200キロで移動しながら矢を放てば、先程話にあった円陣強襲も可能になりませんか?」
「副課長、話聞いてました? 矢を八本も持てない貧弱人間が、どうやって時速200キロで走れるんですか? それとも狙ったボケですか? あるいは天然ボケですか? 僕はどっちのノリでツッコんだらいいんですか?」
「私は真面目ですよ。それに、誰も貴方に走れと言っていません。課長が浅羽隊員を抱えながら時速200キロで駆けるんです」
「柳よ。私は今、右目から鱗を落とした」
「いやダメでしょ!? 血反吐は出ないけど胃からいろんな物が出るって! 戦場が僕のアレまみれになりますよ!? そもそも僕を抱えて弓で射るくらいなら、課長が斬った方が早いでしょう! なんでそう変な方向にばかり思い切りがいいかなぁ!?」
雅は名案だと感嘆したが、悠真は声を大にして反対の意を示す。彼の言う通り、悠真を抱えることで剣が鈍るのは確かにいただけない。
肩車をすればいいのでは、おんぶ紐で括るのはどうだと柳は改善案を出すが、悠真は一切受け入れようとしない。
もはやここまでか。誰もがそう思った時であった。独り話を聞きながら左右のこめかみを指で押さえて頭を働かせていた蒼角が「そうだ!」と声を上げ、彼等に告げた。
「ハルマサが分身して八人になればいいんだ!」
「蒼角、今度は私の左目から鱗が落ちた」
「流石です蒼角! 課長の手を煩わせず、浅羽隊員の身体機能の問題も考慮した、画期的な名案を思いつくなんて!」
「えっへへー! 蒼角スゴいでしょー! ハルマサも褒めて褒めて!」
「なるほど完璧な作戦だー。不可能だという点に目をつむればですけどー」
誰もが納得のいく素晴らしい解決策だと思われたが、悠真は再び異を唱えた。彼の返事を聞き、発案者の蒼角は驚愕と傷心が混ざった表情で彼を見る。
「ハルマサ……分身できないの?」
「蒼角ちゃんさぁ。分身が汎用スキルなのはニンジャの世界だけなんだよね。そして僕はニンジャじゃない。それっぽく見えなくもない格好はしてるけど」
「でもでも、ボスは時々分身してるよ! 走ったり戦ってる時に!」
「それはね、分身じゃなくて残像って言うんだよ。課長の動きが速すぎて見えちゃうヤツ。で、僕は課長みたいに残像を生み出せる速さで走れる人間じゃない。話が振り出しに戻っちゃいましたね、副課長」
蒼角に優しく教え、悠真は愉快な声色で柳に話を振った。肩を落とす蒼角を横目に、柳は進展が無かった現状を嘆いてため息を吐いた。
「残念です。浅羽隊員が八人に増えてくれれば、作業効率がグンと上昇すると期待したのですが」
「浅羽悠真専門家たる僕の見解によれば、仮に分身できたとしても、副課長の期待通りにはならなかったでしょうねぇ。翌日には八枚になった休暇届が提出されますよ。僕の残り有給休暇を全部賭けたっていい」
自分のことは自分がよく知っているからと、悠真は堂々と語る。蒼角と柳を説き伏た彼は、次に雅へ視線を移した。
「随分と遠回りした気がしますけど……課長、これで僕に技の再現は無理だってわかってくれましたよね? どうしてもっていうなら、課長の脳内シミュレーションで満足してください」
「先の会話を聞きながら、軽く夢想した。お前は最後まで澄ました顔で立っていた」
「課長の中にいる僕はどんだけ超人なんですか。高く買っていただけるのは嬉しいですけど、現実は厳しいってことで。それじゃあこの話は終わり! 副課長、ツッコみ続けてたら疲れたんで、僕そろそろ帰ってもいいですよね?」
これ以上議論することはないと、悠真はパンと手を叩く。流れるように早退を希望してきたが、これを受けた柳は眼鏡を正しながら応えた。
「まだお昼ですし、早退も受理しません。それに、試してもいないのに結論付けるのは尚早ですよ」
「……はい?」
終わった筈の議論を続ける気でいた柳。これに悠真は、往生際の悪いお人だと肩をすくめて言葉を返した。
「試すも何も物理的に無理だって話でしょう。どうやって僕を八人に増やすんです? 今からニンジャに弟子入りして分身の術を学んで来いと?」
「その必要はありません。現実的ではありませんから。なので浅羽隊員には、非現実の世界に行ってもらいます」
「……勘弁してくださいよ副課長。ついに頭がファンタジーになりましたか? 非現実の世界だなんてそんなの......あっ」
現実を突きつけようとした悠真であったが、途中で何かに気付いたのか口を止めた。横で聞いていた雅は柳の言わんとすることが読めず、首を傾げる。
と、蒼角が再び元気な声で割り入ってきた。
「蒼角わかったよ! VR訓練だね!」
「偉いですよ蒼角。VRシステムについて正しく勉強できていますね」
「柳よ、私の両目から再び鱗が落ちた」
見事正解した蒼角を柳は優しく撫でる。雅もこれで三回目になる驚嘆を上げた。
「電脳世界であれば、データを複製して浅羽隊員を八人に増やすことも可能です。課長に抱えてもらう案ですが、浅羽隊員の歩行速度を時速200キロに変更できないか聞いてみましょう。八本の矢を軽々と放てるよう筋力の数値も大幅に増やしてもらい──」
「いやいやいやいや!? いくら仮想空間だからってやり過ぎですって! もはや悪辣な人体改造ですよ! 副課長の心は痛まないんですか!? ってか歩行速度が時速200キロって何なんですか!? 映画のハリネズミヒーローもビックリですよ!」
「変化するのは貴方の仮想身体だけですよ。以前もボンプの身体になってしまったでしょう。同じことです」
「弱体化と強化じゃ違うでしょ!? あと強化の振れ幅もデカすぎますって!」
「八人に増やした浅羽隊員は、それぞれ独立行動を取るのでしょうか? 意識と感覚を共有できないか尋ねてみましょう」
「話聞いてないし、なんでもありな仮想空間に託けてメチャクチャなこと言い始めたよこの人! 八人分の動きを一人で制御しろって? そんなのやったら僕の脳が大爆発しちゃいますって!」
天井を見て想像を膨らませる柳に悠真はたまらず抗議したが、彼女の耳には届かず。しかし悠真はめげずに言葉を続けた。
「それに、もしまた仮想空間に閉じ込められでもしたらどうするんですか!?」
「私が外で待機しておくので問題ありません。浅羽隊員は課長と一緒に仮想空間へ行ってください。丁度お昼休憩の時間ですからね」
「異議あり! 休憩時間に脳をフル稼働させるのは休憩にならないので違法労働だと思います!」
「ナギねぇ! 蒼角もハルマサと一緒にやっていい!? 蒼角も筋肉モリモリになってビューンって走ってみたい!」
「……筋肉モリモリはオススメできませんが、蒼角もやりたいのならいいですよ。ただ、VR訓練で脳をいっぱい使った後は糖度が大切なので、終わったら近くのお店で甘いお菓子をたくさん買いましょうね」
「やったー! ハルマサ聞いた!? 終わったらお菓子パーティーだよ!」
「蒼角ちゃんさぁ、多分僕の脳疲労度はその程度じゃあ回復しきらないと思うんだよねぇ。九割のお菓子は蒼角ちゃんが食べちゃうだろうし。それに筋骨隆々の蒼角ちゃんが時速200キロで走る姿なんて……正直見てみたいかも」
悠真の反論は尽く受け流される中、蒼角も乗り気になる。肝心の悠真も若干押され気味になり、ムキムキになった蒼角を想像している。
こうなれば、確かめずにはいられないというもの。雅は悠真に寄ると、彼の身体をヒョイと持ち上げ、肩に乗せる形で担いだ。
「即断即決。皆で行くぞ」
「ちょっ、マジでやる流れ!? あの、改造するのって僕の複製データじゃダメなんですかね!? データはセンターにあるだろうから、わざわざ僕本人が行く必要ないと思うんですけど!」
「そこにお前の魂は無いだろう。複製することのできない、お前自身の魂が修行には必要だ」
「科学的な場所に非科学的な概念を持ち込まないでくださいよ! というか、僕まだ書類作業が残っているんですけど! 今日も残業させる気ですか!?」
「浅羽隊員に任せていたのは比較的猶予のある書類ですので問題ありません。残業が多いのは、自分の胸に手を当てて考えてみてください」
「僕の仕事が遅いって言いたいんですか!? これでも最近やる気出してた方なんですけど!?」
「えー? でもハルマサ、昨日はナギねぇがいない間ずっと寝てたよ?」
「蒼角ちゃん!? 急なタレコミはビックリしちゃうからやめてくれない!? いや違うんです副課長! その日は急激に睡魔が襲ってきたものだからやむを得ず寝落ちしたってだけで!」
悠真は必死に抵抗するが、雅達はそのままオフィスを出て足早に進む。廊下を歩くと、奇っ怪な目で見る職員もいれば、いつものことかと気にせず作業を続ける者も。
「この人達、鬼畜通り越して悪魔だよ! だ、誰か! 誰か助けてください! 誰かぁああああっ!」
悠真は恥を捨てて助けを求めるが、彼の願いが届くことはなく。彼等はHIAセンターへと赴いた。
その日、現実と差異のない雅と、筋力を増強し八本の矢を携えた八人の悠真、衝撃のあまり柳の眼鏡が粉砕した、たくましい筋肉を宿し体躯も数倍となった蒼角の、時速200キロで繰り広げられた仮想戦闘は、HIAセンターが運営するVRゲームの貴重なデータとして記録された。
また、翌日に悠真は八人分の長期休暇を申請したが、柳によってもれなく却下されていた。