戦場の空気が一変した。
バジルス軍の中央から現れた一人の男。
巨大な戦斧を肩に担ぎ、漆黒の鎧に包まれたその姿は、まるで死神そのものだった。
「……ヴォルフガング」
ロバートが低く呟く。
バジルス王国の英雄——戦場の悪魔と呼ばれる男。
彼が現れただけで、ゲルマニア軍の兵士たちの士気が目に見えて下がっていく。
「やべぇ……あいつが来たら、もう終わりだ……!」
「英雄が……英雄が出てきた……!」
前線の兵士たちが後退し始める。
「待て! 下がるな!」
ロバートが怒鳴るが、兵士たちの足は止まらない。
それも仕方がない。
ヴォルフガングは、過去の戦で一騎当千の戦果を挙げた英雄なのだ。
普通の兵士では、勝負にすらならない。
それどころか、彼の前に立った者は、全員例外なく叩き潰されてきた。
「英雄……か」
ハロルドは剣を強く握りしめる。
(……こっちは”凡人”だってのに、よりにもよってこんな相手が来るとはな)
しかし、どんな相手でも戦うしかない。
(生き残るために……!)
ヴォルフガングは、ゆっくりと戦場を歩いてくる。
「ゲルマニアの兵どもよ……」
その声は、低く響き渡った。
「まとめて潰してやる」
瞬間——
ヴォルフガングが消えた。
「——ッ!?」
次の瞬間、ゲルマニア軍の前衛が吹き飛ばされていた。
まるで何かに轢かれたように、十人以上の兵士が血を噴き出しながら宙を舞う。
「な……何が……!?」
ハロルドは目を見開いた。
(今の一撃……いや、一撃ですらない。移動と同時に、まとめて薙ぎ払ったのか!?)
信じられない速度。
信じられない威力。
それが、英雄——ヴォルフガングだった。
「おいおい……マジかよ……」
ロバートが苦々しく呟く。
ヴォルフガングは、戦斧を肩に担いだまま、無造作に踏み出す。
「……つまらんな」
呆れたように言い放ち、斧を振るう。
その一撃で、さらに数人の兵士が吹き飛ばされた。
叫ぶ間すらない。
それほどの絶望的な差。
(……こんなの、勝てるわけがない)
ハロルドの背筋に、冷たい汗が流れる。
(これが……英雄……!)
一方、リナは静かにヴォルフガングを見つめていた。
彼女の手には、血塗れの短剣。
(……貴族)
ヴォルフガングは、バジルス王国の将軍。
当然、貴族の出身だ。
リナの中で、黒い感情がうごめく。
(こいつも……同じか)
スラムを焼いた貴族たちと、同じ血筋の者。
その血を流させることができたら——
どれほど気持ちが晴れるのだろうか?
「リナ……お前、まさか……!」
オーウェンが慌ててリナを止めようとするが、彼女は無視した。
そして、一歩前に出る。
(私は……私の手で……)
短剣を握りしめ、ヴォルフガングを見据える。
(貴族を……殺す!)
その瞳に宿るのは、復讐の炎——。
戦場の狂気は、さらに加速していく——。