戦場に沈黙が訪れていた。
帝国軍は陣地を整え、負傷者の手当てや戦死者の確認に追われている。
しかし、ハロルドの心は落ち着かなかった。
(リナ……)
戦場での彼女の戦いぶりは、尋常ではなかった。
普通の少女が、あれほど冷静に敵を殺せるものか。
(まるで……最初から戦う術を知っていたかのような動きだった)
ハロルドはリナの隣に立ち、そっと問いかけた。
「リナ……お前、本当に戦うのは初めてなのか?」
リナは少しの間、沈黙した。
そして、ぼそりと呟く。
「……初めてじゃない」
ハロルドの胸に、冷たい衝撃が走った。
「どういうことだ?」
リナは短剣の刃をじっと見つめる。
「スラムで生きるために、何をしなきゃいけなかったか……あなたには分からないでしょ?」
ハロルドは言葉を失った。
リナの口調は淡々としていたが、その奥に滲む感情は重かった。
「私が何をしてきたか……話すつもりはない。でも、私は生きるために戦う。それだけよ」
「……リナ」
「……ハロルドは、私のことを気にしすぎ」
リナは静かに笑った。しかし、その笑みはどこか寂しげだった。
夜が訪れ、帝国軍の陣営には焚き火が点々と灯っていた。
兵士たちはそれぞれ疲れた体を休め、明日の戦いに備えている。
ハロルドも食料を口に運びながら、リナをちらりと見た。
彼女は食事も取らず、短剣を研いでいる。
(……まるで、あれが唯一の拠り所みたいだな)
その姿に、ハロルドは言い知れぬ不安を感じた。
「リナ、お前、少しは食え」
「……あとで」
リナの返事は素っ気なかった。
だが、その声はどこか揺らいでいた。
(お前は、本当は……)
ハロルドは、リナの過去に何があったのかを知るべきなのか、迷っていた。
だが、このままでは——。
戦場の夜は静寂に包まれていた。
しかし、その静けさの中で、ハロルドは眠れずにいた。
リナの過去——彼女の冷たくも鋭い戦いぶりを目にした後、どうしても考えずにはいられなかった。
(あの動き……素人のそれじゃない。まるで、長年戦いに慣れた暗殺者のようだった)
焚き火の向こうで、リナは短剣を研いでいた。
無心に刃を擦るその仕草には、妙な落ち着きがあった。
ハロルドはゆっくりと近づき、静かに声をかけた。
「……まだ起きてるのか」
リナはちらりとこちらを見たが、特に驚く様子もない。
「……寝る気になれないだけ」
「食事もまともに取ってないだろう。疲れてるんじゃないのか?」
「……慣れてる」
その言葉が、ハロルドの胸に引っかかった。
(やはり……)
「なあ、リナ」
「……なに?」
「お前、昔からああやって戦っていたのか?」
リナの手が止まった。
焚き火のはぜる音が、夜の静寂の中で響く。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、リナはぼそりと呟く。
「……スラムで生きるってことは、そういうことよ」
「……」
「人を殺せなければ、自分が死ぬ。誰かに従わなければ、飢え死にする」
「……それは」
「私は……そうやって生きてきた。それだけ」
リナの言葉には、感情がほとんどなかった。
だが、その目の奥には深い闇があった。
「だから、戦場に来たことに迷いなんてない。私は、これしか知らないから」
ハロルドは、拳を強く握りしめた。
リナは、ただ普通に生きたかったはずだ。
それなのに——彼女は生きるために、何かを捨ててきた。
(お前は……本当は、どうしたいんだ)
「……リナ」
「……なに?」
「お前が今、戦場で生きることを選んだのは……復讐のためか?」
リナの瞳が、焚き火の炎を映して揺れる。
だが、彼女は何も答えなかった。
その沈黙が、ハロルドにはすべてを物語っているように思えた。
(貴族への復讐……それが、リナを突き動かしているのか)
夜風が冷たく吹き抜ける。
その風の中で、リナは静かに短剣を鞘に納めた。
「……もう寝るわ」
「……ああ」
リナは背を向け、暗闇へと消えていく。
ハロルドはその背中を見送りながら、強く心に誓った。
(俺は……お前を、見捨てない)
戦場の夜が、静かに更けていった——。