英雄の影に生きる一般兵ハロルド   作:パパリア田中

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リナの闇

 

 

 戦場の混乱が収まり、ゲルマニア軍は後退を開始した。戦況は決して良くはなかったが、それでも大敗は免れた。

 

 ハロルドは撤退する隊列の中、リナの様子を注意深く観察していた。

 

(……やはり、何かが変わった)

 

 以前のリナは、冷静ながらもどこか感情を抑えていた。だが、今の彼女は違う。怒りや悲しみすら超えた、何か黒いものを抱えている。

 

 彼女が敵兵を殺す様子は、もはや戦場で生き抜くための「戦闘」ではなく、目的を持った「殺し」だった。

 

(……このままじゃ、いずれ本当に貴族を殺しに行くな)

 

 ハロルドは、それを止めるべきかどうか迷っていた。

 

 

 

「ハロルド、どうかした?」

 

 リナがふと、無表情でこちらを見上げた。彼女の瞳には、かつての怯えや迷いがない。

 

「いや……お前の戦いぶりが変わったと思ってな」

 

「……そうね。もう迷うことはないもの」

 

 その言葉が、妙に重く響いた。

 

「お前……王都に戻ったら、どうするつもりだ?」

 

 ハロルドは、意図的に核心を突いた質問を投げた。

 

 リナは少しの間、沈黙した。だが、やがて口を開く。

 

「……決めてるわ。私は、貴族を殺す」

 

 それは、まるで当たり前のことのように告げられた。

 

「スラムを焼いた貴族を? それとも……」

 

「スラムを支配していた貴族も。私を殺し屋として利用した奴らも……全員よ」

 

 淡々とした口調。その中に、抑えきれない闇がある。

 

(……これは、もう止められないかもしれない)

 

 ハロルドは、すぐに否定しなかった。

 

 確かにリナの言うことには筋が通っている。スラムを焼き、虐げていた貴族を裁く者はいない。もし彼女が何もしなければ、彼らは何事もなかったように贅沢な暮らしを続けるだろう。

 

 だが——

 

(それでも、こいつに復讐者の道を歩かせていいのか?)

 

 ハロルドの胸中で、迷いが生まれていた。

 

 止めるべきか、止めざるべきか。

 

 だが、一つだけ確かなことがあった。

 

(王都に戻ったら、リナは本当に行動を起こす)

 

 ならば、俺は——

 

 

 

 リナはそんなハロルドの沈黙をどう捉えたのか、ただ静かに微笑んだ。

 

「大丈夫よ、ハロルド。あなたに迷惑はかけない」

 

 その言葉が、どこか痛々しく響いた。

 

(……迷惑なんかの問題じゃない)

 

 だが、今は何も言わず、ハロルドはただ歩き続けた。

 

 

 復讐の影が、確実に迫っている。

 

 ハロルドはそれを止めるべきかどうか——決断の時は、近づいていた

 

 

 

 

 戦場を離れ、ハロルドたちは王都へと帰還した。

 

 ゲルマニア軍は戦局を持ち直し、かろうじて踏みとどまったものの、戦争はまだ終わらない。

 

 だが、それよりもハロルドの気がかりは——

 

(……リナだ)

 

 彼女は沈黙を保ちながらも、その瞳には確かな意思が宿っていた。

 

(王都に戻れば、すぐにでも動く気だな……)

 

 彼女は復讐を遂げるつもりだ。スラムを焼いた貴族、そして過去に自分を利用した貴族たち——。

 

 ハロルドは、それを止めるべきなのか、それとも……。

 

 

 

「王都の門が見えたぞ!」

 

 兵士たちの声が上がる。

 

 遠くにそびえる王都の城壁。その内側に広がるのは、かつてリナが忌み嫌いながらも生きていた場所。

 

「……戻ってきたわね」

 

 リナが低く呟いた。

 

 ハロルドは、彼女の表情を盗み見る。

 

 だが、そこには怒りも、悲しみもなかった。ただ、冷たい決意だけがあった。

 

 

 

 王都の門をくぐると、兵士たちはそれぞれの持ち場へと散っていった。

 

「俺は軍の報告がある。リナ、お前は……」

 

「私は宿を取るわ。夜になったら出る」

 

 隠すつもりもないのか、リナははっきりと言った。

 

「……今夜、動くのか?」

 

「ええ。これ以上、待つ理由はないもの」

 

 王都には、リナが狙う貴族がいる。彼らは何事もなかったかのように暮らしているのだろう。

 

 リナは、それを許さない。

 

 ハロルドは、彼女の横顔を見つめる。

 

(……俺は、どうする?)

 

 止めるべきか。

 

 それとも、見届けるべきか。

 

 答えは、まだ出なかった。

 

 

 

 夜が訪れる。

 

 リナは剣を隠し、黒い外套を羽織ると、静かに王都の闇へと消えていった。

 

 彼女の目指す先は——

 

 貴族の屋敷。

 

(リナの復讐が、始まる——)

 

 

 

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