王都の夜は静かだった。
街灯の灯りが石畳を照らし、人々は暖かな家へと帰っていく。
だが、その穏やかな空気とは無縁の存在がいた。
黒い外套をまとい、夜の闇に溶け込むように歩く少女——リナ。
(ここね……)
彼女の視線の先にあるのは、立派な門構えの貴族の屋敷。
門兵が二人、槍を持ち警戒している。
(正面から入るのは無理ね……)
リナは音もなく屋敷の周囲を回り込み、塀の影に身を潜める。
(……裏口があるはず)
かつて、彼女は貴族のために”仕事”をしていた。
その時の記憶をたどり、抜け道を探す。
(あった)
屋敷の裏手には、小さな扉があった。
鍵がかかっているが——
リナは腰に差した短剣を取り出し、器用に鍵穴をこじ開ける。
(まだ体が覚えてる……昔のやり方を)
小さく扉が開く。
リナは息を殺し、屋敷の中へと忍び込んだ——。
一方、ハロルドは宿で剣を磨いていた。
(……行ったか)
リナの動きを察していたが、彼は止めなかった。
彼女が何をしようとしているか、わかっていたからだ。
(あいつは……もう止まらない)
だが、それでも——
(もし、戻らなかったら……)
ハロルドは剣を握る手に力を込めた。
(その時は……俺が助けに行く)
リナの復讐が、成功するか、それとも破滅を迎えるか——
それは、まだわからなかった。
(夜の闇が、すべてを飲み込んでいく——)
王都の夜は冷たい。
石畳の路地には霧が立ち込め、街灯の淡い光が揺れている。
その闇の中を、一つの影が静かに駆け抜けた。
(……私は、ここで終わらせる)
リナは黒いマントに身を包み、貴族の屋敷へと忍び込んでいた。
屋敷の主——ヴァルター・フォン・エーベルハルト。
スラムを焼いた張本人。
あの地獄を作り出した貴族たちの一人であり、リナが最も憎む存在だった。
(あの時の私は、ただ震えることしかできなかった……。でも、もう違う)
剣を握る手に力がこもる。
静かに屋敷の中へと侵入し、衛兵の巡回を避けながら、標的の部屋へと向かった。
(……ここね)
リナは寝室の前で足を止めた。
扉に耳を当てる。
中からはかすかな寝息が聞こえた。
(今なら……)
リナは扉を静かに押し開け、中へと忍び込んだ。
豪奢な寝台の上で、ヴァルターが眠っている。
その寝顔は、まるで善良な人間のようだった。
(……こんな男が、スラムを焼き払った)
怒りが湧く。
この男の命を絶てば、少しは報われるのかもしれない。
リナは短剣を逆手に持ち、喉元へと刃を突き立てようとした——その時。
「……誰だ?」
ヴァルターの目が開いた。
鋭い視線が、リナを捉える。
(気配を……!?)
リナは躊躇せずに刃を振るった。
しかし——
「遅いな」
ヴァルターは枕元にあった短剣でリナの攻撃を弾いた。
リナは跳び退る。
ヴァルターは寝台から身を起こし、余裕のある笑みを浮かべた。
「ふむ……。小娘か」
彼の声には、まるで恐怖がなかった。
(この男……!)
リナはすぐに構え直すが、ヴァルターは優雅に首を振る。
「お前のような未熟な暗殺者に、私が殺せると思うか?」
その言葉と同時に、部屋の外から足音が聞こえた。
扉が勢いよく開かれ、数人の衛兵がなだれ込んでくる。
「くっ……!」
リナは窓へと走る。
しかし、ヴァルターは落ち着いた口調で言った。
「無駄だ」
衛兵たちが一斉に飛びかかり、リナの逃げ道を塞いだ。
数人がかりで押さえ込まれ、手首を縛られる。
(ここで終わるの……?)
リナの心に絶望が広がる。
ヴァルターはそんな彼女を見下ろし、笑った。
「さあ、楽しませてもらおうか。スラムの生き残りよ」
「……リナが捕まった?」
報告を聞いたハロルドは、静かに呟いた。
「エーベルハルト公爵邸に潜入し、暗殺を試みたものの、失敗したとのことだ」
王都に戻っていたハロルドは、戦友たちと共に束の間の休息を取っていた。
だが、その安寧はすぐに破られた。
(……やはり、あの時止めるべきだったか)
リナの憎しみは本物だった。
貴族への復讐心が、彼女を突き動かしていた。
だが、それが彼女を危険に晒すことも分かっていたのに——止められなかった。
「……で、リナはどうなった?」
「現在、エーベルハルト邸の地下牢に監禁されているそうだ」
ハロルドは息を吐く。
(くそっ……)
考える時間はない。
リナを助けなければならない。
「……行くぞ」
ハロルドは剣を手に取り、立ち上がった。
「待て、ハロルド。貴族の屋敷に単独で乗り込むつもりか?」
ロバートが制止する。
「相手は貴族だぞ。無策で行けば、死ぬぞ」
「分かってる……だが、リナを見捨てるわけにはいかない」
ハロルドの目は揺るがなかった。
ロバートはため息をつき、肩をすくめる。
「……仕方ねぇな。俺も手を貸してやる」
「ロバート……!」
「とはいえ、正面突破は自殺行為だ。まずは情報を集めるぞ」
「……ああ、頼む」
こうして、リナ救出作戦が開始する