第50話『燃え尽きた街で』
王都の夜は静かだった。
スラムはもうない。
貴族の「浄化作戦」と称した虐殺によって、すべてが灰となった。焦げた柱、崩れた壁、焼け焦げた瓦礫——そこにかつて生きていた人々の気配は、もうどこにもなかった。
だが、それでも地下にはいくつかの「隠れ家」が残っていた。
スラムの住人たちは、貴族に虐げられながらも生きるために地下に逃げ込むことがあった。焼き討ちの際、すべての人が死んだわけではなく、瓦礫の下や地下室に潜んで生き延びた者もいる。
ハロルドたちは、かつてリナが知っていた廃屋の地下室を利用していた。
「ここなら、しばらくは安全だ」
ロバートが周囲を警戒しながら言った。
ハロルドはリナをそっと寝かせる。彼女の体には傷や痣が無数に刻まれていた。
「くそ……こんなことに……」
ハロルドは拳を握りしめた。
リナはまだ目を覚まさない。ヴァルターの拷問と暴行で、身体も心も限界だったのだろう。
(リナ……)
ハロルドは彼女の髪をそっと撫でた。
彼女が苦しそうに眉を寄せる。
「……やめて……」
小さく震える声だった。
ハロルドはすぐに手を離す。
(今は……そっとしておくしかない)
彼は自分に言い聞かせた。
「王都の警備は厳重だ。貴族どもはリナが逃げたことを知っている」
「追っ手が来るか?」
「ああ、間違いなくな」
ロバートは剣を置き、腕を組んだ。
「今後、どうする?」
「……まずはリナを回復させる。それから王都を脱出するしかない」
「だが、リナはこのまま大人しく逃げると思うか?」
ハロルドは答えられなかった。
リナは、ぼんやりと天井を見つめていた。
簡素な木造の天井、かすかに染み付いた古い油の匂い——。
(……ここは?)
意識が戻ると同時に、体のあちこちが痛みを訴えた。
「気がついたか」
ハロルドの声がした。
リナはゆっくりと顔を向ける。そこには、彼女の枕元に座るハロルドの姿があった。
リナはしばらく言葉を発せなかった。
胸の奥が、何かでいっぱいになる。
何かを言おうとして——けれど、声が出なかった。
そんな彼女の様子を見て、ハロルドは言った。
「……お前を助けるのは当然だろ」
リナの目が揺れる。
「……なんで……」
「お前が助けを求めていたからだ」
それは事実だった。
どんなに強がっても、どんなに復讐に駆られても——彼女は、本当は助けを求めていた。
リナは小さく、唇を噛む。
「……ありがとう」
それだけ言って、彼女は目を伏せた。
ハロルドは、それ以上何も言わなかった。
ただ、リナが休めるように、静かにその場に留まり続けた。
——夜が、静かに更けていった。