夜が明ける頃、リナは再び目を覚ました。
体の痛みはまだ残っていたが、意識ははっきりしている。
隣では、ハロルドが椅子に座ったまま寝落ちしていた。
リナは、その姿をじっと見つめる。
(……ずっと、そばにいてくれたんだ)
彼がどれだけ自分のために動いてくれたのか、それを思うと胸が締め付けられるようだった。
静かに起き上がろうとしたが、その気配に気づいたのか、ハロルドが目を開けた。
「……もう大丈夫なのか?」
リナはゆっくりと頷く。
「うん。……ごめん、迷惑かけた」
「今さらだろ」
ハロルドはあくびをしながら立ち上がり、窓の外を見た。
朝焼けが、王都の空を赤く染めている。
「……お前、これからどうするつもりだ?」
その問いに、リナは少しの間、沈黙した。
そして、意を決したように口を開く。
「……戦う」
ハロルドは目を細める。
「まだ復讐を続けるのか?」
「……違う。私は……私自身のために戦う」
リナは拳を握りしめた。
「スラムは焼かれた。私が憎んでいた貴族たちも、きっとこの先も腐り続ける。……だけど、私はもうただの復讐者じゃない」
自分を助けてくれたハロルドの存在。
何もできなかった自分を責めていた時間。
そして、地下牢で味わった絶望。
すべてを経て、リナは変わった。
「私は、生きるために戦う。……自分が望む未来のために」
ハロルドは短く息を吐くと、わずかに口角を上げた。
「なら……俺が、お前に剣を教えてやる」
リナは驚いたように目を見開く。
「……本当に?」
「ああ。……お前にもう、無茶な真似はさせたくない」
リナの胸に、温かいものが広がった。
そして、小さく笑う。
「……うん。よろしくね、ハロルド」
こうして、リナは新たな道を歩む決意をした。
夜の帳が降り、王都の空に無数の星が輝いていた。
ハロルドは粗末な宿の一室で横になり、静かに目を閉じていた。
戦場での疲れもあり、眠気はすぐに襲ってきたが——その夜は、奇妙な気配で目を覚ますことになった。
(……誰かいる?)
意識が覚醒する前に、肌に柔らかい感触が走った。
頬を濡れた何かがゆっくりと這っている。
(……舐められてる?)
ハロルドはうっすらと目を開けた。
闇の中、月明かりに照らされた顔が、異様なほど近くにあった。
「……リナ?」
彼の目の前にいたのは、リナだった。
黒髪がさらりと揺れ、紅い瞳が恍惚とした光を帯びている。
「ハロルド……」
囁く声が、甘く絡みつくようだった。
リナは伏せたまま、ハロルドの頬をそっと舌でなぞる。
「……んっ……やっぱり、あったかい」
「お、おい……何をしてる?」
ハロルドが起き上がろうとすると、リナは彼の胸にそっと手を当て、制した。
「ねぇ……ハロルド。ずっと、ずっと聞きたかったんだけど……どうして私を助けるの?」
その声は震えていた。
「……お前は、助けを求めていた。それだけだ」
ハロルドは当たり前のように言った。
だが、その答えを聞いたリナの瞳が、一瞬揺らいだ。
「……それだけ?」
彼女の声は、かすかに悲しげだった。
「私ね……」
リナは身を寄せ、ハロルドの首筋に頬を擦り寄せる。
「……今まで、誰にも優しくされたことがなかったの」
震える吐息が、ハロルドの耳元にかかる。
「会う人、会う人……みんな、私を利用するか、傷つけるか、捨てるか……」
細い指がハロルドの腕をぎゅっと握る。
「でも……ハロルドだけは違った」
リナはまるで子供のように、ハロルドにしがみついた。
「あなたは、私を拾って……助けてくれた。優しくしてくれた……何も見返りを求めずに」
その声には、言い知れぬ狂気と執着が滲んでいた。
「ねぇ……こんなに幸せなこと、あっていいの?」
リナは小さく笑った。
だが、それは純粋な笑みではなかった。
「だからね、ハロルド。私、あなたがいないとダメなの」
その言葉と共に、リナは再びハロルドの頬を舐める。
「あなたの全てを、私のものにしたい」
熱を帯びた瞳が、絡みつくようにハロルドを見つめる。
ハロルドはリナの腕をそっと掴み、ゆっくりと引き剥がした。
「……お前は、疲れてるんだ」
「違うよ……これは、本当の気持ち」
リナは静かに微笑んだ。
「でも、わかった。今日はここまでにしてあげる」
そう言って、リナはゆっくりと身を引いた。
しかし、その瞳の奥に宿る執着は消えない。
「おやすみ、ハロルド……」
甘く囁きながら、リナは部屋を後にした。
ハロルドは深く息を吐き、額に手を当てた。
(……リナ、お前……)
彼女の愛情は、まるで深い闇のようだった。