リナが去った後も、ハロルドはしばらく眠ることができなかった。
暗闇の中で、彼は先ほどの出来事を反芻する。
(……リナのあれは、本気だったのか?)
彼女の言葉、彼女の仕草、彼女の熱を帯びた眼差し——それらは、ただの感謝や好意を超えていた。
まるで、それが無ければ生きていけないかのように。
リナの執着が、ハロルドの胸に重くのしかかる。
(……俺は、どうすればいい?)
彼は戦場では数え切れない修羅場をくぐり抜けてきた。
命のやり取りには慣れている。
だが、リナのような感情にどう向き合えばいいのか、わからなかった。
結局、その夜はまともに眠ることができないまま、朝を迎えた。
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王都の朝
朝日が差し込む宿の部屋。
ハロルドは重い体を起こし、外の喧騒を耳にしながら深いため息をついた。
宿の下では、市場の活気ある声が響いている。
その音が、昨夜の出来事を遠い夢のように感じさせた。
(……考えても仕方ない。まずは行動だ)
彼は鎧を身につけ、剣を腰に差すと、部屋を出た。
食堂にはすでにロバートと数人の仲間が朝食を取っていた。
「おい、ハロルド。珍しく寝坊したな」
ロバートがパンを口にしながら軽く笑う。
「……少し、考え事をしてた」
ハロルドは適当に応じ、席についた。
ロバートは鋭い目で彼を見つめる。
「……リナのことか?」
「……」
ハロルドは無言のまま、スープを口にする。
「まあ、あいつはずっとお前に懐いてるからな。だが、最近のリナは……どこか、様子が違う気がする」
ロバートの言葉に、ハロルドは僅かに眉を寄せた。
「……そう思うか?」
「ああ。なんつーか、お前に対する感情が……強すぎるというか、危ういというか……」
ロバートはパンをちぎりながら続けた。
「俺の勘違いならいいんだがな。あいつ、戦争やスラムのこともあって、色々と溜め込んでるだろ」
「……」
ハロルドはスープの中に映る自分の顔を見つめた。
(リナは、俺を必要としている……)
それは彼にもわかっている。
だが、それが彼女にとって本当に良いことなのか——それが、わからなかった。
「……リナはどこに?」
「ああ、外に出てるみたいだぞ。市場の方に行ったとか言ってたが……」
「そうか」
ハロルドは立ち上がる。
「ちょっと、様子を見てくる」
王都の市場は活気に満ちていた。
商人たちの呼び声、子供たちの笑い声、人々の賑わい——それは戦場とはかけ離れた平和な光景だった。
ハロルドは人混みの中を歩きながら、リナの姿を探した。
(……いた)
彼女は果物の露店の前に立っていた。
手には赤く熟れたリンゴが握られている。
だが、ハロルドが気になったのは、その表情だった。
リナはぼんやりとした目で、リンゴを見つめていた。
その目には、生気がない。
まるで、何かを失った人間のように——
「リナ」
ハロルドが声をかけると、リナはゆっくりと顔を上げた。
「……あ、ハロルド」
いつものように微笑むが、どこか無理をしているように見えた。
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
ハロルドが問いかけると、リナは小さく首を振った。
「ううん、何でもないよ。ただ……」
「ただ?」
リナは少しの間、言葉を選んでいた。
そして、ぽつりと呟く。
「……ずっと一緒にいられるのかな、って思って」
「……?」
その言葉の意味を理解する前に、リナはハロルドの袖を掴んだ。
「ハロルド……私のこと、置いていったりしないよね?」
その瞳は、まるで捨てられた子供のように不安を孕んでいた。
ハロルドはしばらく沈黙した後——
「……俺は、お前を見捨てたりしない」
静かにそう答えた。
すると、リナは安堵したように微笑んだ。
だが——その笑みはどこか狂気じみていた。
「……よかった」
リナはハロルドの腕にすがるようにしがみつく。
ハロルドは彼女の小さな体を感じながら、心の中に渦巻く不安を拭い去ることができなかった。
(……リナ、お前は今、何を考えている?)
王都の市場の喧騒の中、ハロルドの胸には拭い去れない違和感が残っていた。