夜の静寂が、薄闇に溶けてゆく。
リナの小さな手が、ハロルドの指を絡め取る。
「……ねえ、ハロルド」
囁く声は甘く、けれど危うい熱を孕んでいた。
彼女の細い指が、ハロルドの手の甲をなぞる。
「私のこと、嫌いにならないよね?」
その問いかけは、まるで幼子が母親に「捨てないで」と縋るかのような、切実な響きを持っていた。
「嫌いにはならない」
ハロルドは、短くそう答えた。
リナの表情が安堵に染まり、彼に縋りつくように顔を寄せる。
「……よかった」
ハロルドは、彼女の肩を軽く押して距離を取らせようとしたが——
「やだ」
リナは首を振り、頑なに離れようとしない。
その腕の力は、見た目に反して強かった。
「ずっとこうしていたい」
「……リナ」
「ねえ、もし私が……ハロルド以外の誰かに連れて行かれそうになったら……どうする?」
リナはじっと彼の目を覗き込む。
「……」
「私はね、ハロルドが迎えに来てくれなかったら、生きていけなかった。だから、もしまた離れ離れになったら……もう生きられないかもしれない」
その言葉は、単なる比喩ではなく、本気のように思えた。
ハロルドは無意識に奥歯を噛みしめる。
リナの心は、彼に強く縛られすぎている。
このままでは、彼女は「ハロルドがいなければ生きられない存在」になってしまう。
(俺が……縛ってしまったのか?)
そんな考えが、一瞬よぎる。
彼女がスラムで瀕死だったとき、手を差し伸べたのはハロルドだった。
以来、彼女の世界は急激に変わった。
それまで人に傷つけられることしか知らなかった少女が、初めて得た『無条件の優しさ』。
その甘美な体験が、彼女の中で歪んだ形で育ってしまったのかもしれない。
まるで、光を求めて過剰に伸びすぎた蔦のように。
「ハロルドは……私のものだよね?」
リナの指が、彼の頬を撫でる。
その動きはどこか艶めかしく、だが根底には狂気じみた執着が見え隠れしていた。
ハロルドは、彼女の手をそっと握った。
そして、真っ直ぐに彼女の目を見つめる。
「リナ、お前は俺のものじゃない」
彼女の表情が、ぴたりと固まる。
「……え?」
「俺も、お前のものじゃない」
ハロルドは、淡々とした口調で続けた。
「俺は俺であり、お前はお前だ」
「……」
「お前は、もっと自分の足で生きろ。俺に依存するな」
リナの唇が、小さく震える。
「……そんなの……無理……」
「無理じゃない」
「違う……違う……」
彼女の瞳が揺れる。
「ハロルドがいなきゃ、私は……」
「お前は、お前自身の人生を歩くべきだ」
「……!」
リナの目に、涙が滲む。
「私のこと……いらないの……?」
その声は、酷く怯えていた。
まるで再び捨てられることを恐れる、迷子の子供のように。
「いらないとは言ってない」
ハロルドは、少し語気を和らげた。
「だが、俺がいなきゃ生きられないなんて言うな。お前はもっと強くなれる」
「……強く……?」
「そうだ」
リナは、しばらく沈黙したままハロルドを見つめていた。
やがて——
「……やだ」
彼女は首を横に振り、小さく笑った。
「やだ……やだよ……そんなの……」
その笑みは、壊れかけた硝子細工のように脆かった。
「強くならなくていい……ハロルドがいれば、それでいいの……」
そう呟くと、リナはハロルドの腕に顔を埋めた。
彼女の身体が、小刻みに震えているのが分かる。
(……リナ)
ハロルドは、彼女の細い背をそっと撫でた。
彼女を突き放すべきか、それとも受け入れるべきか。
その答えは、まだ見えなかった。