英雄の影に生きる一般兵ハロルド   作:パパリア田中

40 / 44
リナの扱い方

 

 

 夜の静寂が、薄闇に溶けてゆく。

 

 リナの小さな手が、ハロルドの指を絡め取る。

 

「……ねえ、ハロルド」

 

 囁く声は甘く、けれど危うい熱を孕んでいた。

 

 彼女の細い指が、ハロルドの手の甲をなぞる。

 

「私のこと、嫌いにならないよね?」

 

 その問いかけは、まるで幼子が母親に「捨てないで」と縋るかのような、切実な響きを持っていた。

 

「嫌いにはならない」

 

 ハロルドは、短くそう答えた。

 

 リナの表情が安堵に染まり、彼に縋りつくように顔を寄せる。

 

「……よかった」

 

 ハロルドは、彼女の肩を軽く押して距離を取らせようとしたが——

 

「やだ」

 

 リナは首を振り、頑なに離れようとしない。

 

 その腕の力は、見た目に反して強かった。

 

「ずっとこうしていたい」

 

「……リナ」

 

「ねえ、もし私が……ハロルド以外の誰かに連れて行かれそうになったら……どうする?」

 

 リナはじっと彼の目を覗き込む。

 

「……」

 

「私はね、ハロルドが迎えに来てくれなかったら、生きていけなかった。だから、もしまた離れ離れになったら……もう生きられないかもしれない」

 

 その言葉は、単なる比喩ではなく、本気のように思えた。

 

 ハロルドは無意識に奥歯を噛みしめる。

 

 リナの心は、彼に強く縛られすぎている。

 

 このままでは、彼女は「ハロルドがいなければ生きられない存在」になってしまう。

 

(俺が……縛ってしまったのか?)

 

 そんな考えが、一瞬よぎる。

 

 彼女がスラムで瀕死だったとき、手を差し伸べたのはハロルドだった。

 

 以来、彼女の世界は急激に変わった。

 

 それまで人に傷つけられることしか知らなかった少女が、初めて得た『無条件の優しさ』。

 

 その甘美な体験が、彼女の中で歪んだ形で育ってしまったのかもしれない。

 

 まるで、光を求めて過剰に伸びすぎた蔦のように。

 

「ハロルドは……私のものだよね?」

 

 リナの指が、彼の頬を撫でる。

 

 その動きはどこか艶めかしく、だが根底には狂気じみた執着が見え隠れしていた。

 

 ハロルドは、彼女の手をそっと握った。

 

 そして、真っ直ぐに彼女の目を見つめる。

 

「リナ、お前は俺のものじゃない」

 

 彼女の表情が、ぴたりと固まる。

 

「……え?」

 

「俺も、お前のものじゃない」

 

 ハロルドは、淡々とした口調で続けた。

 

「俺は俺であり、お前はお前だ」

 

「……」

 

「お前は、もっと自分の足で生きろ。俺に依存するな」

 

 リナの唇が、小さく震える。

 

「……そんなの……無理……」

 

「無理じゃない」

 

「違う……違う……」

 

 彼女の瞳が揺れる。

 

「ハロルドがいなきゃ、私は……」

 

「お前は、お前自身の人生を歩くべきだ」

 

「……!」

 

 リナの目に、涙が滲む。

 

「私のこと……いらないの……?」

 

 その声は、酷く怯えていた。

 

 まるで再び捨てられることを恐れる、迷子の子供のように。

 

「いらないとは言ってない」

 

 ハロルドは、少し語気を和らげた。

 

「だが、俺がいなきゃ生きられないなんて言うな。お前はもっと強くなれる」

 

「……強く……?」

 

「そうだ」

 

 リナは、しばらく沈黙したままハロルドを見つめていた。

 

 やがて——

 

「……やだ」

 

 彼女は首を横に振り、小さく笑った。

 

「やだ……やだよ……そんなの……」

 

 その笑みは、壊れかけた硝子細工のように脆かった。

 

「強くならなくていい……ハロルドがいれば、それでいいの……」

 

 そう呟くと、リナはハロルドの腕に顔を埋めた。

 

 彼女の身体が、小刻みに震えているのが分かる。

 

(……リナ)

 

 ハロルドは、彼女の細い背をそっと撫でた。

 

 彼女を突き放すべきか、それとも受け入れるべきか。

 

 その答えは、まだ見えなかった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。