夜の静寂の中、リナはハロルドの腕の中でじっとしていた。
ぬくもりを感じながら、彼の心音に耳を傾ける。
(……ああ、安心する)
彼のそばにいるだけで、世界のすべてが許されるような気がする。
だけど——
(どうして……答えてくれないの?)
ハロルドの曖昧な態度が、彼女の胸に小さな棘となって刺さっていた。
彼は自分を嫌っているわけではない。
むしろ、ずっと守ってくれた。
それでも、彼は『愛している』とは言わなかった。
(……私じゃ、ダメなの?)
リナの目が、暗い光を帯びる。
心の奥で膨らむ不安と焦燥。
(ハロルドは優しい……。でも、それは私だけじゃない)
彼は誰に対しても優しい。
それが、たまらなく怖かった。
(他の誰かに、私と同じように優しくしたら……?)
想像しただけで、胸が張り裂けそうになる。
「……ねえ、ハロルド」
リナは、彼の胸にそっと顔を埋めながら囁く。
「私、ずっと一人だったの」
彼は答えない。
眠っているのかもしれない。
それでも構わず、リナは続けた。
「生きるために、なんでもした」
「盗んで、騙して、殺して」
「でも、それでも……みんな、私を捨てた」
「私を求めてくれた人なんて、一人もいなかった」
静かな声で、淡々と語る。
「でも、ハロルドだけは違った」
「どんな時も、私を見捨てなかった」
「だから……ねえ」
リナはハロルドの頬に唇を寄せ、そっと囁く。
「お願い……私を捨てないで」
ハロルドは微かに動いたが、目を覚ますことはなかった。
リナはその顔を見つめながら、小さく微笑む。
けれど、その笑みはどこか壊れかけていた。
(……もし、他の誰かを選ぶなら)
(その時は——)
リナの指が、ハロルドの首にそっと触れる。
愛しさと、狂気と、執着が入り混じった指先。
彼を手に入れられないくらいなら——
彼を奪われるくらいなら——
「……ふふ」
リナは小さく笑うと、そっとハロルドの首筋に唇を寄せた。
甘く、静かな夜が続いていく。
——だが、それは静寂の前の嵐だった。
夜の帳が下り、静寂が宿舎を包み込む。
しかし、リナの胸の内は嵐のように騒がしかった。
ハロルドの温もりを感じながらも、眠れない。
彼の寝顔を見つめながら、リナは心の奥底から湧き上がる感情を押さえつけていた。
(もっと……もっと近くにいたい)
彼のすべてを独占したいという思いが膨れ上がる。
リナはゆっくりと身を起こし、ハロルドの顔を覗き込んだ。
穏やかに眠るその姿。
無防備で、温かくて、優しい人。
唯一、自分を拒まなかった人。
(……こんなにも愛しているのに)
リナはそっと指先でハロルドの頬を撫でる。
肌に触れる感触が愛おしくて、胸が苦しくなる。
「……ハロルド」
小さく囁く。
彼の唇がわずかに動くが、目を覚ます気配はない。
そのことに安堵しながらも、リナの瞳に狂気の色が宿る。
——試してみようか。
彼が目覚めたとき、自分を拒むのか。
それとも、受け入れてくれるのか。
リナはゆっくりと身を屈め、ハロルドの頬を舐めるように舌を這わせた。
塩味の混じった汗の味がした。
(……美味しい)
そんな馬鹿げたことを思いながら、リナは微笑む。
愛しさが止まらない。
「ねえ……どうしてそんなに優しいの?」
彼に問いかけても、答えは返ってこない。
「ねえ……ずっとそばにいてくれる?」
彼は眠ったままだ。
それが、怖かった。
いつか目を覚まして、自分を遠ざけるのではないか。
自分を拒むのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
——もし、そんな日が来たら。
「……殺してしまおうかな」
ぽつりと、口から言葉が零れる。
リナは静かに笑った。
それは、冗談だったのか。
それとも、本心だったのか。
彼女自身にも分からなかった。
(……大丈夫。ハロルドは、私を捨てたりしない)
そう信じたかった。
だから、今はこの時間を噛み締める。
リナはもう一度、ハロルドの頬に唇を寄せると、満足したように微笑み、彼の隣に静かに横たわった。
まだ、眠る気にはなれなかった。
けれど、彼の温もりを感じながら、しばらくはこのままでいい。
ずっと、ずっと、このままで——。