◇ ────帝都アーウィンタール 皇城
王国との戦争が終わって、ひと段落した後、
偽りの聖女マリアンヌと護衛のレイナースの二人組が、皇帝の執務室に入室した。
室内にいたのは、皇帝ジルクニフと四騎士のうちの二人、そして若い秘書官という、いつものメンバーである。
「聖女殿、騎士たちの回復ご苦労だった。それに、貴女に元気づけられたおかげで、彼らの多くが離職せずに済んだようだな。礼を言わせてくれ」
ジルクニフは、彼女を労った。
騎士団を率いていたカーベイン将軍によると、あの黒く巨大な怪物が王国兵を蹂躙する様を見た騎士たちが挫折し、離職しようとしていたらしい。
そこを、マリアンヌが騎士たちの心も癒してくれたおかげで、彼らの離職を防げたのは僥倖だった。
彼らが離職すると、この国の治安やモンスターの間引きに大いに影響が出てしまうからだ。
元気づけられた騎士には、過度にマリアンヌを崇める者もいたという報告もあったのが気にはなったが……。
「ところで聖女殿。貴女は、……人類に味方する
ジルクニフは、思い切った事をプレイヤーである彼女に尋ねた。
報告によると、最初の魔法で王国軍7万を一撃で消し飛ばし、その後、怪物数体を顕現させ好き放題に暴れさせたという、まさに恐るべき邪神の御業を見せつけたという。
いくら、同じプレイヤーだとしても、あのような力を見せつけたアインズに対抗するのは難しいのではないかと思っていた。
だが、それでも、立ち向かう術を知っているのではないかと一縷の望みをかけていた。
「はい、邪神アインズの種族は、アンデッドの最高位種族である
「なに! それは、本当かッ!?」
ジルクニフは、信じられない気持ちだった。
確かに、神官はアンデッドに対して相性が良いと聞く。だが、こんな可憐な少女が、あの見るからに恐ろしい邪神を相手にに勝てるなどという光景が、まるで想像できなかった。
「ええ、実は、この世界に来る以前の話になるのですが、私は別個体の
「なんと……っ」
マリアンヌは、ゲーム時代に
あれは、チーム戦だった。
マリアンヌと、その
そのプレイヤーはマリアンヌに、あらゆる魔法攻撃を仕掛けていたが、彼女の強固な防御結界を破るのは困難だった。
貫通力の高い魔法を使い、かろうじて結界を破ったとしても、それによって威力の減じた攻撃では決定打には程遠かった。
すぐに回復されてしまい、打つ手がなかった。
相手の攻撃手段に状態異常技もあったが、一度撃って
マリアンヌは状態異常耐性も高く、仮に成功させても、すぐに解除されてしまうというのが分かり切っていたからだろう。
相手の魔法を意に介さず、余裕をもって、ゆっくりと散歩するかのように歩きながら距離を詰める彼女に対し、せめてもの悪あがきに無数のアンデッドで形成された防壁を創り出して阻止しようとしたが、一瞬で浄化された。
何事もなく近寄ったマリアンヌは、相手の頭を
これまた都合が良いことに、
相手も
恐ろし気なアンデッドが、可憐な美少女に一方的にボコボコにされる光景を目の当たりにして、見学していた者たちは苦笑いを浮かべていたものだ。
ゲームなので外見は当てにならないのだが、それでもシュールに見えたのだろう。
もっとも、その
………。
………。
あらかた話し終えたマリアンヌとレイナースは、〈転移の指輪〉を使って、その場から去っていった。
皇帝の前で転移を使用して帰るというのは本来であれば無礼な行為なのだが、ジルクニフは、
彼女が去った後、ジルクニフは側近たちと話し合っていた。
ジルクニフは、マリアンヌが真の聖女でないという事は、もうすでに分かっていた。
彼女の本当の性格を調べるため、愛妾であるロクシーと面会させたことがあった。人間の本質、特に女性の内面を看破する能力に長けている彼女であれば、マリアンヌの本質が分かるはずだと。
その時、彼女から言われたのだ。
終始、マリアンヌから、蔑みの感情を向けられていたのだと。
ジルクニフが最も信頼するロクシーが愛妾の一人であると知った途端、値踏みするように見てきたという。
マリアンヌは自身の美貌を鼻にかけており、ロクシーが平凡な容姿である事に優越感を抱いていたらしい。
おまけに、この国どころか人々の安寧すらも、どうでもいいと思っているはずだと指摘された。
ただ、自己顕示欲で動く俗物な女であると。
ただの野心家に、あれほど献身的な治療はできない。その事実こそが、彼女が清らかな心を持っている事の証明なのだと考える者も多かった。
だが、その認識は間違っていた。その献身的な治療を苦としない程の高い能力を、彼女が持っているからに過ぎなかったのだ。
それでも、今の自分とマリアンヌとは、邪神アインズという共通の敵を持つ同志だ。
彼女の心を何としてでも、帝国に留めておかなければならない。
それを思えば、たとえ彼女が聖女でなかったとしても手放すような愚行はしない。
もし、彼女を手放してしまえば、今後、城中にアインズの手の者が潜り放題となり、極秘の会議の内容が駄々洩れになる。
さらに、寝室にも間者(という名のモンスター)が忍び込み、自分の寝顔を無遠慮に覗き込むのだろう。
それを想像しただけでも寒気がした。
ちなみに、この情報を側近たちには与えていない。たとえ説明したところで何の意味もないからだ。
「騎士たちが離職せずに済んだのは僥倖だな。あとは、ナザミとレイナースが抜けた四騎士の枠を補う必要があるが……」
帝国最強の四騎士は、現在は二人だけとなっていた。
ナザミは、アインズの手の者が帝国に来た際に魔法で理不尽に殺されている。
レイナースは、マリアンヌの護衛に付くために、四騎士を引退してしまったからだ。
「それなんですがね、陛下。最近、帝都で活動している
その男をスカウトするってのは、どうですかい?」
「ほう、そんな男がいたのか。それにしても、クズル・クズクーズだと? 随分と妙な名前だな。
まさか、その男はクズ人間か何かか?」
ジルクニフは、
「その者は、数か月前の事件によって複数の
四騎士の一人であるニンブルも、バジウッドに続いて発言した。
数か月前、アインズが支配する墳墓に侵入して死亡した複数のミスリル級に相当する
それにより、これまで問題なく行われていたカッツェ平野でのアンデッド討伐やトブの大森林における魔物の間引きなどが滞ることが懸念されていた。
だが、クズル・クズクーズを名乗る
「ただ、困った事に、
ニンブルが難しそうな顔で問題を指摘した。貴族出身で品の良い彼は、そのような行動を到底受け入れられなかった。
「後ろ暗い仕事か……。具体的にはどのような内容だ?」
どこの国にも所属していない強者であれば、スカウトする価値は十分にある。
ましてや、自分の治める国で、犯罪まがいの事をされるわけにはいかない。
「はい、実は、例の邪神教徒である貴族たちが、クズルに違法な仕事を依頼しているようなのです」
「……なるほど。そういう事であれば、急いでその男を回収せねばな」
一部の貴族派閥が、永遠の若さを手に入れるという愚かしい目的のために邪神に縋り崇めている事は、ジルクニフたちも知っていた。
大昔から帝国だけでなく、他の国々にも邪神を崇拝する組織であるズーラーノーンが暗躍していたが、もしかするとアインズが関与しているのかもしれない。
アインズもまた、邪神と呼ばれる存在だ。ズーラーノーンに接触して、支配下に収めている可能性は十分に高かった。
残念なことに、クズルに依頼した実行犯である下っ端を捕縛したとしても、その大元の貴族にまで辿り着く事が出来なかった。
永遠の若さを手に入れるためには何でもやりかねない、それこそ帝国そのものを平気で邪神に売り渡すような連中は、早く捕縛しなければならないと焦っているというのに。
「まあ、それは後回しだな。近いうちに法国の使者と面会したりと、いろいろ忙しくなる。その男を勧誘するのは、それからでも遅くはあるまい。
いや、いっその事、そのクズルとやらに奴らの調査でも依頼してみるか?」
そうは言ったが、ジルクニフとて全く期待はしていなかった。
話を聞く限り、クズルという男は明らかに武力一辺倒な人間だ。そのような調査には向かないだろう。
………。
『お待ちください! 陛下の許可なく入室はできません!』
その時、部屋の外から騎士の声が響いた。この部屋に入ろうとする者を必死に止めているようだ。
「……はぁぁ、今度は何の騒ぎだ?」
盛大なため息を吐きながらも招かれざる客が誰なのか分かり、ジルクニフはうんざりした表情を浮かべた。
仕方なく入室の許可を取ると、勢いよく一人の老人が入ってきて、彼を問い詰めてきた。
「陛下ッ! 今度こそは聖女殿と面会させてくだされ!」
「じい……、その聖女殿なら、先程出て行ったぞ」
「くぅぅッ! また逃しましたかッ!」
そう、このように、フールーダが突然やってきて、マリアンヌに会おうとするのを阻止するためにも、彼女には〈転移〉の使用を許可していたのだ。
「いい加減、諦めたらどうだ、じい? 彼女は神官で、お前とは分野が違うだろう?」
帝国の主席宮廷魔術師であるフールーダは、なかなかマリアンヌと出会えないのを不満に思っていた。
というのも、彼と彼女が鉢合わせする事のないように、ジルクニフ自らスケジュールを細かく調整していたためなのだが。
「いやいや、面会が叶うまで諦める気はございませんぞ。彼女は、信仰系魔法詠唱者とはいえ、凄まじい能力の持ち主とのこと。
当然、魔力系にも優れた才能を発揮する事でしょう。なので、是が非でも我が弟子になるべきなのです!」
フールーダは マリアンヌを自身の弟子にしたがっていた。
彼は、常日頃から優れた人間を弟子にする事で、いつか自分を超える
だが、現在の彼はアインズの弟子になって高度な魔法を学べる立場になったので、弟子を取る意味は薄いと思われた。
なので、アインズの命令でマリアンヌを取り込むつもりなのだろうと、ジルクニフは推測していた。
それに、アインズと出会う以前のフールーダであれば、そんな逸材を見つけたら、もっと冷静さをかなぐり捨てて、それこそ部屋の扉を破壊してでも突貫していたはずだ。
(冗談じゃない! 折角の頼れる味方を、誰があんな悍ましい邪神なんかに引き渡すものか!)
ジルクニフは、フールーダの身勝手な意見に耳を傾けながらも、心の中では目の前の老人を罵倒していた。
「なに、巡り合わせの悪い日々が続いただけだ。いずれ彼女との面会が果たせるだろうさ」
ジルクニフは心にもない事を言った。
この老人に自分の唯一の希望を巡り合わせる事など、ありえない。
自分を見限り、帝国の敵であるアインズに寝返り、奴の弟子となってしまった裏切り者の老人など、もはや味方でも何でもない。
自分が幼いころは教師として慕っており、皇帝の座に就いた後も豊富な知識で貢献してくれたが、すでに親愛の情など消え去り、今や憎むべき対象でしかなかった。
マリアンヌを弟子にする事の有用性を説き続けているフールーダを、ジルクニフは黙したまま冷淡に眺めていた。