◇ ────王都リ・エスティーゼ
その大通りを、一台の馬車が走っていた。
そこまでの大きさではないが、どうやら高貴な身分の者が乗っているようだ。
「本日は、
リ・エスティーゼ王国の第三王女ラナーは『蒼の薔薇』を護衛に伴い、慰安のために孤児院を訪れる予定だった。
だが、彼女たちを乗せた馬車は孤児院ではなく、なぜか王都の門を目指していた。
「ええ、任せて。貴女を
そうして話しているうちに門の出口へと到着し、衛兵が検問のために話しかけてきた。
「失礼します。目的は外出でよろしいしょうか?」
「ええ、その通りよ」
「……失礼ながら、ラナー殿下の外出は許可されているのでしょうか?」
衛兵が訝しみながら確認した。
高貴な身分の王女が外遊する際には、もっと大勢の騎士たちを護衛として伴うはずだからだ。
「ええ、これは他領への訪問のためです。この事は、陛下からも許可を取っております。
そして、今の私は冒険者ではなく、アインドラ伯爵家の者としてラナー殿下の護衛を任されています。なので、我々を早く通しなさい」
「……はっ! 承知しました!」
衛兵は、ラキュースの様子が少しおかしいと思ったが、自分の気のせいだろうと考え直し、職務に専念する事にした。
手続きを終えたラキュースが馬車の中へと戻った。
そして、前方にいた他の衛兵が道を開け、ラナーたちを乗せた馬車が門を通過した。
門を出てからしばらくして、ラキュースがラナーとの会話を再開した。
「ラナー。栄光なるアインズ・ウール・ゴウン魔導国に到着した後も、私は貴女の
「こちらこそ、改めて宜しくお願いしますね、
ちなみに、この
彼女たち(?)の任務は、ラナーと、ついでにクライムを、エ・ランテル改め魔導国に無事に送り届ける事である。
本来であれば、アインズが扮する漆黒の英雄モモンの影響力を使って、占領したエ・ランテルの民の恐怖や不満を抑えるという狙いがあった。
だが、クズ男・狂也の考えなしの行動によって正体がバレてしまったために、その手段は使えなくなってしまった。
その代役として、皆から慕われる『黄金の姫』ラナーに白羽の矢が立ったわけだ。
「ご命令通り、魔導国の民の不満をやわらげ、彼らを上手く手懐けてみせましょう」
民の嘆願をラナーが聞き、または折衷案を出し、それを概ね魔導王アインズが叶える。
そうして、民の不満を徐々に削いでいく。
そして、アインズに不満を抱く反対勢力が、王家の血を引くラナーを担ぎ上げようとする事が予想される。
その者たちが一つにまとまったところを、一網打尽にする。
そういう計画だった。
………。
馬車は進み、王国から離れていく。
これで、王国の姫を敵国に引き渡した『蒼の薔薇』の評判は一気に地に落ちるだろう。
本物の彼女たちは大墳墓に囚われ、もう二度と日の光を浴びる事はない。
そんな彼女たちに残された最後の尊厳すらも、残さず利用する。
──それは、まさに悪魔的知略であった。
(ありがとう、お馬鹿なラキュース! 墳墓に囚われた後でも、こうして私の役に立ってくれるんだもの! やっぱり、貴女は最高の
ラナーは、いつまでも便利な駒でいてくれる、もう二度と会う事のない
だが、すぐに無駄な記憶だったと思い直し、自分の優秀な頭から棄却する事にした。
隣には、自分の愛する護衛兵、もといペットであるクライムが座っていた。
ぐっすりと眠っている彼を愛おしく見つめた後、
+
◇
アインドラ家の令嬢が第三王女を攫い、敵国に売り渡した。
この知らせが入ると、宮殿内は騒然とした。
これに激怒したランポッサ三世は、即座にラキュースの父親であるアインドラ伯爵を事情聴取のために呼び出していた。
険しい顔で咎める王を目の当たりにしても、アインドラ伯爵は最後まで娘の無実を主張し続けていた。
だが、怒りで冷静さを欠いたランポッサの耳には届かなかった。
王派閥も貴族派閥も、彼を庇う者は少なかった。
というのも、他の貴族たちも、内心では伯爵を毛嫌いしている者が多かったからだ。
伯爵は貴族派閥である。だが、それは他の貴族派閥の貴族たちの領地と隣接しているから、仕方なく貴族派閥に所属しているだけで、その心は真摯に王国を想う良識的な貴族だ。
民に危害を加えようとする貴族たちの横暴を抑える役割を担ってきたため、同じ派閥の者たちからも密かに嫌われる事も多かった。
味方が少ない中で無実を訴えても聞き入れてはもらえず、アインズ・ウール・ゴウン魔導国と繋がっている疑いで処刑が決定した。
本来であれば、尋問を受けたのち、降格処分で済むのだが、今回は娘を攫われた国王の怒りがすさまじかった事。
そして、王派閥だけでなく、貴族派閥からも庇ってもらえなかった事が合わさって、あっけなく処刑が決定してしまった。
これまでの王国への貢献を鑑みて、一族郎党が処刑される事は、どうにか免れた。
だが、伯爵の妻子だけでなく、下男下女に至る全ての使用人まで投獄され、厳しい尋問を受ける事となった。
+
◇
処刑場では、王都に住まう民が大勢集まっていた。
処刑は見世物として公開される事も多いので、通常であれば罪人に対する侮蔑の声で溢れ返る所である。
だが──、
『ランポッサ陛下! どうか、伯爵様をお許し下さい!』
『私たち、伯爵様に救われて感謝しているんです!』
『伯爵様は悪くない!』
『俺たちにも優しく接してくださった立派な人だ!』
『ラキュース様の事も、何かの間違いだ!』
……アインドラ伯爵は、予想以上に民に慕われていたようだ。
なにせ、腐敗した貴族で溢れ返っている王国内でも、数少ない良心的な貴族なのだ。
伯爵は、民の目線に立った政策を行い、娘のラキュースも最高位冒険者として彼らの命を救ってきた。
自分や家族を救われた民たちは、伯爵家に恩義を感じていたのだ。
おまけに、貴族たちの腐敗や横暴を長年受け続けてきたためか、王国の法律の正当性を微塵も信用していない彼らは、伯爵やラキュースの罪も真実であるとは全く思っていなかった。
なので、伯爵の処刑を取り止めてほしいと、必死に訴え続けていた。
暴れる民が処刑場に侵入しようとするのに対し、大勢の兵士たちが武器を構えて威嚇し、時には殴りつけて食い止めていた。
しかし、そんな悲壮の声を上げる民の訴えを聞いても、ランポッサは頑なに決定を
(民たちは、何も知らないのだ。伯爵令嬢のやらかした事が、いかに罪深いのかを。アインドラ家が邪神と結託して、王国を裏切るつもりなのだという事を……。
だが、彼らにも、いずれ分かる時が来る……)
ランポッサは、伯爵の助命嘆願の声を上げる民たちを憐みの目で見つめていた。
心を鬼にして民の嘆願を黙殺した彼は、処刑開始の合図を出すために掲げた手を振り下ろした。
──その瞬間、アインドラ伯爵の首が斬り落とされた。
それを見た貴族たちは歓喜に震えた。
ざまぁ見ろと。自分たちより下賤な民を優先する、貴族の風上にも置けない奴めと。
一方、民たちは嘆き悲しんだ。
どうしてなのかと。なぜ、正しい心を持つ立派な人が死ななければならないのかと。
貴族と民は、それぞれが両極端の反応を示していた。
………。
ランポッサは、かつてないほどに自分の考えを貫き通した。
今までの彼は、貴族たちとの軋轢を生まないように、慎重に折衷案を出す事に努めていた。
そのため、自分の希望する案が採用される事など、ほとんどなかった。
そんな彼が、たとえ激情に駆られていたとはいえ、自身の決断を最後まで強行できた事、それ自体は褒め称えても良いのかもしれない。
……その決断が、王国のためになったかどうかは別として。
………。
それから──、
アインドラ伯爵家は、財産のほとんどを没収され、
それだけではない。これまで、アインドラ伯爵に薄汚い欲望を押さえつけられてきた格下
また、今では同格となった男爵たちも率先して加わり、少しでもアインドラ家を庇う発言をした民は、彼らによって粛清されるようになった。
さらに、他家へと嫁に出ていたアインドラ家出身の女性たちも、後ろ盾となっていた実家の力が激減し、さらに悪評まで加わったため、嫁ぎ先の家で肩身の狭い生活を強いられる事になった。
彼女たちが嫁いだ家々の主人たちが、アインドラ家出身の妻に遠慮することなく、お気に入りの愛人を住まわせるようになった。
主人に大切に扱われなくなった貴族の妻というのは悲惨である。実家の後ろ盾も、主人からの庇護も失った奥方に対し、使用人も態度を大きく変えた。
なにせ、今まで自分たちより遥かに身分が高く、指示する立場だった人間が一気に弱い立場に追いやられてしまったのだから。
攻撃されても反撃する力のない上流階級の人間は、一介の使用人でしかない彼らにとって、格好のストレス発散の道具だった。
彼女たちは、愛人の女や使用人から毎日のように陰湿な虐めを受けながら、閉鎖された屋敷での暮らしを余儀なくされた。
中には、過酷な日々に耐えかねて、自ら命を絶つ女性もいた。
これから、アインドラ家の者たちは、地獄のような日々を送る事となる。
そして、自国の姫を敵国に売り渡した売国奴、『稀代の毒婦ラキュース』の悪名は、王国中に
+
◇ ───王城ロ・レンテ
アインドラ伯爵の死を見届け、城に帰ったランポッサは心労で倒れた。
緊張が途切れたためだろう。
王家直轄領であったエ・ランテルを失い、信頼していた戦士長を失い、さらには溺愛していた娘までも失った彼に、それまでの心労が一気に襲い掛かっていた。
臣下たちは、倒れた国王の無事を確かめるために駆け寄った。
そんな彼らに向けて、ランポッサは言った。
「後を頼む」と。
だが、一番近くにいたのは、運悪くも第一王子であるバルブロであった。
「ご安心召されよ! 父上の志は、このバルブロが受け継いでみせますぞ! 後の事は、この私が見事に努めて参りますゆえ、父上は何も憂う必要はありません! どうか、安心してご静養くだされ!」
バルブロは、これはチャンスだと言わんばかりに、大声で宣言した。
態度だけは堂々としていた彼は父親の側に立ち、まるで演劇のように胸に手を当てながら、次期国王は自分であるかのように振舞った。
そんな威風堂々たる彼の姿を見た貴族たちは、ランポッサがバルブロを正式に次期国王へと指名したのだと錯覚してしまった。
バルブロは浮かれ、貴族たちは称賛の声を上げたが、そんな周囲の喧騒は、もはやランポッサには届いていなかっただろう。
意識を失った彼は、担架に乗せられながら寝室へと運ばれていった。
アインドラ伯爵に対する復讐をやり切った事で、どこか満足げな表情を浮かべていた。
だが、それは周囲の人間に対して、王がバルブロを信頼して安心しているのだという勘違いを生み出す結果となってしまっていた。
………。
………。
そこからの、バルブロの王太子就任は速やかに行われた。
彼は、本来であれば、戦士長の持つ国宝の剣を持ち逃げした罪を問われるはずだった。
だが、出現した怪物が、あまりにも規格外な巨体であり、仮にあの剣があったとしても到底かなわなかっただろうという声もあった。
むしろ、剣を持ち帰った事への褒美を与えるべきだと、バルブロ本人も主張していた。
バルブロが所属している貴族派閥だけでなく、ランポッサも父親としての情から助け船を出したために、無罪どころか功績の一つとなってしまった。
また、戦争後も貴族派閥が大勢生き残っていたというのもある。
ランポッサは、戦争が始まる前から大勢の貴族たちが死ぬ事は分かっていた。だが、敵対しているとはいえ、貴族派閥だけに被害を押し付ける事に罪悪感を感じた彼は、味方である王派閥にも犠牲を
それにより、バルブロを支持する貴族たちが、いまだに数多く顕在だったのだ。
さらに、心労で倒れたランポッサが満足げな表情で言い放った『後を頼む』という言葉が、バルブロに王位を譲るという間違った解釈で伝わってしまっていた。
どうやら、この出来事が決定打となったようだ。
第一王子バルブロは、次期国王である王太子の地位を不動の物とした。そして、病床に伏せる国王に代わり、貴族派閥が中心となって政務の一切を取り仕切る事となった。
リ・エスティーゼ王国の未来は、彼らの手に委ねられたのだ。