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「本当に不快な化け物どもだったぜ! おい、お前ら! あとで玄関に塩でも撒いとけ!」
「キョーヤ殿、なぜ塩を撒くのでしょうか? それには、何か深い意味が……?」
扉の両端に控えていた四騎士に向かって、クズ男が苛立たし気に命令した。
彼の故郷の風習が分からないため、ニンブルは困惑していた。
魔導国宰相アルベドとの会談後、険しい顔をしていたクズ一行や四騎士たちは緊張を解き、隠れていたティラも姿を現していた。
ジルクニフは相も変わらず玉座に座ったまま項垂れている。
そんな中、イビルアイに合図を送っていた魔導士も被っていたフードを外し、どこにでもいそうな平凡な男の素顔を曝け出した。
実際の所、彼は魔導士どころか兵士ですらない、ごく普通の平民にすぎない。
そんな彼に、イビルアイは労いの言葉を掛けた。
「感謝するぞ、ボブ。お前がいなければ、私はあの偽物を本物のラキュースだと勘違いしたまま、会談が進行する所だった」
「い、いえ、とんでもないです、イビルアイ閣下! こんな自分なんかがお役に立てるなんて、とても光栄です!」
今では帝国の要人となっているイビルアイに褒められ、ボブと呼ばれた平凡な男は大変に恐縮していた。
「そう謙遜する事もあるまい。これから先も、お前の力は有用となるはずだからな」
ラキュースドッペルの擬態を見破ったのは、彼の類まれな能力によるものだ。
交渉の道具として蒼の薔薇を連れてくる可能性も予想していたが、それが本物か偽物かを判別するために、彼をこの場に配置していたのだ。
もちろん、こういった国の大事に関わる大仕事に不慣れな彼のために、何度も予行演習を行った上でだ。
マリアンヌの口からナザリックの脅威を正確に伝えられてから、ジルクニフは才能ある者を帝国中から募集する事業を展開していた。
もちろん、これまでも集めてきたが、今までのように戦力ではなく、特に
『ただ
そんな謳い文句を掲げ、年齢、性別、身分、前科に関係なく、帝国中から自薦・他薦を問わず募集していた。
そして、ついに見つけたのだ。伝説にしか記録がなかった〈変身を見破る
実のところ、彼本人も自分の稀有な異能に、今まで気付いていなかった。
それも当然だ。
普通、擬態を得意とする魔物であっても、大勢の専業兵士が巡回している街中に入り込み、偶然にも希少な異能持ちと遭遇する確率など、どれ程あるだろうか。
ほぼ、起こり得ない出来事のはずだ。
これが冒険者であれば、背景に溶け込んだ魔物に遭遇する事もあっただろうが、普通の生活を営む一般人である彼に、そんな機会など訪れるはずもない。
だが、ここ最近の帝都では、人間に変身するだけでなく、周囲の建物の影に同化していたり、石や植物などにさえ上手く擬態する魔物が堂々と潜り込んでいる。
そういった魔物がいるというのに、自分以外の人間が気付かないといった場面を目の当たりにする事が多くなり、ようやく彼は自分に隠された真の能力を自覚する事となったのだ。
「し、しかし、聖女様の魔法があれば、あの魔物の正体を暴けたでしょうし、私は本当に必要だったのでしょうか……?」
「そんな事はありませんわ、ボブさん。手札を数多く所持していることが重要なのです。私が魔法を使う前に、あなたが見破ってくれたおかげで、あの者たちも私たちに警戒心を抱いたはずですから」
「そ、そうなんでしょうか……?」
「その通りだ、ボブ。これに懲りて、ああいった厄介な魔物が私たちに
「………うむ、お前の力は大いに役に立ってくれた。今後はしばらく、私の側に仕える事を命じる」
ずっと頭を抱え込んでいたジルクニフが、ようやく気力を振り絞って復活し、魔物の擬態を見事に見破ったボブに命じた。
この国で最も高貴な身分にある皇帝に傍にいるように命じられ、恐縮したボブは慌ててジルクニフの前に跪いた。
「は、はい、皇帝陛下!」
「よい、期待しているぞ。それと、お前の他にも似たような異能の持ち主を見出している。ソイツの場合は、幻術を見破るというものだがな。その勧誘が終わったら、ともに協力して事に当たれ」
ボブの場合は擬態を見破るという異能だが、ジルクニフは他にも、幻術を見破る異能持ちも勧誘している最中だ。
その者が加わってくれれば、擬態と幻術の両面からの対策が取れるというわけだ。
「しかし、あれほど精巧な擬態をするとはな。たしか、
ジルクニフはマリアンヌに尋ねる。
彼としても、先程のモンスターが部下に擬態する危険性は、大いに懸念している。
知らずに重要な作戦に参加させてしまえば、取り返しのつかない事態に陥りかねない。
「いいえ、残念ですが、ボブさんのような異能以外では、高位の神官の使う信仰系の攻撃魔法でないと、おそらく対処は難しいかと」
「……そうか、やはり聖女殿の結界の外は、たとえ城の中であっても油断はできんという事だな……」
マリアンヌの結界は広範囲に張ることができるが、さすがに四六時中、城全体に張るとなると魔力がすぐに底をついてしまう。
だから、結界の範囲をある程度絞る必要があるのだが、それだと張られていない場所に簡単に侵入できてしまう。
「そう悲観される必要はございません。ただ一つだけ、対処法がありますわ」
「ほう、一体どのような方法なのだ?」
「簡単な事です。踏み絵を行えば良いのですわ」
「踏み絵?」
「はい、邪神アインズの配下は、基本的には創造されたか、あるいは召喚された偽りの生命体です。それゆえに、創造主や召喚主である邪神や幹部らに対して、狂信とも言うべき絶対の忠誠心を持っております」
「ふむ……」
「つまり、首魁である邪神の姿絵やナザリックの旗を作り、部下の方々に踏ませるのです。少なくとも、邪神の配下は死んでも踏まないでしょうし、金銭や脅迫によって服従している人間であったとしても、そのような行為をしたことが発覚すれば即座に粛清されてしまうため、やはり踏むのを躊躇うでしょう」
「なるほど、そのような手段で見分けられるわけか。しかし……」
もちろん、これを大々的に行うのであれば国際問題に発展するが、基本的に城内だけで行えば良いし、仮に相手側に知られたとしても、それを追及すればスパイを他国の城内に放っていると自ら宣言するようなものだ。
このように、マリアンヌの結界の外で行ったとしても相手の不興は買うだろうが、公の問題とはならない。
だが、同盟を破棄したとはいえ、むやみに相手のプライドを傷つける真似をするべきなのかと彼は迷っていた。
「なーに迷ってんだ、皇帝さんよぉ? もう、実質的に敵対したも同然じゃねぇか。こっちがどう振舞った所で、奴らが大人しくなるわけねーだろ」
「そ、それはそうだが……」
クズ男はそういうが、普通の人間の感覚ならば、相手からの報復が大きくなることを恐れるものだ。
ましてやジルクニフのような立場だと、その肩には大勢の命が乗せられているのだから。
「安心してくれ、陛下。もし、奴らに捕まりそうになっても、私が転移で逃がしてやる」
「ああ、その時にいくらか財産でも抱えて他国にでも亡命すれば、新天地でひっそりと暮らすぐらいは出来るだろうよ」
彼らはそういうが、そう簡単に割り切れるものではない。
彼は一国を支配する皇帝なのだ。これまで培ってきた物、構築してきた人望、抱えている民、そして自分の血を分けた子供たちの人生など、切り捨てられないものばかりだ。
「あ、あの、この国って滅びそうなんですか? ……あっ、し、失礼しました!」
これまで、要人たちの会話の邪魔にならないように口を閉じていたボブが、邪神への恐怖心から思わず声を出してしまう。
今まで、殺し合いとは無縁の平民だった彼には、邪神と呼ばれる強大な敵が世界に存在するなんて夢にも思わなかっただろう。
「しっかりしろや、ボブ! あの鈴木……、邪神のクソ野郎を倒すために、俺らがいるんだからな!」
「狂也様のおっしゃる通りです。それに、スレイン法国とも同盟を結んでおりますし、いずれ他の国々にも邪神軍の脅威が知れ渡るでしょうから、そう心配なさらないで?」
「は、はい、その…、あなた様方は神様なのですか……?」
「ええ、私と狂也様は邪神アインズの企みを阻止するべく、この世界に降り立った善なる神なのです。と言っても、とても信じてもらえないような内容ですけれど……」
「と、とんでもないです! 自分は信じます、女神様!」
マリアンヌは、彼を安心させるために、あえて自身を神だと明かした。
そんな彼女の気高い姿に、ボブは一瞬で心を奪われていた。
今まで綺麗な街娘は見た事は幾度もあるが、そんなのと比較にならない天上の美貌を誇るマリアンヌから励ましの言葉を掛けられたのだ。
ボブは恍惚とした感情に支配され、一気に恐怖が消し飛んでしまった。
ああ、これが女神という存在なのか。これほどまでに美しいお方が女神でなくて何だと言うのだろうか。それが彼の抱いた感想だった。
女神に対して立ったままでは無礼だと思ったのか、ボブは彼女の前に平伏した。
そんな彼の態度を見て、彼女もまんざらではない様子だ。
「おいおい、ボブ~? 俺様も神だってことを忘れんなよな」
「あっ、は、はいっ、失礼しました、神様!」
+
◇ ────魔導国使節団 馬車内
帝国との会談後、アルベドたちは帰りの馬車の中でくつろいでいた。
彼女たち三人は各々、窓の外に広がる帝都の街並みを眺めていた。
あの有名な闘技場が消滅し、大勢の観客が消息不明となる痛ましい事件があったが、それも時間の流れで少しだけ落ち着き、人々は普段の活気を取り戻しつつあった。
観客の遺族や友人も多かったが、この世界では命が軽く、簡単に人が死ぬことも多いため、無理にでも明るく振舞おうとする逞しさを民衆は持ち合わせていた。
「ふぅ、それにしても、先程は残念だったわね……」
「あ、アルベド様、残念っていうのは……?」
アルベドのつぶやきに、マーレがおどおどとしながら続きを促す。
「あの仮面の女、イビルアイのことよ。少し挑発すれば私に殴り掛かってくれると思ったのだけれど」
もし、イビルアイが挑発に負けてアルベドに殴り掛かれば、その時点で成功だ。
なにせ、今までと違い、すでに冒険者の身分が失われ、正式に皇帝に仕えている彼女がそのような蛮行を公の場で行えば、それこそ絶好の大義名分が出来るはずだったのだ。
だが、彼女以上の腕力を持つマリアンヌに取り押さえられてしまったため、計画は成功せずに終わってしまった。
「それにしても、随分あっさりと擬態が見破られてしまったわね、
「も、申し訳ございません! アルベド様」
ラキュースドッペルは、雲の上の存在あるアルベドの不満の言葉に委縮し、己の不出来を恥じながら精一杯の謝罪をした。
「ふふっ、冗談よ。そんなに恐縮しないで? ただ、あのイビルアイという娘は一目見ただけで、あなたの正体を看破してみせるなんて、ちょっと気になるわね。何か、特殊な能力でもあるのかしら?」
それとも、何かしらのアイテムでも使用したのではないかと考え、帰ったらアイテムに詳しいパンドラにでも聞いてみようと、彼女は考えていた。
「それと、あなたの擬態が破られる可能性は私も考えていたわ。なにせ、あの忌々しい聖女がいるんですもの。信仰系魔法を使われれば簡単に正体を暴かれるというのは、最初から予想していたわ」
「で、では、どうしてアルベド様は偽物を用意されたんですか?」
「偽物を使う事で、あのイビルアイの精神を揺さぶろうとしたのよ。もし、あの女が我を忘れて会談の場で私に殴り掛かって来れば、それこそ開戦の口実にできたのだから」
「な、なるほど、さすがはアルベド様……」
もし、本当に開戦させた場合、帝国は火の海に沈むことになるだろうが、あのクズどもを追い詰める事はできる。
たとえ倒せずに逃げられたとしても、脅威がいなくなった帝国をゆっくりと占領すれば良いだけだ。
もちろん、更地となった大地を支配するのは、アインズ・ウール・ゴウンの名に傷がつくだろう。
それでも、自分たちの好意を無下にして同盟を破棄した帝国を滅ぼすことで、魔導国に楯突く事の愚かさを周辺国家に知らしめることはできたはずだ。
「まあいいわ、挑発に乗るかどうかは、あくまで、そうなったら嬉しいという程度にしか思ってなかったのだから。たとえ成功しなくとも、いくらでもやりようはあるもの」
再び、アルベドは窓の外に目をやり、くつろぎ始める。
気前よく部下を許しはしたものの、やはりイビルアイが愚かな行動をとった場合、どれだけ面白い事になっていただろうかと期待していたのも事実だ。
「やっぱり、少しだけ残念ではあったわね………」
彼女のつぶやきは、対面に座っている二人には聞こえないほど、小さなものだった。