非在の海 -第四水雷戦隊戦記-   作:白亜迩舞

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<2-8ー1 変異>

「電探に反応なし……。

周囲に島もないはずだし、多分大丈夫だよ」

 

月も星もない、複素時空の漆黒の夜空の下、

「時雨」の甲板の上に小さな灯りを点して、

第四水雷戦隊の全員が集まっていた。

 

「うん……。

じゃあ、さっそく――まず朱美ちゃんの手当から始めるね」

 

由良は毛布に包まれて横たえられた朱美の上半身を起こし

その状態の確認を始める。

 

身体を起こされても、朱美に反応はない。

脈と呼吸はかろうじてあるが、微弱。

身体が冷えきっていて、

そして石のように重くなっていた。

 

――「遺失」の兆候だった。

 

「水は吐かせた?」

 

問いに、時雨は首を横に振った。

 

「ううん。呼吸と脈だけ確認したから、

あとは今みたいに毛布で包んで回復体位で寝かせてた」

 

「そうね……それでいいんだけど」

 

艦娘たちは海上で戦うこともあって、

水難救助の処置を習っている。

それは海中から水難者を救助することから、

心肺蘇生などの救命処置までも含む。

 

溺れた人を助けた時、

心臓が止まっているなら心臓マッサージ、

呼吸が止まっているなら人工呼吸、だ。

 

呼吸が止まる原因の一つに気道や肺に水や異物が

詰まっていることが考えられるが、

肺が水でいっぱいになっているということは少ない。

心肺が動いているなら、水を飲んでいるかもしれないということは心配せず、

取り急ぎ治療できる場所まで移動したほうが良いのだ。

 

ただ、虚海に溺れた人に対しては例外的だと由良は感じていた。

虚海の海水は実質量を持たない純粋な虚数物質だ。

体内にそれが取り込まれれば、

実時空の存在である艦娘を徐々に蝕んでいくと由良は識っていた。

 

「朱美ちゃん……目を覚まして」

 

祈るように朱美に囁きながら、

彼女の身体を後ろから抱き上げ、

へそとみぞおちの間に拳を押し当て、それを片手で抑える。

 

腹部突き上げ。

 

本来なら、少女の腕力では難しい処置だが、

艦娘として強化された腕力を調整しつつ、

すばやく数回繰り返す。

 

やがて朱美が咳き込みながら水を吐き出した。

それを確認した由良は彼女の身体を床におろし、

強く抱きしめながら声をかける。

 

「朱美ちゃん? 朱美ちゃん、大丈夫!?」

 

「……ぇ……あ…………さむ、い」

 

「朱美ちゃん! ほら、毛布だよ!」

 

心露が乾いた毛布で由良と一緒に朱美を包む。

一緒に毛布に入っている身体はどこまでも冷たく、

強張って、それでいて体温を取り戻そうとする震えは弱い。

 

 

「朱美ちゃん、自分のこと、わかる?」

 

「……はい」

 

「あなたの名前は?」

 

「……桧原、朱美」

 

「保持艦艇は?」

 

「特III型、暁型駆逐艦一番艦……暁」

 

「あなたの所属は?」

 

「第一〇戦隊、隷下、第六駆逐隊……」

 

「他の第六駆逐隊の娘の名前は?」

 

「「響」……真響、

……「雷」鶫、

……「電」燕……っ」

 

 

仲間の名前を口にしたところで、

朱美の身体の震えが強くなってくる。

 

 

「みんな……」

 

「どうしたの?」

 

「みんなは……大丈夫……?」

 

 

自らの腕で身体を掻き抱く少女。

心細く震える彼女を、

由良は自分の体温を伝えるように強く抱きしめる。

 

「大丈夫。みんなちゃんと撤退してるよ」

 

「朱美……朱美は、沈んだのね……っ」

 

「うん。でも、あなたはここにいる。そうよね?」

 

「……うん」

 

「みんなのところに帰らなきゃね?」

 

「……私、帰れるのかな? 帰って、いいのかな?」

 

「――いいのよ。みんな待っているからね。ね?」

 

震える少女を抱き締め、由良は声をかけた。

阿美はそれに力なく答え、どこか諦めたように、

由良に身体を委ねる。

 

少女がどのように絶望を抱いているのか、

由良はある程度実感をもって想像できるが、

しかし朱美の感情は朱美の感情でしかない。

 

今の由良にできることは、

彼女を温め、慰め、無事に帰すことだけだった。

 

「……阿美」

 

「どうしたの、由良お姉ちゃん」

 

「私と代わって、朱美ちゃんを温めてあげて。

――身体、大丈夫?」

 

「あ、うん。大丈夫だよ、由良お姉ちゃん」

 

「もし辛くなったら言ってね。

夕羽ちゃんを助けたら、私か誰かが交代できるから」

 

「うん。任せて」

 

 

由良は朱美を阿美に任せて、

今度は夕羽のそばに寄る。

 

 

夕羽は呼吸が止まっていた。

 

本来なら蘇生処置を行っていなければならない状態。

けれど今の彼女は――人を寄せ付けない禍々しい気配を纏っていた。

 

 

「由良さん……!

夕羽ちゃんは、どうなっちゃったんですか!?」

 

 

夕羽の手を握っていた恋梅が縋るように問う。

彼女は夕羽に触れようと何度も試みていたが、

近づくと身体が震え強張るので、

手を握っているのが精一杯だったのだ。

 

それは、夕羽が「変異」しかけているから。

 

多くの艦娘は本能的に深海棲艦を忌避する。

それは完全な深海棲艦ではない、「変異」の途上にある

艦娘に対してもそうなのだが、

多くの艦娘は「変異」を知らないし、

その状態にあるものを目の当たりにしてもそれと感知することはできない。

だが意識的に感知することはできずとも、

やはり本能的には恐怖を抱くのだ。

 

そして、夕羽の周辺の空間も歪んでいた。

微弱であるが夕羽の虚数質量に引きずられて虚数側へと

引きずられていたのだ。

そのような空間の存在もまた艦娘は拒絶する。

 

その中、恋梅は艦娘の本能に逆らって夕羽の手をにぎっている。

それは恋梅の仲間を思う強い気持ちの表れであり、

由良は彼女の姿に、感動を覚え、

絶対に夕羽を救う決意を固くした。

 

 

「恋梅ちゃん……ありがとう。

ここからは私に任せて」

 

「私、離れたほうが良いですか?」

 

恋梅は夕羽の手を離そうとしなかった。

由良が来たから、という理由で離すことができるにも関わらずに。

 

「……ううん。そのままでいて」

 

恋梅の健気さに励まされながら、由良は夕羽に向き合う。

由良もまた、その「変異」の気配に恐怖を覚えている。

むしろ「いなくなる」ことができる由良は

他の艦娘よりも虚数質量に遥かに敏感で引きずられやすい傾向にある。

 

だがその分、由良は誰よりも「変異」を理解している。

だからこそその恐怖を乗り越え、夕羽の身体を抱くこともできる。

 

 

「夕羽ちゃん……!」

 

 

重い身体だった。

先ほどの朱美よりも重く、鉛のように冷たい。

身体の固さも鉄のようで、

少女の柔らかさなどどこにも感じられないかのようだった。

おまけに身体の各所には、

艤装の縮小版のようなものが絡みつき、外せなくなっていた。

 

異形――有り体に言って、ヒトの埒外に行きつつある姿だった。

 

しかし、だからと言って彼女を見捨てることなどできるだろうか?

むしろ抗うために、由良はここにいるのだ。

 

 

「夕羽ちゃん、起きて。

ここで起きて。

あなたはまだいなくならない。

夕羽ちゃんの居場所はここよ、ね? ね!?」

 

 

――言葉は夕羽に直接届くことはない。

けれど届かせるよりも、

言葉そのものに力を込めるように、

受け取られて初めて力を発揮するのではなく、

言葉そのものが能動的に力を持ち、

夕羽と世界に作用するように、

由良は言葉を、言霊を発する。

 

 

「夕羽ちゃんの居場所はここ――!」

 

 

声とともに、由良の「力」は確かに空間を歪ませた。

 

ふたりの周囲に蛍のような光が生じた。

 

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