「な、なんですかこれ……」
光は絶望と苦痛のにじむ闇の中において、
確かな希望を振りまく輝きとなる。
それぞれの顔に浮かんでいた沈痛な表情を照らした光は、
夜の雲間から覗く星明かりのように、
娘たちの顔を上げさせる灯火となる。
「――みんな、来て」
それは相転移の光。
夕羽を中心に徐々に虚数軸へと落ちていた空間を、
実数軸へと近づける作用がこぼす光だった。
光に顔をあげた娘たちは、
由良に呼ばれて夕羽のそばに寄る。
「あれ……あの嫌な感じが減ってる?」
「夕羽ちゃんの手を握ってあげて。
夕羽ちゃんが戻ってこれるように手をつないで、
声で呼びかけて」
そう由良が言うと、
少女たちはひとりひとり夕羽の近くに座り、
互いの手を重ね合わせるようにして夕羽と手をつないだ。
「夕羽ちゃん。さあ、そろそろ目を覚ましなさい!」
「夕羽。お願いだ、また君の笑顔を見せてほしい」
「夕羽ちゃん、みんなが待ってますよ」
「起きて、起きてよ、夕羽ちゃん!」
「「――!」」
――どくん、と、夕羽の気配が膨れた。
夕羽が目を開く。
瞳の色は真紅。
虚ろに目を開いた彼女は、
なおも凄まじい異形の気配を放っていた。
彼女と手をつないでいた少女たちは、
皆、恐怖の表情を隠せない。
だが、手を放すことはなかった。
「――夕羽ちゃん、聞こえる?」
由良もまた恐怖していた。
自分が確実に虚数側へと引きずられていることを感じていた。
けれども崖から落ちる人を引き上げるように、
白露型駆逐艦の娘たちの「存在」を頼りに夕羽を強く抱き、呼びかけた。
「夕羽ちゃん、答えて」
「ナ……ニ?」
祈るように由良が話しかけると、
夕羽は人ならざる声で答えた。
「あなたは、誰?」
「ワタシ、ハ――ダレ?」
「あなたは夕羽。
白露型駆逐艦四番艦「夕立」の艦娘。
――ね? みんなが手をつないでくれてるよ?
みんなあなたと同じ、
白露型駆逐艦の艦娘よ。わかる?」
「ミ、ンナ――ワタシ、オナジ――」
「そう、あなたはみんなと同じなの」
「オナジ――」
夕羽が赤い涙をこぼす。
鋼鉄の装甲をまとう腕に光が走り、
それは――手をつなぐ少女たちに伝わる。
「……嫌!」
「嘘……なんですか、これ……!?」
「くっ……」
「由良さん……!」
それは、侵食。
夕羽は「同じ」という言葉に反応し、
他の艦娘を引きずり込もうとしていた。
「みんなお願い、耐えて。
夕羽が深海棲艦じゃなくて白露型駆逐艦の艦娘に戻るためには、
同じ存在であるみんなが必要なの……!」
存在の綱引きだった。
負けた方が、勝った方と同化させられる綱引き。
数で言えば艦娘の方が多いが、
ヒトの感情で憎しみや悪意が強くなりやすいのと同じように、
深海棲艦という存在の禍々しさで、
夕羽一人分でも、他の四人の少女を引っ張るだけの力があった。
「そういうこと……」
苦痛と恐怖に皆が顔を歪ませる中で、
由良が語らないことを悟ったかのように、心露が不敵に笑った。
「でも、白露型の一番艦はあたしよ!?
一番のあたしが、
四番のあんたなんかに負けるわけ無いでしょ――!」
心露の手に走っていた赤い光がはじける。
彼女の身体が淡く光を帯びるが、
それは白く、暖かな光だった。
「そうだね……勝ち負けとか、
駆逐艦としての序列は知らないけど、
こういうことでは負けられないかな」
「あたしたちは白露型。
深海棲艦じゃない――侮らないでください」
「私たちの居場所はここですよ。
夕羽ちゃん、帰ってきてください!」
少女たちはそれぞれの色の光をまとっていく。
その光は夕羽の赤い光を押し返し、
さらには夕羽自身を少女たちの光が包む。
「ア――アァ……!」
「さあ、夕羽ちゃん。
そろそろ起きてね、ね?」
そう囁きかけながら、由良は夕羽から離れる。
2、3歩と後ろに下がったところで、
少女たちの光が閃き、彼女たちの姿を隠した。
「――ん、んん…? ……お呼びっぽい?」
そして、光が消え、また闇が戻った時、
そこには心露、時雨、白、恋梅がいて、
彼女たちに手を握られた夕羽もそこにいた。
「「夕羽ちゃん!」」「夕羽!」
「わわ!
みんないきなり抱きついてこないでよ――重い!」
抱きつかれ、驚く夕羽は、少し格好が変わっていたが、
様子はいつもの彼女だった。
「あれ、心露ちゃんと白ちゃんも変わってる?」
心露、白、そして夕羽は、
制服のスカートに赤いラインが増えていた。
彼女たちの変化はそれだけではなく、
夕羽は目が赤くなり獰猛な猫科の猛獣のように
明らかに気配が変わっていたが、
心露と白もまたわずかに異なる気配をまとっていた。
「僕と五月雨は変わってないね」
「あれー?
……みんな、もしかして強くなっちゃってます?」
対して時雨と恋梅は変化がなかった。
そんな二人に向けて、心露がまた不敵な笑みを見せる。
「ふっふー――」
「でも、別に強くなったみたいな感じしませんね」
しかし白が冷静に報告した。
「こらー! そこは黙っておくとこでしょ!」
「身体に変な感じはない?」
「あ、はい。大丈夫です」
「うー……あたしも変わりないです」
「――夕羽は?」
夕羽は自分の身体をペタペタと触っていたが、
やがていつものようにふにゃっと笑った。
「あたし、ニューバージョンっぽい?」
「……あのね」
「うん。いつものあたしっぽいです」
「そう――」
それを聞いた由良は倒れこむように彼女に抱きついた。
「良かった……夕羽ちゃんが戻ってきてくれて、
……ほんとに、よかったぁ」
「由良さん……もしかして、泣いてるっぽい…?」
心配した。
大変だった。
そう訴えようと思ったけど、胸がいっぱいで言葉は出てこなかった。
そして、そんなことよりも、
今はこうして彼女の体温を感じていられることが幸せだった。
「……あたしも、由良さんと同じだよぉ」
恋梅もふたりの後ろでしゃくりあげていた。
白も静かに目頭を拭っていて、
心露と時雨はしんみりとした笑みでそれらを見ていた。
「もう、一人で行こうとしたら駄目だからね。ね?」
「うん。……ごめんなさい」
由良は涙を拭ってから、
夕羽と共に立ち上がる。
「――じゃあ、そろそろ帰りましょう。
阿美ちゃん、朱美ちゃんは大丈夫そう?」
「うん。……ずっと震えてたけど、
さっきの光を見たら、なんかちょっと落ち着いたみたい」
光は相転移の余波だった。
虚数を否定し実数へと立ち返る波動を受けて、
彼女の様子も少し改善したのだろうか。
「阿美は大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ由良お姉ちゃん」
「そう。じゃあもう少しそのままお願い。
――これより第四水雷戦隊は帰投します。
朱美ちゃんが落ち着いてるうちに、急いで、でも慎重に行きますよ」
「「はい!」」
――そうして、第四水雷戦隊と「暁」の元艦娘が帰還できたことは奇跡だった。
だが彼女たちは虚数の悪夢から逃れることができたが、
少し離れた場所では傷つき、沈む娘たちもいた。
――悪夢の海は、まだ彼女たちを呼び続けているのだ。