――飛行場型姫種深海棲艦。略称、飛行場姫。
全長4km近い超巨大深海棲艦。
その巨体故に、並みの攻撃ではびくともしない。
飛行場姫の撃破に海幕は、
最低でも重巡洋艦3隻、戦艦2隻が三式弾を打ち続け、
4000m×60mの上面部のすべてを破壊し尽くす必要があると試算していた。
しかし現状、彼我の戦力は同等以下で海幕側が劣勢であり、
更に戦艦棲姫と仮称される強力な深海棲艦の出現により
当初期待されていたような飛行場姫の撃破など、
攻撃すらも難しい状況である。
だからこそ今――由良がたった一人でそれを覆さなければならない。
「あいつに昇るんだっけ?」
「そうよ」
「本当にできるっぽい?」
夕羽が言う「本当にできる」とは、飛行場姫に取り付くまでのことではない。
飛行場姫に接触しても問題ないのかと問うていた。
――以下は本来、海幕の一部にしか明かされていないことである。
艦娘が深海棲艦に接触すると、
艦娘は忽ち深海棲艦から「侵食」を受け取り込まれてしまう。
「変異」するとも考えられているが、
取り込まれた艦娘を回収できたことがなく、
またその艦娘がすぐに活動を始めることはないため、
深海棲艦に接触した艦娘の末路は不明である。
しかし詳細はどうあれ、深海棲艦に接触した艦娘はもはや帰ってこれないのだ。
由良と夕羽、共に通常の艦娘よりも深海棲艦に近くなってしまった
2人にはそれがわかる。
しかし同時に、深海棲艦に近くなりつつも艦娘として存在を保っているため、
深海棲艦からの「侵食」にも抵抗力がある。
夕羽は由良が本当に侵食に耐え切れるのかを確認していた。
「――大丈夫。必ず、みんなのところに帰るから」
「うん。――じゃあ、いよいよパーティーの最後だね!」
飛行場姫の護衛と、飛行場姫自身の艦載機が由良と夕羽に襲いかかる。
由良と夕羽は夜戦形態に移行しつつ、
まずは夕羽が前に出て主砲を敵に向けた。
「ソロモンの悪夢、見せてあげる!」
頭上を覆い尽くすほどの敵艦載機。
夕立は恐れず躊躇わず、左右に構えた主砲を発射。
発射。発射。発射――
「――って、夕羽ちゃん、
夜戦形態で主砲を何度も撃てるの?」
「え? 由良さんはできないっぽい?」
普通、艦娘は夜戦形態になると、
主砲に装填されている弾を撃つとそれっきりになる。
弾の装填ができないのだ。
それは「非在」の力を持つ由良であっても同じだった。
「由良さんは何ができるっぽい?」
「私は一時的に「いなく」なることで、攻撃を避けるんだけど」
「へー。……よくわからないけど、夕立はそれできないっぽいから、
代わりに主砲をいっぱい撃てるんじゃないかな?」
一度は「変異」しかけた夕羽が手に入れたのは
地獄の番犬のような外見だけではなく、
それを裏切らない攻撃能力ということらしい。
走り、話している最中にも、
次々と砲撃して航空機を落としていく夕羽。
本来、砲撃で航空機を落とすことは困難であるが、
夜戦形態であるため砲の仰角と装填の自由度は高く、
なおかつ連射できるゆえに夕羽は常識はずれの対空砲火を可能としていた。
そして水上の攻撃にも隙がない。
空中、水上を問わず次々に敵を屠るその姿は、
敵にとってはまさしく悪夢と呼べるものだろう。
「そろそろ行くっぽい?」
いよいよ飛行場姫も近くなり、
あとは夕羽を囮にして由良が飛行場姫と一対一の勝負をするまで
という距離に近づいていた。
「本当は私も一緒に行ければいいんだけど」
「ううん。大丈夫だよ。
それに、夕羽ちゃんには敵の足止めもお願いしたいし」
「そう。――じゃあ、きっと帰ってきてね」
「うん。じゃあ、「由良」、出撃します!」
飛行場機の艦載機の一波が押し寄せ、
それを夕羽が迎撃し攻撃の波が一度引くに合わせて、
由良は飛行場姫に一気に肉薄し甲板へと飛び乗った。
――強烈な虚数の冷気が由良を襲った。
敵に触れている足から、
呼吸してる喉と肺から、
あらゆる方向から、「変異」の圧力がかけられる。
「侵食」。
それは由良という存在を冒し、作り変えようとする作用。
想定を上回る「侵食」の圧力に自分の甘さを呪いつつ必死で抗う。
それと同時に、由良は甲板の向こう側にいる存在へと向き合う。
そこには、死者の気配があった。
そこには、純然たる虚数の気配があった。
死者を導く鬼火のように燿く瞳。
深すぎる憎悪と絶望に脱色された白骨のような白い肌。身体。
まさしく幽鬼のごとき赤と白の風貌を持つ「それ」は、
虚数の怨念の渦巻く中心から
おぞましいほどに愛らしい顔で由良を見つめていた。
(――ドウシテソコニイルノ?)
頭に響くように聞こえる声で問いかけてくる。
(アナタ、ワタシタチト、イッショ)
「――!?」
一緒とはどういうことか?
ありえない、と唾棄すべき言葉だったが、
なぜか咄嗟にその否定の言葉は出ず、
その間に「それ」は更に言葉を続けた。
(イッショ。
イルベキ場所ヲ否定シ、ノゾム場所ニイラレルヨウニナッタ。
――ドコニモイテ、
――ドコニモイナイ)
「……っ、ちが――!」
本当に?
――どこにもいて、どこにもいない。
それは正に自分のことで、
それは正に深海棲艦のことではないか。
「あなた達は……何なの?」
苦し紛れに問い返す。
しかし返される答えは、さらに由良を追い詰める。
(ワタシタチハ、世界カライナクナッタモノ。
イナクナッタケド、イル)
いなくなったのにいる。
歪な存在。
許されざる存在。
ならば、きっと自分と同じではないか?
――ああ、そうか。
この時、由良は漸くの思いで気付いた。
なぜ自分が、今の自分について思い悩むかを。
それは、自分が人の知る理に反する存在だからだ。
沈んだものは帰ってこない。
しかし帰ってくるのが深海棲艦であり、
由良も同じなのだ。
なぜ人は深海棲艦と戦うのか。
それは深海棲艦が人に仇なす存在だから、というだけではない。
深海棲艦は人の知る理に反するから、人は深海棲艦と戦うのだ。
そして艦娘は平和と理を守るために戦う。
しかし由良は守るべき理に矛盾している。
由良がこれまで思い悩んできた理由は、
自分という存在の矛盾に無意識に気付いていたからだったのだ。
「それでも私は……みんなの、提督さんのところにいたい。
――あなたたちのところではなくて!」
例え世界と理に矛盾していようと、
彼女たちに否定されるまでは、ここにいよう。
ここにいたい。
(――ソンナノ、許サナイワ)
その言葉は、絶対零度の響きを伴っていた。
海の底から、
アイアンボトムから響く、
昏き怨嗟の声。
(ワタシタチモ、イタイ場所ガアッタ。
デモ、ワタシタチハ世界ニ否定サレタ。
アナタダッテソウナレバイイ――)
「――いつかは、そうなるかもしれない」
由良は主砲を構える。
「いつか、報いを受けるのかもしれない。
いつかこの世界から「いなく」なる日が来るのかもしれない。
けれど――今はここにいる。
ここにいたい。
ここにいつづける。
そのために、あなた達を倒さなければならないの――!」
(アナタモ、シズメバイイノニ!)
飛行場姫の最後の直衛機が由良に迫ってくる。
降り注ぐ爆弾と機銃の嵐。
そして飛行場姫自身の対空砲と機銃が由良に降り注ぐ。
砲煙弾雨。
業火の中、呼吸することはかなわず、
肌は焼け、
耳は聾し、
爆風と衝撃で立つことすら難しい。
その中を由良は駈け出す。
「非在」の力を使って。
艦娘と深海棲艦が交戦という物理力のやりとりをする
複素数軸からより虚数側に自分の存在を移動させることで、
深海棲艦からの一切の攻撃を無効化することができる。
しかし一つ一つ攻撃を「避ける」ごとに、
一秒一秒「非在化」を続けるごとに、
由良は「艦娘」としての存在に立ち戻ることが難しくなる。
いなくなる――。
砲火は由良の肌を傷つけず、焼かない。
爆撃と砲撃の鉄火が踊る中、
由良は少しの熱さも感じないが、
それとは逆に自己の存在が虚数へと沈みゆく冷たさに晒されていた。
その冷たさは、死のように絶望的で、
しかし眠りのように解放的だった。
いっそこの安らぎに身を委ねたいという欲求が
一歩ごとに強くなる。
でも――まぶたを閉じた時、
そこにあるのは穏やかな闇ばかりではなく、
仲間たちと提督さんと過ごす、暖かな時間の光景だった。
だから、由良は駆ける。戦う。
絶望と虚数の深淵を飛び越え、彼女たちのところへ帰るために!
(シズメ――シズメ、シズメ、シズメェェェ!)
姫の呼び名に相応しい傾世の美貌を歪め、由良の滅びを叫ぶ飛行場姫。
距離は0.1km。
艦娘の強化された視力には、相手の赤い目元まではっきり見える。
その赤い目に由良は、泣きはらした少女の目を想起しつつも、
一切の容赦を捨てて由良は左に構えた主砲を突き付け、砲弾を放った。
(――!)
飛行場姫は由良の砲撃を、自らの艦載機を盾にすることで防いだ。
だが、由良は――夜戦に臨む艦娘は左右二機の主砲を構えている。
由良の行く手を阻み、あわよくば叩き潰そうと艦載機が甲板に堕ちてくる。
それらをよけつつ、由良は右の主砲を構える。
連撃砲撃。
夜戦の戦闘術の一つにして、
もっとも簡単で強力な砲術。
「――負けないから」
自分を否定するすべてに挑むようにそう呟きつつ放つ砲弾。
至近距離からの砲弾に飛行場姫の「本体」が叩き潰されると、
その巨大な船体は虚数の底に還り――
――悪夢の終焉りを告げるように、
――水平線から差し込んだ曙光が娘たちを照らした。