「あ……!」
ブリーフィングのあと会議室から出ようと、
ドアノブを掴もうとした由良の手が――すり抜けた。
バランスを崩す身体。
上半身のバネで引き戻すと、
後ろに来ていた北羅にぶつかった。
「おっと」
「あ……ごめんなさい」
振り返って北羅に謝る。
「ドア――出ないの?」
「う、うん。出るよ……」
もう一度ドアノブに伸ばした手は、
すり抜けることもなくそれを掴んだ。
「作戦――まだ時間あるよね?
少し、部屋に戻ってていいかな?」
廊下に出てから第九戦隊の少女たちにそう言うと、
皆、一様に怪訝そうな面持ちになった。
しかし、
「好きにすればー?」
由良に一番近かった北羅がそう言うと、
他の少女たちも興味を失ったように、
その場から去っていった。
「私は、北羅さんだけいればいいし、――ね、北羅さん?
早く行きましょう?
魚雷を見に行きましょう?」
由井が北羅に、背中から抱きつく。
抱きつかれた彼女は、何故か由井ではなく由良を見続けていた。
由良には興味が無いようなことを言ったわりに、矛盾した様子。
「……北羅さん?」
「――いなくなるときは先に行ってねー?」
そう言ってから、北羅は由井を引きずりながらいなくなった。
トラック泊地にある第九戦隊の娘たち部屋は個室であるため、
部屋にいけば完全に一人になれる。
自らの不調は今に始まったことではないのだが、
だからこそ今となっては誰にも頼りたくない由良は、
一人になるつもりで部屋のまで来た。
しかし部屋の近くまで来て気が変わった。
進路を変え、海の見えるテラスに上がった。
高く澄み渡る青空。
青の真中から降りそそぐ灼熱の日射。
砂浜は燃え尽きたように白い。
その先に広がる海は透明な燃料のようにまばゆく、
金剛石の如く燃える輝きをまとっている。
この一ヶ月ほぼ毎日、
飽きるほどに見てきた南国の景色。
ゆるやかに弧を描く水平線を見やる。
海抜の低い場所からでは、
水平線までの距離は5km程度であり、
四水戦の仲間たちとの距離とは比べるまでもない。
あの彼方が自分のいる場所だった。
そして今、自分が海を見ているここに、
自分がいるのだと、由良は認めたくない。
だが、認めなければ、
意識しなければ、
由良の身体は――希薄となる。
存在が揺らぎ続けている。
今この時も、
欄干を掴む手、腕は半透明になって、
欄干に触れているようで、触れていない。
第四水雷戦隊から第九戦隊に転属したばかりの頃は、
自分がいた場所のことを考えていても、
存在が薄くなることはなかった。
しかしここでの戦いで、
「非在」の力を何度も使うことで、
由良の存在は揺らぎやすくなった。
想定されていた副作用。
だが由良の戦いや心身の状態を観察し続けているだろう上層部は、
特段そのことに何も言わない。
今の由良はモルモットそのものであり、
いつ死んでも、消えてしまっても、構わないのだ。
死ぬ。
消える。
そうなりたいとは思わない。
仲間たちのところに戻れる日は多分、
来るとしてもずっと遠くの事だろうが、
早々に諦めてこの世界からいなくなるつもりはない。
それに、離れていても、
由良と仲間たちは同じ星の上、空の下、
何万海里だろうが、海でつながる場所にいるのだ。
絶望することなんて何もない。
だから由良は毎日、自分が「いなく」ならないようには
努力している。
もっとも効果的な方法は力を使わないことだが、
この南の海での戦いは筆舌に尽くしがたいほど厳しく、
由良が死なないためには皮肉なことに力を使わざる得ない。
力を使わなければ、由良はこの世界にいられなくなる。
力を使っても、世界における由良の存在は揺らいでしまう。
その二律背反が由良を苦しめる。
背反の狭間にこそ、
由良の存在は消滅してしまうように思える。
――負けるわけにはいかない。
ぐっと手に力を入れると、
半透明だった手に実体が戻って、
欄干をつかむことができた。
私は、ここにいる。
望まぬ場所だけど、ここもまた皆のいる世界だから、
ここから消えるわけにはいかない。
束ねられた長い髪を翻して、
由良は自分の船体のある船渠へと向かった。