――横須賀基地より通達します。
――深海棲艦の存在を確認しカルダノシステムが作動しました。
――鎮守府に所属する者は直ちに配置についてください。
――もし、海上自衛隊に関わりなくこの通達を聞いている方は、
――迅速に、最寄りの建物に避難してください。
――海上自衛隊の連絡先を知る場合は連絡してください。
――連絡がつかない場合も慌てず避難してください。
――繰り返します――
深海棲艦の艦載機の音を聞いた瞬間、
息苦しいまでの緊張を覚えた。
訓練された動作で身を低くし、
遮蔽物となる屋上の入り口に身を隠す。
艦載機の音は遠い。
恐る恐る見上げる頭上にその影はなく、
宇宙の彼方まで澄み渡るような、
硝子の空が広がるだけだった。
屋上のフェンスの向こうに、海が広がる。
遠くに見えていた海ではない。
手を伸ばせば届くような距離に、
水晶のような水面が広がっている。
街は沈んでいた。
いくつかの建物は水面から顔を出しているけれど、
それも薄氷に覆われたように、白く凍てついていた。
――虚海。
虚時空を航行する深海棲艦と「艦娘」の戦場。
逆を言えば、深海棲艦と「艦娘」、そして「提督」以外は
ここに存在せず、虚海の底に隔絶されているはずだった。
「だけど、どうして私、こんなところに……」
由良は艦娘「だった」。
しかし今は艦娘ではない。普通の娘だ。
もしや、「提督」としての能力に目覚めたというのだろうか?
現在100人ほどいる指揮能力者のうち、
2人ほど、そういう経歴の持ち主がいると聞いたことがあるが。
――とりあえず、隠れなきゃ。
自分が提督になったかどうかは、
今考えていても答えは出ない。
それよりも、ここは戦場になったのだから、
現時点で戦闘能力を持たない自分は隠れるしかない。
屋上の入り口の扉を開け、学校の中に入る。
少し階段を降りれば、虚海の水面下に潜る形になる。
そこは実時空をそっくり虚時空に持ち込んだ世界。
普通の学校や街並みがあるように見えるが、
それは文字通り虚像である。
虚像の世界。
由良以外に、誰もいない。
窓の外は暗く透き通った虚海。
――もう、戦闘は始まっているのだろうか。
玲奈は、みんなは、戦っているのだろうか。
そう思った時――見えた。
あるはずのない、水上偵察機を使うときの視点で。
沈む世界の俯瞰。
偵察するように巡回する駆逐艦級の深海棲艦。
それと遠くない位置を走る、大発動艇の姿。
乗っているのは――
「玲奈!」
なぜそれが見えたのか。
現実なのか?
白昼夢ではないのか?
しかし由良は、それを現実だと確信した。
階段を駆け上がり屋上に戻る。
フェンスを超え、
屋上の縁に立ち、虚海の水面に手をかざす。
虚海は泳いで渡れるものではない。
艦娘は水面に立つことができる。
しかし提督などは、大発動艇や航空機を使わなければならない。
自分は?
思い切って屋上から飛び出すと、
由良は、水面に立った。
立つことができた。
かつての自分ができたこと。
それより幾月が過ぎた今でも、
由良はかつての感覚のままに虚海に立つことができた。
――船体や艤装の展開はできないが。
それで戦えるの?
提督さんを守れるの?
わからない。
けれど、居ても立ってもいられない、と言えばいいのか。
未知の衝動が由良を突き動かす。
水面を蹴って走りだす。
はじめは時速10km程度。
船速で言えば5kt程度。
しかし徐々に身体が軽くなってくる。
人としては短距離で振り絞れる速さを出し続けても、
まったく疲労を感じないとわかってくる。
15kt。
もはや人を超えた速さ。
ところどころに背の高い建物が見えるが、
ほとんど遮蔽物のない鏡のような世界を駆け抜ける。
由良は爽快感を覚えつつも、
戸惑いと焦燥もまた感じていた。
――私はどこにいるの?
「提督さん!」
やがて玲奈の乗る大発動艇を見つけ、飛び乗る。
「え――由良!?」
甲板に立ち、前を向きながら通信係の妖精に話しかけていた玲奈は、
驚愕の色を露わに由良を凝視する。
「どうしてあなたがここに?
まさか、あなたも提督に?
――いいえ、でも虚海の水面を走るなんて」
「話は後です。
それよりも提督さ――いえ、玲奈。
索敵はできる?
駆逐艦級が近くにいるかもしれないわ」
「敵が?
――「阿武隈」、どうなの?」
『え、あ、うそ――、
提督さん、5時の方向に逃げて! 近い、近いよ!』
玲奈の確認に対し、
通信係の妖精が「阿武隈」の慌てた声を返した。
「この声は阿美……?
電探を使ってるの?」
「うん――でも、対空用の二一号だからねぇ。
一応艦載機は避けてきたんだけど、
水上は難しい」
玲奈は大発動艇を操作する妖精に命じて大発の進路を
左に取りつつ、水平線の彼方を見ている。
その顔は険しいが、しかし焦っている風でもない。
逆に由良のほうが、そんな彼女の様子に
焦りを禁じ得なかった。
「どうして単独で行動しているの?
こういうときは、艦娘の到着を待つものじゃないの?」
半ば責めるように由良は問うた。
玲奈は苦笑しながら答える。
「そうなんだけど、
まだ敵は近くまで来ていないのかと思うとじっとしていられなくて。
――少し、戦果を急いでしまったのかもね」
「戦果を?
そんな……それであなたにもしもの事があったら!」
「ごめん、由良。
でも私は――ここで力を証明しなければ、
みんなと一緒にいるのが難しくなると思ったんだ」
「でも、それは私のおごりなんだろうね。
こんな私が頑張っても……また誰かを失ってしまうかもしれない。
由良を失った時のように。
だったら私なんて――」
ふたりが乗る大発動艇から400mほど離れた場所に水柱が立ち、
その衝撃で玲奈の言葉は打ち切られた。
――遠くにあった建物の影から深海棲艦が姿を見せていた。