「やっほー」
抑揚の欠ける声が闇の中から聞こえた。
そしてその声を、阿美は知っていた。
艦娘の訓練時代に、依武と事故を起こしていた艦娘。
事故は依武の方に否が強かったが、
彼女は依武を責めるわけでもなく、へらへらと、
無感動な声で言っていた。
――まあ、こんなこともあるよね。どんまい。
そんな彼女の様子に、依武は逆に憤慨していた。
阿美は直接関わりなかったが、
端で見ていて、自分もまた落ち着かない気分になった。
彼女の名は――
「こちら、第九戦隊、旗艦の「北上」様だよー。
そっちは第四水雷戦隊でいいんだよね?」
「――こちら、第四水雷戦隊、
旗艦の「阿武隈」です」
闇の中から面積の少ない制服の少女が現れる。
「北上」――北羅。
そしてその隣にいる同じ服の艦娘は、
同型艦の「大井」の艦娘、由井か。
さらにその隣には青葉がいて、
知らない駆逐艦の艦娘と、――由良がいた。
「由良お姉ちゃん!」
闇の中で、由良の様子ははっきりと見えない。
だが、まるで今にも闇の海に溶けてしまそうなくらい、
弱く衰弱した彼女の気配を阿美は感じた。
「おっと――それ以上近づかないで」
思わず由良に飛びついて抱きつくために踏み出した阿美の足を、
北羅は一歩踏み出し腕を横に伸ばすことで制した。
たったそれだけの動作。
しかしそれだけで示される彼女の威圧感のようなものに、
阿美は確実に機先をくじかれ、
悔しさと抗いを込めて彼女は北羅を睨みつけた。
「おやおや。おっかない顔してるねえ」
「邪魔しないで」
「ふーん、どうして?
ねえ、どうしてそんなおっかない顔であたしを見るの?
どうしてここまで来たの?」
「由良お姉ちゃんを第四水雷戦隊に返してもらうためよ」
「返してもらう? それはどういうことですか?」
青葉が北羅の横に並んで阿美に問いかけた。
彼女は笑っている。何が楽しいのかわからないが、満面の笑みで。
北羅も笑っているが、彼女のそれは明らかな嘲笑だ。
しかし青葉のそれは北羅のそれとはまた異なるものであり、
阿美は不気味に感じた。
「……海幕からの通達が出ました。
第四水雷戦隊が第九戦隊の出す条件を満足させた時、
九戦から四水戦へ「由良」を戻すと」
「あー、そういえばそうだったね」
阿美の決意を前に、北羅はどこまでも気楽な様子で
隣に立つ艦娘たちを見る。
「条件か。何にしようか」
「ちょっと待ってください、北羅さん」由井が言う。
「私、そんなこと聞いていませんけど」
「言ってない。急だったし、どうでも良かったから。
それに、第一でも第二でもない水雷戦隊が
ここまで来れるとは思わなかったし」
「ちょっと! 馬鹿にしないで!」
確かに第一水雷戦隊は主力を護衛することを目的とした
重要な水雷戦隊であるし、
第二水雷戦隊は前衛の中でも急先鋒であることから
水雷戦隊の中でも最先鋭である。
それでも、自分たちと、由良のいる第四水雷戦隊が
それらに比べて劣るものだとは思われたくない。
「はいはい。
あなた達の力はわかりましたよー、っと。
――ふむ。そうか。力、ねぇ」
北羅は何か、良くないことを思いついたかのように、
歪んだ笑みで唇を曲げた。
彼女は由良に呼びかける。
「ねえ、あんたはどうしたい? 由良」
「……」
由良は直前の戦闘での「非在」の使用の反動を抑えこむのに
集中して会話には加わらなかった。
しかし彼女が今まで黙っていたのはそれだけが理由ではない。
本当はすぐにでも阿美や四水戦の仲間たちと抱き合い、
再会の喜びを分かち合いたかった。
だが、そんなことはこの南の海の戦場では許されない。
ここはそのように優しい場所ではないのだ。
そして、由良は北羅の思惑に気付いた。
だから、なおのこと由良は何も語らず、
四水戦を――追い返すしかなかった。
「私は、四水戦には戻らない。
だから――帰りなさい。阿美。みんなを連れて」
「嘘……どういうことなの!?
由良お姉ちゃん!」
裏切りられたかのような痛みが阿美の胸に刺さる。
違う。
由良お姉ちゃんはまだ本当の気持ちを口にしていない。
縋るように、信じて、呼びかける。
「一緒に帰ろう、由良お姉ちゃん?
私は、私たちは、由良お姉ちゃんを取り戻すためなら
何も恐くないんだから……!」
「やめて……やめなさい!
そんな気持ちではどうにもならないのよ!
私は、私たちは、あなた達とは違うのよ!」
違う?
何が違うの?
由良の叫んだ拒絶の言葉に、阿美の頭は凍りつき理解を拒む。
だが――
「そうそう。違うんだよ。
私たちと、あんたたちは。
だから、そうだね、
ここは優しい由良「お姉ちゃん」に免じて帰らせてあげるよ。
必要なら見送りもしてあげる。ここは危険だからね。
それとも――わからせてあげようか?」
ゆらり、と海面の下で揺らめく気配があった。
まるで巨鮫が泳いでいるかのような獰猛な気配。
その正体は、「北上」が装備する無数の酸素魚雷群だった。
「……!」
阿美もようやく理解した。
今まで北羅から感じていた威圧感は、本物であったと。
元は軽巡洋艦であったのに、誰よりも力を求め、雷撃を特化させ、
戦艦すらも容易く屠殺する重雷装巡洋艦に成り果てた彼女の脅威を。
「だから――なんだって言うのよ!」
しかし、阿美は歯向かった。
ただの軽巡洋艦と重雷装巡洋艦との戦力差は歴然としている。
だが、たかだか40発の魚雷だ。
そんなものを恐れるくらいなら、
はじめからトラックくんだりまでやってきたりしない。
「あんたも! 由良お姉ちゃんも!
元はあたしと同じ軽巡洋艦でしょ!
ちょっとあたしよりも先に行っているからって、
いつまで経っても馬鹿にされるのは我慢ならないわ!!」
「はは――言ったね!?」
身の程知らずなまでの覚悟を示す阿美の叫びを聞き、
北羅は身をよじるように笑った。
「いいよ――なら、戦おうよ。
力を見せてよ。あんたの――それと、由良。あんたの力も」
「私……!?」
「せっかくだからね。
今まで、ずっと興味あったんだ。
私たちの雷撃とも違う、
青葉の耐久とも違う、
風機の機動力とも違う、
本当の異能である「非在」の凄さを私自身の身で知りたかった」
北羅は戦いの前からその興奮に酔いしれていた。
恍惚として由井の腰を抱き寄せる。
突然のことに驚きつつも身を寄せる由井の身体を受け止めながら、
彼女は闘争というパーティを支配するホストのように高らかに
阿美と由良に告げる。
「こっちは私と由井、そっちはあんた――阿美と由良、
2対2の夜戦だ。
これに勝てば由良はそのまま連れ帰っていい。
だが負けるなら――「阿武隈」はここで沈め。いいね?」
「いいよ。やってやるわ!」