リ級は炎に包まれ、割れるようにして虚海へと沈んでいく。
その炎を突き抜けて、
狂犬のように口元を歪ませた駆逐艦の娘が踊り出た。
「さあ、素敵なパーティしましょ!」
レ級の「本体」もまた自らの船体が燃える炎に包まれながら、
なおも凄まじい気配をまとい、嗤いながら夕羽を待ち構えていた。
愉悦のような嗤い。
憤怒のような嗤い。
憎悪のような嗤い。
苦痛のような嗤い。
而してそれらを綯い交ぜにした「狂気」の嗤い。
感情と言うには強烈過ぎる、生々しい情動をもって
レ級は夕羽に嗤いかけるのだ。
「……うふ」
常人、艦娘であっても、並みの精神では
レ級の笑みを見た瞬間に気が狂うほどの恐慌を覚えただろう。
だが身を焼かれてもなお敵の喉笛に喰いつくことを覚えた彼女は、
まるで親愛の情を交わすかのように歪んだ笑みを返すのだった。
共に人の埒外へと到達した者共の声なき対話。
狂気が、満ちる。
見ている艦娘たちは、特に恋梅や白のような善良な娘は、
その恐ろしさに声も出なかった。
恐怖することを忘れた者達が放つ恐怖が、世界を凍りつかせる。
「……レ級」
少し離れたところで夕羽とレ級の対峙を見守る由良が
その深海棲艦の呼称をそっと口にする。
――存在するはずのない凶悪な深海棲艦。
あれはまるで自分たちのような「力」を持つ艦娘にも似ていると、
由良はこの一ヶ月の間に考えていた。
そしてそのような存在が現れるようになった原因もまた、
自分たちのような艦娘が存在することへの代償であると、
由良は思っていた。
――滅びの因果に抗うことへの代償。
かつて川内の艦娘が言っていた。
艦娘は過去に自分の船体が通った滅びの道を通ると。
死の宿命のようなものを負っていると。
由良はそれに抗った。
夕羽もまたそれに抗っているし、
第九戦隊の艦娘たちも過去に発揮できなかった能力を限界近くまで
引き出している。
それを自覚している由良にとってレ級深海棲艦は、
哄笑しながら断罪の鎌を突きつける死神だった。
けれども、由良はそれを受け入れるつもりもない。
異質な「力」を持ち、その有り様が艦娘から離れ
深海棲艦のようだったとしても、
それでもなおも戦い続ける理由を由良はすでに見出している。
大切なみんなと一緒にいたい。
大切なみんなを守りたい。
由良はそのために滅びの因果に抗う。
由良はそのためならば、傷ついた身体でもまだ戦える。
「……提督さん」
『どうしたの?』
「由良のいいところ、ちゃんと見ててね」
『……無茶はしないでね』
「大丈夫。みんなが、提督さんがいるから。
私はきっと帰れる。帰るよ」
先に動いたのはレ級だった。
(――ッ!)
リ級と同様に、火力にものを言わせた弾幕の先制攻撃。
リ級よりも大口径の砲撃の嵐は、
夜が割れるほどの衝撃となって夕羽を包囲する。
だが、圧倒的な水柱に惑わされず、
的確に、大胆に、夕羽は火線をかいくぐってレ級に肉薄する。
「ソロモンの悪夢、見せてあげる!」
夜戦にしても近すぎる超近距離で夕羽はまず2回の砲撃を放つ。
だがこの距離であっても砲弾はレ級の装甲を貫かず、
わずかに歪める程度。
駆逐艦の一二糎七砲で戦艦の装甲に挑むのは無謀というものだった。
レ級がそれを嘲笑うように砲撃を放ち、その水柱で夕羽の姿が隠れる。
再び夕羽の姿が見えた時、彼女の左右に主砲はなかった。
代わりに、彼女の頭上の空間が輝いていた。
歪むように。
割れるように。
まるで月蝕の月のように赤黒く、妖しく輝く空間の穴。
そこから3基3門の主砲が互いに押し合うように砲身を突き出した。
三重砲撃。
通常、夜戦形態で可能な砲撃回数は2基の主砲で1度ずつという
限界を超え、今ひと度の砲撃を行う夜戦砲撃術。
多くの場合、そのためには3基目の主砲を素早く
呼び出すという難易度の高い空間操作を行わなければならないが、
夕羽はなんと一度に3基の主砲を呼び出すという力技を行った。
地獄の三つ首の番犬が牙を殺到させるが如く現れた主砲。
それは、夕羽が持つ狂的な闘争心が可能とさせるのか。
「これが本当の悪夢っぽい……!」
全ての深海棲艦を上回るレ級深海棲艦を前に、
自らの更に悪夢だと宣言するような彼女の言葉。
その言葉と共に放たれる一撃は、
雷霆の如き砲声で闇を震わせ、
万鈞の重さで最凶の敵の装甲を食い破った。
レ級の船体が大きく傾ぎ始める。
(WWWWWWWWAAAA――!)
そのとき、レ級はまるで哄笑するような叫びを上げた。
恋梅が思わず耳を塞ぎ、白は押し殺した悲鳴をあげる。
嗤いながら沈むレ級の船体から、断末魔の如く艦載機が放たれた。
「夕羽ちゃん!」
阿美の叫び。
しかしさしもの夕羽も大技に疲弊したのか、
爆撃機を追い払う動きが鈍い。
阿美たちは夕羽を守るべく走りだす。
しかしその前に、今まで隠れていた6隻目の深海棲艦が現れる。
「――邪魔!」
相手はホ級だった。いつもなら容易く撃破できる相手だ。
だが、すでに夜戦形態での攻撃をしてしまった阿美たちは
主砲を放つことができず、たかがホ級相手に逃げまわるしかなかった。
その間にも夕羽に爆撃機が迫り、
ついに、夕羽が死に体となる軌道に入ってしまう。
「夕羽ちゃん――!!」
爆撃機が攻撃する瞬間は見えなかった。
爆弾が炸裂する音も聴こえなかった。
阿美たちの目の前で突如としてホ級が爆発し、
それによる爆炎と水柱で視覚と聴覚を奪われたからだ。
『……ま、所詮この程度ですか』
通信で連絡してくるのは由井。
彼女が遠距離から放った魚雷がホ級を屠ったのだった。
そして魚雷の爆発の残響が消えた時、そこには、
「――由良お姉ちゃん!」
傷ついた由良が、空に主砲を構えたまま佇んでいた。
彼女の姿は陽炎か蛍のように、
揺らぎながら淡い光を明滅させていた。
消滅しかけているのだ。
だが、
「……阿美」
彼女が阿美に、仲間たちに向ける笑みは力強かった。
「由良お姉ちゃん――!」
「由良さん!」
「由良さん!」
仲間たちに抱きつかれると、彼女の危うげな発光は収まった。
そこにはまだ、傷ついてもなお花のような麗しさを失わない
少女が存在し続けていた。
「由良さんが私をかばって、攻撃もしてくれたんだよ」
夕羽は海面から立ち上がりながら言った。
かばう、というよりも、由良は突き飛ばして夕羽を逃したのだった。
そして自分自身は攻撃を受けた。
だが「非在」の力を使う由良なら、一度の爆撃くらいは脅威ではない。
通常の状態ならば、だが。
「もう……由良お姉ちゃん、すぐ無茶するんだから」
疲弊した今の由良が「力」を使えば、
下手すれば今度こそ本当に「いなく」なってしまうかもしれない。
そういった感覚を阿美が完全に理解しているわけではないが、
それでも由良が危険を犯したということを、
阿美は知ってしまっていた。
「……ごめんね?」
「ごめんって、悪かったって思ってるの!?」
「えーと、ちょっとだけ。でも、ほら、私だけ見せ場がなかったし」
「……もう! 馬鹿じゃないの!?」
「あ、阿美ちゃん!?」
阿美は由良を突き飛ばして離れた。
彼女の態度に恋梅たちは驚きを見せたが、
しかし由良と阿美を見比べられ、仕方ないなあ、
という雰囲気が彼女たちに生まれた。
生まれてしまった。
――本当に反省したほうが良いのかな?
しかし、確かに若干余計に力を使ってしまったが、
由良は自分が必要な行動を取ったと思っている。
だから、彼女はそっぽを向いてしまった阿美に抱きつき、
謝るでもなく、別の言葉を告げるのであった。
「ね、阿美」
「……なに?」
「ただいま」
「――うん。おかえりなさい。由良お姉ちゃん」
それをきっかけに、ニ駆の娘たちが、
提督も通信で「おかえり」を告げた。
いつしか暁に染まり始めていた水平線を見ながら、
由良は自分が帰ってきたという思いを噛み締めた。