シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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『紅蓮共同戦線』

 

 

 

 ──コンゴウ集落の近くには、『コンゴウの里山』って名前がつけられたゆるやかな山道があるの。

 

 そこではムシヨケソウやピーピーグサ、ケムリイモがたくさんとれるんだ。()()が良いとキングリーフが生えていて、それを持って帰ると大人たちにいっぱい喜んでもらえるの。

 

 里山はマスキッパやサイホーンたちのナワバリだけど、もし襲われちゃったとしても、集落と里山をみそなはす『舞台の戦場』からクイーン・ドレディアがやってきて、いつでもあたしたちを守ってくれる。

 

 だから、こどもだけでも平気──ずっと、そうだった。

 

 

「は、っは、はぁ、っ……! うあっ!?」

 

 

 でこぼこの地面に躓いて前のめりに転ぶ。

 ひざに走る痛み、すりむいたところがカッと熱くなる。

 ごうごう吹く風にめちゃくちゃになるかみのけを押さえてふりかえると、コンゴウ団を守ってくれるはずのドレディアが、するどい目つきであたしを見下ろしていた。

 

 やわらかな緑色の体が、あざやかなお花のかんむりが、ぴかぴかと、きらきらと、太陽みたいな金色に光ってる。

 ドレディアが、くんっと両手を上げる。くるくる回って、たんっと跳ねて、里山の地面に足から降りる。

 

 ふみしめられた地面から緑の風が吹き荒れた。

 周りの重たいサイホーンだって吹き飛ばしちゃうような強い風にあたしの体がかんたんに浮く。

 イシツブテみたいに転がって、ひざの傷がもっとこすれる。

 口に入った泥を吐き出す。指先は真っ黒で、泥だらけになっちゃった服が重たかった。

 

 コンゴウ団はドレディアが守ってくれる。でも、こどもはおとなと一緒じゃないと集落からはなれちゃいけない。けどあたしはドレディアを信じてるから、ひとりでだって平気。

 

 ずっとそうだった。

 ずっと、そうだったのに。

 

 

「やだ、やだあ……セキ兄ちゃん……!」

 

 

 ひざが熱い。

 てのひらが痛い。

 顔が熱い。

 目が痛い。

 

 もうどこが痛いのか熱いのかも分かんなくて、ドレディアのつんざくような鳴き声がこわくて、あたしはその場でちぢこまった。

 にげなきゃいけないけど、ぐわんぐわんに周りが揺れてるからどっちが集落なのかも分かんなかった。セキ兄ちゃんの言うこと聞かなかったせいだって、心のなかで何度も何度もあやまった。

 

 ドレディアが片足を高く上げる。

 くるん、かるん、かろやかに。

 かるん、くるん、なめらかに。

 いつも見ていたはずのおどりが、こんなにも、今はこわくって。

 飛び跳ねたドレディアが落ちてくるのを、ぼんやり見上げるしかなかったとき──

 

 

 しゃん、って。きれいな音がしたの。

 

 

「きゃっ……!?」

 

 

 ドンッと地面に突きささった岩が、ドレディアの風をさえぎった。あたしの左右でごうこうとうなる風が小石を巻き上げる。

 まるでどこからか切り取って持ってきたような黒茶色の岩。その後ろに、あたしの前に、その子たちは立っていた。

 

 白い服がひらひらと風に乗っている。

 ひとりはあざやかなウスベニのかんざしを二本さした、うす緑の髪の女の子。

 ひとりは色を反対にしたみたい。うす緑の袴をはいて、低い位置でふたつに結んだ白い髪がすじ雲のように靡いていた。

 

 

 

 

 

「お願い、空に触れる者(キルリア)!」

 

 

 

 

 

 ──荒ぶ舞姫によって岩の盾が蹴破られる。

 せっかく苦労してテレポートさせたというのに、湿地の女王には関係ないらしい。

 

 仕方ないのでその瞬間に、ワタシは自身のサイコパワーを増幅させて空間そのものを歪ませた。

 こちらとの距離を誤認させる。

 周囲の座標を混濁させる。

 空間の神のお目溢しをいただいて、女王以外に誰もいない、楽園の景色を描画する。

 

 神使の末裔を相手にいつまでこの幻惑を保てるかは分からない。幾度か地を踏み鳴らされたら解けてしまうと思う。

 

 

「アナタは今のうちに。そちらの長に、シサイをお伝えください」

 

 

 ワタシの背後で倒れていたヒトの幼子を諭すシンオウの仔、クレドクィアは震える手を差し伸べて立ち上がらせると、その頬にべたりと付着した泥を軽く拭い去る。

 幼子は呆然として立ち竦んでいた。さっさと行きなさいと苛立ちはするが、獣であるワタシが急かしても逆効果だろう。

 

 空間の捻れから虚像を取り出す。

 虚像は弾かれたように、坂の向こう、彼女の群れが住む集落へと走り始めた。

 直感的に、それが(しるべ)だと理解したのだろう。幼子は“未来の自分”を追って坂を駆け下る。

 ワタシからある程度離れると虚像は消えるが、その頃には群れと合流できているはずだ。

 

 シンオウの仔はその背を見送るとワタシに感謝の詞を奉る。

 女王の凶行を予知したワタシにその阻止を嘆願した彼女は、どうやら自分でも無茶を言っている自覚があったらしい。

 

 でもね、気にしないで。

 いえ、少しは気にしてほしいけれど、アナタだけが無茶を宣ったと思わないで。

 

 

 ──幻惑が揺らぐ。

 ──女王が悲鳴と共に地を踏み鳴らす。

 ──掛かる負荷に脳が軋んで喉奥から苦悶が漏れる。

 

 

 ワタシだってきもちは同じ。

 彼女の狂騒は見るに堪えない。

 英雄に救われるその時まで、彼女の御足は穢させない。

 種は違えど、身分は違えど、「舞姫」として女王を守りたいのはワタシも同じ。

 だってトモダチなのだもの。彼女がまだチュリネで、ワタシがまだラルトスだったあの頃から。

 

 

 ──黄金の燐光が振り撒かれる。

 ──お目溢しはここまで。

 ──ワタシの幻惑は振り解かれて、現実が眼に映し出された。

 

 

 だから安心しなさい、シンオウの仔。ワタシたちの揺り籠の裔。

 (かみ)に誓って、アナタの身も(ねがい)も守ってみせるから。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「テル! おかえりなさい!」

 

 

 コトブキムラに戻ってきたおれを、一足先にムラに帰っていたショウ先輩の笑顔が出迎えた。

 大きく手を振る姿に数日間の疲労が癒される。

 その隣から凄い形相のツイリさんが歩いてきて、ウォロさんの胸ぐらを引っ掴むとそのまま商会の荷車まで引きずっていった。

 今の何?

 

 

「ウォロさんはちょっと行方不明扱いだったんですよ」

 

「えっなんで」

 

「紅蓮の湿地からいつまでも帰ってこないし連絡も無い、と昨日ツイリさんが。『湿地にはテルが居るはずなので、何かあっても大丈夫です!』と励ましておきました」

 

「ショウ先輩……!」

 

 

 なんという信頼。実際何かはありまくったしその報告をするために引き上げてきたので正しい。

 あの野盗三姉妹は何なのか聞き出さなければならないし、ガチグマの顛末と新しい問題も話さなければならない。

 

 

「先輩もお疲れ様です。今回は……どうでした?」

 

「うーん……それが、今回も空振りで。中々上手くいかないものですね……」

 

 

 最近のショウ先輩は警備隊と合同で『時空の歪み』についての調査に集中しており、同じ調査班で行動する機会が減っている。

 

 時空の歪み──それは、ヒスイの各地で稀に発生する怪奇現象……とでも言うのだろうか。

 最近になって生じるようになったもので、なんでも昼間にも関わらず日蝕の様に太陽が隠れ、大嵐が巻き起こり、その中で一定時間とても強いポケモンが闊歩するらしい。

 発生する条件も日時も何もかもが謎なので、調査班を組んでみたはいいが狙い通りの成果はあげられていないのが現状なのだとか。

 落ち込む先輩を励ましつつ、数日ぶりに本部のドアをくぐる。

 

 

「あ、テルか!? 丁度良い、今すぐ団長室に向かえ!」

 

「ハイ!? え、了解です! じゃショウ先輩、また」

 

 

 挨拶して階段を駆け上がる。

 一体何が丁度良いのか。シマボシ団長への報告が後回しになってしまうが、まあそれはラベン博士辺りの誰かがやってくれるはず。

 

 階段を登り切って団長室に飛び込むと、そこは今にも凶器が持ち出されそうな、殺気立った物々しい雰囲気で満ちていた。

 険しい顔の団長とムベさん。

 それに、苦い面持ちのセキさんが顔を突き合わせている。

 

 

「………………えっと……?」

 

「テル。ガチグマの件を報告せよ」

 

 

 ふたりについては今はいい、と言わんばかりに団長がおれに報告を促す。

 まさかこの空気で仲良くお茶でもしていた訳ではないだろうから、緊張に舌先が強ばった。

 

 

「はい。……おれがガチグマ様の闘争心をポケモン勝負で発散させ、シンジュ団のユウガオさんが投薬したことで、ガチグマ様を落ち着かせることには成功しました」

 

 

 僅かな安堵が誰かから零れる。

 しかし空気は和まない。ガチグマ様の件だけがこの状態を作り出しているのではないようだった。

 

 

「けど、この件はキング・バサギリと同じケースではありません。ガチグマ様は推定ドレディアの花粉を浴びたことで、一時的に闘気を煽られていただけでした」

 

「……っ……」

 

「……その。紅蓮の湿地のキングは、コンゴウ団を守っているのは……クイーン・ドレディアなんですよね」

 

 

 ぐしゃりと髪を握って、セキさんは心底思いつめたような、悲愴感すら感じる顔で目を落とす。

 その双肩にのしかかった荷に背を伸ばして、「そうだ。」と小さく頷いた。

 

 

「……クイーン・ドレディアが荒ぶっていたと、コンゴウ団の子供から証言が出た。世話役のヒナツが、オレにも隠していやがった……!」

 

「うーわー…………」

 

 

 つまりシンジュ団がお世話しているガチグマ様が荒ぶった原因は、コンゴウ団がお世話しているクイーン・ドレディアということ。かつ、世話役のヒナツさんはそれを分かっていて黙していたことになる。

 そりゃあセキさんもこんな顔をする。

 宣戦布告に等しい凶行だもの。

 

 

「テルよ。ふたつの団が争いかねない今、お前はどう動くつもりでいる?」

 

「……。おれ!?」

 

 

 団長から問われて返答に困る。

 この一触即発の事態への対応をコンゴウ団のリーダーがいる場でギンガ団員のおれが明言するのは難しくないか。おれが万が一シンジュ派だったらどうするんですか。おれは団長に忠誠を誓っているのでそんなことはありませんが……ああ、なるほど。

 

 団長はおれの口から、ギンガ団の方針を告げさせようとしているんだ。

 任せて団長、おれやるよ。

 

 

「その……まず、おれは。シンオウさまに会ったことがあります」

 

「なっ……!?」

 

「何だと!?」

 

 

 “時間の神ディアルガが……怒っているのか悲しんでいるのか……ただわたしには、お前を待っているように見える。”

 

 

「荒び、苦しみ、心を喪ったシンオウさまに、手持ちのポケモンたちと挑んだことがあります」

 

 

 “ディアルガと向き合うのだ! そして心の声を聴け! その思いを確かめろ。”

 

 

()()()()()()。シンオウさまも、キング・バサギリも、クイーン・ドレディアも。苦しんでいるなら助けます、何かを求めているなら応えます。人間同士の争いには、首突っ込んでる場合じゃありません」

 

 

 ギンガ団はポケモンの調査が本分であり、コンゴウとシンジュの諍いにはノータッチ。おそらく団長の方針はこれのはず。どうですか団長。

 生唾を飲み込んで部屋を見渡す。

 団長の目を見つめ返す。

 長い沈黙が事態を見下ろす。

 それに耐えきれなくなって、おれはなんとか笑みを浮かべながら話を進展させる案を出した。

 

 

「えっと、まずはヒナツさんの捜索を進めませんか。本人に話を聴かないままじゃあ何も始まりませんよね」

 

「う、うむ。しかしコトブキムラにいないとなると一体どこへ……」

 

「! それなら良い手があるぜ。せっかくガチグマが鎮まったんだ、ヒナツの匂いを辿ってもらおうや!」

 

 

 ああでこうでと話が再開する。

 ヒナツさん本人よりも、ムベさんの店でたらふく食べたイモモチの匂いの方が色濃く残っているかもしれないらしい。

 ガチグマ様もアヤシシ様と同じくおれを背に乗せてくださるそうなので、早速『紅蓮の湿地』で人探しを依頼した。

 

 

「あ。」

 

 

 ──野盗三姉妹のこと訊くの、忘れた……。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 その少年は深く澄んだ眼差しで、力強く断言した。

 

 ──シンオウさまに会ったことがある。

 

 どちらの、とは言わなかった。キングたちが荒ぶる原因なのかも明かさず、しかしキングたちと同じく荒ぶっていたと。

 にわかには信じがたい言葉だ。今でも完全に受け入れた訳ではない。

 だが、しかし。

 

 

 夜霧のキング場でクイーンと対峙するその勇姿が、何よりも雄弁に説得力を醸していた。

 

 

 巨木の戦場の話は聞き及んでいる。巨木を上手いこと盾にして身一つで挑んだと。

 だが舞台の戦場は話が違う。

 クイーン・ドレディアの舞踊を拝謁するために設けられた戦場に、遮蔽物などひとつとして存在しない。

 

 

「……ヒナツ。しっかり見ろよ」

 

「見てるよリーダー……見てる、けど……」

 

 

 ヒナツもオレも眼前の戦闘から目を離せなかった。

 マグマラシの焔が妖艶に燃え盛り、風に乗ったドレディアの花粉が月明かりを受けて燐光を放つ。

 

 

「教えた通りにやってみろ! “あなをほる”!」

 

 

 跳躍したマグマラシが地面の下に消える。戦場にぼこりと空いた穴へと潜り姿を晦ましたのだ。

 対し、ドレディアは知らぬとばかりにテル目掛けて脚を振り下ろす。テルは極限まで引き付けてから体を倒して横に飛び退き、刹那にシズメダマを投擲した。

 香るシズメダマにくらりと動きが止まったところを、地下からマグマラシが突き上げる。顎下から攻撃を食らったドレディアの体が宙を舞う。

 

 

「マグマラシ!」

 

 

 ドレディアが姿勢を立て直すより早く、テルはマグマラシに向かって何かを投げた。

 掌に収まるかどうかという大きさの一枚の板。マグマラシはそれを受け取って毛皮にしまい込むと、再度地下に潜み込む。

 

 悲鳴と共にクイーンが歩武(ステップ)を踏んだ。

 普段の歌う様な美しい声とは異なる悲痛な叫びに心の臓が縮み上がる。泣きそうな顔で震えるヒナツの背に、手を添えてやるのが精一杯だった。

 

 跳び上がったドレディアが落下を始める。

 足先は轟ッと風を裂き、女王に触れずして木の葉が微塵に散ったのが見えた。

 そんな風刃を前にテルは一歩たりともしりぞかない。渾天を宿した眼にクイーンを映しながら己の(とも)の名を謳い上げる。

 

 ──金色に劣らぬほど眩く、戦場の地下から白光が迸った。

 

 追随して地を裂くマグマラシ。彼はその体躯に丁子の光を纏い、風刃を正面から打ち払う。

 衝突した刹那に色濃く燃え上がった背中の炎炎。

 火柱が戦場に打ち立てられる。

 金色が炎光に呑み込まれる。

 

 風の巡りが女王を襲った火の衣を剥がす中、テルは今一度シズメダマを握りしめ、いっとう大きく振りかぶった。

 

 

「なあリーダー。あいつは、何なんだ……?」

 

 

 少年が何を叫んだのか、オレの両の耳は拾わなかった。

 それでもその音は祝詞の如く、調べの如く、戦場の空に高く響き入る。

 体勢を崩して膝立ちになったドレディアへ、雲間より漏れた光明に似た細き白光が迸る。

 最後のシズメダマを受けたドレディアの金色が、爆ぜるように燐光と化した。

 

 金色が天に帰る中、理性の灯りを取り戻したドレディアが淑やかに佇む。その姫君然とした立ち姿は、まさしくコンゴウ団を守護なさるクイーンそのもの。

 彼女から緑色の板を授かった少年のかんばせにあどけない笑みが戻って、オレたちはようやく張り詰めていた肩の力が抜けたのだった。

 

 

 

 

 

「ありがとな。ドレディアだけじゃなく、ヒナツも救ってくれてよ」

 

「こちらこそ。シズメダマ沢山作ってもらって助かりました」

 

 

 マグマラシもお疲れさま、と彼は相棒の頭をわしゃわしゃ撫でる。ふれあいにしては真剣な眼差しから、どうやらそれは花粉が付着していないかを確かめるための行程なのだと理解した。

 

 ──ヒナツはドレディアが荒ぶっているのを隠していたが、それはオレが頼りなかったからだ。

 ひとりで解決しようと抱え込んで、身の振り方を間違えた。

 

 ドレディアが危うくコンゴウ団の子供をひとり殺しかけて事態が明るみになった時。

 オレは再びシンジュと団をあげて争うことになるのなら、全ての責を引き受けてこの腹を掻っ捌こうとさえ考えもした。

 

 だがそれでどうなる。

 

 ドレディアもガチグマも、オレの命を以て鎮まるとは思えない。残された者の中に新しい怨恨を生み落とすだけの愚行に等しい。移ろい行く日時計の影に祈り捧げど、シンオウさまは何も仰らない。

 情けなさと歯痒さで身を掻き毟りながら訪ねたコトブキムラのギンガ団本部。

 そこに、綺羅星がやってきた。

 

 

 それからはもうトントン拍子。

 彼はガチグマの力を借りて広い湿地の中からヒナツを見つけ出し、事態の真相を聞き出した。オレが気付いてやれなかった胸中を、事も無げに独白させた。

 そうしてヒナツが作ったシズメダマを舞台の戦場に運び込むと、荒ぶるドレディアをポケモン勝負を交えて鎮めてみせた。

 時は金なり、善は急げ──その言葉の意味を真に体現するかの様に、夜明けを待たずして湿地の異変は収束したのだった。

 

 

「……これが、シンオウさまを見たことのある男の力ってわけかい」

 

 

 畏怖と憧憬が入り交じり、小さな声となって零れ落ちた。

 最悪の事態すら頭を過ぎる艱難辛苦。

 絡み合った問題の糸を前にして、少年は吹き抜ける風の如く、あまりにも容易そうに解決の一手を指してしまう。最初からこうしていれば簡単なことだった、などと錯覚する程に。

 

 それはやはり──シンオウさまを見たことの無いオレと、立ち向かった彼との、決定的な違いなのだろう。

 

 

「あの……リーダー。ユウガオさん。テル。今回のこと……本当に、ごめんなさい」

 

 

 頭を下げたヒナツに対しテルは軽く動揺し、ユウガオさんは静かに頷く。

 オレはリーダーとして掛けてやらなければいけない言葉が沢山あったのだが、それより先にユウガオさんが口を開いた。

 

 

「自分がお世話しているポケモンは、自分がどうにかしないといけない……そう背負い込んでいたのでしょう? 分かりますよ、わしも同じでした。そこのテルに頭を殴られて目が覚めたの」

 

「えっとんでもない冤罪が発生してる。喩えですよね?」

 

「怯えなくていいの、ヒナツ。あなたひとりではドレディアをどうにも出来ず、わしひとりではガチグマをどうにも出来なかった。……人はね、“ひとり”では何も出来ないのよ」

 

 

 その言葉が不意に、オレの胸の底にも落ちてきた。

 人はひとりでは何も出来ない。

 だからこうして集まり、寄り合い、皆で助け合って生きていくのだと──幼少の頃、オレの頭を撫でたのは誰だったか。

 

 

「“すべての いのちは べつの いのちと であい なにかを うみだす”……何かを成すには自分とは別の誰かが必要という、ズイの遺跡に刻まれた言葉。きっとシンオウさまの教えだわ」

 

「それは……シンジュ団が信じるシンオウさまの、教え……?」

 

 

 ヒナツの問い掛けに、ユウガオさんは何も答えずただ静かに微笑んで目を伏せた。その意図を察したヒナツもまた、それ以上の言葉は紡がずただ胸元に手を当てる。

 

 困難とは頑なに独りで抱え込み、解決に苦心するものではない。どれだけ果敢に立ち向かったところで独りの力など限られており、結局はどこかで破綻する。

 何かを成すには誰かを頼り、他者と悩み、皆で挑むしかないのだ。

 “古代の英雄”が、単身ではなく十のポケモンと共に在ったように。

 

 

「……。……っ、ごめんな、ドレディ──おわっ!?」

 

「ヒナツ!?」

 

 

 意を決してドレディアへと振り向いたヒナツに、クイーンは一足飛びに間合いを詰めた。咄嗟に飛び出さんとしたオレをテルが素早く制す。

 確固たる笑みを浮かべる少年から視線を外し、ヒナツとクイーンを見やれば──彼女たちは、晴れた星空の袂で、舞台の上で、手を取り合って舞っていた。

 

 

「ド、ドレディア? 勘弁してよ、あたし踊りなんて……。……え、ええ? こう? こうでいいの? こうか……?」

 

 

 お世辞にも上手いとは言えず、背は丸まり手足も縮こまった内向的なものだったが──あまりにも楽しげにドレディアが手を取り続けるものだから、ヒナツは少しずつ四肢の振りを大きくつけ始めた。

 

 

「……こう? これか? もっと? な、なんだよもう……えへへ」

 

 

 次第に。

 頬が緩んで、指先が和らいで、ドレディアの動きをなぞるように、ヒナツの体は伸びやかにしなり出す。

 挫いた方の足に負担が掛からぬように寄り添いながらも、その気遣いをヒナツ当人に悟らせない。

 舞い踊るドレディアの深い慈愛に、彼女の貴く尊い血筋を改めて実感する。

 

 

「今回の件、カイにはコンゴウ団とギンガ団に助けられたと伝えておきますよ」

 

「ユウガオさん……。恩に着る」

 

「楽しい一日でしたもの。これくらいはね」

 

 

 それではね、と彼女は階段をゆっくり下りていった。

 オレはというと、もうしばらく……もうしばらく、この美しい光景を目に焼き付けたくて顔を上げる。

 

 

「セキさん」

 

「ん?」

 

「関係無いですよ」

 

 

 月下に連れ立つふたりの舞姫を見つめたまま、不意にテルはそう告げた。

 それは誰に拾われることもなく転がったかと思っていた、彼に対する妬みにも似た憧れへの返答だった。

 

 

「おれも、ポケモンがいないとなんにも出来ないんですから」

 

「……そうかい。」

 

 

 ユウガオさんが去り、ヒナツがドレディアとの世界に浸っている今だからこそ、彼はひそやかに声を掛けてきた。

 童のような顔立ちに似合わぬ心づけに調子が狂う。

 少年と呼ぶには大人びた、青年と呼ぶにはあどけない彼は、その決して長くはなかっただろう生の道のりに、どれほどの経験を重ね続けたのだろう。

 どれほど濃い時間を送り、シンオウさまと対峙したのだろう。

 

 

 男の旅路の一端を垣間見た今、“時空の裂け目から落ちてきた旅人”という肩書きを抜きにして語り合いたくなった。

 ただひとりの男としての彼を知りたいと、秘かに心が燻り出したのだ。

 

 月の下で舞うヒナツの晴れやかな笑顔と、鈴を転がしたようなドレディアの笑い声。

 そこにはもう悲鳴も、痛ましさも無かった。

 

 ただ穏やかに、華やかに、互いを許し合う人とポケモンがいるだけだった。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「ただいまぁ」

 

 

 庵の戸を開けて、空に触れる者(キルリア)に連れられた(カンナギ)が帰ってきた。

 霧の遺跡で御霊の安らぎを祈っていたにしては随分と波乱な体験を得たらしく、賢者が朝に整えてやった髪は少々乱れている。

 

 

「コンゴウの子を守ったか」

 

「……ダメだった?」

 

 

 不安げに微笑む(カンナギ)に賢者は首を横に振った。

 命と尊厳を守るためにポケモンの力を借りてダメなはずはない。それがたとえコンゴウ団を守ることに繋がろうとも、その行いは絶対に正しいと賢者は頷いてやれる。

 

 

「少し前まで極端に人見知りだったというのに。子供の成長は早いものじゃ」

 

「そ、それは夢中だったからです。逃げてって言うだけでもすっごくキンチョウしたので、まだ他人はにがて……です」

 

 

 (カンナギ)の言葉は卑下ではなく純然たる事実だったので、キルリアは同意に頷いた。

 あの場できちんと言葉を紡げたのはキルリアという見守り役がいたからだろう。まだまだ苦手意識の克服には程遠い。

 

 

「……無理をしてまで、他人を受け入れる必要は無いぞ?」

 

 

 他者を敵と見做し攻撃するのならともかく、“必要以上に関わらない”という選択は咎められないものだ。

 現に賢者は湿地の霧に隠れたこの里で悠久の時を過ごす道を選んだが、その選択に罰を下す者はいない。

 

 

「ううん。()()()()()()()()

 

 

 その提案を、(カンナギ)は笑って断った。

 

 

「怒ってはいけない、悲しんではならない、あらゆるものを友とせよ──ウォロが教えてくれた、カミナギの民の心がけです」

 

 

 ──古くから伝わるその教えは尊く、それ故に人の感性では難しい。難しいからこそ教えとして、戒めとして、理想として永きに伝わり続けたとも言える。

 キルリアは僅かに顔を顰めたが、(カンナギ)がその教えを全うせんと強く願う以上、自身が挟める口など無い。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()。人見知りくらい、ぱぱーっとコクフクしてみせます!」

 

 

 (カンナギ)はどこまでも敬虔な音を奏でて破顔し、賢者はほんの少し苦い顔で「そうか」と頷く。

 (カンナギ)の望みを叶えるために己を矯正していく幼体の同胞に、掛けてやれる言葉はそれだけだった。

 

 

「……心奥(シンオウ)よ、心あらば教えて(たも)れ」

 

 

 怒ってはいけない。

 悲しんではならない。

 

 ──ならば何故御身は、怒りと悲しみさえ伝え広めて神奥(シンオウ)の空を飛んだのですか。

 

 

 

 




キルリア(♀)
 冷静な性格で考え事が多い。荒ぶるドレディアを霧の遺跡で目撃し、クレィアからコンゴウ団の子供を助けてほしいと乞われたため断れなかったお姉さん。子供が無事逃げ切ってから“テレポート”でクレィアと共に退避してる。

マグマラシ(♂)
 “あなをほる”はDPだとわざマシンで覚える。“えんまく”と同じくテルに教わって修得したけど、地中にいると戦況が確認できないから正直イマイチ。
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