シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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黒曜頂上決戦
転職先のギンガ団に忠誠を誓うまで


 

 

 

 その日は何をしていたのか、おれはもう覚えてもいなかった。

 各地のきのみ畑を巡回していたかもしれないし、バトルタワーに入り浸っていたかもしれない。家でゆっくり休んでいたかもしれないし、テンガン山で鍛えていたかもしれない。

 

 ──いや、多分家でゆっくりしていたんだと思う。

 

 このラフすぎる服装はそうとしか形容できない。二重の窓ガラスに守られた熱の中でのんびりとしていたに違いないのだ。

 そんなおれが──

 

 

「草の匂いがする………………」

 

 

 何故、見知らぬ畳の上に布団を敷いて慣れない感触の布団に包まれているのだろう。

 

 まあ、砂浜で寝転がるよりはまだマシだ。ガラル語で呼び起こされたあの砂浜の感触は今でも思い出せる。なんであんなところで倒れていたのか本当に意味が分からない。あのまま潮が満ちていたら死んでいた。

 何度目かの寝返りを打つ。囲炉裏が暗闇の中に鎮座している。

 ゆっくりと息をすれば、澄み冷えた北の大地の空気が肺を満たし出す。これだけは変わらない。おれの知るシンオウ地方(・・・・・・)の空気だ。

 

 

「……」

 

 

 目を瞑ればシンオウ地方で育てた手持ちポケモンが瞼の裏に浮かび上がる。旅をしている間は六体に集中して育成していたけれど、バトルタワーに通い始めてからは多種多様なポケモンを育てるようになった。同じ種族を型違いで複数育てるのは当たり前だった。

 

 ──今は、その一体だって傍にいない。

 

 それが存外ときつい。精神がめきょめきょと音を立てて萎びていく。最早習慣のように枕元のスマホに手を伸ばす。

 主張の強いとげとげのフォルムチェンジを遂げたそれの電源を入れれば、画面の中心に表示されるメッセージ。

 

 “すべてのポケモンとであえ”

 

 ……そういえば、シンオウ図鑑は完成させたけど、全国図鑑は未完成だったなぁ。

 インターネットにも繋がらなければ電話帳すら開けない、そもこちら側の操作をまるで受け付けない端末の電源を落とす。

 孤独に寝付けないと嘆く心を宥めながら、おれは深く布団を被り、遠雷に耳を傾けつつ無理矢理にでも意識をシャットダウンさせた。

 

 

 

 *

 

 

 

 夢だったんじゃないか。

 そんな期待を裏切られたおれに降り注ぐ朝のひざしが眩しい。

 素泊まりした長屋の戸を開けて外に出れば、丁度知ってる顔が迎えにやってきた。

 

 

「おはようございます、テル」

 

「お、おはようございます。ショウさん」

 

 

 小柄な体躯に凛然とした面立ちの少女を“ショウ”と呼ぶのは、一瞬だけど躊躇ってしまう。違う名前で呼びそうになるのを堪えて『ギンガ団本部』に向かえば、ばたばたと慌ただしく物々しい雰囲気に包まれていた。

「しっかりしてください!」「鎮痛剤急いで!」「もしもし、聞こえますか!」──そんな声が張り上げられる。

 

 

「何かあったんですか……?」

 

「ええまあ、先程警備隊の隊員がひとり運び込まれました。野生のポケモン……それも群れに襲われてはひとたまりもありません」

 

 

 ああ、と思い出すのはシンジ湖での出来事だ。

 ジュンとふたりしてムックルに襲われて、勝手に忘れ物の鞄からポケモンを出して戦わせた思い出。多分、ジュンがいなかったらおれにあの判断は出来なかっただろう。

 

 ──え、おれ今手持ちいないんだけど。

 

 ひゅ、と血の気が引く。ポケモンといることが当たり前になりすぎたおれにとってシンジ湖の一件は当時よりも心細い。手持ちもいなければジュンもいないのだ。今からでもいい、ちょっとサファリゾーン行かせてほしい。

 現実逃避から引き戻されるように案内された先では、眉間を寄せた美人の隊長さんが大量の書類と向き合っていた。

 

 

「入団試験について説明する」

 

 

 簡素に述べられた試験内容は、ビッパとムックルとコリンクを捕獲する──以上だ。

 別に何もシンオウ中を回って強者に認められてこいだとか、時の歪みを戻せとか、そういうものではない。

 単に、201番道路によく出るポケモンを捕まえる。それだけらしい。

 それだけならまあ、ポケモンを一体貰えれば簡単か。

 

 

「そんな、一度に三種類も捕獲するなんて……!」

 

「ラベン博士の言っていたことが正しいのなら容易いはずだ。ギンガ団には青年ひとりを養う余裕など無い。キミが役に立つ人間だと、皆に知らしめる必要がある」

 

「あ、はい。それは大丈夫です。出来るんで」

 

「テル!? 正気ですか!?」

 

 

 やるって言っただけでこの言われようである。

 だって無茶でもなんでもない。この世界では困難なこともおれにとっては慣れたこと。そのアドバンテージを活かせばなんとか生きていけるよう立ち回れる。無理難題ではなくむしろ追い風。素早さも二倍。

 

 

「ただ、流石におれもひとりでは厳しいです。なんで、ポケモンを一体連れていかせてください」

 

「許可する」

 

 

 昨夜は単身で成し遂げたが、あれはおれ自身も死に物狂いだったと言うか、サファリゾーンの記憶を頼りにしたと言うか。試験と言うなら万全を期したい。何よりムックルという種族に単身で挑むのはもう懲り懲りなんだ。

 貸与された調査隊員用のポーチをウエストに取り付け、ショウさんからの珍妙なものを見る視線に晒されつつ部屋を後にする。

 最後に一瞬だけ振り返って視界に収めた隊長さんは、やっぱりアカギとよく似ていた。

 

 

 

 

「はいテルくん、昨日キミが捕まえてくれた三体です! 試験に連れて行く相棒をこの中から選ぶのです!」

 

「ヒノアラシでお願いします! ヒノアラシが良いです!!」

 

「お、OKOKですよ」

 

 

 二重窓すら無い長屋で一夜を明かして分かったことがある。

 炎タイプがいないとおそらくおれは死ぬ。

 シンオウを旅する時も炎タイプの確保は死活問題で、炎タイプがいない時に野宿の選択肢はどうしても取れなかった。

 

 こうしてボールから出たヒノアラシは、背中から火をボンッと噴き出して軽い鳴き声を上げる。うん、昨日ぶり。今日からうちの子になるんだよ。

 

 捕獲用のモンスターボールも恵んでもらい、試験の舞台となる『黒曜の原野』についてショウさんから軽く説明を受けながら、コトブキムラの門に向かう。昨日と同じ冷えた視線も肩に載せたヒノアラシのぬくもりがあれば気にならなかった。

 いやぁ炎タイプ、本当にぬくいな。

 

 

 

 *

 

 

 

 コトブキムラの近郊に広がる雄大な草原と森林──それを指して、『黒曜の原野』。草原では体躯の小さなポケモンたちが闊歩しており、比較的安全なエリアとされている。

 試験前の緊張を和らげようとしているのか、ショウさんはあえて前向きな言葉を選んで話してくれた。それでも先程の警備隊員を思い出して少し言い淀む辺り、とても素直で言葉を飾り慣れていない人なんだと思う。

 

 ショウさんに和んでいる内に到着した門前。門番と話していた長身の男性がこちらを向いた。

 

 

 ──その感覚を憶えている。

 

 ──朝の陽光を反射する金紗の髪。

 ──黄と青の帽子のつばの下、薄く落ちた影の中で白金の如き光を灯す銀の瞳。

 

 

 “元気にしてた?”

 

 

 ──おそらくは一秒にも満たない時間。

 ──自分が見上げ、彼が見下ろす瞬間。

 ──その感覚を、おれは。

 

 ──たとえ今際の際であろうと、思い出さずにはいられないだろう。

 

 

「奇天烈な身なり、ポケモンをまるで恐れぬ距離! アナタ、“空から落ちてきた人”でお間違いありませんね? ウワサは聴いていますよ!」

 

「ああ……みたいですね……。空から落ちた記憶は全く無いんですけど……」

 

「ポケモンを連れ歩くなど大変素晴らしい胆力です! それにこの不思議なお召し物も興味を唆られます! 綿でも絹でもありませんよね? この柄の染め方は? 丈の取り方も独特ですね!」

 

 

 上から下まで視線があちこち行ったり来たり、饒舌に喋り倒すその人の勢いに圧倒される。

 ショウさんは「相変わらずですね……」と慣れたように苦笑した。

 

 

「おっと失敬、ジブンはウォロと言います。コトブキムラに出入りするイチョウ商会の者です! ギンガ団の皆さんとも仲良くさせてもらっているんですよ」

 

「ウォロさんですね、覚えました。おれはテルです」

 

「テルさん! ジブンも覚えましたよ! 早速ですがそちらのヒノアラシをジブンのポケモンと戦わせてみませんか?」

 

「えっ!? あ、あなた達……ポケモンを戦わせるんですか……!?」

 

 

 ショウさんの慌てた声を受けて、ウォロさんはまた流暢に言葉を紡いだ。

 好奇心と結びついた商人の性についてはおれも分からないけれど、ポケモンを戦わせる──ポケモン勝負の提案に、自身の口角が上がってしまう。

 

 

「いけるクチですか、ウォロさん」

 

「ええ。ポケモンが秘めている力、ポケモンに宿る強さを互いに引き出し合う……きっととても面白いです!」

 

「いけるクチですね! やりましょう!」

 

「テル!? 待ってください、試験前にそんな危ないことをしては……」

 

「大丈夫ですショウさん! ポケモン勝負は何も危なくないんで!」

 

 

 行くぞ、と肩を上げればヒノアラシが意気揚々と門前に降り立った。ウォロさんは木製のボールを放り投げ、タマゴの殻のようなポケモン──トゲピーを繰り出した。

 それだけで眼前は土色のバトルフィールドに変貌する。ウォロさんが獰猛な笑みを隠せないように、きっとおれも同じような顔をしているのだろう。

 

 

「ヒノアラシ、まずは好きに戦ってみろ!」

 

 

 まだこっちはヒノアラシがどんな性格かも知らないのだ。顔つきからして血の気が多いタチではないと思う。

 

 

「おや、では先手は貰いますよ。トゲピー!」

 

 

 トゲピーの覚える技といえば“なきごえ”、“あまえる”、“ゆびをふる”辺りが基礎。自力で覚える攻撃技は“げんしのちから”だから、多分“ゆびをふる”が最も警戒して然るべき──なのだが、トゲピーは元気良くヒノアラシに向かって走り出す。どうやら“たいあたり”が使える個体のようだ。覚える技も、おれの知るポケモンたちとは大幅に変わっているらしい。

 

 可愛さ全開で向かってくるトゲピーの“たいあたり”を、ヒノアラシは地を踏み込んで一気に加速して避け切った。空振らせて背後を取り、小さな炎を口から発射する。

 

 

「右です、走り抜けて!」

 

 

 “ひのこ”の軌道を見切ったウォロさんの指示通り、トゲピーはスピードを落とさず右方に進路を切り替える。だかヒノアラシも逃すまいと“ひのこ”を連発し続けた。ウォロさんによる刹那の見切りとトゲピー自身のすばしっこい動きでヒノアラシを翻弄するコンビに思わず感心の声を上げてしまう。

 それでもひとつ、またひとつと“ひのこ”を連発して追い縋る中、トゲピーが急に振り向き真っ直ぐ走ってくる。好機──そう捉えたのだろう。ヒノアラシは照準を合わせて“ひのこ”を吐き出した。

 

 

「“ようせいのかぜ”!」

 

 

 ──吐き出した炎が桃と青の旋風に巻き込まれて掻き消える。紅を巻き取った妖風がそのままヒノアラシに殺到する。軽い体躯が数歩後ろまで吹き飛ばされた。ダメージこそ少ないが足は確実に取られただろう、追撃の“たいあたり”は避け切れずに直撃した。

 もう一度、とウォロさんが指示を飛ばせば至近距離でトゲピーが手を振り上げる。桃と青、二色の風がつむじを巻きヒノアラシに再度襲い掛かった。

 

 なんで“でんこうせっか”で避けないんだと思いもしたがすぐに合点がいく。体に纏わり付いた“ようせいのかぜ”で動きが鈍らされているから、加速が足りなくて逃げ切れないんだ。

 ……とりあえずヒノアラシがやれることは大体分かったので、口を出そうと思う。

 

 

「ヒノアラシ! 煙吐けるか!?」

 

 

 そう問うたところ、ヒノアラシは少し戸惑いながらも思い切って黒い煙を周囲に放出した。自然の中だと逆に目立つからだろうか。“えんまく”の発想が無かったかのように、ヒノアラシ自身が驚きの声をあげる。

 黒煙が目に染みたのかトゲピーの泣き声が響く。涙で洗い流されたら効果が切れてしまう、その前に──

 

 

「今の内だ、“でんこうせっか”で風を振り切れ!」

 

 

 今なおヒノアラシの体を包む桃と青の二重螺旋を振り払うべく、彼は煙幕の中を駆け回る。おれからも姿は見えないが、よく目を凝らせば煙がふわ、ふわと揺れる瞬間が確認できた。

 

 

「振り切れたら──くらわせてやれ、“でんこうせっか”!」

 

 

 煙幕もだいぶ霧散して、互いの輪郭が薄ぼんやりと見え始めた頃。ヒノアラシは自由になった足で再び地を踏みしめ一気に加速する。

 

 

「トゲピー、正面から来ますよ! 迎撃用意!」

 

 

 ぎゅっと目は瞑ったまま、トゲピーは構えて走り出した。視界を確保せず、トレーナーの文言だけを信じて技を繰り出すというベイビィポケモンらしからぬ胆力に内心で舌を巻いた。

 おれは敢えて進路を変えさせず、真正面から突っ込むよう命じる。土埃を巻き上げながら激突した両者──ああ、これ。この瞬間が堪らないんだ。

 

 絡んで搦めてぶつかる瞬間。

 時に勇ましく時に賢しらに、存在の粋を投げつけ合うかの如き高揚感。

 そこに欺瞞など存在しない。

 あるのはどちらが強いのかという真実と事実と現実のみ。

 何よりも純度の高い宝石が生まれる刹那。

 この瞬間が楽しくて病みつきになるから──トレーナーはやめられない!

 

 “たいあたり”と“でんこうせっか”が雌雄を決する。

 ボッ、と小さな発火音が一拍遅れて零れ落ちる。

 ゼロ距離で放たれた“ひのこ”に殻を焦がされ、堪らず数歩後退したトゲピーはそのままころんと倒れ込んだ。

 

 

「決着、ですね」

 

 

 達成感に満ちた笑顔を浮かべながらヒノアラシがおれの元に駆けてくる。可愛すぎるので両手で抱き上げた。

 ウォロさんはトゲピーの汚れを手拭いで拭き取ってあげると、薬を塗り込んでから木製のボールに戻す。

 

 

「お、お二人とも! 無事ですか、無事なんですか?」

 

 

 ショウさんは心配そうな顔でおれ達の顔を交互に見比べた。無事ではある。何も危険は無かったし、周囲への被害も出していない。それ以上に、そう。きっと今、おれ達の心はひとつのはず。

 

 

「…………()っ…………まら(ごく)楽しかった……!!」

 

「はい?」

 

「ええ、ええ! ポケモンを競わせるのはやはり面白いです!」

 

「はい!?」

 

「いや凄かったですねトゲピーの反応速度! 素早さの能力自体は低いのに何ですかあのすばしっこさ!」

 

「お褒めに預かり光栄です! テルさんこそお見事でしたよ。動きを鈍らせる“ようせいのかぜ”を“でんこうせっか”で相殺とは!」

 

 

 記憶が真新しい内に感想戦に雪崩込む。

 バトルタワーでは一戦終わればすぐ相手が交代してしまうからこうして話し合える時間は無かった。何度もアンケートに答えて改善を要望していた点だ。勝負の後は感想戦をやりたい、と。

 

 

「いやあ思ったよりも楽しめました! ポケモンを連れている人間はあまりいないですから……」

 

「じゃあ今後もちょくちょく戦いませんか?」

 

「それはなんとも嬉しいお話ですね! そうと決まれば小耳に挟んだ入団試験、応援していますよ!」

 

 

 ウォロさんは応援と称してキズぐすりをくれると、ぺこりと会釈してムラの通りを歩いて行った。

 おれは昨日いちにち味わえなかったポケモン勝負の楽しさを全身に染み渡らせる。“オーバーヒート”も“りゅうせいぐん”も使わなかったけど、勝負の楽しさは技威力に依存するものでもない。分かり切ったことだけど再確認できて良かった。

 

 

「………テルは……変な人ですね……」

 

「ショウさん!?」

 

 

 扱いに困り果てる後輩を見る目をしたショウさんの呟きに、門番さんが腕を組みながらうんうんと頷いていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 程よく拓けた視界を吹き抜ける風が心地良い。

 原野を僅かに俯瞰してみせるこの眼前の坂こそが『大志坂』と呼ばれる一帯であり、入団試験の三体が出現する場所なのだそうだ。

 

 

「まずはあそこにいるビッパを捕まえましょう。ビッパは穏やかな気性のポケモンなので、簡単ですね」

 

「ウス。ヒノアラシ、行けるか?」

 

 

 ボールに呼びかければ一度、小さくも確かに球が揺れた。ビッパと戦うなんて随分と久し振りで懐かしさがこみ上げてくる。最近だともっぱらビーダルと戦っていた記憶の方が色濃い。

 

 

「待ってください。戦って捕まえるのですか?」

 

「え、はい」

 

 

 訝しげなジト目で見つめられ、おれは不思議がって首を傾げた。ショウさんはショウさんで、おれの肯定を受けて更に眉をひそめる。

 

 

 “ポイントはとにかくポケモンの体力をへらすことだよ”

 

 “元気なポケモンは捕まえるのが難しいから”

 

 

「先程も言ったようにビッパは穏やかなポケモンです。よっぽど刺激しなければ襲ってはきません。わざわざ戦わずともよいのですよ?」

 

 

 ──なんて、おれが教わった常識とは正反対のことを言うものだから、ぱちぱちと目を瞬かせてしまった。

 確かに初手でクイックボールを投げることはあるけども、基本的にボールは戦って疲れさせてから投げるもので……。

 

 

「ポケモンって弱らせた方が捕まえやすいから、みんな戦って捕まえるんじゃないんです……か?」

 

「それはそうですが戦わずして捕まえられるに越したことはありませんよ! モンスターボールよりキズぐすりの方が貴重なんですから!」

 

 

 雷に打たれたような衝撃が背に走る。

 確かにポケモンとの戦いで疲れたり傷ついたりしたらごく普通にポケモンセンターに行っていたが、コトブキムラにそのポケモンセンターは存在しない。

 傷や体力の回復はもっぱら薬頼り。そしてコトブキムラの雰囲気的に、その薬はポケモンより人間に回したいだろう。

 

 

「……す、スミマセン……!!」

 

「いえ、分かってくれたならいいんです。戦闘はあくまで最後の手段ですからね……」

 

 

 そうと分かればヒノアラシにはボールの中でしばらく待機してもらおう。

 おれはぽてぽてと坂道をのぼって近づいてくるビッパにすすすっと近づいた。

 前歯の長さ良し。この辺りには木も岩も沢山ある。手入れには困らないだろう。

 小首を傾げておれを見上げるビッパの顔に警戒の色はまるで無い。可愛い。でも特性たんじゅんのビーダルに“ドわすれ”や“かげぶんしん”を瞬く間に複数回使われた記憶が脳の底でがたがたと暴れている。

 一度お空を見上げて騒がしい脳内を整理し、まだ足元をうろつくビッパにモンスターボールを押し当てた。

 

 

「次はムックルですね。あの子達は怖がりなのかすぐ逃げ出すので、見つからないよう注意です」

 

「出たな宿敵……」

 

「テル?」

 

 

 ムックル──おれのトレーナー人生はそのポケモンを切っ掛けに始まったのだ。好敵はジュンで間違いないが宿敵といえばムックル。これは揺るがない。

 あの時と同じくおれは草むらに入った。

 生命力逞しい草はしゃがむと体をすっぽり覆い隠してくれる。

 草の隙間からムックルの様子を垣間見れば、こちらに気付かずのんきに背を向けていた。

 のでそっとボールを投げる。途中、草を巻き込んでしまいガサッとそれなりの音を立ててしまったが──ムックルが飛び立つより先に、ボールが機能を発動させた。

 

 

「では最後のコリンクなのですが、コリンクはコリンクで少々厄介なことが──」

 

 

 刹那、視界の奥で空色が稲妻を羽織った。

 同時に全身の産毛が逆立つ。スローモーションでショウさんに突っ込んでくるコリンクの体躯。テンガン山で落石──今まさに落ちてきている最中の──の下敷きになりかけた時にも、こんな見え方をしたんだった。

 

 

「ショウさん!」

 

 

 だからおれは咄嗟に彼女の手を掴んで、自分と位置を入れ替えた。

 雷の弾が地を駆け抜ける。

 同時に膝から下を一瞬で疾る激痛と衝撃に、体幹は敗北を喫して数歩後ろに吹っ飛ばされた。

 

 

「テル!?」

 

 

 情けないことにコリンクを受け止めるなんて選択肢は接触と共に爆散した。視界が思いっ切り揺れている。脚に走った稲妻の火傷がびりびりと痛みを訴えている。

 生脚でよかった。下手にズボン履いてたら皮膚にくっついてそれはそれで大変なことになっていた。

 

 

「ってぇ〜……………ヒノアラシ!!」

 

 

 麻痺して動きがぎこちない指を無理矢理曲げて掴んだボールを投げる。

 ヒノアラシは一度だけ心配そうにこちらを見たが、この状況で優先すべきは敵の無力化だと賢明に判断しコリンクと向き合った。

 再度雷撃を纏うより先に“ひのこ”を放つ。構えの隙を突かれて直撃したコリンクの顔が二重に顰められる。──火傷!

 

 

「良いぞヒノアラシ!」

 

「テル、肩を!」

 

「あっどうもありがとうございます」

 

 

 僥倖だ。火傷したポケモンはそこを庇ってどうしても踏み込みが浅くなり、物理技の威力ががくっと落ちる。じわじわと時間経過で体力が減るのも良い。ただそれはつまり捕獲までにリミットが出来たってことなので、悠長にはしていられなくなった。

 手加減、いや火加減した“ひのこ”が再度浴びせられ、コリンクはいよいよ足元が覚束なくなる。その瞬間を狙って、おれは僅かな痺れが残る腕を振り抜いた。

 

 

「やべ」

 

 

 その僅かな痺れが指先の感覚を狂わせる。離すタイミングがずれたことでボールの軌道が変化する。コリンクよりだいぶ前に落ちると予想されたが──

 

 すんでのところでヒノアラシがボールを弾く。

 修正を加えられたモンスターボールは直線でコリンクにぶつかって、跳ねたと同時に標的を捕らえた。

 いちど、ぐわんとボールが揺れる。

 念の為ふたつめのボールに手を掛けたが、それが使われることは無く、三体目の捕獲が無事に成功した。

 

 

「よく頑張ったなヒノアラシ〜! お前がMVPだよ!」

 

 

 そう声を掛けてやると、ヒノアラシはやや照れながらおれの元に戻ってくる。ボールの機能を理解して、あの土壇場でサポートまで出来たのだ。賢さコンテストで優勝を掻っ攫えること間違いなし。そうなると美しさと逞しさも伸ばしていきたい。将来バクフーンになれば全く問題無いだろう。

 さてショウさんは大丈夫だったろうか。隣に顔を向ければ、彼女は先程よりもややきついジト目でこちらを注視していた。多分ハードマウンテンから帰ってきたおれを見るヒカリの目と大体同じ。

 つまりキレてる。

 

 

「テル、あなたは試験中の身。あたしは正規の調査隊員の身です」

 

「ハイ……」

 

「あたしには回避の極意も叩き込まれています。正面から、一体だけの攻撃なら、避けるのは難しくありません」

 

「ウス……」

 

「テルの善意は否定しませんが、受け身も取れないのに誰かを守ろうとしないでください。今回は怪我で済んでも次は死にます」

 

「仰る通りでございます……」

 

 

 コリンクだからよかったものの、レントラーだと即死も見える。ルクシオでも死が見える。

 おれが飛び出せたのはこの痛みを知らなかったからだ。次があったら足が竦むに違いない。というか、試験って負傷したらどうなるんだろう。

 ショウさんに肩を貸してもらいながら、近くの手頃な岩に腰を下ろす。ポーチからキズぐすりを取り出したショウさんの動きがそこでぴたりと停止した。

 

 

「……テル」

 

「はい?」

 

「傷、が」

 

 

 震える指で指された自身の脚を恐る恐る見下ろす。確実に広がっているであろう惨状を見るのは少し勇気がいるものだ。

 ──けれど、そこに傷はほぼ無かった。

 ほんの少し薄皮がめくれた程度で、火傷痕も無ければ出血も確認されていない。骨が折れているような痛みも無ければ腫れてもおらず、触ってみても熱すら無い。逆に怖い。

 

 

「……わぁ……」

 

「あの、一応訊きますが普段からこうという訳では……」

 

「ないですないです今おれもビビってます」

 

「で、ですよね。面妖な……」

 

 

 そろりと岩から下りて立ってみてもやはり違和感すら無く、むしろ怪我があったことの方が夢や幻だったのではないか──なんてふたりして口走る。

 互いに不思議がりながら、奇妙な沈黙が幾秒か流れたあと、自然とその結論に到達した。

 

 

「ちょっと……詳細をおれが理解できるまではご内密に……」

 

「……分かりました。ふたりだけの秘密、ですね」

 

 

 よっぽどおれが不安な顔をしていたのだろう。ショウさんはにこりと笑い、人差し指を口元に当てて悪戯っ子のように小首を傾げる。

 おれは多大な負荷が掛かったみたいに軋んだ心臓をぎっと握り締めた。

 

 

 

 *

 

 

 

 ラベン博士に勧められて記念写真を撮ったのち、コトブキムラのギンガ団本部に戻ってシマボシさんに合否を仰いだところ、思っていたよりも祝福された。

 

 貸与したポーチはそのまま貰え、おれのサイズぴったりの制服も貰え、昨晩泊まった宿舎も引き続き使うよう言われ、モンスターボールのレシピも貰え、お小遣いも貰え──あんまりにも貰ってばっかりなので途中から何か口を挟もうとしたけれど、「期待とは確かな形で示さなければならない」と言い放たれて完敗。

 

 そして何より使い慣れたお気に入りの物と似た意匠の赤色帽子を与えられた瞬間、おれの中の何かがぶづっと切れてしまって、シマボシさんとショウさんの前で涙腺を決壊させる醜態を晒したのは墓場まで持っていく秘密である。

 制服の袖で顔を拭い、ギンガ団の団長が待つという三階への階段を登る。

 

 ──ギンガ団。

 

 その名前に思うところが無い訳ではない。今までずっと流していたけれど、どうしてもやっぱり浮かんでしまう。

 宇宙エネルギー開発企業の顔をしたテロリスト集団。

 かつてシンオウでおれと何度も相対した組織の名前。

 リッシ湖を爆破し、テンガン山内部登山道の壁画を破壊し、赤い鎖でディアルガを操らんとした無法者。

 ……今のところ、ショウさん達に妙な動向は感じられない。第一印象こそアカギに似ていたシマボシさんは見ての通り色々してくれる善人で、ショウさんもラベン博士もものすごいお人好しだ。

 名前が同じだけの別組織。

 そう結論づける直前、おれはそのひとの顔を見て息を呑んだ。

 

 

「ギンガ団団長、デンボクである。──お前がテルだな」

 

 

 どっしりと構えた大木の如き風体。

 面立ちは険しく、加えて雄々しく、よく知らない相手には怖そうな印象をいだかれ、よく知る相手には頼もしさをいだかせる。

 例えばそう。今のおれ。

 

 

「っはい! よろしくおねがいします!」

 

「うむ、礼儀は知っているようだな。裂け目から落ちてきたこと、試験で三体ものポケモンを捕まえたこと、全て話は聞いている。その上で……どれ程のものか、確かめさせてもらうぞ。立ち会えい!」

 

 

 両の手を広げ、彼は大きく構えを取った。

 こういう時にやることと言ったらポケモン勝負だったから一瞬呆気に取られはしたものの、おれは全力で、ぐちゃぐちゃの感情をそのままぶつけるように立ち向かった。

 そして綺麗に投げ飛ばされた。

 人って放物線を描くんですね。

 

 

「ふむ、血気盛んで勢いがある。相撲はまだまだ、しかし見どころのある奴よ」

 

「ありがとうございます!」

 

 

 ひっくり返った体勢から天地を取り戻して立ち上がる。上手い人に投げられた時は痛みをあんまり感じない、というのはよくある話だがどうやらそれは本当らしい。

 

 

「テルよ。空から落ちてきたお前を不気味だと思う者もいるだろう。災いを招くものと考える迷信深い者もいるやもしれぬ」

 

 

 居住まいを正し、団長の厳かな声に耳を傾ける。空から落ちた記憶は相変わらず無いけど、コトブキムラの人たちから見ておれが異質なのは流石に分かる。

 歴史番組で見たような家や建物からして、この世界はきっと遠い過去のシンオウ地方だ。昔の人がおれを見て不気味がるのはまあ仕方ない。おれだって今のおれみたいな奴が現れたら変だと思う。

 

 

「だが入団試験に合格した以上、コトブキムラの仲間として受けいれよう。ギンガ団の仕事に忠勤し、『ポケモン図鑑』を完成させよ!」

 

 

 “このポケモン図鑑を託すから、君はシンオウ地方にいる全てのポケモンを見てくれい!”

 

 

 褪せることの無い色彩が色鮮やかに蘇る。ポケモンと出逢い、テレビの向こうの人に存在を認められたあの日。旅の始まり。美しく愛おしい九月の末。

 気づけば「ギンガ団」の名前に躓く心は消えていた。これは無理だ。疑念を持ち続けるのは無理だ。もう信頼しかない。だってあの人と瓜二つの声で、あの人と同じ使命を言い渡すんだから。

 

 

「……はい。はいっ! おれ、ギンガ団のために精一杯働きます!」

 

 

 そうしておれは、ギンガ団のゼロボシ調査隊員となった。

 目指すは十段階先のマンテンボシ。そしてポケモン図鑑の二度目の完成。

 正直状況は全くもってゆるくないけれど、頑張ろうなヒノアラシ!

 

 

 

 




○登場ポケモン
ヒノアラシ(♂)
 おっとりした性格でのんびりするのが好き。テルが送り込まれるのをアルセウスから通達されたので他の二体共々迎えに行った。“えんまく”はDPtならLv4で覚えられる。

トゲピー(♀)
 ひかえめな性格だが主人に似て好奇心が強い。そのためタイプ不利にも臆さず突っ込んでいくガッツを持つ。でもベイビィポケモンなので泣くときは泣く。
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