シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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 思想が強い回です。(本章3回目)
 時空の歪み発生回は後書きがどうしても長くなりますね。


悲しむな、??が近づいてくるぞ。

 

 

 

 何故ショウ先輩のいないタイミングで起こるのか。

 やるせない気持ちに口角をひくつかせながら、粘り玉に纏わりつかれて疲弊したサンダースにボールを投げた。

 

 コトブキムラと同じ紫黒の檻。顔ぶれも異なるが皆して混乱と敵意に満ちているのはやはり共通。サンダースやサマヨール、ブーバーにドラピオンと今回も中々に洒落にならないメンバーが揃っている。

 

 何より──何より立地が良くない。

 

 今回の『時空の歪み』が顕現したのはよりによってシンオウ建築が立ち並ぶ『カミナギ寺院跡』。

 少しの衝撃もこれ以上加えたくない場所で、電撃を走らせ火炎を放ち毒液を散らして暴れられるのは率直に言って最悪だ。

 

 

「とにかく! とっにかく遺跡の保護を最優先な!!」

 

 

 自分たちではなく石灰石たちをハピナスの“ひかりのかべ”で包み込む。

 ドレディアが“ねむりごな”をほぼ無差別に振り撒いて一体でも多く動きを鈍らせる。

 バクフーンの“じんつうりき”で縛り上げる方法が効かない悪タイプのドラピオンは、ギャラドスが直接尾で搦め捕った。

 レントラーは透視を用いて死角を潰しながら歪みの中を駆け回り、マニューラは唯一サンダースと並走して小刻みにダメージを与え弱らせる。

 オオニューラ様も手伝ってくれるのが有り難い。ノボリさんの言った通り、“でんこうせっか”で加速しながら“フェイタルクロー”で様々な状態異常を付与する通り魔スタイルだ。こうして見るとマニューラの面影はあるな。

 

 そしておれは粘り玉や虫食いぼんぐりを投げ付けて相手の集中を断つ。

 特に粘り玉は良い。

 泥団子と砕いた虫食いぼんぐりを良い感じにタマゼンマイで包んで投擲することで、着弾と共にゼンマイが弾けてねっばねばの泥団子が全身にまとわりつく。振り払おうとすればするほど体に吸い付き気力を奪う優れ物。

 

 そして疲弊させたところにボールをぶん投げれば大抵は捕獲成功となる。背後からの不意打ちが失敗した時のプランとして用意した戦術が次々と戦果を挙げていき、「見ていますかテッカンさん!」と内心胸を張った。

 

 

「──ハピナス!?」

 

 

 その次の瞬間、無敵の守りを誇るピンクの体が宙に吹っ飛んだ。パルキア像に叩き付けられる寸前、彼女は自身が展開した“ひかりのかべ”で受け身を取り地に降り立つ。

 一気に体力を持って行かれたらしく速やかに“タマゴうみ”で立て直した。その険しい視線の先にいたのは深い青の頭蓋を持つ黒の巨体。

 

 一億年前からのご来賓、圧倒的攻撃力を誇る絶滅ポケモン──ラムパルド!

 

 

「ギャラドスそこから“みずのはどう”!」

 

 

 締め付けていたドラピオンが唐突に消え、手が空いたギャラドスが身を翻して大口から水流を発射した。

 威力重視なら当然“ハイドロポンプ”や“アクアテール”だが、避けられたら困るし岩タイプに飛行タイプを近寄らせたくない。

 故に遠距離から必中の狙撃。水流の弾丸は遮蔽物を難なく躱してラムパルドの背を叩き打った。

 

 ラムパルドはその突出した攻撃力に反して耐久性はそうでもない。ハピナスをふっ飛ばしたであろう“もろはのずつき”は反動も大きく、“みずのはどう”の追い撃ちをくらった彼は堪らず地に倒れ込む。捕獲するならここ、距離を取りつつ試せるジェットボールを向かわせた。

 

 二時の方向では仕留める寸前でサンダースに逃げられたマニューラがその鬱憤をぶつける様に次に出現したニンフィアへ“こおりのつぶて”を浴びせ掛ける。

 リボンを振り抜き払い除けんとしたニンフィアだったが瞬発力はマニューラが上だ。振り抜いた時点でマニューラは地を跳躍し、ニンフィアの頭上を跳び越え頸を狙って二度目の氷礫を射出した。

 

 そのたった数秒の攻防を繰り広げる間にもポケモンたちは出現する。

 数を増したエテボースが木々を掴んで飛び回り、ドラピオンがドレディアを狙って牙を剥き出しに襲い掛かり、ラムパルドに続いてトリデプスまでもが地に降り立ち咆哮を轟かせた。

 

 もういっそひのたまプレート持たせてオバヒで一掃しようかな──全部が面倒くさくなった人みたいにヤケになり掛けたおれを、運ってやつは都合よく咎めに来る。

 

 ディアルガ像の台座の前。

 血と土で汚れた金紗の髪の若い女性が、ぴくりとも動かない小さな子供を守るように抱き抱えて、紫黒の檻で怯えていた。

 

 

「……──ごめんバクフーン“オーバーヒート”キャンセルで!!」

 

 

 その異常事態──いや『時空の歪み』は既に充分異常事態なんだけど──に慌てて女性の傍に駆け寄る。

 バクフーンは“オーバーヒート”を取り止めどうにか“かえんほうしゃ”としてトリデプス相手に出力した。

 

 なんでここに人間がいる。

 

 そんな思考をしたところで答えは決まっているのだ。今ここに広がるのは『時空の歪み』。異なる時代異なる空間から放り出される叫喚の檻。

 彼女たちこそが──彼女たちこそが、この寺院の拝観者。

 おそらく歪みに巻き込まれた、いつかの時代のシンオウ人!

 

 

「ハピナス来い!! “いやしのはどっ……」

 

 

 振り向いた先でハピナスは、トリデプスの“アイアンヘッド”を真正面から受けて踏み留まっていた。背後のパルキア像を守るために地を踏みしめて、決して受け流すことも無く両の脚を地面にめり込ませる。

 彼女が意識を乱せば遺跡を守る“ひかりのかべ”は全てたちどころに消えてしまうのだ。トリデプスの攻撃を受け止めながら、壁を絶やさぬよう貼り続けている彼女に、これ以上は負担させられない。

 

 

「っ〜……! KEGA(けが) NO() GUAI(ぐあい) HA()!?」

 

 

 バクフーンかドレディアか、誰かがトリデプスを倒してハピナスの手を空けるまでの辛抱だ。

 おれは女性の前に膝をついて目線を合わせると、彼女たちの(キトン)にべったりと滲む赤の出処をアンノーン語──古神奥語で訊ねた。

 宣託言語(神さまの言葉)を修得する前段階として覚えた古代の言語がちゃんと通じるかはほぼ賭けだったが、女性の顔が安堵に緩んだのを見る辺り、咄嗟に推定現地語で話し掛けてみよう作戦は成功したらしい。らしい、のだが。

 

 

 

ONEGAI(おねがい)KONOKO(このこ) WO()

 

 

 

 ──それだけ言うと、女性は子供の命を託すようにしておれの肩を押した。

 完全に不意を突かれてバランスを崩し後ろに尻餅をつく。

 彼女は今にも泣きそうな顔で、だけど確かに満面の笑みを浮かべながら胸の前で手を組んだ。

 零れた雫のようなペンダントを握り込んだ手に淡い金色の光輪が掛かり、その刹那に女性の姿は消失した。

 

 

「……はい?」

 

 

 残ったのは彼女の腕からおれの腕へと居場所を変更したこの子供だ。相変わらず意識は無いが、体温だけは命を証明し続けている。

 

 ──お願い。

 

 その切なる祈りを捨て置くことができず、おれは子供を抱えながら真昼の夜を駆け出した。

 

 夜の帳はまだ上がらず、現れては消えるポケモンたち。おそらく異なる時代からヒスイ地方へと放り出され、その混乱で気が立っているポケモンたち。

 迫る牙と爪を躱して立ち回る。

 両腕の中の重みが先のような奔放戦術を許さない。されどそれはポケモントレーナーとしての姿に、戦い方に戻ったたけだ。

 

 ドレディアの剣閃が煌めき、バクフーンの妖炎が舞う。マニューラの爪はおれの爪であり、ギャラドスの牙はおれの牙。

 終わりなど考える余裕も無い攻防は苛烈を極め、どこまでも昂りを見せていく。

 声を張り上げ、一帯を駆け、一方的に消耗する持久戦を繰り広げながら夜明けを待った。

 

 

「ゔ、っえ……!?」

 

 

 天窮が割れ、視界を閃光が覆い尽くす瞬間。『時空の歪み』が収まるその時、前回には感じなかった重力の捻れに胃液の天地がひっくり返る。

 平衡感覚を喪失して倒れる直前、トレーナーとしての意地でボールの開閉スイッチに五指を叩き付けた。

 

 

 

 歪みの収まった『カミナギ寺院跡』をオオニューラが見渡す。

 嵐が過ぎ去った跡地には、二頭政の石像が荘厳に佇んでいるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 ……目を覚ましたとき、すべては過ぎた後でした。

 

 まるで何かから自分を庇うように抱え、気を失い倒れていた見知らぬ男の腕から這い出る。

 眼前に広がる光景に、声の一つも出なかった。

 

 建物の木造箇所は焼け落ちて、残された石造りの骨にこびりついている。

 美しく整えられていた石畳は侵略者の足運びさえも支え、今では趣味の悪い化粧を施されている。

 生え揃っていた草地は焦土に塗り替えられ、誰もが守ろうとした守護像からは金剛珠と白珠が姿を消していた。

 神殿の屋根は崩れ落ち、蔵は既にもぬけの殻。冬を越すための潤沢な備えを根こそぎ奪っていったのだろう。

 天冠の御山から降りる北風は自分を慰めに来たのか、自分の心を代わりに告げているのか、ひゅうひゅうと啜り泣いていた。

 

 何が──どうして。こんなことに。

 近頃になって、昔この地を出ていった同胞たちが戻ってきたとは聴いていた。

 流れる時をより重んじた者たちと、広がる空をより重んじた者たち。どちらも世界の果てを求めて、かつてこの大地を出ていった。

 

 それが戻ってきたと聴いて、みんな──当たり前に、嬉しかった。

 

 流れる時間は万物に平等な神の愛であり、広がる空間は万物を許容する神の慈悲である。

 愛と慈悲に抱かれシンオウさまの作りし世界を旅して回った同胞の話を、その思い出を、記憶を、感情を、ただ聴かせてほしかった。

 

 それなのに──なぜ、こんなことになったのだろう。

 流れる時の果てに気を病んだのか。

 広がる空の果てに気を違えたのか。

 アナタたちを送り出したこの地を焼くほどに、アナタたちは変わってしまったのか。

 

 神奥(シンオウ)よ、心あらば教えてくれ。

 あの同胞たちは、御身を忘れてしまったのですか。

 

 

「ねえきみ。何か手伝えることある?」

 

 

 不意に、像の前に崩折れた自分を呼ぶ声がした。

 少しだけ振り向いて一瞥してみれば、先程まで横たわっていた青年が意識を取り戻したらしく、深い紺青色の眼を曇らせている。

 

 

「……みなを、送らなければいけません」

 

 

 自分たちはこの自然に、この世界に生かされてきた。

 故に今日までの感謝と共に死者を世界のもとへと送り、世界に還さなければいけないのだ。

 魂が霊界へと無事に辿り着けるように、残された自分がきちんと葬儀を執り行って導かなくては、みな彷徨ってしまう。

 

 そう努めて平静を保ちながら語るが、葬儀のために必要なものは何一つとしてこの地に残されていない。

 全身に塗る薬も、生前好きだった衣服も、夜を纏う使者(ヨノワール)への硬貨も、甘味を作るための材料も、何も残っていない。

 

 

「えっと……」

 

 

 青年も全く動かない自分の様子に何か言い淀んでいる空気だった。

 そもそもこの人は誰なのだろう。分からない。どうだっていい。

 

 

「あの、間違ってたらごめんね? ご遺体が冷たくなる前に水で清めて、全身に軟膏塗って、その人が生前好きだった服を着せて、霊界の使者に渡す食べ物とお金を握らせる……で、合ってる?」

 

「大まかにはその通りです。……そうか、大まかにさえ出来ないのですね」

 

 

 乾いた笑みを零すしかなかった。

 神の台座を背に動かなくなっている自分の母を、石畳に紅化粧を施しているあどけない童女を、破られた蔵の前で倒れ伏している勇敢な男を、広場で折り重なっている親子を、自分は満足に送り出してやることも出来ないのだ。

 

 隣に青年が立った。

 長い襟巻きが汚れるのも気にせず膝を曲げると、目を瞑りながら祈ってみせた。

 

 ……無防備だと思う。

 

 得体のしれない相手の前でしゃがんで、瞑目して。もし自分がこの瞬間に殴りつけたらどうするんだろう。

 受け身は取れるのか、取れないのか。それとも気配に敏感で、振り下ろした腕なんて簡単に掴んで止めるのだろうか。

 そんなことを考えている内に青年は瞼を持ち上げると、突然腰に巻いていたポーチをひっくり返した。

 

 

「使えそうなものある?」

 

 

 中身を並べながら紺青が自分に問う。

 何に? なんて訊ねるのはきっと無粋だった。

 青年の持ち物は見慣れたものと見慣れないものが入り混じって、まるでひとつの大きな宝物庫だ。

 片っ端から「これは何ですか」と問えば青年は嫌な顔ひとつせずに解説を始める。満ちていく知識欲と好奇心の果てに、自分は白藍の色をした塗り薬と、柔らかそうな食べ物(ケーキ)と、今様色の綺麗な欠片を指差した。

 

 

「まんたんの薬とコトブキマフィンと星の欠片か。……そうだね、確かに塗り薬と甘味と渡し賃だ」

 

 

 青年は整頓しながら不要な物を仕舞うと、「まずはご遺体を清めるんだよね」と手筈の確認を取ってきた。

 

 

「使う水は何でもいいの? テンガン山の雪解け水に限定してたりする?」

 

「別にそういった決まり事はありません。体を濯げるのなら、何でも」

 

「じゃあ彼女に頼もう」

 

 

 突然、前触れ無く海を支えし竜(ギャラドス)が宙に躍り出た。

 “彼女”と気安く呼ばれた龍は辺りを見渡して強面に戸惑いの色を滲ませる。やがて自分を目に留めて、物憂げな瞳から確たる意志を宿した眼差しで青年を見つめた。

 

 

「ああこれ使うの? いいよ、はい」

 

 

 青年から美しい露草色の(プレート)を受け取って三叉の角に乗せた龍は、天に向かってその雄大な声を届かせる。

 簒奪に斃れた同胞たちの元で、スイレンの花がくるりくるりと咲く様に清らかな半透明の清水が渦を描き出した。

 

 まるで意思があるかの如くうねる流水は螺旋を描きながら幻想的な淡い光を宿し、己が浮力で同胞たちを包み込む。

 血と泥にまみれた肌はシンオウさまより賜りし色を取り戻し、数えるのも億劫になるような傷口は汚れを攫われる。

 苦悶の表情だった同胞たちの瞼が次々に下りていく。まるで眠りに誘われるような穏やかさがあった。理不尽に奪われた尊厳が、竜の御心によって取り戻されたようにさえ感じた。

 やがて流水は役目を終えて渦をほどき、同胞の体を静かに丁寧に並べ横たえて、天へ天へと細く昇っていった。

 

 

「……おまえは優しい竜ですね。海を支える神の中でも、穏やかな穏やかな軌跡から生まれたのでしょう」

 

「軌跡……? どういうこと?」

 

 

 かぽ、と薬の蓋が開く。

 中身はかなり純度の高い塗り薬のようで、容器越しに見るよりもかなり深い色をしていた。

 

 

「宇宙を創世し給いた創造神は、戴冠戦争の傷を癒やすべく眠りにつきました。創造神の業を継いだ二頭政(ディアルキア)と心奥たちは、その鼓動と呼吸を以て世界を広げる過程で、様々な命に使命を与えました」

 

 

 同胞の腕に薬を塗りつける。

 生前の柔らかさが微かに失われ始めている。

 自分は寝物語を聴かせるように、古い古い神話を口にし続けた。

 

 

烈空に坐す者(レックウザ)には空を。大地が畏れし領主(グラードン)には地を。海洋の古雅なる王(カイオーガ)には海を。それぞれ司る使命が与えられたのです」

 

 

 この三柱は理想郷を離れ、世界の果てでそれぞれ使命を胸に眠っている。

 長い歳月の中でやがて語られることも無くなり、記録の奥底から取り出されなくなっていたのをある日ふと見つけたのだ。

 

 

「空を翻る烈空に坐す者(レックウザ)の影から生まれた命は空を支えし竜(カイリュー)。地に潜る大地が畏れし領主(グラードン)の轟音から生まれた命は地を支えし竜(バンギラス)。海を往く海洋の古雅なる王(カイオーガ)の軌跡から生まれた命は海を支えし竜(ギャラドス)と、それぞれ呼ばれるようになった……そう云われています」

 

「へえ〜そこホウエン地方の神話と繋がってたんだ。知らなかった。なるほどギャラドスが生まれた軌跡ね……カイオーガが泳いだ時に立った白波か何かを、ギャラドスの姿と重ねたのかな」

 

 

 母のかんばせに手を触れる。

 眠っているように見えるだけで、触れてみてしまえば確かに命の色は失せていた。

 昨日まで涼しげな目には美しい翡翠色の自然がうつっており、柔らかな口は神への祈りを紡いでいたのに、今はどちらも閉じられている。

 

 

「この神話が語られなくなった背景には、主たる三柱の不在があるのでしょうね。それ以外だと海を支えし竜(ギャラドス)が身近になりすぎた点があるのではと考えています。海よりも滝の上流で見ることの方が多いですから」

 

 

 服はどうしようもないので今身に着けているものを整える。

 手には渡し賃として今様色の欠片を握らせ、口には柔らかな甘味を少量含ませる。

 ひとつ語り終えたとき、どうにもできないと思われた母の身支度は整った。

 

 

「もし話している間は気が楽になるなら、きみの知る神話をもっと聴かせてよ。“戴冠戦争”ってどういうのか、おれ気になるな」

 

「気が楽になる、とは。どういう感覚ですか?」

 

 

 どこか子供のように笑いながら自分の隣を着いてくる青年に訊ね返した。

 紺青は考え込む仕草をしながら、次の同胞の前に膝をつく。

 

 

「……余計な考えばかりが浮かんで苦しい、とか。今感じている悲しみがどんどん濃くなって息がしづらい、とか。悶々と吐き出しようのない怒りが煮え続けて頭が変になりそう、とか。そういう感覚が和らいで、視界がぱーっと……じんわりと明るくなる感覚……かな?」

 

「では不要です。悲しくなどありませんし、怒りも感じていませんから」

 

 

 遊び疲れて眠ってしまった様な同胞の旅支度を、母と同じように整える。

 ついこの間まで両親の腕の中で抱かれていた童の体は、こうして伸ばしてみると存外と大きく、気づかぬ間に成長していたのだと実感した。

 

 

「皆は霊界に住処を移すだけですので、悲しむ必要などありません。戻りの洞窟(エリュシオン)で深奥さまの寵愛をいただきながら、再びこの世に廻り戻るまで幸せに暮らしていくのですから。喜ばしいことですよ」

 

 

 破れてしまった服の裾を結んで、二枚羽の飾りを作ってやった。物心のついた頃から、この子はどうしてかこういうものが好きだった。

 今も好きなのか、今はもう違う好みがあるのかは分からない。自分の記憶にある中のこの子は、嬉しそうに笑っている。

 

 

「怒ることでもありません。あの方々は時と空を天秤にかけ、シンオウさまを見失ってしまったカワイソウな人たちなのです。世界の果てを求めて彷徨い、世界の果ての理想郷に帰ることができたのです。ここでの暮らしを忘れた彼らが生きていくためには……。…………。………………。ここの蓄えが、どうしても必要で…………。……必要なことだったのです」

 

 

 口に甘味を含ませる。背は伸びても口は相変わらず小さかったが、彼女はいつもこの小さな口を大きく開いて笑い、歌い、食べていた。

 いったいどう動かしていたのだろう。今となってはもう分からない。霊界では食いしん坊なのを少しでも落ち着けないと、深奥さまを困らせてしまうかもしれない。

 

 

「ワタクシが悲しめば(くう)の神が悲しむ。ワタクシが怒れば時の神が怒る。そんな世界を、天の神は望んでおられないのですよ」

 

 

 何本かの指が欠けた手では今様色を落としてしまいそうだったから、しっかりと両手で包ませる。

 気に入ったものはどう諭しても手放さない子だったから、綺麗なものとしてお気に召せばきっと大丈夫だろう。

 

 これを、何度も行った。

 斃れた同胞の数だけ繰り返して、白藍の薬は入れ物が三本もカラになる。今様色の欠片はとっくに底を突いて、青年は様々な色の破片を砕いて固め直すことでどうにか作り出していた。数を確保するためか大きさはやや小ぶりだった。

 

 

「燃やします。肉の体は、天にお還しせねばなりません」

 

 

 まるで決意するかの如き己の声に内心で首を傾げた。

 支度を整えた体を燃やすなんてのは今自分が決めたものではなく、古くから続いていた習慣であり、連綿と続いていたただの手順に他ならない。

 

 それなのに、ただの手順を口にするだけで何を気負う必要がある。同胞を燃やすことに何の決意が要るというのだ。

 魂が深奥さまの元へ向かったのならば、肉は神奥さまの元へ還るが道理。きちんと燃やして導くのが、残された者のお役目だ。

 

 それなのに。

 ワタクシの体は、ぴくりとも動いてはくれなかった。

 

 心の臓が早鐘を打つ。

 激しい舞を踊っている訳でもないのに煩いくらいに鳴っていて、暴れ狂う血潮に胸が痛くて堪らない。お腹の中がどんよりと重くなって、吐き気も無いのに気持ち悪い。視界が遠くなっていく。

 

 きっと疲れてしまったのだろう。

 本来大人数でやるべき葬儀をひとりでこんなにこなすのは子供の自分には荷が重かったのだ。

 速やかに終えて体を休めなければ倒れてしまう。早く火を灯してやらなければ。

 

 

 

「この人たちを燃やしても、きみの思いまで焚き上げてはくれないよ」

 

 

 

 隣に立つ男がようやく口を開けた。

 まるで待ち望んでいたかの様に指先の感覚がぴくりと戻る。遠くにあった視界が緩やかに自分のものになった。

 

 

「置き去りにされたなら、皆が幸せでもきみは寂しいと思うよ。手放すことになったなら、誰かが満たされてもきみは苦しいと思う」

 

「ワタクシには“寂しい”も“苦しい”も必要ありません。喜ぶこと、楽しむこと、当たり前の生活。それこそが全なる神の望む安寧であり、祝福されし理想郷の在り方です」

 

「て言っても“今”はその当たり前の生活じゃあないし、安寧とも程遠いよね」

 

「それには理由があるとも言ったでしょう。皆は霊界に住処を変えたのです、あの方たちは皆がもう使わない蓄えで生きていくのです。流れる時に伴う正当な変化であり、広がる空のもとで行われる正当な……理由があってのことです」

 

「──“理由”があったら許せるの?」

 

 

 男の顔を見上げる。

 問い掛けの激しさとは裏腹に柔く、薄い笑みを浮かべていた。

 透徹した紺青色の眼だけは、駄々をこねる子供を諭すように自分を眼差している。

 

 

「望まれていないからとか、必要なことだったからとか、どんな“理由”があろうとも、きみの感情が無かったことにはならないんだよ」

 

 

 触るね、と青年に手首を掴まれた。

 軽く握った四指の中、人差し指の横腹にぎりぎりと食い込む自分の親指の爪。皮膚を破いてはいないけれど、今にもそうしてしまいそうだった。

 

 

「“悲しみ”、“怒り”、“寂しさ”。……“苦しみ”を生み出すそれらだって、感情の神(エムリット)が伝え広めたものだ。他ならぬ創造神(アルセウス)から生み出された命が、自らおれたちに与えたものだ」

 

 

 男は噛み付くような親指をゆっくり、けれど力強く人差し指から取り外して、残された赤い痕を優しく指先で撫でた。

 力が入らないと思っていた自分の指で知らぬ間に起きていた現象に目を瞬かせる。

 理由が分からなかった。

 自分がこんなことをする、正当な理由が。

 

 

「多分、神さまが望んでいないのは……“怒り”と“悲しみ”に他人を巻き込むことなんだよ。“喜び”と“楽しみ”は他人と分かち合えば“幸せ”を生んでくれるけれど、“怒り”と“悲しみ”は他人を巻き込んで育てても、“幸せ”を生んではくれないでしょ?」

 

 

 同意するように海を支えし竜(ギャラドス)がか細く鳴いた。

 そんなこと分かっている。

 カミナギの民として、神官として、覡として育てられた自分が、今更説かれることではない。

 

 

「……うるさい」

 

「他人を巻き込まない内は、きみの“怒り”も“悲しみ”も正当なものだ。正当なものであるのなら、きみの感情を、痛みを、傷を、誰にもとやかく言わせない」

 

「うるさい、うるさい……!」

 

 

 アナタに何が分かるんだ。この地で生きていないアナタに、自分の何が分かるんだ。

 この地で生まれ、この地で育ち、全なる神の奇跡を信じ、その威光に心酔しその御業を信仰する自分の、何が分かるというんだ。

 

 そう言い捨ててやりたかった。

 そう叩きつけてやりたかった。

 そうしないのはひとえに、神奥さまの望まぬ行いをせぬようにと、自身の感情にこの男を巻き込まぬようにと、己を律しているからだ。

 

 それはとても“苦しい”から、こんな思いをするくらいなら“怒り”も“悲しみ”も抱かなくていい。名前さえ与えてやらなくていい。

 何故そうなったのかだけを、ただひたすらに考える──それだけでよかったのに。それだけがよかったのに。そうするしかなかったのに。

 

 

「きみは怒っていいし悲しんでいい。少なくとも……今この場にいる、おれは許すよ」

 

 

 その言葉を与えられて間もなく、屍を見てもあがらなかった悲鳴が自分の喉を裂いた。

 高く高く木々を打ち付け、神殿に届いてしまうのではないかと危惧するほどの叫声が、全身を引き裂きながら溢れ出る。

 

 アナタに許されて何になるんだ。

 アナタが許したところでどうなるというんだ。

 そんな許されざる八つ当たりは早急に消え去って、母の淑やかな手が頭を撫でる。隣人の手が背をさする。童女が拙く腕を回す。赤子が小さな掌で、ワタクシの膝を叩いている。

 

 それはどれだけ命が廻ろうと、二度と戻ることは無い悠久の日々。

 数多の歓喜と歓楽で満ち足りた、宝石の如く輝かしい日常の残響。

 

 凪いだ北風と共に醒め消えた泡影の理想郷が、最後に見せる夢だったのです。

 

 

 

 

 

 




レントラー(♂)
 オヤブンギャロップ戦に参加したコリンクが進化した姿。(参照:せめて、チャンピオンらしく)
 “でんじは”を当てることに絶対の自信がある。

マニューラ(♀)
 意地っ張りな性格で物音に敏感。元はコトブキムラの『時空の歪み』でこっそり捕獲していたニューラであり、歪みが消えたことによる影響などが出ないか経過観察中。

サンダース(♀)
 臆病な性格で物をよく散らかす。ハナレ洞窟でバケッチャと戦ってた最中に見知らぬ土地に放り出された。

ドラピオン(♂)
 わんぱくな性格で暴れることが好き。ドクガの国でイクサに巻き込まれそうになった折に見知らぬ土地に放り出された。まあ戦えるならどこでもいいか……の気持ち。

ラムパルド(♂)
 勇敢な性格で力が自慢。一億年前というか運命の塔57Fからのご来賓。どこにいようとやることは変わらない。

ニンフィア(♂)
 うっかりやな性格で負けず嫌い。ワカクサ本島で気持ちよく寝ていたのに山麓の寒さに叩き起こされた。 

エテボース(♂)
 きまぐれな性格でイタズラが好き。ポニの広野でエイパムの群れバトルに駆けつけようとしていたのにこっちに飛ばされた。

トリデプス(♀)
 のんきな性格で打たれ強い。神秘の平原13Fでワープのタネを投げ付けられたらここに来た。絶対に平原じゃないことは分かる。
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