シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚- 作:ヒュペルボレイオス
推奨するものではありません。
決して真似しないでください。
──前提として、
簡単に言えばそれは、誰がどこで何をしたか。
その全ては因果律として纏められ、敷かれた理のままに未来を紡ぐ糸となる。
すべての命は。
別の命と出会い。
何かを生み出す。
その文言に偽りは無く。
神さまは誰がいつどこで誰と何を話し何をしたのかを全て観ており、その因を元に果を与え給うのだ。
故に──……その男が神さまに到達するためには、「儀式」が発生するに足るだけの「因果律」を、生成しなければならなかった。
それ自体は別にどうということはない。
宣託言語はそのために修得したものであり、宣託言語を用いて「因果律」を書き換えるのは容易い。
難問なのは、書き換える内容そのものの方だった。
神さまの元に辿り着く因果律はゼロがイチになるだけの簡単なものではない。
その四千三百八十七倍は複雑に絡み合う因果が必要だった。
更に言うと。
因果は神さまご指定の「祭壇」に格納しなければ受理されず、ただ単純に因果として用意しただけでは、神さまに到達する「儀式」は永遠に執り行われない。
万能の宣託言語を繰ろうと、宣託言語の使い手である神さまへの道は巌しい。
当たり前だ。あちらが正規の使用者なのだから。
これには男も困った。
ここにきてようやく初めて困った。
神さまの「
つまり──現代のシンオウ地方において、“神さまに到達する儀式を起こすための因果を納める祭壇”は
それが分かった時、男の心にこみ上げたのは徒労感でも絶望感でもない。
どこまでもさっぱりとした、「じゃあ総当たり戦だね」なんて事も無げな意識だった。
祭壇が現存しなくても、神さまが御座す「領域」に、直接「因果律」を叩き込めばいい。
そう判断した男は
──それはとても冒涜的で、背信の最たる行為だった。
自身の
戦いがどれほど続いたのか、実数世界を生きる全ての命は知らない。知りようがない。
光の無い暗黒の世界で幾日幾月発狂せずにいられたのは、きっともう既にその時点で、男の中に正気など残っていなかったからだろう。
世界の裏側で人知れず繰り広げられた神域の戦い。
時間なんて存在しない、空間かさえも怪しい
そう、彼は制してしまったのです。
槍の柱はシンオウ神殿の名称を取り戻し、てんかいのふえは揃ってしまった因果に従って音を奏で、『はじまりのま』へと続く道は開かれた。
天への道を登った先。
足が竦むような高所の果て。
存在しないはずの世界の裏側からの宣託を受け。
存在しないはずのシンオウ神殿が励起して。
存在しないはずのてんかいのふえは鳴り響き。
存在しないはずの儀式が執り行われた結果として。
──その罪人は、
叫び出しそうになった。
喉を掻き毟って頭を地に打ち付けながら嫌悪に咽び泣きたかった。
戻りの洞窟と同じように、やはりカチリと蝶番が音を立ててひとつ崩れたとき。
溢れ出した記憶に、足から力が抜け落ちた。
ありふれて使い古された言葉にありったけの侮蔑と罵声を込めて吐き捨てる。
それは過去の自分に対してであり、今の自分に対してだ。
こんな──こんなことを仕出かした
“理由があったら許せるの?”
許せるはずがないだろう。
どんな理由があったって、神さまの領域を侵した自分は、あの美しい雪白の創造神を貶めた自分は、幾度地獄に堕ちて全ての細胞を一片余さず切り刻んでもなお生ぬるい。
“どうせ考えるならさ、神さまの意思を考えない?”
……どの口が。
どの口が、どの口が、どの口がどの口がどの口がどの口が!
頼むから黙ってくれ。
叶うなら今すぐに死んでくれ。
言葉にもできない嫌悪と憎悪に頭がどうにかなりそうだった。
どうにかなっている自分を眼差すのが耐えられなかった。
領域を侵し、神域を犯し、聖域を冒し、勝ち誇る様にマスターボールを抱きしめる自分を、原型も残さない程に殴って潰してしまいたかった。
“テンガン山のこと、感謝しています”
そんな言葉を掛けてもらう資格は無い。
アカギを止め、ディアルガに力を示したその手で、他でもない
古代シンオウ人が何より敬い守っていた神聖な領域を、少なくともおれが知るべきではなかった究極の神秘を暴いて、晒して、穢した。
登山者を拒む三湖の壁画を破壊し、槍の柱を冒涜したのがアカギだと言うのなら。
敬虔なる者たちに与えられる、天への道を踏み荒らしたのはおれだ。
その凶行は、その狂気は、もはや太陽の光を見るにさえ値しない。
「あ──ああ、嗚呼ああッ…………!!」
あれだけ焦がれた『シンオウ神殿』の舞台を前にして、溢れ出したのは悔恨と懺悔の叫声だった。
後悔なんてしない──なんて、もはや口が裂けても言えるはずがない。
……本当に、美しい神だったんだ。
夜の渾天を照らす月の如く白い体。
けれど闇の安寧をも許すかの如く灰の色を備え、頭部は流れる銀河の一端を切り取ったかの様であり、纏う黄金の光輪には息吹く命を示す翡翠が深く輝いていた。
何者にも穢されない究極の一。全天の主。
それを──単なる探求心で、貶めたんだ。
頭皮を爪で刳りながら絶叫に身を焦がす。
視界の先に空が映った。シンオウ神殿の最奥の舞台の先。絶壁となっているテンガン山。
認識した途端に体を弾き出した。
一秒だって自分の生を認めたくなかった。
滑落なんてものじゃない。
もっと絶対的に、意識さえ残さずに、肉片になって、そして。
この
──ところ、先回ったバクフーンの体当たりによって舞台に叩き戻された。
ポーチの中身が辺りに散らばる。
ひっくり返したはずの視界を更にひっくり返されて、眼球が拾う景色がぐるぐると回っている。
「何だよバク──痛あッ!?」
飛び起きたおれの文句なんてひとつも受け付けずに、彼はアルセウスフォンをおれの胸骨にゴリッゴリと押し付けた。
軽く見積もっても五十キロの体重を盛大に掛けられ「ちょっと待っ」そのまま倒れる。
薄っすらと積雪が残る舞台は体温を背中から奪い取り、「冷たっ!?」バクフーンが乗る腹側との差に悲鳴があがった。
「っ……止めないでくれよ!! お前になら分かるだろ!? おれが今どんだけ死にたいか、どんだけ自分を殺したいんぐえッ!?」
言い終わる前にバクフーンは片手で顔面をぶっ叩いた。
口を塞がれて主張が封じられる。じたばたと藻掻くもポケモンとの力勝負に人間が勝てるはずがない。
とはいえ今回ばかりは負けてやる訳にはと足掻いたおれの目元を、冷たい水の雫がひとつ打ったのだ。
暴れる体が硬直する。
バクフーンは赤く細い眼でおれを見下ろし続けている。
雫は跳ねた雪解け水か、雲を離れた雨粒か、もしくは彼の目元から零れたものかは分からない。
──ただ、おれの思考に冷水を浴びせたのは確かだった。
大人しくなったからか、バクフーンは腕の力を抜く。
胸骨を圧迫していた手が摑んでいたアルセウスフォンの画面を見せられ、“すべてのポケモンとであえ”という、いつまでも変わらないメッセージを押し出された。
“ではアナタは、何を望まれて、何を成すために生きているのですか?”
息が止まる。
その神託は、ずっと、もうずっと前から与えられていたものだ。
記憶のないおれは重く受け止めていなかったが、これは──そうか。
おれの行いを観測した上で、アルセウスがおれに与えた使命だ。
おれは全てのポケモンと出逢うことを望まれている。
果たすことが贖罪なのか、永遠に果たせず彷徨うのが真意なのかは分からない。
どちらにせよその望みに応えるためには、生きて生きて、たとえ怪我をして毒に斃れても、たとえ己の記憶に打ちのめされても、生きていかなければいけないのだ。
「……そう、だったね」
全ての裁きはその後に。
この苦しみを抱えて生きることこそが罰だと言うなら、この肉と血でヒスイの土地を汚して楽になるなんてそれこそ許されない。
「ごめん……ありがとう」
分かったことがある。
宣託言語を手に入れた
それどころか「あのアルセウスがボールになんて収まるはずがないだろ……」と拗らせて、更なる探求を続けるのは間違いない。
記憶を封じる蝶番は、必ずあとひとつある。
それを取り戻せるかはまだ不明だが、きっといつか溢れ出る。
自分が本当に何をしたのか──その全貌を自覚する時は、必ず訪れるはずだ。
「……お前に誓うよ、バクフーン。怒りも、苦しみも、全てはおれが犯した罪への罰だ。
たとえどれほどこの身が罪深くても、衝動のままにヒスイの地に汚物を叩き付けはしない。
罪人が自分勝手に命を断って楽になるなんて許さない。たとえあの子が許そうとおれは許さない。
あの日落ちてきたのは償いのため。
万死に値する狂気を贖うべく、幾多の出会いを繰り返すため。
「また血迷った時は殴っていい。手足の一、二本潰していい。アルセウスフォンの角で頭をぶっ叩いてもいい」
だから──傍に、いてほしい。
覆い被さる体躯に腕を回す。死ぬ気で身を投げる姿をポケモンに見せるなんてトレーナー失格もいいとこだ。
バクフーンはひと鳴きして眼を閉じる。
しんしんと降り出した淡い雪が、彼の背に触れては溶けていった。
“ワタクシは覡として、全なる神の威光を取り戻します”
歪みの先で出逢い、白昼夢の様に語らったカミナギの民。
あの奇跡は結局のところ、彼が『時空の歪み』に巻き込まれる形で“こっち”に来て、『時空の歪み』が収まる時に彼を抱えていたことで、逆におれが“そっち”に引っ張られて、遠い昔のヒスイに放り出された。のだと思う。
ひとり残されたあの子はあれからどうなったのだろう。
彼の語る使命が今も成されていないのをおれは知っている。
アルセウスの名はヒスイ地方でも未来のシンオウ地方でも忘れられており、世界中の争いの種は尽きることが無い。
あの子が立っていたシンオウ神殿と比べると幾分か古びた──いや常に至高の輝きを誇る最高傑作なのは大前提として──白亜の柱が、五対の守護像が、神さまの舞台が、果たされないままに過ぎ去った永い長い歳月を静かに物語っている。
異物を排除する様に、あるべき場所へ帰る様に、夢から醒める様に自分が知るヒスイの時代へ戻ってきたのだと分かるのは──この、天に広がる巨大な裂け目のおかげだった。
「行こうバクフーン。ノボリさんが待ってる」
空模様の違いからして、軽く一晩は経過している。
のそりと退いてくれた相棒と共に立ち上がった。
神使の廻廊をくぐって、真白の階段を下りていく。
いつか壊れてしまうのなら──と写真に収めた神殿を見上げると、階段の先であの子が笑っているような気がした。
“たとえ神が赦さずとも。ワタクシだけは、アナタを赦してあげましょう。”
ふと与えられたにしては眩すぎる救いの言葉に深く深く頭を下げて、天を冠す頂きの神殿を後にした。
──ドゴンッ!!
「へ?」
瞬間、背後に重々しく降ってきた轟音。
何事かとバクフーン共々振り向くと、電撃を迸らせながら身悶える金色の球体があった。
捕獲時のモンスターボールのようにゆわんゆわんと揺れ動いたそれは唐突にピタリと静止する。
歯軋りの表情でこちらを睨め付けた刹那、その場で跳躍し──下りの坂道に従って、重力の通りに転がってきた。
電撃を纏いながら。
「おわっああああああああああああああああ!!」
何よりも早く『岩の門』を駆け下りる。
あんな膨大なエレクトンエネルギーを溜め込んだマルマインなんておれは知らない。指先で触れた瞬間に爆発しそう。『岩の門』の内部で爆発するのだけは勘弁してください。
「あれテル? お前この先どうやって入っウワーッ!?」
「すんません後で! 全て話すんでええーっ!!」
門の見張りをしている警備隊員にキング・マルマインの雷槌が掠った。
全身痺れてぶっ倒れた先輩の介抱をハピナスに任せてマルマインとの電撃レースを続行し『笠雲の切り通し』を爆走する。
道中のオヤブンエレキブルさえ道を譲った辺り流石は天冠のキングと言うべきか。
いや助けてほしいんだけど。
は? エレキブルにおれを助ける義理は無いです。
後方で激しく鳴り出した雷に頬が引き攣る。
下手に刺激できないのでバクフーンの“じならし”は無理。というか雪山でそんなもんしたら雪崩れる。
死に物狂いで脚を動かし山を駆け下りた先──なんか
「どーいーてーッ!!」
「なぬ?」
「はい?」
「おや」
カッ、と閃光が辺りを塗り潰す。
爆音と共に戦場の前で電撃が奔る。
背中から膨れ上がって爆ぜた暴風に為す術もなく、その場の全員が吹っ飛ばされた。
……爆発オチなんて、サイテー。
「総員点呼ーッ!! 僭越ながらわたくしがイチ!」
「二です……」
「では三でーす」
「何なんだよぅ! 四だよ!」
戦場の前から派手に吹き飛ばされた先、『列石峠』に痺れた体を横たえながらおれたちは互いの生存を確認する。
とりあえず四人とも無事。
中でもおれとウォロさんはいち早く痺れが抜けたらしく、反面ノボリさんとツバキさんがまだ立ち上がれずにいた。
「あらあらお困りのようですね! そういう時にはこのクラボのみを用いた薬がおすすめですよ! 痺れを抑える効能に特化しておりまして慢性的なものから突発性のものまで幅広くご利用いただけます! お値段なんと六百円!」
「吹っ掛けるにも程があると思わないかい!? その値段ならなんでもなおしをおくれよ!」
「はて……? 今この瞬間に使い切るのですから、実質なんでもなおしでは?」
「悪徳商人だよぅ助けてアニキ!!」
「ノボリさん大丈夫ですか?」
「少々お待ち下さい。今腹式呼吸の応用で……フンッ!! ──完全復活でございます」
「そうはならないだろシンジュ団キャプテン・ノボリ!!」
スックと立ち上がったノボリさんからも見下ろされたのが本気で心に来たのか、ツバキさんは痺れてカクつく右手を使って腰回りのベルトポーチから小銭をどうにか取り出す。
とても嫌そうな顔で渋々ながらまひなおし──商会でまひなおしを取り扱っているのを見たことが無いので、多分これは本当になんでもなおしなのだと思う──を受け取ると、彼はそこで硬直した。
「……あの、ツバキさん」
「…………何だよぅ」
「それ塗り薬っぽいですけど……痺れ的にも服装的にも塗れそうにないですよね」
「──謀ったなイチョウ商会ッ!!」
「経口摂取をご所望の場合はこちらクラボのみ三個セットをどうぞ! 通常三百六十円のところセット価格で三百三十円となっていますよ!」
すかさず別商品を勧める商魂。無敵か? この人。使えると判断して買ったのはツバキさんだけども。
歯軋りを超える歯軋りに顔を歪ませながらもさらなる出費を許容して、ツバキさんはようやく片腕をついて体を起こせるようになった。
「昨日ぶりですねテルさま。一体どういう状況ですか」
「おれもよく分かんなくってぇ……キング・マルマインが坂道で急に降ってきて、そのまま『笠雲の切り通し』をデッドヒート雪山レースと言いますか……」
「では話が早いねギンガ団のウマのホネ!」
「テルです。」
体の痺れが取れたツバキさんが勢いよく右手でおれを指差した。
紹介するねバクフーン。この人はセキさんがマルマインの話を持ってきてくれたとき、団長室に馳せ参じてくれたキャプテンだ。担当は今まさに暴れているキング・マルマイン。
「見ただろう、マルマインから迸る神鳴りを! 感じただろう、マルマインが打ち鳴らす神の威を!」
「え? ハイ。相変わらず荒ぶるキングってのは凄いですね」
「そう! 凄いのだよ、素晴らしいのだよ! マルマインの昂り、マルマインの漲る力こそは、シンオウさまの──」
「じゃ鎮めますね」
「話を聞いておられるか!?」
マフラーを引っ掴むツバキさんに「ええー……」我ながら面倒そうな声が漏れてしまった。このマルマイン大好きお兄さんは余所者のおれがマルマインを鎮める任務にあたっているのが不安らしい。
まあおれもギンガ団(シンオウ地方)がある日突然「ピッピのお世話屋さんします」とか言い出したら、「素人質問で恐縮なのですがぁ!!」と殴り込みに行くかもしれないしな……。
「何度でも断言しますがマルマインの異常には早急な対処が必要であり、そのためにテルさまがいらしたのですよ」
「何度でも言うが見たまえマルマインの金色に輝く姿を! あれはシンオウさまの御加護を賜り使命に燃ゆる勇姿だよ!」
「ですからそれは──」
「あー待って待っておふたりとも」
バクフーンの首から放たれた温度のない妖炎がノボリさんとツバキさんそれぞれの舌に纏わりつく。
感覚を喪失した舌が回るはずもなく、ふたりは目を丸くした。効果はそう長いこと続かないので安心してほしい。
……その議論は大いに結構だが如何せん場所が悪い。
おれの気分もちょっと悪いし、何より“彼ら”に申し訳ない。
「場所を変えましょう。墓地でやる話じゃないんですから」
墓守のドーミラーたちが“ラスターカノン”を構える前に、生者は退散しようじゃないか。