シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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 ※ポケモンが人間に恋をする描写があります。





純白神聖戦役
愛深き銀の殻の竜 ※異類婚姻譚未遂


 

 

 再建をほとんど終えたコトブキムラに、新たな施設が追加された。

 真新しい木造の長屋に文机と座布団を並べ、その上に座る子供たちからのきらきらした眼差しを一身に浴びる。

 

 

「それじゃあ今日はここまで。明後日にショウ先生のクラフト教室があるから、今日モンスターボール作りたいって言った人は参加してみると良いよ〜」

 

 

 全力の笑顔を振り撒いてそう連絡すると、子どもたちの不揃いながらも元気な「はーい!」が返ってきた。

 

 ここはトレーナーズスクール(仮)。

 以前ショウ先輩と描いていた未来予想図であり、知らぬ間にサザンカさんに通ってしまった草案の決定稿である。

 

 山麓から帰ってココノツボシへのランクアップ手続きを終えた折、シマボシ隊長から「例の件だが恙無く進行中だ」と脈絡無く言われた時には頭が「?」のアンノーンで埋まるかと思った。

 どうやらおれが不在の間に話が不思議な回り方をしたらしく、知らぬ間にトレーナーズスクール(仮)の講師を担当することが決定していたのだ。なんで? いいけど。

 

 参加者の多くはポケモンとあまり触れ合ったことのない子供たち。コトブキムラに来たばかりの大人も後ろの方の席に座っているが、やはり子供の方が多い。

 講師と言っても座学なんてほぼやらない。水タイプのポケモンが雨天の中で“みずのはどう”を放った時に出せる威力の計算とかしない。つまんないので。

 やるのはコトブキムラにいるポケモンたちとのふれあいであり、既に二回、今日で三回目の開講だが、内容はひたすらポケモンと触れ合って友だちになることだ。なにせタイプ毎の付き合い方を教えるだけでも十八種類。一回で教え切れるわけないだろ。

 

 終了報告を届けに本部へ戻ろうとした時、特徴的な白い小袖が目についたかと思えば、彼女はすっと立ち上がってこちらを振り向いた。 

 

 

「講座終わりですか? おつかれさまです、テルお兄さん」

 

「ありがと。クレィアちゃんは……お参り中だったんだ」

 

 

 ギンガ団本部の近くにぽつりと建てられる祠。

 戸を固く閉ざしたそれの前で淑やかに微笑んだ少女の足元には青を基調にした体のポケモンが控えていた。

 それは凛々しく勇ましい勇者の代名詞、ルカリオの幼き姿。

 悪しき心を憎み強き心を持つ高潔な精神はこの頃から備わっており、出会い頭におれがぶん殴られそうなポケモン上位に食い込む存在である。

 なおリオルはおれを見上げるなりぺこりと会釈しあとは無言。別段これといって無反応だ。

 

 

「この祠って何を祀ってるんだろ。ショウ先輩に訊いてもコトブキムラが出来たときからあること以外分からなかったんだ」

 

「ああ、これはコトブキムラができた時にわたしたちの手で分祀(ぶんし)したものです」

 

「今とんでもなくさらっと答えを得た気がするんだけど詳しく訊いていい?」

 

「いいですよ」

 

 

 朗らかに笑った彼女が傍らのリオルを撫でながらぽつぽつと語ってくれたのは、ギンガ団が始まりの浜に上陸したほんの少し後のこと。

 

 新たな入植者はコンゴウにもシンジュにも染まらず、自分たちのムラを作り上げる。

 エスパーポケモンの力でその選択を見通した“賢者”は、入植者の安寧を祈って神殿から分祀──神の御霊を別の社に分けてもらうこと──を執り行った。

 それは信心を強制するものではなく、コトブキムラをヒスイの神に見守ってもらう……そんなふんわりした験担ぎのようなものに近かった。

 祠が“祠”の形をしているのも、入植者たちの代表であるデンボク団長が慣れ親しんだジョウトのカタチに寄せたから。移り住んだ土地の神に見守られるというのは“ありがたいこと”だという意識も、共通の価値観として入植者たちには備わっていた。

 

 ジョウトでよく見られる祠に、ヒスイの神を勧請する。

 それは余所者であるギンガ団が、ヒスイに馴染むための第一歩であったのかもしれない。

 

 

「まあ、ヒスイの()()()()は教えなかったのですけれど」

 

「コンゴウ団とシンジュ団を相手に、融和も対立もしないためだね」

 

「そのとおりです。あいまい、とはイダイなものですね」

 

 

 もしも明言してしまえば両者の対立に油を注ぐことになりかねない。それならば名を黙し、ただ「ヒスイを見守る神」だとした方がよほど良い。こうしてギンガ団はコンゴウにもシンジュにも染まらない新たな勢力となったのだ。

 

 

「この中にいらっしゃるのは神奥(シンオウ)さまかもしれませんし、深奥(シンオウ)さまかもしれません。心奥(シンオウ)さまかもしれませんし、人王(シンオウ)さまかもしれません。そして時の神(シンオウ)さまかもしれず、空の神(シンオウ)さまかもしれないのです」

 

 

 異なる意味を持つ同じ音が幾度も響いた。

 きっとヒスイにおいて、かつてのカミナギの民にとって、「神」を表す音は全て「シンオウ」だったのだろう。

 

 

「……それをおれに言うってことは、もう隠すつもりは無いんだね?」

 

「テルお兄さんがお気づきなら、隠しても話しにくいだけですから」

 

 

 雪白の髪が風に揺れた。

 光輪に似た金色(こんじき)の眼がおれを見上げる。

 幼き勇者を傍らに、アルセウス(シンオウさま)の写し身の如き末裔は、柔い笑みを浮かべて頷いた。

 

 

「え、ちなみにいつおれが気づいたなーって分かったの」

 

「『カミナギ寺院跡』の道具箱をいじりましたよね? 見ていた鈴の御鏡(ドーミラー)が教えてくれました」

 

「天然産監視カメラ…………!!」

 

 

 やっぱりあの木箱は今も使っている道具箱だったらしく、必然的におれは人の荷物を漁る不審人物と成り果てた。目撃者(ドーミラー)の目にもばっちり映っており彼らが背面を差し出せばもう言い逃れはできない。

 

 勝手に触ってごめんねと謝れば、彼女はそもそも怒っておらず、必要な時に必要な人が使えればそれでいい──共用ボックスとして使っていいとの許可をくれた。保存食でも入れておこうかな。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 ──そんなやり取りをした記憶が、既に遠く感じる。

 

 山の天気は酷く変わりやすい。

 怪しい雲は瞬く間に雨を連れてくるし、調査を切り上げて帰り支度を始めれば晴れ渡る。

 ここ『天冠の山麓』の本格調査が始まって以降、大体の地形は把握し、オヤブンたちも遠巻きながら目視していた。

 だが「大体」では足りないし「遠巻きながら」では良くない。しっかり把握し調査しなければポケモン図鑑など到底完成しないのだ。

 

 が。

 今は図鑑を後回しにする。警備隊のミヨさんがまた迷子になったとかそういう話ではないものの内容としては概ねそんな感じ。

 

 発端はそう、数日前。

 ショウ先輩のクラフト教室──クラフトに興味がある人達に向けてトレーナーズスクール(仮)で定期的に開かれている講習──に来るはずだったクレィアちゃんが、当日姿を見せなかったことだ。

 急な用事が入ったのだろうとショウ先輩は残念そうな顔をするだけで、当時は誰もあまり深くは受け止めていなかった。

 

 けれど翌日、『紅蓮の湿地』北部で竹籠が見付かった。

 乱雑に打ち捨てられた籠は一部ひしゃげており、中の食材が地面に溢れ落ちていた。

 籠や食材には目隠し玉に用いられる細かな粉末が付着していて、近くの低木にはバリバリ玉の袋が風で貼り付いていた。

 籠の傍には湿地に生息しないはずのリオルが仰向けで倒れ込んでおり、元気の欠片とキズぐすりを使ってようやく目を覚ました。

 

 最後に──割れて鋭くなった竹の先に引っ掛かっていた青の端布は水に溶け出しそうなほど薄く、その持ち主に心当たりがある幾人かの見解が一致した。

 

 その日から、ウォロさんは商会に戻ってきていない。

 ギンナンさんも理解しているらしく、ツイリさんは気丈に振る舞うが時折今にも泣きそうな顔で不安を見せる。

 

 

「もってくれよ御山の天気……!」

 

 

 人攫いか、野生のポケモンか。

 状況証拠から少女が連れ去られて行方不明になったのは確実だった。

 問題なのは彼女の所属。

 彼女はコトブキムラの住民ではないし、コンゴウ・シンジュの者でもなければ、イチョウ商会に籍を置く訳でもない。

 

 ここではない何処かの子。

 名乗り出る親兄弟もいない何処かの子。

 ムラや集落の周辺を越え、捜索に人員を割ける組織が何も無かった。

 

 比較的安全な場所──『大志坂』、『蹄鉄ヶ原』、『金色の平原』、『コンゴウの里山』などは数人での捜索が可能なため、ギンガ団の警備隊が見回った。結果は何も得られなかった。

 

 あとは野生ポケモンが闊歩するエリアだけ。

 そうなると動ける人間は極僅か。

 極僅かに該当するおれはアヤシシ様とガチグマ様に助力いただきながら、『紅蓮の湿地』を走り回り、気づけば『天冠の山麓』にまで差し掛かってしまい今に至る。

 

 

「だぁ〜っクソ! 分からん! おれを導いてくれアルセウスフォン!!」

 

「うわっ!?」

 

「あ? あっえーと……オウメ……さん……?」

 

「寒い冬に春の訪れを知らせる可憐にして気高さの象徴三女のオウメだ!!」

 

「その枕詞もいるの!? ゴメンね覚えてなくて!!」 

 

 

 晴天に吐いたおれの絶叫にビビった野盗三姉妹の末っ子オウメは、どうやら背後から相変わらず金目の物をくすねようと近づいたらしい。ガチグマ様に乗ってるおれをスリのターゲットにした気概は認めたい。

 

 いつもならとりあえず勝負してるけれど今は本当にそれどころじゃない。金目の物が欲しいなら星の砂あげるからちょっと邪魔しないでほしい。

 が。

 そういえばこの人野盗だったと思い出し、おれは首をギッと回して詰めよった。

 

 

「ねえオウメさん『紅蓮の湿地』で人攫いとか見てない!?」

 

「野盗のあたいにそれ訊くか?」

 

「野盗のあんたの情報網を買ってるんだよ!! 知らないならいいやじゃあね!」

 

「知らないとは言ってないだろこのスットコドッコイ! ショウチクバイを舐めるな貴様!」

 

 

 再度ガチグマ様に飛び乗ったおれはその言葉に振り向いた。今はもう何でもいいから情報が欲しいのだ。星の砂ならあげるから。

 

 

「まず人攫いの線は薄い。ヒスイじゃどこも買い取ってくれないからな。売り渡すならヒスイの外だけど、“船”が来る予定は今のところ無いんだよ」

 

「よかった人怖案件は避けられた」

 

「で『古代の石切り場』の上にはオヤブンの縄張りがあるんだが、つい三日だか四日だかほど前に別のポケモンにオヤブンの座を奪われた」

 

「……? うん。それで?」

 

「その新しいオヤブンになったポケモンが『紅蓮の湿地』の方角から来たのをあたいとドクロッグは見てたんだよ。人間のガキを連れたオヤブンなんて気になって見ちまうだろ」

 

「! ありがとう! これあげる!」

 

 

 おれはオウメに星の砂をひと袋投げてアヤシシ様に乗り換えると、ガチグマ様に見送られて『古代の石切り場』まで急ぎ走る。

 はたして『天冠の山麓』で子供が数日間オヤブンポケモンの傍で生きられるのか? 直視したくない答えを観測する締切が蹄の音と共に近付く中、バクフーンのボールを強く握りしめる。

 

 

 ──結論から言うと。

 

 そこに辿り着いた時、既に何もかもが終わっていた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 その年の烈日は例年にも増して酷暑を連れてきた。

 紅蓮の湿地ではいくつかの沼が干乾びて、『金色の平原』は半分が萎びた。

 “あまごい”が可能なポケモンたちが代わる代わる入れ代わり立ち代わり雨雲を呼ぶも、夏盛りの紅鏡の前では焼け石に水。

 乾燥肌も雨受皿もひび割れていくような猛暑と乾きは、野生の生態にも異変をもたらしていた。

 

 ──自分は、そんな異変によって追われた個体である。

 

 豊富な水源たる立志の湖から最も遠く離れた『試練の中洲』でそれは起こっていた。

 沼が干上がる程の乾燥によって、呼吸ができなくなる仲間がいた。自分たちは皮膚が乾くと息ができない。単純にして致命的な弱みがこの夏に猛威を振るい出した。

 

 近場の沼が激減し、中洲に住める数が減った。強い個体から息を許され、この地での生存を勝ち取れる。

 強者生存の理に、自分はあっけなく敗北した。

 

 ここでは生きられない。席を失った自分の判断は迅速で、居場所の無い中洲を後にした。

 目立たないように、時に媚を売って、僅かな時間を生き永らえるだけの残り物の沼を転々とする時間。

 死にたくない本能だけで息をし続けた地獄の中、遂に五感が遠退く感覚で終わりを悟る。

 どこかも分からない場所で干上がり、地面のシミになるのが自分の結末なのだと視界を手放した。

 

 

 

 ──次に五感が戻った時、最初に働いたのは触覚だった。

 全身が小川の流水に浸け込まれ、ひんやりとした心地良さが体を包む。辺りを見渡すためにもぞもぞと動いたら、あどけない声が降ってきた。

 

 ニリンソウみたいな人間の女の子が、どこかの川に自分を浸している。

 女の子の後ろには夏野菜が生る畑があって、近くには人の住処が作られていた。

 

 とつとつと柔らかい言葉で説明された内容によると、干乾びて落ちていた自分を拾って助けてくれたらしい。

 

 それからしばらく浸かって息が楽になった頃、女の子は自分を川から出すと、大粒のマメをいくつか自分の前に置く。どうやら食べていいみたい。喜んで好物にかぶりつくと瑞々しさが口の中いっぱいに広がった。

 

 それから何日間か、自分はその川辺でお世話になった。

 女の子はやっぱりこの窪地に住んでいるらしく、人間の住処によく入っていく。畑の野菜をお世話したり大きな穴から水を汲み上げたり、ほどほどに忙しそうで、ほどほどにのんびりしていた。

 ひとりぼっちかと思えば人間が春の神に乗って帰ってきたり、また別の人間が住処に入っていったり。寂しくないなら何よりだ。

 けれどある日、春の神は隅っこにいた自分に気付いたようで、恐れ多くも話し掛けてきた。

 

 

 ──中洲に生きる者が、何故此処に居る。

 

 

 外敵だと思われているみたいな冷たい鳴き声に吃りながら必死に訴える。

 烈日が厳しすぎて湿地がからからになっていること、死にかけたのを女の子に助けてもらったこと、攻撃の意思は無いことを。

 

 静かに聴いてくれた春の神はひとつだけ相槌を打つと空の彼方に飛び去った。分かってくれたなら嬉しい。

 ほっと安堵した自分は女の子が持ってきてくれた緑色のもちもちを食べた。マメと似た味がしてとてもおいしい。

 

 

 ……その日の晩、湿地全土を土砂降りの大雨が襲った。

 鳴り止まない雷も何度か落ち、ずっと天地がぴかぴか光っている。

 この窪地も一晩中雨だけど、幸い雷は近くに落ちなかった。やけっぱちみたいに降りしきった雨は夜明けと共に止んで、空をシンオウに明け渡す。

 

 

 ──これで湿地は元通りだ。

 

 

 春の神の宣言通り、今の湿地には本来の匂いが満ちている。きっと中洲でも熾烈な争いはもう繰り広げられていないだろう。

 

 頭を掴まれた瞬間、春の神が空に飛び出した。

 自分とは無縁だと思っていた空の上、自分の鳴き声が後ろ後ろに尾を引いている。声が流れるなんて感覚を初めて味わいながら、あっという間に中洲へと戻ってきた。

 

 春の神に連れてこられた自分を仲間たちはざわめきながら出迎える。

 春の神は自分を沼に下ろすと、あとは何も言わずに去っていった。

 群れでの自分の立場は、それ以降明らかに変わっていくことになる。

 

 

 

 それから。

 季節が何回過ぎたかは分からない。数えるのはやめてしまった。

 自分の体も大きくなって、群れで一番大きな殻を持った。

 もう自分が幼い仲間を率いていかないといけないのだけど、どうしても他事に意識が行く。

 数えるのをやめた歳月の向こうで見たニリンソウの白が忘れられない。今生きているのはあの子のおかげで、こうして進化したのも元を辿ればあの子のおかげだ。

 

 人間にも自分たちにも近いシンオウの仔。

 また会いたいなあ。またころころマメを食べさせてほしい。

 でもあの窪地への道は知らない。探すとなると旅に近くなる。もっと大きくなってから? もう一度進化したら、どこにでも行けるようになるだろうか。

 他の群れにちょっかいを出しては経験を積み、廻り続ける季節を更に幾つか見送った果てに、その願いは叶うことになる。

 

 弟分たちが歓声を挙げる。

 少し見下ろすくらいだったのに、今やもっと下に弟分たちの顔がある。

 両手でぺたぺたと体を触る。

 明らかな違い、明らかな変化。あれだけ望んだ二度目の進化を遂げ、歓喜の咆哮は雨雲を裂いた。

 

 二度目の進化を終えた個体は湿地の群れを出る。単純に体が大きくなりすぎて余計な争いを招いたり、餌が足りなくなったりと都合が悪くなるからだ。

 群れを弟分に任せて独り立ち。他のドラゴンと違って寒さはそんなに嫌いじゃない。

 天冠の山を見上げて、あっちに行ってみようかと思い立つ。

 みんなに別れを告げて、しばらく湿地をうろうろする。

 気持ちと行動が一致しないのは進化してから溢れ出た未練のせいだ。

 山に行く前に、湿地を離れる前に、もう一度見付けられないだろうか。

 そんな執着を抱えて歩く自分を怖がったのか、他種族の子供がさささと逃げる。

 

 

 ──あ。

 

 

 蕾の子が逃げた平原。風に揺れる金色の稲穂の中。

 あの頃より少しだけ大きくなった、ニリンソウが咲いていた。

 

 ぞくぞくと全身を駆け巡る歓喜。

 思い起こす小川の心地良さ。

 瑞々しいマメの味。

 だいすきな古いシンオウの仔。

 

 シンオウさまのうつしがみは戸惑ったような顔で自分を見上げる。

 もしかして大きくなりすぎて分からない? それはそうかもしれない。あの頃の小さくて弱い自分は大きく強くなったから分からないのも仕方ない。でもどうしても気付いてほしい。後退りなんてしないでほしい。逃げないでほしい。

 及び腰のその子を両手で包んで引き寄せる。驚いて小さな悲鳴があがったけれど怖がらせたい訳じゃない。蕾の子と同じで小さな子は大きな体を怖がるのは仕方ないことだけど。

 

 どうにか分かってもらいたくて辺りを見渡す。倒れた竹の入れ物にあのマメが入っているのを見つけ、首を伸ばしてマメを咥える。

 その子に上を向かせて見せつければ、ようやく思い出してくれたみたい。食べさせてほしいなとマメを押し付けると、粘液でぬめるせいで何度か落としそうになりながらも、しっかり握った腕を精一杯に伸ばしてくれた。

 

 それが嬉しくて、体の奥底から好きの気持ちが湧き上がる。もうとめどなくて抑えられない。掌ごとマメを口に含み、体躯をもう一度抱き締める。

 足が地面から離れてびっくりしたその子は身じろいだ。それがなんだか春の神に掴まれたときの自分とおそろいみたいで、よりますます愛しくなった。

 

 入れ物から好きなものを取り出してその子といっしょに抱え込む。お腹の辺りに知らない袋がついていたから、どっちも竹の入れ物の方にぽいと放り投げる。粉が溢れたり音が鳴ったりしたから、もしかしたらこの子のおもちゃだったのかも。

 旅支度はこれでおしまい。シンオウの仔は天冠の山が好きだから丁度良い。

 シンオウの仔は何か鳴いていたけれど、恭しすぎてちょっと分かんなかったのが申し訳なかった。前とおんなじ鳴き方で良いのに。

 

 

 ──ところで。

 

 ──足元にいた青くて小さいこれ、なに?

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 背後から頭部に“バレットパンチ”。

 ダメージとしての効果は今一つ見込めないが、不意に脳を揺らされた銀の殻の竜(ヌメルゴン)は反応が大いに後れる。

 その隙きを勇敢なる者(ルカリオ)は見逃さない。クレィアと銀の殻の竜(ヌメルゴン)の間に入り、懐に詰めて“インファイト”を叩き込む。

 

 上から下からの衝撃に見舞われ千鳥足で横転する銀の殻の竜(ヌメルゴン)

 勇敢なる者(ルカリオ)が厳戒態勢のまま構えを解かないのは撃破とまでは行かなかったからだ。

 警戒を彼に任せ、クレィアを捕らえる粘液を掻き分ける。

 純度を高めた銀の殻の竜(ヌメルゴン)の粘液は“銀の水”と呼ばれ、昔から「水を十杯集めたよう」と言われるほどに重い。逃げ出さないよう脛から下を重たい銀の水に浸け、やがて疲れて座ればもう自力では立ち上がれない。

 数日間何度もじゃれつかれた体は満遍なくそぼ濡れて、着物からは絶えず粘り気のある液体が滴っていた。

 

 自分のものに近づかれてオヤブンは怒り狂う。怒張声を張り上げながら立ち上がると焔を灯した両の手を振り上げた。

 明らかに主人であるジブンを狙う殺意の波動を察した勇敢なる者(ルカリオ)は、その拳が自身の弱点を纏っていようと臆さず応じる。

 弾速の拳は手数で勝り、軌道を逸らしては打撃を入れて傷を蓄積させていく。怒れるオヤブンに通用するかは定かでないが、やるしかないのが実状だ。

 怒りに乱れる波動は掴みづらく勇敢なる者(ルカリオ)は得意の先読みが阻害されているだろう。故に先読みは補助程度に収め、培った戦闘経験を信じて渡り合う。

 

 打つ、躱す、打つ、逸らす、切り返す、打つ、打つ、打つ、打つ──穿つ!

 

 焔が頬を掠めたものの銀の殻の竜(ヌメルゴン)の腹に返しの一打が決まる。雷が竜の体を迸り麻痺の鎖で縛ることに成功した。

 

 ──が。

 

 銀の殻の竜(ヌメルゴン)の目に銀の水を解く外敵が映る。

 大切にしまっていたものを別の人間が抱き上げた。許せるか? 否だ。

 

 

「っ……!」

 

 

 耳を劈く怒鳴り声に身が竦む。

 頭に降りてきたのは彼の竜の感情。

 許せるはずがない。許すわけがない。たとえシンオウの仔であったとしても、たとえシンオウが許したとしても、心奥から溢れ噴き上がる執着心が認めない──と。

 

 痺れる体を無理矢理にでも煽り立て、ぐちゃぐちゃになった心ごと絶叫した竜は勇者の上から頭を振り下ろす。

 “アイアンヘッド”を紙一重で右に避けた勇敢なる者(ルカリオ)が“インファイト”を入れるべく片脚の裏を地から外したその刹那、本命の第二波──“ハイドロポンプ”が勇者を天冠の空に撃ち出した。

 陸を走る生き物が片脚でその水圧に耐えられるはずがない。尋常ではない水柱が打ち上がり、米粒のようになって勇者が青空へと消えた。

 

 妖光を宿す目がジブンを射抜く。射殺す。

 頭にあるのは如何にこれを壊さず簒奪者だけを仕留めるかだろう。

 奇遇ですね。ワタクシもです。

 

 

 

「………ぉ、やめ、くださ……」

 

 

 

 ごぷ、と喉奥から大量の粘液が溢れる。

 朦朧とした意識の中でやめてと懇願する巫に、その竜は酷く困惑した顔を見せた。

 

 

 ──なんで?

 

 ──あの烈日の下できみだけが、穏やかだったあの日と変わらずいてくれたのに。

 

 ──今になって、どうして。

 

 

 竜は眼を熱い涙で濡らし全ての動きを止める。

 覡であるジブンたちに無遠慮に慟哭を流し込む。

 真っ白になった頭と胸を締め付ける哀泣により、彼の心にぽっかりと虚が開いた。

 小さく鳴くしかないでしょうね。

 自分のものに自分よりたいせつなものがあったなんて、今はじめて知ったのだから。

 

 

銀の殻の竜(ヌメルゴン)。アナタ方の執念深さは、深淵じみた愛着は、昔から何ひとつ変わらない。最早生き物としての本能でしょう」

 

 

 ──晴天の彼方で青光が瞬く。

 

 それは水より深く空より色濃く、心を分けし波導の珠。

 天ほど高く撃たれてなお、彼は戦意を失ってなどいない。自由落下に身を委ね、主人の命を遂行すべく全身の気を右の掌に練り上げた。

 

 

 

「けれど、これはワタクシの“祭具”です。」

 

 

 

 必中の御魂。

 蒼き波導の凝縮体。

 重力をも味方につけて、波導の勇者は今度こそ、意識と視覚の外から鋼の竜を討ち下した。

 

 巨体に走る抜群技の威力。

 踏ん張れる許容値が突破され、竜は力無く倒れ伏す。

 ──ただ最後、心配そうに自分を見上げる巫がどうにも恋しくて、彼女にもう一度手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「うわあああん! よかった、本当によかったよぉ!」

 

「お、おち……おちついてくださいね……」

 

 

 ギンガ団本部の医務室でツイリは遂に涙腺を決壊させていた。ベッドから起き上がれるまで回復したクレィアは自分をひしと抱擁して泣くツイリの背をあやすように叩く。

 双子のエシモが「こら」と引き離すと手拭いで涙を拭い取った。心配していたのだ。ずっと。

 

 本部の外ではツイリの代わりにウォロが商会の車の荷解きをしている。彼自身はクレィアの意識が戻った報せを受け、医務室で容態をキネから聴き終えた後である。

 

 

「で、どうだったの?」

 

「命に別条はありませんよ。胃の中の粘液も全て取り除けたそうです。今のところ内臓に異変は見られません。衰弱……体力の低下はどうしても無視できませんが、意識ははっきりとしているようです」

 

「そっか」

 

 

 ギンナンは素っ気なくそう言うと帽子のつばを軽く下げる。

 そっか、と二度目の呟きが小さく漏れた。数日間の無断欠勤を黙認した甲斐はあったというものだ。

 

 

「応急処置に使った飲み水は給料から天引きね」

 

「甘んじて受け入れますよ」

 

 

 ヌメルゴンの粘液で満たされた胃を洗浄するために、飲ませては嘔吐させた至って普通の飲料水。欠勤の罰がそれだけで済むのは無理があるくらいに破格だった。

 吐けども吐けども出てくる粘液。

 全身に滲む冷や汗で体が冷えていく中、震える喉奥に指を突っ込み痙攣する腹に手を押し当てて嘔吐を促すのは中々に堪えた。

 

 

「しばらく休む?」

 

「……いえ」

 

「じゃあ早上がりね」

 

 

 言い終えた時点で帳簿に書き込み終えたため交渉はそこで打ち切られる。リーダーの決定は絶対だ。

 しばらくは日が高い内から「かえれー」と連呼されるのだろう。ツイリ辺りに。

 

 

「あのぉ……」

 

「やあ。いらっしゃい」

 

「あらテルさん!」

 

 

 お疲れ様でーす! と笑うウォロとは対象的に、テルの顔には「気不味い」と書いてあった。

 ヌメルゴンの体躯がウォロ達に向かって倒れる刹那、メガトンボールをぶつけて巨体を格納したのはアヤシシから飛び下りたテルだった。

 フンッ!! と送り出したボールは一度弾んだのち大人しくなり、投手のテルは振りかぶった勢いのまま盛大に着地を失敗した。

 

 

「えっと……例のヌメルゴンなんですけど」

 

「はい」

 

「その……謝りたい? みたいなんですよね……」

 

「ジブンにですか?」

 

 

 不思議そうな顔で訊ねたウォロを肯定する。

 テルのバクフーンが見張る中、ボールから姿を表すヌメルゴン。大きさこそオヤブンのそれだが、しょぼくれて幾分か小さく見えた。

 

 

「ほらヌメルゴン」

 

 

 めぇ、とか細い鳴き声と共に両手を差し出す。

 葉っぱを縫い合わせたシートの上に何枚ものキングリーフを乗せていた。葉っぱのシートは粘液がキングリーフに染みないようにテルが用意したものである。

 

 傷つける気じゃなかった。

 誰かのたいせつなものを奪うつもりじゃなかった。

 ただ大好きになったから一緒にいたかっただけなのだ。

 

 

「ハァ〜……」

 

 

 泣き出しそうな顔で「ごめんね」の鳴き声を繰り返すヌメルゴンにウォロは重い息を吐き出した。ギンナンとテルに出方を伺われる中、キングリーフだけを受け取ると「ボールにしまってください」拒否を突きつける。

 

 

「謝罪はあの子に直接言えばいいでしょう。」

 

「……ヴェッ!?」

 

「ギンナンさん、ジブン少し抜けますね」

 

「うん。ていうかツイリ呼んできて。交代でいいよ」

 

 

 お目付けのバクフーンとぽけっとした顔のヌメルゴンをボールにしまい、テルはウォロと共に本部の医務室に向かう。

 腰を据えてお茶まで飲んでるツイリは「待って! このお茶だけでも!」と立て籠もるが、その湯呑を奪って飲み干したエシモによって引き摺られていった。

 

 

「ヌメルゴンからクレィアにお話があるそうですよ」

 

「あっ勿論嫌だったら無理にとは言わないよ! ……どうかな。怖い? やめとく?」

 

「いいえ、わたしは平気です。ぜひ出してあげてください」

 

 

 キネにも了承を取り、おずおずとボールの開閉スイッチを押し込む。

 先程と同じく小さくなったヌメルゴンが両手をもじもじと擦り合わせながら鳴いた。

 吃りながら、つっかえながら、ゆっくり時系列と感情に沿って。

 今はただ、あのとき助けてくれたことへの感謝を。

 怖がらせてしまったことへの謝罪を。

 

 最後のひと鳴きが消え入ると医務室には静寂が下りた。

 ごくりと成り行きを見守るテル。

 薄い笑みを浮かべたままのウォロ。

 そして当事者のクレィアはたっぷり十秒ほど黙したあと、ヌメルゴンの手にそっと自分の手を重ねた。

 

 

「……どうか泣かないでくださいませ。わたしはこうして生きております。どこにもケガはありません」

 

 

 ね、と見せる微笑みはヌメルゴンの中の柔い笑みと同じものだった。その優しさに甘えた結果がこれなのに、大好きなニリンソウは態度を変えずにいてくれた。

 何もかもが自分に厳しい炎陽の夏の日に、そこだけが麗らかな春だったのだ。

 

 

「わたしには大切なお役目がありますから、あなたさまのたからものとして抱え込まれるわけにはいきませんが……『嫌い』にはなりません。わたしを好きになってくださり、ありがとうございます」

 

 

 心の虚が閉じていく。

 けして満ち溢れはしないけれど、そこにニリンソウが咲く限り、寂しさで掻き毟ることは無い。

 自分の「好き」とは違うけれど。

 自分が「欲しいもの」ではないけれど。

 なんにも無くなってしまうよりは、ずっとずっと暖かかった。

 

 抱きしめ──ようとして思い留まったヌメルゴンの体をテルが撫でる。

 烈日に芽生えた恋の終わりは、去る晩のような大雨だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの」

 

「なんじゃ」

 

「先日から春の神(ラブトロス)がやけにジブンを見ては頷くのですが。何なのですか」

 

「はて……。ああ、共感(シンパシー)かの」

 

「はあ?」

 

 

 




リオル(♂)
 控えめな性格で考えごとが多い。ルカリオとは兄弟。ヌメルゴンには立ち向かったが圧倒的な力量差から歯牙にもかけられなかったのを悔しく思い、純白の凍土で修行中。

ルカリオ(♂)
 真面目な性格で打たれ強い。戦闘中ずっとヌメルゴンの感情を浴びて軽く胸焼けした。リオルの頃はウォロと組手をして遊んでおり、ふと思い出してはあまりの危険に肝を冷やしている。

ヌメルゴン(♂)
 てれやな性格でちょっぴり見栄っ張り。クレィアのことは今も好きだけど元気な姿を見ているだけで満足できるように成長した。

ラブトロス(♀)
 “ドラゴンに見初められ連れ去られた娘子を連れ戻しに行き、なおかつ五体満足で取り返せた”という一連の流れに思わず後方腕組母親顔な春の神。

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