シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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 キング最強、クレベース。
 如何にテルの手持ちが強力だとしても、今回ばかりは安心できない。
 いや、安心できるできないなどと思う遥か以前の問題だ。
 キング鎮静の(めい)五回目にして、ギンガ団史上最大の危機! 調査隊員テル史上最大の奇策!
 聖地『氷山の戦場』に、新たな歴史が刻まれる! ……のか?
 次回、獣語「薄刀・針(つららのプレート)」──ちぇりお!



禍事たちの爪痕

 

 

 

「え、逆に怖くないですかそれ」

 

 

 本心からぽろっと零した発言に団長室の空気がピリついた。雑巾絞りされたみたいな傷みを胃が訴え出すも時既に遅し。

 本日の団長室で我らがデンボク団長と話をしていたのはシンジュ団の長カイさんと、彼女の恩師ハマレンゲさん。

 

 トレーナーズスクール(仮)で順調に講義を進めていたある日、雪原キング・クレベースが荒ぶっている──という訳ではなく、金色に光り輝いているものの全く暴れる様子が無いとの話が彼らから持ち込まれたのだ。

 ガチグマ様みたく単に別件ではないかとも考えたが、金色に光り輝くキングという二種の条件を満たしている以上それはない。本当に過去四件の事例に沿った上で、“荒ぶっていない”という差異が存在している。

 

 その話を聴いたおれがつい零してしまったのが先程のセリフというわけだ。

 

 

「逆に怖い、とはどういう意味ですかな。先も申し上げました通り、キング・クレベースは現在誰にも迷惑を掛けてはおりませぬ。シンオウさまの加護を受け、金色に体を輝かせているだけですぞ」

 

「スミマセン仰る通りです口さがない若造が出過ぎた真似を!!」

 

「よい、テル。おまえはギンガ団の現状最高位調査隊員だ。この席で所感を述べる権利がある」

 

「団長……!」

 

「発言させますぞ、ハマレンゲ殿」

 

 

 威厳に満ちた声でおれの背を押した団長の横顔はとても凛々しく精悍で、今すぐ写真に撮ってムラ中に広めて回りたい衝動に駆られる。

 にやけそうになってしまう頬の筋肉を全力で組み伏せて、真剣な面持ちでハマレンゲさんの眼を見つめた。

 

 

「……前提として、金色のキングは過去四件例外なく荒ぶりました。特にキング・ウインディはキングに就任した瞬間を狙われたように思えます」

 

「ええ、噂は聴いておりますぞ。ですから、クレベースは現状そのような状態に無いと言っているのです」

 

「それが怖いんですよ。他の四体が荒ぶったのに、キング・クレベースだけが荒ぶらない。荒ぶらない理由が、分からないんです」

 

 

 キングたちが荒ぶる原因は“雷”だ。

 荒ぶる“理由”は今になってもはっきりとは分からないが、キング・ウインディとキング・マルマインの様子から、過剰な力を得たことによる暴走だという仮説は立っている。

 

 

「他のキングにとっては御しきれない力だったが、クレベースは見事その力を制した! ただそれだけのことではありませんか!」

 

「それはそうなんですけど……じゃあなんで、“ただそれだけのこと”を他のキングは出来なかったのか? って話になるんですよ。それにキング・クレベースは“現状荒ぶっていない”だけで、“荒ぶらない”訳ではありませんよね」

 

 

 地震や噴火は“現状起こっていない”だけで“起こらない”訳じゃないし、手の掛からない子は我慢強いだけで何も感じていない訳じゃない。

 先の四件と同じ条件で異なる結果が出たというのなら、その“理由”を突き止めないことには何も解決していない。「よく分かんないけどなんかこうなってる」は一番いずい(気色悪い)

 

 ──お前その考え方が発端でド不敬やらかしたんだよな?

 ──ハイ……。

 

 

「いざ事が起きて手遅れになった時、一番悲しい思いをするのはキング・クレベースだと思うんです」

 

 

 クイーン・ドレディアの悲鳴を覚えている。

 キング・マルマインの絶叫を覚えている。

 彼らの苦しみに心を痛めた、キャプテンのふたりをおれは知っている。

 短いやり取りをしただけでも、このハマレンゲさんという人物が誠実で真っ直ぐな性格なのはよく分かった。キングが万が一にでも他者を傷つけようものなら、この人の心にも暗い影を落とすだろうと容易に想像できた。

 

 

「……ハマレンゲ殿。この者は原野を走り、湿地を探り、海岸を渡り、山麓を登り、誰より多くのポケモンと触れ合った優秀な調査隊員です。わたしはギンガ団の長としてもひとりの人間としても、この男の考えに賛同したい。事が起きてからでは遅いのだと」

 

 

 団長その辺りで勘弁してください。

 突然の褒め殺しに真顔を保つのが厳しくなり、つい口角が上がってしまう。真面目な話し合いの席で薄ら笑ってる変な人になってしまう。

 でもそれくらい嬉しかった。

 まだおれを怪しむ人はいるらしいけれど、団長がこうして信じてくれるなら、別にどうだっていいやとさえ思えてしまうのだ。

 

 

「……相分かった。そこまでデンボクさんが仰るのであれば、この者を『純白の凍土』で少し試させてもらいます」

 

「如何様にも試されよ。どのようなものであれ、必ずや応えることでしょうからな」

 

 

 堂々の太鼓判を押され歓喜が全身を駆け巡る。

 もう表情筋を押さえつけることなんてできなかった。

 満面の笑みで団長を見上げ、目が合った瞬間に全力で笑いかける。

 

 任せて団長。

 おれ絶対やるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──で。

 ハマレンゲさんとポケモン勝負をしたり。

 コンゴウ団のキャプテン・ワサビちゃんと追いかけっこしたり。

 神使の末裔であるウォーグル様に認められ、『クレベース氷塊』の上にある「永遠の氷」を手に入れたりして。

 ようやくハマレンゲさんに認められたおれは、『氷山の戦場』で当のキング・クレベースと対面した。

 ハプニングらしいものと言えば、キッサキ神殿に興奮したあまり追いかけっこそっちのけで探索に勤しんでしまい最終的にしびれを切らしたワサビちゃんが迎えに来たことくらいかな……。

 

 

「“だいちのちから”!」

 

 

 圧倒的な物理耐久を避けるべく、だいちのプレートを持たせたマンムーに特殊の地面技を放たせる。

 オヤブン個体のマンムーを遥かに上回る大きさを誇るキング・クレベースは、凍土を裂いて噴き上がる地と熱の槍に穿たれて姿勢を崩す。

 そこに、永遠の氷を用いたシズメダマを投げ込めば──他の四体と同じく、キングの体から金色の燐光が爆ぜて空へと昇って消えていった。

 いやあ強敵だった、流石ヒスイ最大のキング。

 

 

 光の消えたキング・クレベースは戦闘中と変わらず理知の光を目に宿しており、やはり苦悶も苦痛も見受けられない。

 粛々と役目に沿う戦士の如く、『氷山の戦場』から凍土を睨みつけている。

 

 

「空から見てたけど大迫力の戦いだったね! クレベースもお変わり無いようで安心かな?」

 

「時空の裂け目もこころなしか小さくなって見えるよ! このまま時間と共に閉じてくれたらいいのだけど……」

 

「なんにせよ異変はこれで終わってほしいところだぜ。何かあればテルがいるとはいえ、やっぱ気が気じゃねえや」

 

 

 ウォーグル様からワサビちゃんとセキさんが飛び降りる。カイさんがどこかすっきりした面立ちで駆け寄ってくるのを、穏やかにハマレンゲさんが眼差していた。

 

 ……おれは正直、全然一段落した感じがしなくて内心少し焦っている。

 この胸騒ぎの原因は何だ。心当たりはまるで無い。

 だけど心臓を爪でカリカリと逆撫でされているような感覚が、いつまで経っても消え去らない。

 

 

「テルよ、せっかくこんな寂れたとこまで来たんだ。凍土のポケモンたちのこと、調査していっちゃあどうだ?」

 

「……。そうですね。凍土の調査が出来るのはおれだけだって、シマボシ隊長も言ってたことですし」

 

 

 その胸騒ぎがどうにも気掛かりで、セキさんの提案に乗る形で、もう暫く様子を窺うことにした。

 

 

 さて。

 凍土の調査は本当に進んでおらず、ベースキャンプもかなり少なく、使われた形跡がほとんど無い。

 その辺を歩くユキワラシの情報さえ満足に集まっておらず、なんならユキカブリとの区別さえついていないらしかった。

 

 

「ヌメルゴン、“アイアンヘッド”!」

 

 

 オニゴーリとの頭突き勝負を制したヌメルゴンが勝鬨をあげる。

 ドラゴンタイプに鋼タイプを引っ提げたヒスイのヌメルゴンは抜群二・半減以下九・無効一と実に優秀な耐性を持っており、特に氷タイプのダメージを等倍に抑えた上で返り討ちにできるのが特に良い。どうして現代のシンオウ地方にはいないのか。

 

 凍土には所々シンクホールもとい陥没穴が空いており、そこから『氷山の地下道』に降りることが出来る。

 鍾乳洞のように巨大な氷柱が空間を仕切る中、オヤブンユキメノコがいた広間の壁にルカリオが氷漬けになって埋まっていた時は「いい趣味してるねきみ……」と思うなどした。

 

 一番興味深いのは地下道にいたゾロアだろう。

 ラベン博士が調べた文献によると、元は別の地方にいたゾロアが忌み狐とされヒスイに追われたのだという。

 しかしヒスイの厳しい自然に適応できず絶滅し、抱いた強い恨みのエネルギーによってゴーストタイプの姿を得て蘇ったのだとか。

 

 ここで疑問なのは「どうやってゾロアたちはヒスイに来たのか?」だ。

 ヒスイ地方はギンガ団が上陸した二年前まで人の出入りがほとんど無い閉ざされた世界。

 イチョウ商会がいつからこの地で行商しているのかは分からないが、彼らも大きく商売を始めたのはコトブキムラが出来始めてからだと思う。荷に紛れるのは無理があるし、そこまでの個体数は見込めない。

 陸上型のゾロアたちはどうやって、海に囲まれたヒスイ地方にやってきたのか。

 

 

「……『心の空洞』、か?」

 

 

 それはシンオウ地方にある、ほぼ唯一と言っていい他地方との繋がり。

 イッシュ地方南西の森林地帯にあるとされる『心の空洞』、その奥はシンオウ地方に繋がっている──そんな、都市伝説の類い。

 あり得ないと笑うのは軽率だ。何故ならゾロアが海や空を渡ることの方があり得ない。

 たとえ飛行タイプのポケモンに化けたとしても、それはあくまで幻影に過ぎない。彼らはメタモンの“へんしん”と違って、変化先の能力を手に入れることは出来ないのだから。

 

 

「ぬあ〜っ! やっぱイッシュも行っておきたかったなあ〜っ!!」

 

 

 創世神話を持つ対のドラゴンポケモンを祀るシンオウ地方と、建国神話を持つ対のドラゴンポケモンを祀るイッシュ地方。

 この共通点だけでもまず滾るし、古代の遺跡が多いという共通点もある。

 何より向こうは、炎タイプが多い。

 

 ヌメルゴンが反応に困るので駄々もそこそこに凍土の探索を再開する。

 ハピナスたちの憩いの場にお邪魔して空を飛ぶクロバットを捕獲したり、ルカリオとリオルの修業場に顔を出してありったけの殺意を浴びたり、エイチ湖の湖畔をゆっくり周ってみたり。

 

 そのエイチ湖の向こう側に建つキッサキ神殿を再び訪れて、内部のポケモンたちを細かく記録する。

 地下へ向かって降りていくのが当たり前だったキッサキ神殿を登るという感覚は中々に新鮮だった。

 何より──どこも崩れていないのが、最高。

 

 

「やっぱキッサキ神殿って……北風の建築学(ボレイアス・アルキテクトニキ)()()()()よな」

 

 

 外観・内装共に抱いた違和感を口に出せば存外と素直に腑に落ちる。

 あのシンオウ神殿を最高傑作にして至高の見本とするのなら、このキッサキ神殿は似ているだけでかなり異質であり、シンオウ建築の理念からすれば邪道とさえ言えるものだ。

 あちこちの装飾は必要性が見当たらず、中心に向かって膨らまない柱は型破りで、神殿としての造り自体がかなり特異。入り口からしてなんでこうなる。

 北風の建築学(ボレイアス・アルキテクトニキ)を模倣してはいるが、決定的に根幹が異なっている。それは最早わざとずらしたとしか言えないほどの差異だった。

 

 けど、それも納得できるかもしれない。

 ここに封印されているのは、大陸を動かしたとされる伝説のポケモン・レジギガス。

 “プレートに あたえた ちから たおした きょじんたちの ちから”という一節に残る「巨人」の正体として、真っ先に候補に挙げたい一体である。

 アルセウスとかつて敵対していた存在を()()するための神殿を、アルセウスを祀るための神殿と同じ造りにするのは確かに抵抗があるだろう。

 

 ……そう、()()だ。

 まるで極天の守護像(ヒュペル・パラディオン)の如く、けれど見守る市井などありはしない神殿の地下深くで、石像と化していたレジギガス。

 その封印をどうにか解けないか奔走し、最終的に「巨人」に心当たりがあるというホウエンの新チャンピオンにコンタクトを取るに至った遠き激動の日々。ああ何もかもが懐かしい。

 

 

「うーんど〜すっかな。“全てのポケモンに出逢え”はいいんだけど、レジギガスも含まれてたらホウエンに行ってレジ系三体捕獲するとこから始めないといけないよな……」

 

 

 レジギガスが造り上げたとされる三体の人造巨人。ホウエンの新チャンピオン──ユウキ先輩の協力で彼らをレジギガスの前に連れて行くと、レジギガスの石化は解除された。

 何がどうしてそうなったのかは不明だが、その手順が必要なら遥々南方のホウエンに行かなければいけないし、レジギガスと出会った後に遥々南方のホウエンに人造巨人を送り届けないといけない。

 

 アルミア地方の更に南。

 カントーの広大な平野を抜けて、ジョウトの海をも越えた先。

 遥々。

 南方の。

 ホウエンに。

 

 

「長くなりそうだな……」

 

 

 レジギガスの封印を解くためには、遙か彼方の地で人造巨人の封印を解かなければいけない。

 過剰包装みたいなセキュリティには古代人の意識の高さを見上げる他無かった。

 

 そうこうしている内にキッサキ神殿の外に出る。

 おそらくここがシンオウ地方での「入り口」に当たる場所であり、エイチ湖を基準にするとだいぶ位置がおかしいので、地盤沈下や雪崩でここの地形も変わるのだろう。

 

 

「ウォーグル様! その……これの上、行っていいですか」

 

 

 上、とは文字通り神殿の上。

 この四角い神殿に突き刺さる天の楔の如き逆三角形の上だ。「二階部分」と形容するのはあまりにもレジギガスに対して不敬なのでやめておく。

 ウォーグル様は静かに頷くとその背中におれを乗せ、一気に上昇してくださった。

 

 

「…………何だ、これ」

 

 

 そうして見下ろした“幾何学模様”に目を奪われる。

 巨大な楔の底に描かれているのは、正方形に近い図から外側へと波紋の如く広がる菱形の連なり。中心から爆ぜた様な、中心から飛び散る様な意匠。

 すぐさまアルセウスフォンに撮り収める。

 ああ、口角が上がってしまう。たとえアルセウスに関係が無かろうと、いやアルセウスに関係無いものなんてこの世にあるのか? 創造神に無関係なものが? ──無いだろう。

 

 

「おれっ……ヒスイ・シンオウ地方、好き……!!」

 

 

 アルセウスフォンを抱きしめて世界に告白する。

 同時に未来(過去)のおれがド不敬クソガキ野郎だという事実への許せなさがよりこみ上げた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 小さな橋を渡った先、厚い積雪がかさを減らして薄墨色の土道が顔を出す。

 氷河の侵食によって削り取られた典型的な氷河谷。千歳緑の針葉樹がそこかしこに雪化粧をして佇み、谷の形に沿うように家が建っていた。

 キッサキ神殿を仰ぎ見る極寒の里──シンジュ集落。

 温泉の匂いが風上から漂って降りてくる中、シンジュ団の皆さんに挨拶しながら歩き回って、その地形に強烈な既視感を抱いた。

 

 これどう見ても……かなりどう見ても、キッサキシティ……。

 

 シンオウ地方の面影を感じて頬を緩ませながら階段を登り切った先。

 温泉に浸かって警戒心のけの字も無くなったウリムーとイノムーにスイートトリュフをあげると、やっぱりだらけ切ったままもそもそと食べ始めた。え? 可愛いすぎる。

 

 

 

「──ミヤコ?」

 

 

 

 そんな時、背後から誰かの名前を呼ばれた。

 集落をひと通り見て回ったおれの知らない名前だったから、まだ他に住人がいたんだと思って振り返る。

 けどおれの予想に反して、想定と違って、声の主と思われる初老の男性はまっすぐにおれを見つめていた。

 

 

「えっと……?」

 

「……ああ、なんだ男か」

 

「スミマセン実は男で」

 

 

 総髪にしているとシルエットが女の子っぽくなるのか性別を間違われることは稀にある。コトブキムラに来たばかりの子供から何度か「お姉さん」と声を掛けられた。

 いい加減髪を切ろうかなと思いもするのだが、存外と首元が暖かいので中々手放すのが惜しくなっている。

 

 

「悪いね、人違いだ」

 

「いえ、お気になさらず」

 

 

 トリュフのおかわりをウリムーからねだられポーチの紐を緩める。そのずんぐり丸っとしたフォルムとしょぼ……とした顔つきの可愛さに抗うなどおれには出来ない。

 

 

「……ウリムーが可愛いか」

 

わやめんこい(超絶かわいい)です。」

 

「そうか……」

 

 

 その様子を、どこか切なそうに先程の男性が眺めている。

 階段の下には同じシンジュ団の人たちがいるというのに、彼は半ば茫然とした様子でイノムーの前に立った。

 

 長い沈黙が流れる。

 彼が何かを言いたげにしているのが分かるので、そそくさと立ち去るのもなんだか憚られる。

 黙して黙して、やがて晴れた空に雪雲がやってきて、崖上の『キッサキ神殿』を白曇りの中に隠した時だった。

 

 

「後ろ姿が似てたんだよ。娘と。ミヤコもこいつをよく可愛がってた」

 

 

 慣れた手付きでイノムーを撫で、イノムーもその手に身を擦り寄せる。彼らが共に暮らしてきた時間を感じるにはそれだけで充分だった。

 男性はおれに聴かせているのか、それとも単に独り言ちているのか。おそらくそのどちらでもあって、そのどちらでもないのだろう。

 

 

「ここは祖先がシンオウさまと初めて出逢った土地でな。寒さが厳しかろうと土地が痩せこけていようと、シンジュ団はここから離れようとしない」

 

 

 その集団に属して生きていく以上は誰にも零せない嘆きを、彼は余所者のおれに零したのだ。

 シンジュ団が「空間」を大切にしているのはもう周知の事実。氷河谷の地形を活かし、家として不自然でない位置にそれぞれの住居を点在させる集落の形からも、それはありありと伺い知れる。

 時を最も身近に感じるために、開けた場所に日時計を置き、それを取り囲むように家を建てたコンゴウ団との違いが如実に現れていた。

 

 

「スナハマダイコンなんて今よりもっと細くて不味かった。ウリムーだけはよく獲れたが、イノムーか、酷い時はマンムーに見つかって、狩りに出た男全員が死ぬこともあった」

 

 

 今でこそ足りないものはイチョウ商会から買い付けることが出来る。けれどそれにも金が要る。

 売れるものを作らなければ物を買うことは出来ない。食べられるものを食べていかなければいけない。

 なんとも簡単で──重い、当たり前のこと。

 

 

「娘さんは、じゃあ……その。ウリムーを食べられずに、餓えで?」

 

「そんな勿体無い命の使い方が出来るものか。……神さまへの嘆願役を拝命仕ったよ」

 

 

 声には不条理に対する義憤があって、とっくに過ぎたことだというのに消化できない自分への侮蔑があるように思えた。

 彼の中でその娘さんの件は何一つ終わっていないのだと、イノムーを撫でる手の指先の強張りが告げている。

 

 

 ──はじめはエイチ湖に向かったと云う。

 知識を授ける神がいると古くから言い伝えられているその湖に赴いて、彼女はこの厳寒の凍土で生きていくための知恵を授かろうとした。

 けれど湖から戻ってきた彼女は魂を抜かれたように茫然自失しており、可愛がっていたウリムーのことも、父親のことも、惚れた男のことも何もかもを忘れていた。

 

 

「泊めてくださいなんて、娘に言われる日が来るとは思わなかったさ」

 

 

 ──彼女は行く宛も無いのだと生家で言い、頼る人もいないのだと家族の前で告げた。

 好物を食べさせても、お気に入りの着物を着せても、好いていた男から声を掛けられても、以前の彼女が示した反応と同じものは、何ひとつとして返ってこなかった。

 

 同じ姿をした別人で、怨み狐が化けているのだと言われたら信じてしまいそうだった。

 誰も何をしてやればいいのか分からないままに時だけが過ぎ行く中、幼子でもないのに生きる術の全てを忘れた女など抱え続けていられるはずもない。

 

 曖昧でぎこちない愛情と、確かな疎ましい視線の中、彼女は自身の立場を理解して、ある日の晩に集落を出て行った。

 

 夜が明けて、もぬけの殻になった布団に血の気が引きあちこちを家族と探し回った。

 この寒い中、当時の長の笛でガチグマ様にもご足労いただいて、ようやく見付けた時には──水葬なのか鳥葬なのかの区別もつかないような、変わり果てた姿になっていた。

 

 

「……生きていてくれるだけで良かったなんて、言える生活じゃなかった」

 

 

 ──それでも、生きていてくれるだけでよかったんだ。

 

 彼はイノムーと額を合わせ、消え入るような声で告白した。

 “ミヤコ”さんの代わりにそれを聴いたおれはマフラーに顔をうずめ、「雪、そろそろ降り出しますよ」とだけ告げて温泉を後にする。

 

 

 だって他に何を言えただろう。

 

 あの言葉を本当に受け取ってほしい相手だけが、この世界のどこにもいない人に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




マンムー(♂)
 意地っ張りな性格で暴れることが好き。特殊技は不得手なので、プレートで底上げされた“だいちのちから”の威力には自分でも若干引いてる。やっぱり思いっきり暴れられる“10まんばりき”の方が好き。

ユキメノコ(♀)
 てれやな性格でおっちょこちょい。妖精/鉱物グループなので陸上/人型グループのルカリオとは番にならない。氷漬けはただの趣味かも。まあ旧い宇宙にはハッサムを氷漬けにしたユキメノコもいるし……。

ユウキ
 ジムリーダー・センリを父に持つ、ホウエンリーグの新チャンピオン。というかRS主人公。
 シンオウ地方の炎タイプ事情を聞いてデルビルのタマゴを用意した優しい先輩。石室の暗号は「全く分かんないけどなんか呼ばれた気がした」という勘で突破した“ゆーきあるもの”。

ミヤコ
 何十年も前、エイチ湖でユクシーの問いに答えられず記憶を失ったシンジュ団の女性。
 自分ひとりが団の空気を悪くしているのだと思い、小舟で心形岩山に渡り滝壺に入水した。
 記憶を失う前は多分ノボリのことが好きだった。
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