シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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時空の二頭政
いつか訪れる未来を前に


 

 

 調査を大まかに終え、博士共々『純白の凍土』を後にする。

 久しぶりに戻ってきたコトブキムラの草木と土に満ちた匂いが鼻をくすぐった。

 再建も終わって真新しい家屋が軒を連ねている。畑も整えられており、モジャンボたちが畑作隊の方々と楽しげにツルを振るっていた。

 

 

「団長~! 隊長~! 戻りました~!」

 

 

 丁度イモヅル亭で昼食を摂っていたおふたりに駆け寄れば、ヒスイで最も過酷な地域に赴いていたおれの帰還を喜んでくれたのか、両者の纏う空気が和らいだ。

 どっちも強面だから表情の差はそんなに無いが、おれには分かる。

 

 

「食事を終えたらすぐに行く。先に団長室で待っておれ」

 

「はい! あ、これキング・クレベースの件の報告書です。こっちが今回の調査で更新された図鑑情報」

 

「確認する」

 

「じゃあ先行ってます! 慌てずゆっくりご飯食べてくださいね!」

 

 

 昼休憩を邪魔しないよう手短に渡すものだけ渡してその場を去る。団長室で待っていろとのことなので、寄り道せずまっすぐ三階に足を運んだ。あ、シュウゾウ先輩。また収納術教えて下さい。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

「ふむう……キングが荒ぶる一連の流れの理由は結局のところ不明のままか。そして“氷の巨人”が何故現れたのかも分からず終いなのだな」

 

 

 報告書に目を通し息を吐く。

 最後のキングを鎮めれば何か分かるやもと思っていたが、齎された情報に目新しいものは無い。クレベースが理性を保っていた理由に関しては報告書が“氷の巨人”の存在を挙げていたが、では何故“氷の巨人”が今になって目覚めたのかは分からぬまま調査は終えられている。

 

 

「この、天より降された雷霆が“氷の巨人”を止めたというのはどういうことだ?」

 

「どう……って言われても書いてある通り、まともなポケモン勝負は通用しなかったので、最終的には雷槌が鎮めたんです」

 

 

 凄いですよね、とテルは笑った。

 ここに来てキングを荒ぶらせる雷が味方をしたということか、彼の表情に恐れは無い。至近距離で落雷を見れば並の人間は腰を抜かし怯えるというのに、随分と豪胆になったものだ。……いや、それは元からか。

 

 

「まあよい。これで明日から普通の日々が始まるのだな」

 

「はい! どの地域の図鑑もまだまだ完成とは言い難いんで、明日からはよりしっかり詰めていけたらって思います」

 

「そうだな。次は暖かい地域で体を休めながら調査に臨め」

 

 

 我ながら指示の矛盾に内心苦笑した。

 ポケモンの調査などというものは常に警戒して当たるべきであり、心身共に休まるはずもない。

 この隊員だけが特別なのだ。誰よりも楽しそうに調査に赴き、誰よりも嬉しそうに図鑑を眺める青年だけが。

 

 

「テル、この後の予定はどうなっている」

 

「この後ですか? ん~……」

 

「もし無いのなら少しわたしに付き合え」

 

 

 青年はその誘いに目を瞬かせると、すぐさまハマナスが咲くような笑みを綻ばせる。

 今にもじゃれついてきそうな彼を椅子に座らせ、棚の奥で静かに眠り続けていた卓上棋盤と駒一式を持ち出した。

 

 

「指せるか?」

 

「……初心者です」

 

「わたしも嗜む程度だ。特にこの二年は相手もいない」

 

 

 机上に広げてみれば青年は駒音を微かに響かせながら初期の配置に並べていく。手の動きに淀みや迷いは無い。知識として備わっているのは確かなようだった。

 互いに陣を張り終えた報せが静寂として部屋に届く。

 わたしは定石通り、大駒の道を開けるべく歩兵を一手進ませた。

 

 

「──おまえがコトブキムラに来てから、実に多くのポケモンについてわたしたちは知ることができた」

 

 

 調査隊の人間はギンガ団の中で最も少なく、警備隊と組まなければベースキャンプの設営や食料の確保もままならないのが実態だった。たとえひとりでもその欠員は手痛い状況下で、それなのに調査の度に負傷者には事欠かない。

 遅々として進まない調査に誰もが焦り、苛立ち、落胆を重ねる中で、ショウやラベン博士の明るさは隊員たちの心の支えになっていたようにも思う。

 そこに現れたこの青年は、そんな停滞を吹き飛ばすように原野を駆けては数多くのポケモンの情報を持ち帰った。

 

 

「コンゴウ団からの依頼に応え、シンジュ団のキングを鎮めた。キングの相手は自然とおまえに託されるようになっていったな」

 

「そうですねえ。振り返ってみれば楽しかったです。団長から命令される度に『任せて団長、おれやります』って身を引き締めてました」

 

「妙にこちらを見て頷くかと思えば……」

 

 

 わたしが王将の守りを固める間、青年はこれといって手を講じない。駒の動きからも型が見えてこず、定石を知らない子供の自由気ままな指し方と言える。

 時折大駒で攻め込まんとする気配が見えるものの、迎撃の兵を置いて軽く睨みを利かせればすぐに駒が浮いた。

 

 

「バサギリを鎮めたおまえは正直理解ができなかった」

 

「えっ!?」

 

「驚くでない。被害を出している双斧のポケモンを相手にいくらポケモンを従えているからと言って身一つで挑むなど正気を疑う」

 

「嘘でしょ団長おれのこと頭のおかしい奴だと思ってたんですか!?」

 

「その通りだ」

 

「ええーッ!?」

 

 

 囲いが完成した盤面を見下ろす。

 青年の陣は大駒が広く飛び、小駒が役割も無く点在している。基礎の概念がなっていない。各個捕らえていけばすぐに兵が尽きてしまうだろう。

 

 

「特にギャラドスを連れ始めた時は、如何に合理的な理由で野生に帰すよう命じるか日夜頭を悩ませたものだ」

 

「あれは……すみません……」

 

 

 わたしには故郷と呼ぶべきものが無い。

 生まれ育った屋敷は集落ごと焼き払われた。

 切磋琢磨した友人は皆瓦礫と炎に呑まれていった。

 妻が心を通わせたピクシーは羽を黒煙に煤けさせて、妻の打ち掛けだけを引き摺ってわたしの元に避難してきた。

 わたしにとってポケモンとはそういうものだった。

 暮らしを脅かし、理不尽に全てを奪う天災そのもの。

 おまえが付いていながらどうしてと、ピクシーを恨んでしまったことだってある。おまえも同じなのだろうと、ピクシーを遠ざけてしまったことだってある。

 

 

「……違うと、分かっているのだがな」

 

 

 人間が様々いるように、ポケモンとて一枚岩の勢力ではない。

 人を襲うポケモンもいれば、人に寄り添うポケモンもいる。人を襲うポケモンの中にも人と共に生きる者はいて、ポケモンと共に生きる道を選ぶ人間がいる。

 

 

「それでも今も夢に見る。全てが崩れる音、人の焼ける臭い、殺意と慟哭の咆哮、黒く赤く染まる世界、腕の中で失われていく同胞の命。わたしのみならず、コトブキムラに住む故郷(ふるさと)無き者たちは皆そうだ」

 

 

 夜間に医療隊の宿舎を訪れる者はいる。夢見の悪さからキネを頼る時もあれば、いつまでも眠れずクメを頼る時もある。

 頭では分かっていても心では受け入れ難いのだ。深く刻まれた傷跡はいつまでも不意に疼き、ふと痛みを訴え出す。そういうものなのだ。

 

 

「故に──これから生まれてくる者たちに、その傷を負わせてはならん」

 

 

 固めきった守りは盤石を極める。

 一切の邪魔が入らなかったわたしの布陣は完璧と言っても過言でなく、近衛も近侍も万全を期して敵陣を見据えていた。

 

 

「コトブキムラはヒスイに生きていく人々の故郷となる。ポケモンに怯える日々は過ぎ去り、共存という理想を叶えた土地になる。誰の未来も、誰の世界も奪われない安寧の地……わたしの望むムラの姿だ」

 

「じゃあ、おれもっと頑張らないとですね」

 

 

 パチン、と高い駒音が厳かな空気を裂く。

 見ればその一手で遊び駒が戦局へと参入しており、彼はわたしの守りが完成したのを見届けてから攻勢に転じたようだった。

 

 

「悪夢から目覚めさせてくれるポケモンとか、心の傷を癒やしてくれるポケモンとか、ヒスイにも世界にもまだまだ沢山のポケモンがいますから。つらい記憶を完全に過去のものにするのは難しいかもしれませんけど……団長が思い描く理想のムラがそういうのとは無縁のところだって言うなら、おれは全力で実現の手伝いをします」

 

 

 互いに駒を投入する。戦場はようやく戦いの火蓋が落とされた合戦らしくなり始めた。

 大駒を誘い、小駒を仕留め、時に大駒を相打ちに縺れ込ませ、一手後に再び呼び覚ます。相変わらず定石は見えない。時折それらしい顔が覗く程度の、型を知らない戦であったが──

 

 

「おれは、ギンガ団の調査隊員ですから」

 

 

 ──男の紺青色の眼に宿る光のまたたきと、とても良く似ていたのだ。

 

 

「テル。三手後におまえの詰みだ」

 

「三手!? そんなワケ……わあ……」

 

「ポケモンを戦わせるのは鬼のように強いというのに、こちらはからきしなのだな」

 

 

 青年は年より幾許か幼い表情で怪訝そうに棋盤を見下ろす。わたしが指摘しなければ王将を討ち取られるまで詰みの一切に気づかなかったのだろう。

 一局の顛末は、彼はこの板の上で戦をするより、外でポケモンたちと戦う方が馴染みのある人間なのだと雄弁に物語っていた。

 ……そんなこと、ずっと前からわたしは知っていただろうに。

 

 

「だが気持ちの良い手を幾つも指す」

 

 

 そう評してやると、青年は心の底から嬉しそうに破顔する。

 最初はこの忠誠の理由が分からず不気味であったが、要するに此奴も人の子。見知らぬ土地で心を寄せられる相手というものに飢えていたのだろう。

 五体のキング・クイーンを鎮め、二百体近くのポケモンを調べた圧倒的な功績の持ち主。

 その献身を、その忠義を、他ならぬわたしが認めてやらなければならない。

 子供というには大人びた、大人と言うにはあどけないこの者のために。

 

 

「また時間があれば指しに来い。老人を相手するのに覚えておいて損は無いからな」

 

 

 駒の動かし方を見れば相手の人柄が分かる。

 童の如く純粋な手を幾つも指し、流れる風の如き自由な星光の青年は、晴れやかなよく通る声で「はい!」と強く返答した。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 団長との一局が永遠に頭を支配している。

 パチン、パチンと鳴り続ける駒の音がいつまでも耳の奥で繰り返され、どんなにムラの人と話してもそれは消える気配が無い。

 それだけ特別な時間だったのだと自覚して頬がにやける。緩んでいく。止められない。

 

 

「ご機嫌ですねテルくん」

 

「分かりますか~!? 団長と将棋やったんですよ!」

 

「それでそんなに笑顔なんですね」

 

 

 いいことです、とショウ先輩がラベン博士とにっこり笑い合う。

 そうなんですよ最高に良くって。団長とゆっくり話せたのも嬉しいし素人に毛が生えたおれの腕を褒めてもらえたのも嬉しい。

 しかもまた指しに来いって言ってもらえたしこれはつまりおれに定石とか戦法とかを教えてくれるってことだと思うんだよね。

 あっという間に組み上がっていった守りの陣とかどこから崩せばいいのかさっぱりだったしあれも教わりたい。

 

 

「ショウくんもテルくんが帰ってきてからずっとご機嫌ですよ」

 

「あ、あたしは仕方ありません! テルが無事に戻ってきたんですから、安心して……」

 

「先輩……!」

 

 

 照れながらイモモチにがっつくショウ先輩をラベン博士と一緒に眺める。今おそらくおれたちの心は一つになっている。そうですよね博士。

 

 

「けれど、キングを鎮めても時空の裂け目は閉じませんでした。あれは一体どうやったら閉じるのか……」

 

 

 それはマジで謎。

 そもそもなんで開いたのかも分かっていないので、どうやったら閉じるのかも今のところ不明だ。

 あそこから落ちた雷でキングたちが荒ぶったのだけが確かな現象であり、あとついでにおれが落ちてきたのも確かと言えるが、それだけだ。

 いっそのことおれが乗り込んで、内側から閉じられないか試してみるとかどうだろう。

 

 

「でも博士。時空の裂け目が閉じてしまったら……テルは、戻れないのでは?」

 

「ショウくん、それは……」

 

「あ、それはぶっちゃけもういいっていうか」

 

「え?」

 

 

 正直、『天冠の山麓』でド不敬の記憶を取り戻した時からおれが生きて元の時代に戻る未来っていうのは諦めている。

 そりゃあドダイトスをはじめとする手持ちポケモンたちや、ライバルであるジュン、何より母さんに会えなくなるのは悲しいってレベルではないけれど。

 それは、神さまの領域を侵したおれが受けるべき罰の一つだと思うのだ。

 このヒスイで終身刑だというのなら、おれはそれを受け入れるつもりでいる。

 

 

「なんだかんだ、ヒスイにも愛着が湧いたと言いますか……おれにとっては故郷と同じくらいヒスイも大事なんですよ。コトブキムラがあって、ショウ先輩がいて、ラベン博士がいて、シマボシ隊長がいて、デンボク団長がいて、バクフーンたちがいて……」

 

 

 穏やかな原野、どこか望郷に駆られる湿地、幾つもの青で彩られた海岸、全てが美しい山麓、氷に閉ざされ、けれどあたたかな凍土。

 いずれシンオウ地方になるこのヒスイの地が、もはやシンオウ地方と同じように愛しくなっている。

 そこで暮らす人もポケモンも大好きなんだ。こんな気持ちになってからシンオウ地方に戻る手立てが見つかったとしても、今度はヒスイにまた来る方法を見つけ出すための調査が始まるだろう。

 

 

「おれ、ヒスイが好きです。ヒスイに生きる人たちが、ポケモンたちが大好きなんです」

 

 

 はにかみながら断言するとバクフーンのボールが小さく揺れた。

 ショウ先輩とラベン博士はやや驚いたようにぽかんとしていて、そんなに不思議がられるとなんだかくすぐったい。

 

 

「じゃ、じゃあ……テルはずっと、コトブキムラにいるんですか?」

 

「うーんまあそのつもりではありますね。というか引越し先も無くないですか?」

 

「え!? あ、はい! そ、そうですよね!」

 

「コンゴウ団やシンジュ団の集落はありますね。例えば将来的にテルくんがコンゴウ団やシンジュ団の人と結ばれた場合は、そちらにお引越しとなるのでは?」

 

「ん!?」

 

 

 追加のイモモチに舌鼓を打ちながらラベン博士が突然とんでもないことを言い出した。

 コトブキムラから引っ越す理由──そうか、確かに自分たちの集落を持つコンゴウ・シンジュの女の人と結婚するとなると、生活の拠点はどちらかに絞らなければいけない。

 その場合、集落での暮らしを捨ててコトブキムラで暮らしてもらうというのはなんだか申し訳ないから、おれが相手に合わせてギンガ団を退職してコトブキムラを去るという手は確かにある。

 

 

「だ、だだ、だ、だめです! テルにはギンガ団のお仕事があります!」

 

「そうなんですよね~。ポケモン図鑑が完成しないことにはほぼ毎日家空けることになりますし」

 

「そう! そうです! たまに帰ってきたと思ったら傷だらけの制服なんて、お洗濯して(つくろ)わなければいけないお嫁さんが可哀想ですよね!」

 

「いやそれくらい自分でしますけど……?」

 

「モンスターボールへの理解も必要になってきますよね。テルくんの護身術は『背後に回ってボールを投げる』です」

 

「あー確かにギンガ団の技術に理解はあってほしいです」

 

 

 やいのやいのと談義していけば、存在しない架空の結婚相手に求める人物像が固まり始めた。

 ギンガ団の技術に理解があって、あとおれのポケモン愛にも理解があってほしい。この際理解できなくてもいいから否定するのだけは勘弁してほしい。

 

 

「まあ今のところ結婚とか全く考えてないですし、コトブキムラがこんだけ目まぐるしく変わってく状況で未来予想図とかアテになんないですよ」

 

「ふふ、そうですね。テルくんに浮ついた話が無いのはボクが一番よく知っています」

 

「警備隊のミヨさんは慕ってくれてますよ!! 純粋に!!」

 

 

 先日からおれの後輩を名乗り始めた方向音痴のミヨさんが脳内で手を振っている。

 ガチグマ様やオオニューラ様と心を通わすおれを尊敬しているらしく、隊が違うのにテル先輩と呼び始めた。悪い気はしないので先輩でいいよと言ったのは記憶に新しい。

 

 

「……あの、テル」

 

「? はい、何ですかショウ先輩」

 

「もし、もしですよ。ポケモン図鑑が完成して、調査隊が解散して、ギンガ団が今の形ではなくなったら……その時は、どう……します?」

 

 

 伏し目がちに問い掛けると、ショウ先輩は箸を置いて顔を上げた。

 白い頬は空を染める斜陽に撫でられて色めいており、濡羽色の眼は真剣な光を宿してまっすぐにおれを見つめている。

 

 その難しい問いにしばらく考え込んだ。

 図鑑が完成して、調査隊が解散して……おれがギンガ団に居る理由が無くなったら。

 多分トレーナーズスクール(仮)の講師とポケジョブ(仮)の管理人で食べていくことになると思う。講師としてポケモンとの暮らし方を伝えれば伝えるほど皆がポケモンと共に暮らし始めてポケジョブ(仮)は下火になるだろうか。

 

 いや、講師はギンガ団の仕事の一環としてやっている。

 ギンガ団が無くなったら講師としてのお仕事も無くなると考えるべきだろう。となるとポケジョブ(仮)の収入を頼りにポケジョブ(仮)のポケモンを育てて生きていくのだろう。ポケモンブリーダーかな。それってポケモンブリーダーだよね。

 

 ブリーダーとして生きていくならポケモンたちを広々と育てる場所がほしい。

 今の放牧場を買い取れたら何よりなのだが、コトブキムラの発展を考えたら土地には住居を建てたいだろう。となると『野外訓練場』か原野の『園尾の開墾地』辺り……?

 ──あ。

 

 

「『マサゴ平原』に家建てて暮らしたいです」

 

「……はい?」

 

 

 予想外だったのか返答に先輩が首を傾げた。

 おそらくフタバタウンになるのであろう『マサゴ平原』。

 シンジ湖に続く道を持つあの平原に、家を建てて暮らしたい。

 近くにオヤブンフーディンいるけど、今のバクフーンがいるなら何も怖くない。

 

 

「あっいやコトブキムラから出ていきたいとかそういうのじゃなくて! ほらポケジョブの都合上広い土地が欲しいなっていうか放牧場は住宅地にしたいだろうなっていうか!」

 

 

 わたわたと弁明すればショウ先輩は「あ、そ、そういう! そうですね!」と理解してくれたらしい。よかった、違うんです突然オヤブンの領域で暮らしたいとか言い出した訳じゃなくて。

 

 

「良いですね、『マサゴ平原』から見る砂浜や海原……テルのことですから『ハマナスの島』に行くのも簡単でしょう」

 

「ウォーグル様に頼らなくてもギャラドスで飛んでいける距離ですねえ。ハマナスが見頃の季節になったらぼんぐり団子詰めてお出掛けしますか」

 

「それは……とても素敵な考えだと思います!」

 

「じゃあショウ先輩の好きなミツをより研究しておかないとですね」

 

「え?」

 

「え?」

 

 

 奇妙な空気とともに天使が通る。

 互いが沈黙する中、ラベン博士が「イモモチ(から)めでプリーズです」とムベさんに追加注文する。

 今のどこに「え?」と困惑する要素があっただろうか──いや待てよ普通に待てよ何ショウ先輩と付き合いのある未来予想図にしているんだよおかしいだろ「え?」どころじゃないだろ。

 

 

「待ってくださいやり直していいですか!?」

 

「え!? あ、は──い、いえ。駄目です!」

 

「エなんで!?」

 

「一筆書きです! 一筆書きでやってください!」

 

「何言ってんのショウ先輩!?」

 

 

 不審者を見る目をおれに向けながらムベさんが色の濃いタレに漬けたイモモチを運んできた。誰かおれたちを落ち着かせてくれませんか? そう訴え掛けた視線を華麗に無視した店主が店の中に踵を返す。無情。

 

 

「えっ……と……」

 

「……へ、変な話になっちゃいましたね!」

 

「そ、そっスね!」

 

 

 ふたりで乾いた笑みを零しながら新しく来たイモモチに箸を伸ばした。醤油辛めなイモモチの味に集中しようとしてもついついショウ先輩の様子が気になってそれどころじゃない。イモモチに失礼すぎる。

 ちら、と視線だけを前に向ければ真っ赤な耳に髪をかけてイモモチをふーっと冷ましている先輩がいて、子供を見守る慈しみの眼差しでおれたちを眺める博士がいた。

 

 水を打ったように静かになった食卓に聞こえてしまうんじゃないかってくらい心臓が煩く鳴っている。

 びりびりと舌を刺激するクセになりそうな醤油の辛さがやがて喉の奥を焼いた。

 これ香辛料も入ってるんじゃないか? なんてありえない想像が掻き立てられる。互いに火照った顔を隠す手段を、なりふり構わず探していた。

 

 

「テルくん」

 

「ハイッ!?」

 

「もう少し頑張りましょう。ファイトです」

 

 

 ラベン博士は親指を立てながら白い歯を見せてにかっと笑う。

 白々しいくらいに避けていた選択肢を見透かされて、おれは心底から小っ恥ずかしくなってマフラーに顔を埋めた。

 

 ……明日から始まる「普通の日々」がどういうものなのか、実のところよく分からない。

 ポケモンと人の溝はどうしてもまだあるし、空の裂け目も開いたままだ。

 もしかしたら何もかもが元に戻ってしまうかもしれない。今日の夜中にまた雷が落ちて、またキングたちが荒ぶるかもしれない。平穏な普通の日々なんて、想像している時が一番それに近かった──そんなオチが待っているのかもしれない。

 

 ただ、今のおれには強く育ったバクフーンたちがいる。力を貸してくれる神使の末裔たちがいる。

 それはここに来た時と大きく異なる点。力に鳴ってくれるポケモンたちがいる時点で、あの心細さを味わうことは二度と無い。

 

 たとえ再びキングたちが荒ぶろうとも、対処法はもう確立している。

 そんな安堵と心強さが、明日への不安という雨に対する傘となってくれていた。

 

 

 





「いっそのことおれが乗り込んで、内側から閉じられないか試してみるとかどうだろう。」

 ポケットモンスターSPECIAL第7章にてダイヤモンド(DP男主人公をモデルにしたキャラクター)がやりのはしらで取ろうとした手段。やめようね。
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