シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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今を生きる、伝説上の民族

 

 

「こんなの絶対おかしいです!!」

 

 

 原野のベースキャンプで憤慨するショウ先輩の怒鳴り声に近くのビッパが跳ね起きる。ごめん。

 帽子と襟巻き含む制服一式とポーチはギンガ団からの支給品なので全部シマボシ隊長に返し、呉服屋で買っておいた私服に着替えたはいいものの滅茶苦茶寒い。髪も切ったし首周りが特に寒い。

 

 

「そうです。いくらテルくんにも空を赤くする力なんて無いはずです」

 

「うーんまあ……心当たりは無いですけど」

 

「あたし、やっぱりボスに抗議をしてきます!」

 

「やめてマジでやめてショウ先輩」

 

 

 でも! と興奮冷めやらぬ先輩に「テルの言う通りだ」とシマボシ隊長の制止が入る。

 

 

「テルは誰も巻き込まぬようここまで黙って着いてきたのだ。他でもないキミがテルの気遣いを無下にするな」

 

「うう……」

 

 

 それでも何かを言いたそうにショウ先輩が視線を彷徨わせる。

 そうなんですよ。このひと目で咎受けてますアピールが伝わるようなビジュアルにしたのも、見た人に「よく分からないけどなんかしたんなら関わらないでおこう」と思ってもらうためだ。

 だからツイリさんが飛び出しそうになった時は本当にビビったし、ギャロップとか超キレてた気がする。止めてくれてありがとうギンナンさん。

 放牧場にいた子たちは……どうだろう。有事の際にコトブキムラを守るために連れ帰った子たちだから、滅多なことは起こさないと思うけど。釘も刺してきたし。

 

 

「テル。確かにキミを疑う者はいた。だがキミに感謝している者もいる。その縁を頼りにすると良い」

 

「あ~……や、それはそうなんですけど。コンゴウ団やシンジュ団も表立っておれを匿うことはできないと思うんですよね。おれの処遇って長ふたりの前で決定されましたし、その時はっきりと庇い立て無用って言われてるんで」

 

「……。では、どうするつもりだ? まさかこのまま野垂れ死にする訳ではないだろう」

 

「ヒスイにいるのはコンゴウ団やシンジュ団だけじゃないんです。そっちを頼ってみるとします」

 

 

 脳裏に浮かぶひとりの姿。

 彼女は以前、「わたしたち」という呼称を用いたことがある。

 おれの思い過ごしでなければ、彼女たち古代シンオウ人の末裔のコミュニティがヒスイのどこかにあるはずだ。

 そこに転がり込むのが最終手段。それまではあちこちに秘密基地でも作って野宿だ。

 

 

「……確認する。頼る先が、あるのだな?」

 

「はい。心配しないでください」

 

 

 鋭い眼差しを見つめ返すと、シマボシ隊長は重く息を吐く。

 全身から醸し出される「わたしも納得はしていない」のオーラに小さく笑ってしまった。

 

 

「命令する」

 

 

 おれは今ギンガ団じゃない。それはおれを先導した彼女が一番良く分かっているはずだ。

 それでもシマボシ“隊長”は、おれに命令を与えようとしている。

 言外におれがギンガ団であると主張しながら、彼女は凛とした声で「野垂れ死にするな」と告げた。

 

 

「……はい。制服、必ず取りに帰ります」

 

 

 隊長を見上げ、先輩と視線を交わし、博士に笑いかける。

 鼻の奥がつんとして、ああやっぱり人並みに悲しくはあるんだと、どこか他人事めいて自身の感情を俯瞰した。

 帯に引っ掛けたボールからバクフーンを呼び出せば、彼は相変わらず綺麗なかんばせで伏し目がちに微笑んでいる。

 

 

「行こう、相棒」

 

 

 その背に跨がり『大志坂』を走り出す。

 背後から聴こえた先輩の、堪えきれなかった泣き声につい振り向きそうになりながらも、おれは赤い空だけを見上げて『原野ベース』を後にした。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「はあ!? 追放!?」

 

「うん。今朝方ね」

 

 

 齎された情報に思わず声が大きくなる。

 早朝から発生した空の異変にあの異邦人はどう対処するのか気になって、商品の補充()ついでにコトブキムラに立ち寄ってみればこれだ。やけにムラの中が嫌な空気だと思ったらそういうことか。

 

 

「それでテルさんは今どちらに?」

 

「分からない。正門から出てまだそんなに時間は経っていないから、いるとしても『黒曜の原野』辺りだと思うけど」

 

「あのトンデモ機動力人間に通常の基準なんて当てはまりませんよ」

 

 

 あれはポケモンの力を借りることに一切の躊躇が無い。

 神使の末裔を呼ぶ笛を持ってはいるが、「ちょっとそこまで」程度なら今連れているポケモンでどうにかする。近くのポケモンにも声を掛けに行く。

 

 

「それはウォロだって同じでしょ。お前、ちょっと目を離すと野生のポケモンを口説き落とすんだから」

 

「……膝の上にしょっちゅうコリンク乗せてるリーダーにだけは言われたくありません」

 

「なんでか電気タイプに好かれるんだよね」

 

 

 人聞きの悪さに若干苛立ちながらモンスターボールを詰め込んだ。

 口説き落としてなどいない。単にポケモン使いとして、カミナギの民としてポケモンと意思の疎通を図っているだけに過ぎない。使えそうなポケモンが近くにいたら使う、それだけだ。

 

 

「ね、ねえウォロ。なんとかできない?」

 

「あのですねツイリさん。ジブンはアナタと同じ一介の行商人ですよ? 分かってます?」

 

「そうだけど! こんなのおかしいよ、だって……だってさあ!」

 

「仕方ありませんよ。人は自身に無い力を認められない。異能、異才と呼んで遠ざけては、根拠のない敵愾心を向けるものなのです」

 

 

 それは言葉であったり、技術であったり、食物であったりと様々だ。

 “今回”はたまたま彼の「ポケモンを操る力」がその標的になっただけで、長い目で見れば今までも多々あったことだろう。

 ()()()()()()()彼の行方だ。

 追放されたからと言って腐るような人間ではないだろうし、ポケモンがいるならどこだろうと行動圏内。探し出すのは骨が折れる。鳥ポケモンの群れに協力してもらうか、エスパーポケモンから遠見の術を拝借するかが手っ取り早そうだ。

 

 

「ウォロ」

 

「はい?」

 

「サボり先で見かけたら、普通に取引してあげてね」

 

 

 商品の補充を終えたジブンに注がれるふたつの視線。意味はほとんど同じもの。

 別に商会の仕事なんて仮の身分欲しさにしているだけで、ギンガ団の意向などどうでもいい。金銭さえ払えるなら相手が盗賊だろうと構うものか。

 ……そういう姿勢でいることを見透かしながら言っているのだろう。

 面倒なことになった、と小さく息を吐いて踵を返した。

 

 

 

 *

 

 

 

 カラン、と下駄の音と共に着地する。

 アルセウスフォンのワープを用いてやってきたのは『紅蓮の湿地』。誰もいない『湿地ベース』を早急に立ち去り、『金色の平野』に身を潜める。イナホを収穫して食事に備えようと思ってね。

 あと、おれが思うにクレィアちゃんの住所は『紅蓮の湿地』のどこかだと思う。途中でウォロさんと交代したとはいえ家の近くまで送っていったことがあるし、彼女が食べ物の採集に来ていたのはこの辺りだからだ。

 古代シンオウ人コミュニティといえば真っ先に浮かぶのは神話の残る町カンナギタウン。テンガン山の麓にある小さな町で、壁画と祠以外に珍しいものは無い。ポケモンセンターがある時点でおれの地元よりは栄えているんですけどね。

 あの町の前身がヒスイのどこかにあるはずなんだ。多分。

 

 不意にイナホを採る手が止まる。

 そういえば今、ベースキャンプの鍋が使えないんだった。収穫するならイナホじゃなくてツルギマイタケとかその辺の、適当に焼いて食べられるものの方が良い。

 ああもう、ギンガ団を退団した自覚が無さすぎる。

 

 

「見つけましたよ、テルさん」

 

 

 一気に落ち込み出した時、頭上から降った声に空を見上げた。

 黒紅色の翼が羽ばたき、目を瞠るような鶏冠が風になびく。シンオウでもヒスイでも見慣れた鳥ポケモン──ムクホークの背に乗って、白銀の眼を持つ金色が平野に降り立った。

 

 

「ウォ……ロさん!? なんでここに!?」

 

「お得意様にいなくなられては困りますからね! それにしても相変わらず行動がお早い。『黒曜の原野』をいくら探しても見つからないはずです」

 

 

 通常の個体よりだいぶ大きなムクホークはウォロさんを背から下ろすと高く鳴いて空に飛び立った。手持ちポケモン……ではないらしい。

 ムクホークの負担を減らすためか、ウォロさんはいつもの大きなリュックサックを背負っていなかった。

 

 

「コトブキムラを追われ、行く宛も無いのでしょう? コンゴウ団やシンジュ団を頼る選択肢は頭に無いと見えます」

 

「仰る通りでございます……」

 

「ですよね! アナタという人は本当に図太い割に図々しさに欠けると言いますか、よくそれで今まで食い物にされず生きてこられたものです」

 

 

 最近ウォロさんがおれに対して辛辣になってきている気がする。『純白の凍土』の一件から顕著になってる。

 多分それだけ仲良くなれたんだろう。この若干の辛辣さは、誰にでも笑顔を見せる彼なりの親しみなんだと思えた。本人には言わないけど。

 

 

「それで? この後どうするおつもりで?」

 

「えっと……クレィアちゃんを頼ろうかと」

 

「は?」

 

「正確にはあの子が帰属する場所を頼ろうかと思いまして……」

 

 

 古代シンオウ人の末裔であるあの子が帰る場所。

 ギンガ団の未来を案じてあの小さな祠を建てた、コンゴウ団にもシンジュ団にも属していない人たち。おそらくこのヒスイ地方に、最も古くから根ざしている原住民。

 コンゴウでもシンジュでもない、一番古いカミナギの民を頼るつもりです。

 

 

「……アナタ、一体どこまで知っているんです?」

 

「おれはただ古代シンオウ人のことが好きなだけですよ。シンオウ神殿をはじめとする北風の建築学(ボレイアス・アルキテクトニキ)とか、山麓の各所に建つ極天の守護像(ヒュペル・パラディオン)とか。とにかく古代シンオウ人の痕跡に目がないだけなんです」

 

 

 知っているのはそれだけだ。

 アルセウスを仰ぐ古代人。卓越した技術を持つ集団。ポケモンと同じものであり、人間と同じものでもある、神々の代弁者。

 彼らが「今」どうしているのかとか、「今後」どうするのかとかは全く知らないのだ。現にクレィアちゃんの住所が分からず彷徨っている。

 

 

「……」

 

「あの。前から訊こうと思ってたんですけど、良い機会なんで質問しますね」

 

 

 といってもそれはほとんど答えが出ている問題だ。今からするのは質問ではなく確認に近い。

 おれの眼前で笑みを消し、冷え切った目を向けるこの人にする、大事な確認。

 

 

「ウォロさんって……古代シンオウ人の末裔、ですよね」

 

 

 アルセウスの名を知り、プレートの情報を持ち合わせ、おれでさえ知らない神話を語り、おれが知らない祭具を使う。そして古代シンオウ人の末裔であるクレィアちゃんの推定保護者となればもう話は決まってくる。

 金の髪と銀の眼はおれが『戻りの洞窟』で見た古代シンオウ人の“彼女”とも、『時空の歪み』の向こう側で見た“あの子”とも同じ色だ。創造神の色と言っても過言ではないそれを持つのは、今のヒスイでこの人だけ。

 アルセウスの神話を語る、この人だけなんだ。

 

 

「……はあ。」

 

 

 溜め息と共に彼は自身の襟首に指を這わせた。

 人差し指に引っ掛けた紐をついと張れば、制服の下から雫の形をしたペンダントが顔を出す。

 雫の形──ティアドロップにカットされた宝石の意味に、おれは半ば泣きそうになりながら微笑んだ。

 

 

「その通りですよ、異邦人。ジブンは古代シンオウ人、真なるカミナギの民としてこの地で生まれ育った者のひとりです」

 

「やっぱり~。そうじゃないかってずっと思ってたんですよ」

 

「それで? アナタの保護をジブンたちに求めるのでしたか?」

 

「うーんこうして御本人を前にすると緊張しますけど、まあそうですね」

 

 

 ウォロさんは打って変わって面倒そうな顔でおれを見下ろした。多分何も訊かずにあのまま行くアテ無いんですよと困っていれば、何らかの形で手を差し伸べてくれたんだろう。でもそれはなんとなく嫌だった。

 とはいえ、“あの子”が受けた仕打ちを考えればあのあと古代シンオウ人がどういう歴史を辿ったのかはだいたい想像つく。そんなところにどうも追放された異邦人ですと顔を出して受け入れてもらえるとはおれも思っていない。ので。

 

 

「という訳で今から全力でおれが古代シンオウ人を如何に好いているかのプレゼンを始めます」

 

「は?」

 

 

 資料など無くても諳んじられる程度に内容を把握しているから大丈夫。

 今からやるのは全力を賭した愛の表明。おれが如何に古代シンオウ人を敬愛しているかのプレゼンであり、そんな彼らに危害を加えることなど絶対に無いんですよという説得である。

 

 

「まず古代シンオウ人以後カミナギの民と呼称します古代人についてですが彼らに対しての概要を纏めると遥かな過去より創造神アルセウスを『シンオウさま』として崇めていた民族である他アルセウスの分身であるディアルガ及びパルキアのこともまた『シンオウさま』と呼び湖の三匹であるユクシーアグノムエムリットについても同様の音で祀っていたそうですね。そんな彼らの最高傑作であるシンオウ神殿についてですが先日その全貌を拝観した折には圧倒的なまでの完成度とそれに伴う美のイデアについての哲学が感じられました、まさに北風の建築学(ボレイアス・アルキテクトニキ)といったところでしょうか。建築技術に関しては『天冠の山麓』の各所に残る石橋や守護像からも分かる通りかなりのものを保有している点も尊敬に値します。いやホントに凄いんですよこの技術どう凄いかっていうとその精緻極まる細部までの拘りなんですけど、石像って文字通り石が素材じゃないですか。当然加工も難しいし一度やり過ぎたら修正もしづらいですよねそんな中で指先に吸い付くように精巧かつ細やかで滑らかな表面に始まって造形に伴う凹凸さえも指先でなぞるだけで感銘を受ける程美しい仕上がりなんですよもう惚れ込むしかありません。また彼らの持つ哲学についてですがシンオウ神話の至るところに見受けられる人とポケモンの同一性についてこれは彼らが自分たちを『シンオウの仔』と言い表しているように全ての命はアルセウス即ちシンオウさまから生まれ出たものでありそこに種族の差など些末なものだという世界観であることが伺えますおれはその考えが滅茶苦茶好きで堪んないんですよ何故かというと」

 

「あ、もういいです結構ですちょっと静かにしてくださーい」

 

「まだ序盤なんですけど!?」

 

 

 眉をひくつかせながら若干キレ気味に打ち切られた。今からカミナギの民が持つ世界観と神々への敬虔な信仰心についてという本題に入るところなのに。

 そうなんですよカミナギの民ってその厚い信仰心が本質というか、信仰心があるからこそシンオウ建築という圧倒的完成度を誇る幻の建築技術が生み出されたって言うか。

 

 

「カミナギの民って……まさに神話で……」

 

「小声で続けないでくれます?」

 

「だってまだ語り足りないんですよ!! おれがどんだけ常日頃からカミナギの民に思いを馳せていたと思ってんですか!! 語らせてくださいあんたたちへのラヴを!!」

 

「簡潔に纏めてみなさいそこまで言うなら!」

 

 

 握った拳に力を込める。簡潔に──そうかなるほど、確かにおれの説明だと古代シンオウ人たちからしたら自分たちの概要を並べられているだけで大して面白みは無い。つまりおれはわざわざ説明なんてしなくていい。あくまで彼らへの敬愛を叫ぶだけでいいんだ。

 

 

「アルセウスの信徒であるカミナギの民が大好きです……」

 

「それを言うだけであの文章量……?」

 

 

 若干どころじゃないドン引きの声にうっすら泣けてきた。

 色々言ったがつまりはこれなんだ。おれはアルセウスが好きで、アルセウスの信徒であるカミナギの民が好きなんだよ。好きの理由をいくつ並べても結局は好きだとしか言えないんだ。

 

 

「……その知識量、一朝一夕ではないでしょう。アナタがどうしようもないくらいジブンたちを好いているのは分かりましたよ」

 

「分かってもらえましたか!」

 

「ええ、着いてきなさい。ヒスイの地の全てを知る者などいないのです。アナタの言う『クレィアが帰属する場所』に、お望み通り連れて行ってあげますとも」

 

「……。……ウォロの兄貴~!!」

 

 

 すたすたと先を歩くウォロさんの後ろを小走りで追いかける。

 赤い空の下で揺れる金紗の髪が、まるで星灯の様にちかちかと煌めいていた。

 

 

 

 

 

 

 小さな川が一筋流れる上に架けられた簡素な橋。

 少し古めかしい様式で建てられた庵と、一人で管理できるくらいの小ぢんまりとした畑。

 とりどりの色をした花が集う静かな窪地。

 足を踏み入れた途端に、何故だか泣きそうになる穏やかな空気が満ちた場所。

 円形テーブルを囲い、年季を感じさせるティーセットで一服する人間が、ふたり。

 

 

「こんにちは、テルお兄さん。この場所で会うのははじめてですね」

 

「なんじゃウォロ。お前またぞろ人を拾ってきたのか」

 

 

 片方は雪白の髪に金の眼、おれが今日ずっと探していたクレィアちゃん。

 もう片方は黒のドレスに身を包んだ銀髪の女性で。その胸元ではウォロさんと同じティアドロップの宝石がそよ風を受けて揺れていた。

 

 

「あたしはコギト。して、そなたの名は?」

 

「ギンッ……あ、いえ。テルです」

 

 

 いつものクセでギンガ団ココノツボシ調査隊員と名乗りかけた口を閉ざして仕切り直す。

 たおやかな佇まいの女性──コギトさんは白い手袋に包んだ指先を口元に這わせると、「ほお……」と興味深そうにおれを眼差した。

 

 

「ウォロがペンダントを晒す相手か。面白い拾い物をしたものじゃ」

 

「え、ウォロがペンダント見せたの!? 自分から!?」

 

「確信している相手にしらばっくれるのも面倒なだけですよ」

 

 

 はしゃがないでください、と冷めた声でウォロさんはクレィアちゃんの頭を撫でた。

 コギトさんはそんなウォロさんを子供でも見るように微笑みながら眺めていて、おれは三人の空気があんまりにも穏やかで少し拍子抜けする。

 まるで、この異変への対応策を既に知っているかのようにのんびりとしていたものだから。

 

 

「はぁ……なんにせよ時空の迷い人がここに来たということは、ようやく務めを果たせそうじゃな。テル、と言ったか?」

 

「は、はい」

 

「よいか、時空の裂け目は──」

 

 

 瞬間。

 厳かに話し出したコギトさんの声を遮って、窪地に響いた間抜けな腹の音があった。

 音が収まると共に沈黙が訪れる。

 おれは何が起こったか把握するのに二秒ほど要して、それを理解した瞬間ドッと汗が吹き出した。

 

 

「ごっ……ごめんコギトさん! 今のわたし! い、いやあお腹すいちゃって!」

 

「おあああああああ違いますおれの腹です朝からなんっにも食べてなくて!! おたくのお嬢さんは何も悪くないんですホント!!」

 

 

 口を開いた瞬間にそれを証明するかの如く再度鳴り出す空腹の音。

 そういえば朝飛び起きて本部に向かって以降、何も口にする暇も無いままあれよあれよとコトブキムラを後にして湿地入りしたんだった。ていうか湿地で食糧を採っていたんだった。

 最悪のタイミングで食事を所望する胃を引っ叩きたくなる羞恥心の中、コギトさんが「先に食事にするかの……」と腰を上げる。

 

 

「来い。自慢の庵に入れてやる」

 

「ありがとうございます……」

 

「ごめんねテルお兄さん、ティーフーズは食べきっちゃってたから……」

 

 

 こっちだよ、とクレィアちゃんに手招きされて庵にお邪魔すると、真っ先に鼻をくすぐったのは様々なハーブの香りだった。

 壁に沿って吊るされた幾種類もの薬草はもちろん、調合に使うと思わしき道具も見受けられる。部屋を暖めているのは……薪ストーブだろうか。部屋の奥の片隅にはウォロさんがいつも背負っている商会のリュックが置かれていた。

 庵はまるで御伽噺に語られる魔法使いの家みたいで。

 遠い存在だと思っていた古代シンオウ人の今を生きる営みの世界に目を奪われたおれは、「どうした?」と声を掛けられるまで茫然と佇んでいた。

 

 

「えっ、あ、いえ、何か手伝います!」

 

「勝手知らぬ他所の家じゃ。座っておれ」

 

 

 優しく諭され、二の句も継げずに着席する。小さなテーブルには椅子が二脚しかなく、調合台の前にある椅子を合わせても三脚だ。

 ……誰の来訪も想定していない、彼ら三人だけの閉ざされた空間。

 

 

「何にします? 今朝こねてたパン生地はあるけど」

 

「こういう時は温かくて腹に溜まるものが良かろう。ウォロ、二合量れ」

 

「はいはい。ああ、確かチーズが変な量余ってましたよね? 使いません?」

 

「──チーズ!?」

 

 

 ウォロさんの口から出た乳製品の名前に振り向いた。

 チーズといえばミルタンクのモーモーミルクから作られる加工品であり、そのミルタンクが生息していないこのヒスイではそもそもモーモーミルクが手に入らない。はず、なのに。

 

 

「……神妙なる妖角(オドシシ)のミルクから作るんですよ」

 

「へええ~! ミルタンクじゃなくても作れるんだ!」

 

「シントでならそれでよかったんじゃがな」

 

「シントでも難しいですよ」

 

 

 米櫃から二合の生米を計量したウォロさんの元に、クレィアちゃんが塊のチーズを持ってくる。

 確かに微妙な量ではあるが、チーズと言えば薄いスライスチーズか粉状のものであるおれにとっては塊の時点でわくわくしてくる。ましてやそれがミルタンクではなくオドシシのミルクから作られているとなれば未知の味だ。

 

 

「まっててねテルお兄さん。おいしいタマゴチーズリゾット作りますから!」

 

「タマゴチーズ……リゾット……!?」

 

 

 襷掛けにして胸を張るクレィアちゃんの述べたメニューに戦慄した。ヒスイに来てから雑穀が主な食事だったのに、ここに来てまさかの現代風。

 ラッキーのタマゴをボウルに割り入れて溶かす彼女の隣で、商会の上着を脱いで軽装になったウォロさんが鍋に琥珀色の液体を注ぎ入れる。

 ぴた、と彼が動きを止めた瞬間、バクフーンがボールから飛び出した。

 

 

「あ、そっか種火……! ウォロさん、バクフーンが火を点けてくれるって言ってます!」

 

「そうですか。ではいただきます」

 

 

 薪ストーブの戸を開け、中の薪に着火する。

 ウォロさんからお礼を言われたバクフーンはにこーっと笑い掛けるとおれの元に戻ってきた。

 ……何だろう。この……さっきからずっと思考が白い。緊張だろうか。初めてヒカリちゃんの家に招かれた時みたいな緊張感がずっとある。

 

 

「急に態度が変わって戸惑っておるか?」

 

「えっ!? あ……いえ。多分こっちが素……なんですよね」

 

 

 ウォロさんといえばひとたび喋らせたら永遠に笑顔で喋っているイメージがあったのだが、おれにペンダントを見せてからは極端に口数が少なくなった。

 特に表情が顕著で、いつものような満面の笑みではなく自然体の無表情。

 

 

「まあな。昔からアレが笑う時といったら、あたしが神話を教えてやる時だけじゃ」

 

 

 ふつふつと湧いた鍋に生米をさらさらと投入し、焚べた薪を幾つか取り出して火を弱める。

 取り出した薪の火はバクフーンが一瞥すると立ちどころに消えた。それを確認してから火バサミをクレィアちゃんに渡すと、彼女は外に持ち去っていく。

 この間、無言。

 

 

「あの……さっき『また拾ってきた』って言いましたよね」

 

「ああ、言った。彼奴は突然どこからか子供を拾ってきてのう。子供が子供を育てるなぞ出来るはずもないというのに、自分が育てると言って聞かなかった。案の定、熱を出した子供を前に狼狽えてあたしに泣きついてきたものじゃ」

 

 

 昔を懐かしむ色を灯した白銀の視線は、火口(ひぐち)に戻ってきた少女と木べらを動かして米を混ぜ続ける青年に注がれている。

 少女は木製のボウルから溶き卵を何回かに分けて鍋に垂らした。

 タマゴの優しい匂いが食欲を刺激し、待ち切れないと言わんばかりにまたしてもお腹が盛大に鳴る。

 

 

「のう、時空の迷い人よ。悠久の時に消えていく妾たちを、おぬしは心から好いてくれているのであろう。けれどおぬしの眼差しは崇拝に近いものじゃ。生きている人間を相手に、到底向けるものではない」

 

「──…………」

 

「ここにいるのは薬師の真似事をして静かに生きてきた女と、商人の真似事をして生きる男と、それによく懐いた童女だけ。そのことを、今一度よく考えてはくれぬか」

 

 

 諭す口ぶりはどこまでも穏やかで、批難の声なんて少しもなかった。

 伝説上の民族だと、御伽噺の存在だと、相手を自分とは絶対的に違う生き物だと隔絶していたおれの非礼を窘める文言なのに、そんなおれを労るような色さえあった。

 ……緊張の正体はきっとそれ。

 彼らを過度に神聖視して、勝手に居心地悪くなっていたおれの自業自得。

 

 今一度深く呼吸をして彼らを見つめ直す。

 リゾットの出来上がりが近いのか、既に庵にはチーズの香ばしい香りが立ち込めていた。

 

 

「食器棚はおぬしの後ろじゃ」

 

「はい。ありがとうございます、コギトさん」

 

 

 椅子から立ち上がり背後の戸を開く。

 匙の数が足りないので箸もテーブルに用意する。それから手頃なサイズのお皿を四枚取り出して、火口に立つ二人の元へ持っていった。

 

 

「持っていきますよ」

 

「あら、気が利きますね。ではこちらがコギトさんの分。こちらがアナタの分です」

 

「落とさないように気をつけて。あと熱くなっちゃうかもしれないから、はやめに置いてくださいね」

 

「うん、ありがと」

 

 

 ほかほかと湯気が立ち昇るリゾットをコギトさんの待つテーブルに置く。

 後ろから「ちょっとウォロ、なんでわたしには持たせてくれないんですか」「熱いからですが?」と賑やかなやり取りが聞こえてきて小さく笑みが零れた。

 ここにいるのは伝説上の民族である以前に、今を生きる人間なのだと改めて認識する。

 おれが敬愛する人たちだという事実は変わらないけれど、それでもさっきまでと比べれば身近に感じ直すことができた。

 

 さて一脚足りない椅子だが、ウォロさんが商会の荷物から簡易的な折り畳みの腰掛けを出してくれたので有り難くそれに座らせてもらう。

 ちょっとテーブルとの高さが釣り合ってないがそれはご愛嬌。

 

 

「ほら、テルお兄さん。冷めないうちにめしあがれ、です」

 

 

 少女の笑みに頷いて両手を合わせる。

 いただきます、と心から告げて匙でひと掬いした分を口に運ぶ。

 ミルタンクのと比べれば幾分か野性味があるチーズはかなり重厚な味わいで、久しく口にしていなかった体に強く染み渡った。ラッキーのタマゴが包む米は互いに互いの甘みを引き立て合い、得も言われぬ美味を形成している。

 何より──その一杯はとてもあたたかくて。

 少し油断すれば緩んでしまいそうになる涙腺を必死に引き締めながら、口内に広がる幸せを嚥下した。

 

 

 




オドシシのチーズ
 ミルタンクよりも乳脂肪や乳固形分が高いので味わいとしてはかなり濃厚。
 でも根本的にミルクの量で絶対的な差がある上、搾乳可能なタイミングもかなり限定的。あと栄養価でも勝てないのでミルタンクが生息している地方では広まらなかった。

ティアドロップカットの宝石
 主に生命力を表すモチーフであり、神々が齎す恵みの証とも、悲しみの涙を乗り越えて喜びの涙に変えるための形であるともされてきた。
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