シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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鍛造されし、贖罪の神具

 

 

 怒ってはいけない。

 悲しんではならない。

 あらゆるものを友とせよ。

 金剛が怒る。

 真珠が悲しむ。

 太陽が消える。

 月が血に染まる。

 裂けた大地は戻らない。

 知が見ている。

 情がそこにいる。

 意が聴いている。

 心を鎮めて神に祈れ──。

 

 

 遠くで揺らいだ時空の気配に瞼を上げる。

 やっぱり、彼がひとり着いていくべきではなかった。

 この不安定な時空の中では、彼の僅かな感情の揺らぎが拾われてしまう。

 

 時空の歪み。

 いつの間にか異邦人たちにそう呼ばれ出した現象を、わたしたちは知っている。古代の頃より伝え繋いだ、太陽が消え月が血に染まる闇の帳。

 現代においては主に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()最後の神官が、その激情を抑えられなかった時に生じるものだ。

 

 わたしたちカミナギの民は神々の代弁者であると同時に、神々への祈りを届ける伝達者でもある。かつてこの大地を創造神が怒りで裂いた時、かつてこの大地を春の神が悲しみで翔けた時、カミナギの民は神々に自身の心を捧げて鎮めていた。

 神さまの御心を大地に広める代弁者であり、神さまに心を届け伝える伝達者──だからこそ、その「心」には細心の注意を払わなければならない。

 

 おこってはいけない。

 かなしんではならない。

 我らの心に陰りあるとき、シンオウさまの御心が曇る。

 すわなち時は乱れ、空は歪み、世界は破れ、運命は綻び、天は離れる。

 

 伝達者が怒れば時の神(ディアルガ)が怒り、伝達者が悲しめば空の神(パルキア)が悲しむ。彼らが怒り悲しめば、時空は歪んで裂けてしまう。

 故にこそ、彼──ウォロはわたしを、そうならないように育んだ。

 彼自身がそうなれたなら何よりだったけれど、彼は自分がそうなれないことなんてとっくに分かってしまっていた。

 あとは持ち前の好奇心と、ちょっと目につく選民意識。

 自分の感情で世界を裂けると知った時の彼は、いったいどれほど心を揺らしたことだろう。

 

 時空の歪みは心の歪み。

 時空の裂け目は心の裂け目。

 創造神を渇望する彼の怒りと悲しみが生じさせたそれは、いよいよヒスイの地を包まんとしていた。

 

 

「大丈夫かなあ、ウォロ」

 

「あれでも覡の末席じゃ。いくら嫌いな相手だとしても、知識の神の御言葉を違えるような不敬はせぬ」

 

「うんまあ、それはそうなんだけど……そうじゃなくて。さいきん、歪みの発現が多いから」

 

「そうさな。あれにとっても初めての相手であろう」

 

 

 初めて? と訊き返したわたしに、コギトさんは旧懐の情を滲ませた。

 

 

「嫌いな外の者が自分たちを尊重し、自分たちを理解した上で敬ってくる。外の者の無理解を蔑み嫌悪していたあれにとって、蔑み嫌悪する理由の無い外の者は初めて出会った存在……心の整理がつかぬのじゃろう」

 

「……? でも、ペンダントは見せたんでしょ?」

 

「故に、じゃ。境界を決めあぐねていると言った方がよいかの」

 

「ああ……」

 

 

 ウォロはどうしようもなく異邦人が嫌いだ。嫌悪と憎悪をどうしても拭い去れない。

 彼らが創造神に対して無知であり、ひいてはカミナギの民に無理解であるから。それなのにシンオウさまの名を使い、カミナギの民の名を使うから。そのくせカミナギの民を忘れていくから。自分たちを忘れ去ってしまうから。

 

 ()()()異邦人が嫌いなのに、テルお兄さんは今挙げたどれにも当てはまらない。

 創造神を知り、カミナギの民を理解し、時の神と空の神の名を正しく使い、カミナギの民として古代シンオウ人のみを指す。わたしたちを知ろうとする。わたしたちを憶えている。

 

 

「うれしい、のに。かなしい、んですね」

 

 

 嬉しかっただろう。わたしたち以外と神話を共有できる人が現れて。

 だけど悲しかったのだろう。どうして今になって現れたのか。どうして今まで現れてくれなかったのか。

 

 逆恨みです。理不尽です。でも、そう思わずにはいられなかったのでしょう。

 

 異邦人であるが故に、テルお兄さんを心の底から信用できない。どうせアナタも、という思いを捨てられない。長い年月の中で失ってしまった希望を灯せない。

 それでもあの人はどこまでも真っ直ぐわたしたちを見つめてくる。

 好奇心を発端とした、確かな敬意を込めてカミナギの民を愛してくる。

 

 

「コギトさんにも……そういう人が、いたのですか?」

 

「……昔、な」

 

 

 その声にまたしても滲んだ旧懐の念にわたしは小さく笑みを零した。

 今でこそ穏やかで嫋やかなコギトさんにも、複雑な思いを持て余した時期があったのだ。彼女が賢者と呼ばれる前の、まだ少女であった頃なんかに。

 

 

「コギトさーん!」

 

 

 上空からの声に顔を上げる。

 寒天の戦士(ウォーグル)様の背に乗ってテルお兄さんが凍土の方角からやってきた。ウォロの姿が見当たらなくて、わたしは「ああ、やっぱり」と心の中で独り言つ。

 多分それほど長く引きずりはしないだろうから、少しの時間を置いて合流するのだろうけれど、心配してしまうのが同胞というもの。

 

 

「叡智の試練を突破したか。凄いのう、中々出来ることではない」

 

「正直何事かと思いましたよアレ……」

 

 

 引きつった笑いを浮かべるテルお兄さんにわたしも苦笑いで応じた。

 知識の神(ユクシー)は三神の中でも最も厳格な性質を持つと言っていい。感情の神(エムリット)が三日、意思の神(アグノム)が七日かけて神罰を下すのに対して知識の神(ユクシー)は一瞬の猶予しか与えない。

 自身の感情を捧げる試練、自身の意思を納める試練と比べても、自身の知識を奉じる試練というのはむつかしく感じるものなのだ。

 

 ……でも、テルお兄さんなら大丈夫という確信があった。

 好奇心故に知識に貪欲で、取り入れた知識を元に考えを巡らせることが好きな彼は、きっと知識の神(ユクシー)もお気に召す。

 その予感は当たったようで、彼は授かった心の一部を三つ取り出した。

 

 

「それで、これはどうすれば?」

 

「はい。すこし見せてもらいますね」

 

 

 紙に包まれたそれに触れる。

 集積器たるテルお兄さんが捧げた心を写した素材たちは、雄弁に善を謳っていた。

 ……ああ、これは、仕方ない。こんなにも鮮やかな音を灯した魂なんて、巨人が全なる神の栄光(アルケイデス)と賛美するのも頷けてしまう。

 でも、その鮮やかな音の中に一点だけ黒がある。狂気と言っても差し支えないその一点は限りなく薄いが、どこまでも重い存在感を放っている。

 

 

「クレィアちゃん? ど、どう……?」

 

 

 触れて沈黙するわたしに不安を覚えたのか、彼はぎこちない笑みを浮かべて首を傾げた。

 明確な意思のもと、確かな知識を以て、感情の赴くままに犯した罪の音。それに苛まれながら隠し通して笑っている彼の精神力は凄いと思う。人は罪の重さに耐えられず、誰かに懺悔して楽になりたいものなので。

 

 

「……うん、良い。これならきっと良い神具になる」

 

「ほんと!? よかった……!」

 

 

 嘘じゃない。罪を抱えて有り余るほどに輝く善なる心の在り方は、全能神がこの地を裂いた時に捧げられた贖罪の証とよく似ている。

 かつて究極の一を悲しませた罪人たちの償いとして納められた神具は、今一度二頭政を狂わせた罪人(ウォロ)の償いを果たすだろう。

 

 ──その時に、全なる神は現れるだろうか。

 

 揺らぐことのない天秤の心を捨て、神官から罪人に身を落としてでも、神の降臨を望んだ覡の願いは叶うのだろうか。

 長い歳月を知の蒐集に費やし、穢れていくヒスイの地に狂い、神の沈黙に耐えられなかった最後の神官に、どうか救いの光があるといい。

 たとえこの感情が彼の掌上で育まれたものだとしても、祭具(わたし)はそう祈らずにはいられなかった。

 

 

「お待たせしました」

 

「! ウォロさん!」

 

 

 そうして、彼は何食わぬ顔で『霧の遺跡』にやって来た。

 愛想があっても無くても感情を読み取らせないかんばせの造りは見習うべき天秤の姿で、わたしは平時の彼を思い浮かべながら、薄い笑みを湛え直す。

 

 

「ウォロも到着したようですし、はじめましょう」

 

 

 霧の遺跡。

 隠された遺跡、覆われた遺跡とも呼ばれるこの舞台は「境界」が曖昧になる神秘的な場所だ。

 この世にはポケモンたちの世界があり、人間たちの世界があり、生者たちの世界があり、死者たちの世界がある。今ではそれらは分かたれており、人は人の営みにポケモンたちを入れないし、ポケモンたちの営みに入っていこうとは思わない。

 まずは、その境界を踏み越える者を立てる。即ちポケモンであり人であるわたしたちと、人でありながら営みにポケモンを招き入れることを躊躇しないテルお兄さん。

 ──以上だ。

 

 本当に以上なのだから仕方ない。

 この舞台に立った時点で、全ての儀式は済んでいる。あと出来ることと言えばただ祈るだけ。どうか聞き届け給えと縋るだけなのだ。

 

 立ち込める霧に鈴の音を鳴らす。

 祈るだけが出来るのなら、その唯一出来ることをしない選択肢はないと思う。

 授けられた心の一部。テルお兄さんの心を写した素材から読み取ったテルお兄さんの心には、ヒスイの地に生きる万物を想う優しさがあった。

 怒りはあったし悲しみもあったけれど、天秤は揺らぎに揺らいでいたけれど、それでも嘆きを呑み込んで立ち上がった痕跡があった。

 それはかつて全天の主から祝福された古代の英雄と同じもの。

 きっとウォロは嫌がるだろうけれど、カミナギの民として数えてしまってもいいのではと考えるくらい眩い心だ。

 その祈りは合図となったのか、三度目の鈴を鳴らした時、心奥の神々がその御姿を現した。

 

 

「湖の……!」

 

 

 心奥たちはひとりひとりの顔を見渡しながら小さく頷くと、互いの高く美しい声を共鳴するかの如く奏で始める。読み取れる言葉の類いは無い。この旋律自体に意味があるのか、神々の体は紅の霧を纏い出した。

 テルお兄さんはその様子を不安そうに見上げている。

 神具を授かれるのかどうかではなく、その行為に苦しみが伴っていないかを案じている様子だった。

 ……そういえば、彼は心奥の神々から無理矢理あかいくさりの結晶が取り出されるのを見たのでしたね。

 

 

「大丈夫ですよ」

 

 

 大丈夫、と二度に渡ってその不安を拭う言葉を掛ける。

 アナタの心は認められた。

 どんな理不尽にも折れない意思を、どんな不条理にも腐らない感情を、どんな未知にも怯まない知識を、尊き心奥たちはもうご存知なのだから。

 やがて紅の霧は光に変じ、幾星霜の時を経て鍛造された神具が「英雄」の手に渡る。

 それはこの世を普くみそなはす全なる神の眼の如く、鮮やかにして深い赤。

 わたしもこの眼で見るのは初めての──世界を繋ぐ神具・あかいくさり。

 異名など持たないその神具は、ただ赤く、宇宙が始まる時の原初の色を放っていた。

 

 

「これが……本物の、あかいくさり……!」

 

 

 美しさに圧倒されたのか、テルお兄さんは自身の手にずしりと乗る神具を、まるで赤子よりも繊細な壊れ物を扱うかのような手つきで握り込む。「ねえこれおれが触ってていいものなんですか!?」とか、「あのっ誰か代わりに持ってもらえたりって」とか、恐れ多そうに騒いでいる。

 その様子に微笑みながら、心奥たちはそれぞれの湖へ帰っていく。

 感情の神(エムリット)がいたずらっぽく笑うと、あかいくさりは「英雄」の心臓に宿るかの如く縮小を始め、瞬く間に消失した。

 

 

「……仕舞えるのかよ!!」

 

「みたいですね」

 

「初耳ですがね」

 

「あたしも知らなんだ」

 

 

 胸に手を当てたテルお兄さんは「うわー……感じる……在る……」とあかいくさりの存在を実感し頷く。

 わたしから見ても心の臓の辺りから力を感じるので、本人の感覚となればより強いだろう。

 

 

「あたしたち一族が守ってきた約束は、これで果たせたようじゃな」

 

 

 呟いたコギトさんの背に手を回す。

 カミナギの民として、全なる神の威光をこの地に取り戻す──それは遠い遠い、子々に孫々に伝え紡がなければならないほど昔に、ひとりの覡が打ち立てた約束。

 彼の血を継ぐ全ての者が果たすべき使命は、全てその「約束」に収束すると云われている。御魂還す斎火(バクフーン)を連れた時空の迷い人にあかいくさりを作らせるのも、全なる神の威光を取り戻すために必要なこと……なのだろうか。

 その頃合いを見計らってか勇敢なる者(ルカリオ)がウォロに駆け寄った。多分コトブキムラの偵察に向かわせていたのだろう。

 少し屈んで耳打ちの報告を聴いたウォロは一瞬だけ顔を顰める。

 

 

「ギンガ団の討伐隊が天冠山に向かうそうです」

 

「はあっ!? 昨日の今日で!?」

 

 

 たった二年でムラを作り上げて運営するだけあって、ギンガ団の長の行動力と統率力には目を見張るものがある。何時如何なる時も果断を武器に人々を率いてきたのだろう。

 今はその決断力がちょっと恨めしい。もう少し、本当にもう少し待ってくれるだけでよかったのに。

 

 

「ここに来て調査を待たずして天に挑むか……」

 

「おれ、コトブキムラに戻ってあかいくさりのこと報告してきます!」

 

「まっ──」

 

 

 言うが早いか、テルお兄さんは雄々しく鳴いた神使の末裔に飛び乗った。

 わたしが止めるよりも早くに空へ発ち、その姿は瞬く間に捉えられなくなる。

 勇敢なる者(ルカリオ)幼い(リオルの)頃から一晩で三つの山を越える脚力と神速を持ち、進化によって得た波動の力を用いれば九町(一キロ)先にいる相手の動向を読み取ることができる。

 そんな彼の報告が迅速なのはわたしも知っているけれど、デンボクさんの決断力と行動の速さが相手では少し分が悪い。今からコトブキムラに向かってもきっと入れ違いになるだろう。

 

 ──って考えるより先に動いてしまう辺り、テルお兄さんはデンボクさんと少し似ていると思います。

 

 

「……着いてきなさい、クレィア。これでアルセウスが降臨するのであれば、ようやくアナタの使い所です」

 

 

 勇敢なる者(ルカリオ)をボールに入れ、ペンダントを服の下に仕舞う。

 銀の眼差しはより広がった時空の裂け目を、その向こうの全能神を仰ぎ見ていた。

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 ──入れ違いました。

 

 正門で見張りをしていたショウ先輩と感動の再会を果たし、半分もう泣きそうなラベン博士と抱擁を交わし、それより団長に報告をと急いだおれに告げられた出発済みの現実に頭を抱えたのは言うまでもない。

 団長が引き連れたのは警備隊の面々らしく、調査隊は留守番を任されたのだとか。

 

 そしておれがいなくなってから調査隊の先輩たちは口少なくなりコトブキムラの空気もどんよりしていたらしい。何その、あの、嬉しいって言っちゃいけないんだろうけど嬉しい事態は。皆さんそんなにおれのことを。

 感極まりながらシマボシ隊長のもとへ赴けば、反射的に滲んだ視界の中で隊長が小さく笑んだように見えた。

 

 

「なんか……久しぶりな気がするなあ」

 

 

 宿舎の姿見に映る調査隊制服の深い青。

 赤いマフラーに顔をうずめれば今まで寒々しかった首筋が歓喜に震えた。

 切った髪は戻らなけれど、別段思い入れは無いので構わない。また死にかけたら伸びるし。

 

 

「バクフーン、変なとこ無いか?」

 

 

 後ろで見守っていてくれた相棒にそう訊ねれば、彼はにんまりしながらおれの頭に顎を乗せてきた。帽子ね、はいはい。

 

 姿見に引っ掛けた帽子を被る。

 隊長から貰い、隊長に預け、隊長から返された赤色のそれは向こう(シンオウ)でのお気に入りと相変わらずよく似ていて、奇妙なくらい自分に馴染んだ。

 

 シマボシ隊長からもらった命令は三つ。

 着替えが済み次第コトブキムラを発って『天冠の山麓』に赴き、『シンオウ神殿』を目指すこと。

 あかいくさりにて事態を収めること。

 無事に帰還すること。

 

 

「……あかいくさりは贖罪の祈り。嘆き悲しんだ神さまに、悔い改めて捧げる誓い。だったな」

 

 

 宣託言語を濫用し、領域を踏み躙ったおれの罪は消えていない。

 そんなおれの心の在り方を示して鍛造された贖罪の証を以て事態を収めることは、神さまへの謝罪の形としてはきっとこの上ない最適解のはずだ。

 それを済ませた時、何が起こるのかは分からない。

 お前の真の罪はこれだよと三つめの蝶番が壊れて記憶が蘇る可能性は高いし、赤い空の原因がおれとは全く関係ない可能性も少しはあるだろう。

 全てのポケモンと出会ってもいない以上、これでおれの贖罪が終わるとは考えにくい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな不安が、今になってどっと湧いて出た。

 

 

「大丈夫だよ、バクフーン。シンオウ神殿でおまえに誓ったんだ。全部終わるまで絶対に、どんなことがあっても投げ出したりしない」

 

 

 全てが始まった浜からずっと使命を与えてくれていたアルセウス。

 何千年もおれに宛てた口伝を残し続けた彼ら古代シンオウ人。

 ずっとおれに着いてきてくれているポケモンたち。

 裏切れないものが沢山あって、報いたい相手が沢山いる。

 

 

「まずは団長を止めて、異変を解決しよう」

 

 

 熱く高鳴る心臓を抑えながら、おれはコトブキムラの正門に向かう。

 道中すれ違った人の感情は様々だ。気まずそうな人もいれば、泣き出しそうになる人も、心底嬉しそうに笑う子もいて、その全てがなんだか愛おしい。

 

 

「──じゃあ、行ってきます!」

 

 

 普段通りに。

 少し時間が空いたからこそ、こんな異常事態だからこそ、普段通りに笑って手を振った。

 追放された時から続いていた重苦しい空気はすっかり晴れている。門前に集まってくれたムラの皆の声を背に、おれは音を立てて閉じた正門の先へ飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 広がる裂け目を最も近く仰げる『天冠の山麓』、そのキングを迎える『迎月の戦場』。

 戦場前の開けた空間を利用した『山頂ベース』が、新たなベースキャンプとして開設されている。 

 真新しいテントと設備たちを見るに、本当に昨晩設置したばかりなのだろう。

 討伐隊の姿は既に無い。神使の末裔たちに協力してもらったおれのスピードで間に合わなかったなんて、団長の行軍力がありすぎる。  

 

 

「やっぱりテルお兄さんはその制服がにあいますね」

 

 

 テントに残っていたのは大量の小銭を木箱に仕分けるウォロさんと、白い(キトン)に身を包んだクレィアちゃんのふたりだけ。

 ……急ぎ足でここまで来て疲れた討伐隊に道具を売り捌いてウハウハ、といったところだろうか。

 

 

「討伐隊、及び長の三人は先ほど神殿へと向かいました。いよいよですよ」

 

「はい……なんか緊張してきたな。大丈夫ですかね……」

 

「うちの神具があるのですから大丈夫に決まっています」

 

 

 何を今になって、とウォロさんは素っ気ない口ぶりで木製のコインケースを閉じた。

 それが彼なりの励ましで応援なんだと思えば、悪くないどころか大いに助かる。

 思えば、彼がここで商いをしていたのも一種の時間稼ぎなのではないだろうか。一度話し出したらどこまでも無駄話ができる知識量の持ち主なのだから、討伐隊ひとりひとりに声をかけて時間を稼ぐなんて朝飯前だろう。

 

 

「これ、返しますね」

 

「へ?」

 

 

 おもむろに薄藍色の瓶を三本投げ渡される。

 不格好に翻弄されながらもキャッチすれば、ラベルと色からそれがまんたんの薬だと理解できた。

 返す……とは何だろう。おれはウォロさんにまんたんの薬を貸した覚えなんて無いし、むしろ今まで先行投資だの何だのと色々貰ってきた。

 

 

「誰かと間違えてるとか……」

 

「は?」

 

「ないですねスミマセンありがとうございます」

 

 

 えいえんのこおり並に冷たい眼差しに押し切られたのでありがたくポーチにしまい込む。

 マジで心当たりが無くて困惑している。おれウォロさんにいつ貸したんだろう。後でこっそりクレィアちゃんに相談しようかな。

 

 

「テルさん」

 

「はい?」

 

「もし──もし、シンオウ神殿にアルセウスが降臨したら。アナタはどうしますか?」

 

 

 なんて。

 訊ねているようで問うてはいない、答えなんて最初から分かりきっているような声色を投げ掛けられる。

 それは湖の試練とよく似ていた。答えは探すものではなくおれの中にある。胸の内にあるそれを、ただ自然に、ぽん、と口にすればいい。

 だからおれは変に気負わず、洒落た言い回しなんて考えず、常日頃から考えている当然の答えを返すことにした。

 

 

 

「そりゃあもう。跪いて仰ぎ見て、讃え言祝ぐしかないですよ」

 

 

 

 罪の意識はある。

 だけどそれより先に、それより前に、おれはアルセウスが好きで好きで堪らないのだから。

 

 

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