シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚- 作:ヒュペルボレイオス
戦いが始まってすぐに居住まいを正された。
初手の“あやしいひかり”で群れを乱そうという定番の目論見が、混乱した個体をすぐさま別のガブリアスが頬をぶっ叩いて正気に戻させるというパワー系の対処によって崩れ去ったからだ。
個体のレベルではなく群れとしてのレベルが高い。険悪ではないが仲が良い訳でもないのだろう。役割を遂行できる者こそが正しく、そうでないものは群れにとって害であり悪。実力主義、成果主義、激しさを極める競争社会を生き抜いた歴戦のエリートみたいな個体が集まっているんだと一発で理解させられた。
「“マジカルシャイン”っ……!!」
翼の如き髪を広げたムウマの全身から眩い光が溢れ出す。
黒い雨雲に日が隠れた薄闇を切り裂いて周囲を純白に染め上げる。光は鋭く、瞼を閉じてなお眼を焼かんばかりの圧倒的な威力だった。
しかしそれで倒れるガブリアスは一体もいない。最も体格の大きい一体が、既のところで両の手を大きく広げて至近距離に立ち塞がったからだ。抱きしめでもするかの様な体勢は溢れ出るはずだった銀の光を大幅に減退させる。広範囲に届く利点を潰され、視界もガブリアスの胴で封じられたムウマの背後に牙が迫った。
「後ろだ!!」
繰り出される“アイアンヘッド”を紙一重で避けて上空へと躍り出る。今度こそ防がれないと“マジカルシャイン”を構えたムウマを“ステルスロック”が追い立てた。
が、忘れてはならないのはこれは群れ。ムウマの相手を全員がする必要は無い。
“アイアンヘッド”が当たらなかった原因はおれだと判断したガブリアスが一体、猛スピードでこちらに突っ込んできた。
紺に輝く鋭い爪が目前に迫る。
確実におれの喉から胴を袈裟斬りにするだろうという予感があった。
対応できたのは奇跡に近い。その名を呼ぶ前にボールを飛び出たジュナイパーは宙返りと共に爪を蹴り上げると、引き絞った弓から“3ぼんのや”を撃ち放す。
強弓からバヅンッ! と力強い音が鳴り響いた。放たれた矢は緋色の軌跡を引き連れ、首と胸と腹へ正確無比に叩き込まれる。雨による泥濘に足を取られながらオヤブンガブリアスが大きく仰け反った。
巨躯に遮られていた視界が開けた途端、飛び込んできたのは翼を爪に貫かれて地面に縫い止められていたムウマの姿。一体どうして、あのすばしっこさでおいそれと捕まるはずが、と考えてすぐに原因を突き止める。
助けに行くべきか逡巡したほんの一瞬が命取り。心の優しさと長く大きく伸びた翼が仇となり、彼女は地に引き摺り落とされた。
全身をのた打ち回らせながら“マジカルシャイン”の連発で抵抗する。猛りと怒号は豪雨の中でも山麓の地に響き渡り、ドラゴンタイプの天敵として充分過ぎるほどの威嚇を振り撒いていたはずだった。
それが不快だったのかは分からない。
きっと快不快ではなく、一秒でも早く獲物を仕留めるためにやったことだろう。
ムウマを取り囲むガブリアスの一体が
「っ──狙い澄ませ、“サイコカッター”!」
すかさずハイパーボールを投げて巨体を格納し道を開けると、ジュナイパーはムウマを取り囲む群れ本体へ突撃した。
パルデアムウマに限ったことではないが、ムウマは特防こそ高いが防御と体力は割と脆い。なんならパルデアムウマはムウマより脆い。弱点の鋼技を物理で受けるのはキツいだろう。
屈しはしなかったものの手痛い一撃だったのはその様子で歴然だった。ひくひくと痙攣する瞼も、鈍った体の動きも、全部が雄弁だった。
「“リーフストーム”!!」
二度目の“アイアンヘッド”が振り上げられたのを見て、群がるオヤブンガブリアスを一掃すべく形振り構わず指示した大技。
緑光が一斉に集う。
無数の
それらは若草の嵐となってガブリアスの群れを強襲し、空気を裂いて生み出した風刃をも味方につけると彼らの強靭な鱗に覆われた体に無数の傷を刻み込んだ。
首を振って仰け反ろうが姿勢を低くしてやり過ごそうが木の葉の閃耀は止まらない。発動の終わりと共に反動として攻撃能力の低下が約束されている代わりに、故に、だからこそ!
ムウマを地に留めていたガブリアスの腕が宙に浮く。
ジュナイパーは限界を迎えたのか疲労の鉛に雁字搦めにされたかの様に膝をついた。嵐が去る前にムウマは身を翻して囲いを脱する。合流した瞬間にジュナイパーは彼女の髪をふん掴むとそのまま上空へと放り投げた。
──突然の蛮行だと非難するつもりは毛頭ない。
──ムウマの速度に反応したオヤブンガブリアスはその背に向かって次なる技を繰り出していた。
──ジュナイパーはそれを見切ったからこそムウマを空に投げて逃がした。
──ただ。
「ほんっと自慢の子だよおまえ……!!」
青白い不可避の凶爪は“きりさく”でも“ドラゴンクロー”でもなく“つばめがえし”。そも前二つは霊妖のムウマに届かない。
二重の抜群をジュナイパー自身が取られるか、ムウマが苦手な物理技を自身の眼前で再び浴びせられるか、二者択一を迫られたジュナイパーは一切迷うこと無く前者を選び取ってみせたのだ。
無防備な胸元へと刻まれる一条の光。
紅葉の羽が無惨にも舞い、苦悶の声と共に草むらの中へと倒れ込む。
その紅の背を誇りに思う。“リーフストーム”をくらって尚オヤブンガブリアスらは両の足でしかと立っていた。地面タイプを得て耐性を失っているとはいえ、ドラゴンタイプの耐久力は侮れないということか。
それならと戦場に投入するのは、強力なフェアリー技を会得している──ガチグマ!
「“じゃれつく”!」
燃えるような闘志を眼光に宿して力強く地を踏み込んだ。
山一つが蠢く様な突進がオヤブンガブリアスの群れへと襲い掛かる。全身の毛を逆立てたガチグマの咆哮が轟く中、大ぶりの攻撃を冷静に避けんとしたその瞬間異変が訪れた。
それはトレーナーのおれですら冷や汗が滲むような呪いの眼。
全身を石の如く硬直させる“くろいまなざし”が上空を飛ぶムウマによって発動し、彼女の視界に収まる敵全員の動きが縛り上げられた。
広げた翼を蠢かせ真っ黒な眼で睨めつけながら空を飛ぶムウマの姿は、世が世ならそういう魔眼を持った怪物として語り継がれていそうなくらい恐ろしかったと思う。おれは贔屓目で見るので黒目がちでキュートとしか思わないけど。
回避も迎撃も選択肢から除かれたガブリアスに“じゃれつく”が決まる。
巨腕で胴を薙ぎ払って群れから弾き飛ばし、盛大に跳ね上げた泥を被ったガチグマがオヤブンを組み伏せたまま幾度となく腕を振るった。マウントポジションを取られて激昂したガブリアスが咆哮と共に体を震わせ、“くろいまなざし”による不可視の鎖を引き千切ってガチグマを横殴る。
地を揺らす重々しい衝撃が走り、他の個体も続けざまに戒めを解く。どうもこれだけの数を相手に長続きはしないらしく、元より消耗していたムウマは更に体力を奪われたのか危うく墜落しそうだった。
「無理するな、“こごえるかぜ”!」
寒気に弱いガブリアスの群れを凍てついた息吹が包み込む。降り頻る雨粒は風に吹かれた途端氷の結晶へと姿を変えて牙を剥き、ただでさえ寒い山麓の大気がより研ぎ澄まされる。
急速に低下する体温、抗うべく“かえんほうしゃ”をムウマに向けたガブリアスの、本来ならば晒さなかっただろう大きな隙を突いてガチグマが“れいとうパンチ”を叩き込んだ。高い攻撃から繰り出されるその拳は岩をも砕く勢いでガブリアスの横っ面を変形させる。
不発に終わった“かえんほうしゃ”──だった、が、まさかそれは囮だったのか、ガブリアスは殴られた勢いのまま身を捻り、流水を纏った逞しい尾で盛大にガチグマの横腹を殴打した。
爆発的に飛び散る水飛沫が氷と化した雨に本来の姿を取り戻させる。体に下りた霜と薄氷を砕いた別の個体も追随して“アクアテール”を繰り出すと、二体のオヤブンガブリアスは息を合わせてガチグマの巨体を上空のムウマに向けて打ち上げた。
呆気にとられてただ呆然と見るしかないようなふざけた光景だと思う。
既に体力も残り少なかったムウマは突然の質量を前に回避が取れず、弱点を二発くらったガチグマは意識を失ったのか身動ぎせずに衝突し、両者はもつれ合いながら泥水の中へと墜落した。
……おれはそこでようやく、神に愛されたとしか思えないこのドラゴンポケモンの、ばかみてえに広い技範囲を今更ながら思い知ったのだ。
フェアリーと氷を纏めて相手取れる
──いい加減にしろ。
──何なんだお前は。
氷二重弱点が
大体なんでおれの手持ちに刺さる技をそれぞれ覚えてるんだ。
そもそも本来南の温暖地域に生きてたはずだろ。
なんでこの時代から既にこんな北国に住み着いているんだ。
なんでクソ寒いエリアの豪雨の中で平然と歩いて戦えるんだ。
なんで
暴虐の化身みたいな現実に目眩がした。
それでも「まあガブリアスだから」で納得できてしまう自分がいた。
踵を返し、墜落したムウマとガチグマの元に駆け寄って膝をつく。
ガブリアスの群れに背を向けた無防備なおれを守るべく、自発的にボールを飛び出したダイケンキはアシガタナに冷気を纏わせてオヤブンガブリアスの群れと間合いを保っていた。
落下する中で少しでも衝撃を、速度を抑えようとしたのだろう。
ガチグマの体を包むムウマの両翼は毎日の手入れなど見る影も無いほどボロボロになっていた。
体の縮小を始めたガチグマをボールに戻す。
うっすらと目を開けてこちらを見上げるムウマの、安堵の鳴き声が耳をくすぐった。
乱れた髪がおれの手を包む。握り返してやると彼女は小さく笑って全身の力を抜き、自身のボールで身を休める。
──考えろ。
──ここから残りのガブリアスを突破する方法を。
手持ちは既に三体、ダイケンキを入れて四体出した。
残るはバクフーンとジバコイルだけどジバコイルはどう考えてもまずい。何も有効打が無い。
バクフーンも相性が悪い。“ひゃっきやこう”で遠距離攻撃は可能だけど、どうせ覚えてるだろう“シャドークロー”で相殺されて地面技で押し切られる。
そうなると頼みの綱はダイケンキだけど、彼女も彼女で有効打がこごかぜと
どうして氷技なのに心許ない気がしてくるんだろう。普通倒せるぞ、十二分に。
──どうです、ポケモンは怖い生き物でしょう。
──率直に言って忘れていましたよね? チャンピオンの自分が、チャンピオンの自分が育てた子が、一番強いと思っていましたよね?
──それは違うんだよ、
──
──生死を賭けて、命のやり取りをする戦いでもない。
──過酷な環境で生きるためにポケモンを使役していた訳でもない。
──死線を潜り抜けて洗練されたヒスイのポケモンには、根本的に本質が及ばない。
声は思考の整理を手伝うと見せかけて、ただおれの傲慢をせせら笑ってくる。
初心を忘れたおれを愉快そうに嗤いながら、今すぐにでも思い出せと不愉快そうに発破をかけている。
……そうだね、認めよう。今の手持ちではオヤブンガブリアスの群れに勝てないよ。
「ダイケンキ。ありがとう、戻って」
黒騎士が僅かに動揺を見せた。
アシガタナに纏わせた冷気を一陣振り抜いてガブリアスたちを牽制しながら、納得のしていない声をひとつ挙げてボールに下がる。
止まない豪雨を菅笠越しに見上げ、周囲の状況を確認する。ここは『カミナギ寺院跡』で、ガブリアスたちは『祈りの広場』方面の崖上からやってきた。
ショウ先輩は後方でオオニューラ様に匿われているはず。先のガバイトや今のオヤブンガブリアスが放つ存在感ゆえに近づけないのか、普段ならいるはずのグライガーやノズパス、ビリリダマの姿は無い。
ポーチの中はいつもと同じ。ボール各種と玉各種、あとは色々なものが雑多。収納術を教えてくれてありがとうございます、シュウゾウ先輩。
冷気が消えていく中で群れを見つめた。
冷え切っているはずの体は心臓を中心に熱かった。
瞼を下ろさず、視線を外さず、祈りを胸に、詞は口に。
おれの手持ちはオヤブンガブリアスの群れに勝てない。
でもね。そもそもおれの仕事って、ポケモンを捕まえることなんだよ。
「──導いてくれ、アルセウスフォン」
凍てついた空気が雨に消えた時、重心を下げて脚を踏み込む。視界の端に飛び出した三色の光があった。
ポケモン勝負で勝てないならポケモン勝負をしなければいい。
おおよそポケモントレーナーとして失格な、調査隊員としては思い切った決断に我ながら頭の片隅で苦笑する。
おれは湖の三匹から提示された試練を突破して、異変解決後には捕獲まで成し遂げ、プレートを授かった。それはもう実質的に、いやどう考えても、湖の加護を貰っているも同義。
だったら──
“さて、彼らの加護がある内は、巨人の動きは止まって見えました。”
“無慈悲に振り下ろされる拳がどれほどの空気を裂こうとも、神使と共に攻撃を掻い潜って近づけます。”
“彼らの加護がある内は、巨人の考えが手に取るように理解できました。”
“不気味な怪物の姿ではなく、狂気的な恐怖と野望に囚われた巨人の精神を視たのです。”
“彼らの加護がある内は、その妄執から成る雄叫びに身を竦ませることもありません。”
“元より勇気ある者でしたので、強い心をずっと保つことができたのですね。”
単身となった獲物を仕留めんと静かに猛るガブリアスへ正面からねばりだまを投げつける。
シダと泥が混ざり合って粘つく球はガブリアスの顔面で爆ぜ、そのかんばせを一息に塗り潰した。
別のガブリアスが振り上げた“ドラゴンクロー”が首に迫る。当たれば死ぬので当たりたくない。泥濘から爪先を離す感覚で一歩後ろに飛び退き軌道を外れるとそのまま飛距離を調節して二発目と三発目のねばりだまを立て続けに投擲する。
全員の相手をするのは無理。的は一体、他からの攻撃は回避に専念。
ちかちかと視界の中でオーブらしき光が瞬く。
それは次に行くべき場所、攻撃の来る箇所を教えてくれているかの様だった。
正直ただの幻覚かもしれない。トレーナーとしてポケモンの動きを追える動体視力が、神さまへの祈りで具体的な形を得ただけのイメージなのかもしれない。
ああ、でも。でも今は。多分きっと導きだ。
鋭さを失い、美しく均整の取れたバランスも喪失した武器にオヤブンガブリアスが初めて焦る。とにかく全身に纏わりつく粘液を取り払おうと腕を振り回すが、篠突く雨水と冷えた空気を吸収してよりしつこくこびりつくばかり。
怒りと共に放たれる傍らからの“アクアテール”。横薙ぎの軌道を見切って思い切り飛び込み前転で回避するとその勢いのまま標的にしたオヤブンガブリアスの背後を取る。ここで使うのはハイパーボールじゃない。疲弊したポケモンに対して効果が高い鈍器──ギガトンボール!
捕獲完了の合図なんて待たない。だってガブリアスが待ってくれないから。別に失敗したらもう一度やり直せば良いだけだ。
赤い光に従って右隣のオヤブンガブリアスに次弾をぶち当てる。狙い通り着弾し右肩の関節を粘液が固定する。次は左で最後に顔──その目論見は一秒で破られ、地を滑る様に間合いを詰めたガブリアスの影がおれを呑み込んだ。
左腕が唸りを上げる。代赭の風を纏った拳の如き爪が岩を砕く勢いで振り上がる。既にねばりだまを投げつけるための動きに移っていた筋肉への投擲キャンセルと回避命令は間に合わず、無防備とも言える腹を正確に捉えられ、穿たれた。
「お、げえッ……!?」
骨の守りなんて無い内臓が悲鳴をあげる間もなく潰される。全身が爆発するような衝撃、肺の空気なんて一瞬で叩き出された。
勢いは少しも減退せず身体が軽々と持ち上げられ足の先が地から離れる。踏ん張る先を失った浮遊感、腹部の痛みはこれ以上があったのかと霞む意識が認識する。悪寒に全身が震え冷や汗が噴出して体温を奪う。けど、でも、だけど、その痛みによる恐怖は無く恐れによる硬直も無い。
自分を睨めあげるオヤブンの赤い眼光を見下ろして遠慮なく思い切り嘔吐した。
喉を焼け爛れさせながら迫り上がった吐瀉物がガブリアスの顔にぶち撒けられる。それが鮮血ではない別のものだと認識したオヤブンが一瞬だけ目を丸くしたその刹那、一切の力を緩めず握りしめ続けていたねばりだまをゲロの上から叩き付けた。
あんまり想像したくない混合液を顔にぶち撒けられガブリアスは堪らずおれを振り落とす。頭を振りまくって方向感覚に異常を来したのか巨大な体がぐるんっと背を向けた。
見逃さない。見逃すはずがない。その無防備な背をふたつめのギガトンボールで殴りつける。痛みは既に無く強いて言うなら喉がヒリヒリする程度。次、次だ次。
次──と意識を向けた時既に技は放たれていた。
蒸気を噴出させる地面。ガブリアスたちはおれへの警戒レベルを引き上げたのか人間では容易に詰められない間合いを取って“だいちのちから”を繰り出した。
焦るな、冷静に見極めろ。
呼びかけに応じる大地の鳴動、隆起のリズム、ガブリアスから標的のおれまでの距離、発動から命中までの短い時間差を求めて飛び退くだけの簡単な対処でいい。青い光が瞬いている。それでいいんだ。
厄介なのはそれより距離を取られたことだ。ねばりだまの飛距離も何より鈍器の飛距離も短いんだから懐に入りこまないとどうにもならないんだってこっちは。
目隠し玉を叩き付けて白煙を烟らせる。一瞬で立ち込めた白が寺院跡を覆う。雨で持続時間が短くなってるから早く駆け抜けろ。
ガブリアスたちは動じない。当たり前だ。彼らは頭部の対の突起がセンサーの役割を果たしており、ガバイトの頃から超音波を発して周囲の状況を把握することが出来る。視界を潰したところで彼らの動きは止まらない。天は二物を与えずなんてのは普通に嘘だ。
だから、当然それを止める。
白煙に姿を隠して走り寄り足元目掛けてねばりだまを叩き付けた。泥水と合体した粘液は気色悪い音を奏でて地面と脚とを絡め取る。視界が白煙に染まり当然センサーに頼ったガブリアスは、そのセンサーが見落とした襲撃者に混乱して反射的に大鎌を振り回す。
オヤブンの体躯がようやく仇になってくれた。互いのカマが衝突した鈍い音が辺りに響き、僅かに仰け反った胸元へ次弾を投げ放つと大きく開いた胸筋の縮まりを阻害すべく粘液が陣を張った。今ので位置がバレただろう、もうひとつ目隠し玉を破裂させて白煙を追加し身を隠し直す。
代わりに白煙から飛び出したのはジバコイル。
双つのユニットから“ちょうおんぱ”を撒き散らして上空へと躍り出たその姿に敬意と感謝の念を抱いた。
超音波で周囲の状況を把握するのなら、それを阻害する別の超音波をぶつけてしまえばいい。ポケモンを混乱させるための技としてではなくセンサーを混乱させるための技術を求められたジバコイルは心做しか涙目になりながらも役目を全うし、更に今ガブリアスらを引き付ける囮役まで買って出た。
探知能力に無視できないデバフを掛けてくる敵が姿を見せたことによりガブリアスの敵意は全てそちらに向く。四つの赤い眼光に睨まれたジバコイルは精一杯の距離を取るが、音速の飛行をも可能とするドラゴンが逃避を許さない。
──引き摺り下ろす。
──撃墜する。
空中戦に突入せんと体を折り畳むその直前、黄の光が指す一瞬にも満たない一連の動作。複雑に組み上げられた歯車に小石を挟むかの如く、折り畳まれる体の隙間にねばりだまを投げ挟んだ。均整の取れた綺麗な龍鱗は瞬く間も無く泥に塗れ足の付け根が中途半端な姿勢で固められる。
晴れ出した白煙はもうおれの姿を隠さない。これだけ距離を詰めたのならもう必要ない。ガブリアスが振り向くより先に大きく一歩踏み込んで動けない背中にギガトンボールを振り落とした。
あと何体だろう。
ていうか今までのどれだけ捕まえられてる?
一旦それ確認し、て──
「うおっとお!?」
一瞬遠退いた意識に足が千鳥ったが、そのおかげでガブリアスの“きりさく”の軌道を逃れられた。今特性ちどりあしの仕組みを完全に理解した。菅笠だけは間に合わず、無惨に真っ二つに裂かれた残骸がその場に零れ落ちる。
もう疲労が限界です。
舐めたこと言ってスミマセンでした。
古代の英雄って凄い、おれは改めてそう思いながらこちらに襲い掛かるガブリアスの顔面にねばりだまを叩き付けた。エイムだけは本当に天性の才能があると今になって胸を張れる。
腕を振り抜いた勢いのまま地面を転がり背後に回る。とにかく背後に回れば勝機はある。正面からとかやってられない。残り少ない鈍器を急遽左手で掴んで投げる。へろへろの軌道だろうと至近距離なら関係ない。
次。
次のオヤブン。
もういい加減終わりたい。
「……あー……きみ、で? さいご?」
さいごね、と力無く笑ってみせた。
数なんて最初から数えていないし捕獲の成否も見届けていない。無我夢中で走って叩いて投げてを、いや走って投げて叩いてかな、を、何度も繰り返した。
気づけばオヤブンガブリアスは眼前の一体だけになっている。菅笠を失った頭は既にずぶ濡れで、マフラーは防寒どころか体を冷やしてくるのだから、本当は一刻も早く外した方が良いのだと思う。
ていうか一体だけなら別にもうおれが体張る理由も無いからポケモン勝負で捕獲したい。残り二体の時点でその判断を下したかった。いつから二体だったんだっけ。無理そう、それすら把握してないもの。
ガブリアスの体を観察する。
無数の傷があちこちに刻まれ、紺色の表皮がねばりだまで汚れてなお、その強い眼光は陰りを知らず殺気を宿しておれを射殺さんばかりに血走っている。
その佇まいは恐ろしい怪物なんだと思う。
世が世なら、ではなくて。今も昔も触れてはならない竜として恐れられているのだと思う。だけど──どうにもそうは思えなかった。
だっておれはどうしようもなくこのガブリアスに見惚れていた。
木の葉の嵐に巻かれて刻まれた傷など気にならない。肌に纏わりつく粘液なんてガブリアスの威風堂々たる佇まいの前では巨大なキャンバスの片隅についた消しゴムの粕にも劣る。
様々な死線を潜り抜けて研ぎ澄まされた牙と爪。
神使の末裔をも上回る力を持っているのに、それを振り翳して山麓を支配するでもなく、こんな大嵐のお祭り騒ぎでもなければ表に出てこない。
下手な人間よりも思慮深い精神性を汲み取って密かに感動する。
鍛え抜かれた体と心に顔が自然と笑みを形作る。
もう、言葉も思考も不要だった。
山肌に唸り声を轟かせてガブリアスが地面を蹴る。旋風なんてとっくに通り越した暴虐の嵐。その爪が、その鎌が、大気を斬り付けて地を抉り岩屑を巻き上げながら来襲する。
点滅する視界の中それは本当に止まって見えた。全てを激写して収めていたい願望がかなり歪んだ形で叶えられたように思う。
およそ生身で浴びることなんて一生無いと思われたドラゴンタイプ最強の物理技──“げきりん”。ただでさえ強いドラゴンポケモンが理性のリミッターを外して滅茶苦茶な動きを可能として暴れ回る、下手なトレーナーでは覚えさせることさえ出来ない技を野生で会得しているのか、きみは。
最初は右の爪。死神の鎌みたいにおれの命を刈り取ろうとした爪が振り下ろされるのを一歩飛び退いて躱す。空振った爪は地面を叩き割り泥水が跳ねて石塊が飛び散る。即座に左の爪が横薙ぎに迫るのを両膝を屈めてやり過ごしたら、身を捻ったガブリアスの尾が三撃目として頭上から降ってきたから横に飛び退いた。
それでも攻撃は止まない。
咆哮が雨粒を吹き飛ばす度に速度は増していく。
きっとガブリアスが疲れ果てて混乱するまで、おれが捌き切れなくなって斬り裂かれるまで終わらない。
だから止める。
どれだけ楽しい時間にも終わりは訪れてしまうものだ。
猛攻を繰り返す巨体の動きがピークに達した瞬間、ガブリアスの肺から空気が叩き出された。
赤い眼光が見開かれる。何が起きたか全く分からなかっただろう。ゆっくりと斃れ始める巨体の背後には、強弓を構えたジュナイパーが草むらの中で静かに標的を見つめていた。
その弓に矢は番えられていない。
“つばめがえし”をくらってから今の今まで、ボールに戻らず何があっても息を潜め続けていた彼は、渾身の力を以て撃ち放てる一矢を虎視眈々と狙っていた。
一矢に凝縮された“3ぼんのや”はガブリアスの背を正確に穿ち、その衝撃は“げきりん”に熱中していたオヤブンの意識を完全に飛ばす。
意識外からの完璧な不意打ち。
仲間に何があってもそれ以上の絶好の機会を求めて潜み続ける胆力。
全霊を込めた攻撃を見届けてジュナイパーは静かに弓と瞼を下ろした。
眼前で倒れていくオヤブンガブリアスの背に薄く笑いかけながら最後のギガトンボールを零す。
重たい音を奏でて地に落ちたボールの開閉を見届けたおれの意識は、全身を苛むどうしようもない睡魔に呑み込まれていく。
最後に聴いたのはアルセウスフォンの電子音。
それはまるで労いの様に優しい音で、彼の神による労りを感じながら薄れる意識はとても、そう、ああ。
──とても、心地の好いものだった。
ジュナイパー(♂)
真面目な性格で辛抱強い。防寒機能が無いとやっていけないことを早々に悟りこのような進化に至る。
近接~中距離戦を得意としているが原種に出来ることは自分にも出来ると自負しているため今回のような潜伏狙撃も可能。
でも仲間の戦いを見ているしかない自分の不甲斐なさに腹が立つので、二度とやりたくない。
ガチグマ(♂)
寂しがりな性格でちょっと怒りっぽい。満月の夜にたまたま掘り起こしたピートブロックに触れて進化した。実は同族と比べると一回り以上小さいことがコンプレックスなのだが、テルがあまりにも気にしないので最近どうでもよくなってきた。
ジバコイル
臆病な性格で逃げるのが早い。天冠の山麓を飛んでいたら突然興奮したテルがウォーグルに乗って迫ってきて、びっくりしている間に捕獲された。
この人間意味分からなくて怖いなあと思っていたが、今回ガブリアスに生身で立ち向かっていく姿を見て、この人間本当に意味分からなすぎて怖いなあと思い直した。
ガブリアスたち
圧倒的強さを誇るシンオウポケモンの絶対王者。
攻撃が効いていない訳では決してなく、単に戦闘中は興奮しているため、体力が尽きて倒れるその時までダメージの蓄積を感じさせないだけ。