シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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カミナギさんからお手紙ついた

 

 ──先輩、そのまま。

 

 

 振り返りもせずにそう言われたときに全身を焼いたのは、内臓が爛れるような恐怖と憤怒。

 常に余裕を崩さなかった彼の、余裕なんて無い声色に、「嗚呼、これあたしに出来ること無いんだ」と理解するのは早かった。

 ……実際、戦いを目で追うのがやっとだったのだ。

 目まぐるしく変わっていく戦況。

 異なる動きを取るオヤブンたち。

 ムウマが捕らえられた瞬間も見えなければジュナイパーの技が発動したところさえ目視出来なかった。

 ただ分かるのは、彼の声が次第に追い詰められていったこと。

 何度も飛び出しそうになって、その度にオオニューラがあたしの全身を包んで離さなかったこと。

 

 あの戦いの場で、あたしは完全に戦力外だった。

 

 何も出来ないというのはやっぱり心苦しいなんてものじゃない。

 訓練場でも調査でも瀕死になることなんて無かった彼の手持ちポケモンたちが次々に倒れていく光景に、何かの間違いなんじゃないかと小さく首を振り続けた。

 それで現実が変わるはずもなく、彼の頭はきっと詰みを導き出した。

 このままポケモン勝負を続けていたら負ける。

 そう確信した彼の取った行動は本当に意味が分からなかった。

 

 なんでこの人は、オヤブンガブリアスの群れに()()()突っ込んでいくんだろう。

 

 理解が追いつかないまま呆然と見つめていた。

 まるで幽鬼みたいにふわふわと最小限の動きで猛攻を掻い潜り、捕獲の補助道具でしかないはずの粘り玉と目隠し玉を駆使して次々にギガトンボールで殴りつけていく様など、報告書にどう纏めればいいのだろう。

 オヤブンの攻撃を生身で受けて、嘔吐までして、それなのに次の瞬間には再び動き出して。

 彼の怪我が瞬く間に癒えるからそんな無茶をするのだろうか。

 そんな無茶をして大変なことになったのはもう何度目なんだろうか。

 彼の自信はどこから来るのかな。

 生きることに執着してくれていないのかな。

 時空の裂け目が消えたから、帰る手段がなくなったから、自暴自棄になってるのかな。

 

 最後のガブリアスが一騎打ちに負けた。

 ただひとり寺院跡に佇むテルは頬に髪を貼り付けながらゆっくりとこちらを向いて。

 ──穏やかに。この上なく安堵した顔で、笑いかけてくれたのだ。

 

 ジバコイルが呼んでくれた警備隊の人たちが駆け付けて、あたしたちはベースキャンプまで安全に送り届けられた。

 ガブリアスを捕まえたボールも全部回収したし、ガブリアスたちは勝者が全てという価値観なのか一切攻撃をしてこなかった。

 そうこうしている間に雨が上がって、その日の調査は終了した。

 テルに無茶をさせないために同行しているあたしは、またしてもお役目を果たせなかった。

 

 

「……どうしよう、ピカチュウ。あたしどうしたらいいですか? どんなに鍛えても、強くなっても、テルがずっと、ずっとずっと遠いんです」

 

 

 教わったことは全部書き綴ってある。

 おすすめされたポケモンも手持ちに加え、一緒に戦う仲間になってもらえている。

 彼と対等でいたい。

 彼の先輩でありたい。

 彼を導き、守り、共に強くなりたいのに。

 彼はあたしより先を歩いて、あたしを守る、どこまでも強くて遠い人だった。

 ただポケモンを戦わせるのが上手いだけならよかった。

 だってまさか、そんな、ねえ。

 ()()()()()()()()()()()()なんて、そんなの想定できるはずないじゃない。

 

 

「……強くなりたいです」

 

 

 ──どうして?

 

 

「テルの隣にいたいんです」

 

 

 ──それは何故?

 

 

「あたし……あたしが、テルの先輩なんです……!!」

 

 

 その肩書きに今やどんな価値があるのだろう。

 彼はヒスイを天変地異から救った英雄で、新たな異変の調査さえも楽しむ胆力の持ち主で、ポケモンを戦わせる能力にも秀でている上に、ポケモンと戦う能力すら持ち合わせている。

 ……嗚呼、嫌だ。嫌です。嫌なんです。誰にも負けない彼は誰にでも優しい。誰もが彼にとっては守るべき相手でしかなくて、隣に立って共に戦う存在ではない。

 少なくとも、あたしは絶対にそこにいない。

 あたしは彼の前も隣も歩けない。後ろで守られながら、ただ見ていることしか出来ない存在だ。

 それは。

 それは。

 イヤ、なんです。

 嫌なんですそんなのは。皆と同じじゃダメなんです。後ろじゃ視界に入らない。あの紺青の眼に映らない。

 だからあたしは強くなって、強くならないといけないのに。

 

 

「……遠いよお……」

 

 

 抱きしめた相棒が苦しげに鳴く。

 雨上がりの山麓を照らす陽光がさあっとテントに差し込んで、穏やかに眠るテルの頬を撫でた。

 そこだけがまるできらきらと光る別世界みたいで、追いつけない自分が悔しくて、心臓に爪を立てて掻き毟ってしまいたくなった。

 

 

 

 *

 

 

 

 経験というのは積めば積むほど良い。そして伝えれば伝えるほど良い。

 オヤブンガブリアスの群れと身一つで戦った経験から学べるものは無数にあった。何より大きいのがおれの中のモームリライン──これを超えると恐怖で体が動かなくなるという基準──が格段に跳ね上がったこと。

 今後しばらくはどんなポケモンと遭遇しても殺意マックス敵意マックスなオヤブンガブリアスの群れに比べればどうってこと無いと思えるだろう。実際試しに『黒曜の原野』のオヤブンポケモン全員を相手に粘り玉片手に単身突撃するツアーを開催してみたが、あのゴウカザル相手にさえ怯まず立ち向かうことができた。確実にリミッターが壊れたというか感覚が麻痺したというか、率直に言うと慣れたのだと思う。

 

 元々、おれはポケモントレーナーだ。誇らせていただくとシンオウ地方のトレーナーの頂点に立つ実力者であり、ポケモンの動きはそれだけ見慣れている。というかトレーナーがポケモンの動きについていけなければ勝負なんて成立しない。“こうそくいどう”を三回積んだテッカニンを肉眼で追えるのが理想。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 相手がポケモンでこっちが人間というのはただの事実であって何の障害にもならないのだ。

 

 

「──という感じで。両腕の爪や鎌が武器になってるポケモンの攻撃パターンっていうのは大体全部これらの型かその組み合わせです。武術と同じで、型さえ熟知していれば見切るのは割と簡単ですね」

 

 

 つまり理論上はどんな人間もガブリアス相手に立ち回れるということ。

 調査隊と警備隊の合同訓練の日、おれはいつもの訓練場でオヤブンガブリアスたちとの実演も交えながら先輩方にポケモンとの戦い方を講義していた。もちろん手持ちが全滅または壊滅した時を想定して、戦うのは人間である。

 これまでは相棒のポケモンが倒れたら一巻の終わりだった。だが今は違う。これからは変わっていく。手に持つのはボールではなく粘り玉。世はまさに、大粘り玉時代!

 

 

「んッな訳あるかボケェ!!」

 

「お前を基準にすんな! 人間様に合わせろこのバケモン!!」

 

「なんか人間への擬態がだんだん下手になってない? 下手っていうか雑?」

 

「見てなさい、多分森に帰ったら人間の皮脱いでポケモンになるわよアイツ」

 

「物言い酷くないっスか?」

 

 

 愛あるブーイングの嵐に口を尖らせる。あと誰ですかシンオウ昔話その二を諳んじたの。

 なにもポケモンと打ち合えと言っているのではない。ポケモンの攻撃を全部避けろと言っているだけだ。

 何度も言うがトレーナーがポケモンの動きを追えないなら勝負は成立しないのだから、逆説的にポケモン勝負が出来る時点でポケモンの動きはきちんと見えているはずだろう。

 じゃあ、あとは身体を動かせるようになればいいだけなんだ。

 

 

「あの、先輩!」

 

「どしたのミヨさん」

 

「ええと……先輩はもうポケモン勝負でポケモンを捕まえないってことですか?」

 

「いえ全然。普通にしまくりますよポケモン勝負」

 

 

 ん? とミヨさんが首を傾げる。

 他の人も返答に引っかかるところがあったのか訓練場は少しざわついた。

 なんだかんだ一番有効なのはポケモン同士で戦わせて体力を削り、状態異常で弱らせるやり方だ。粘り玉で疲れさせることはできても、火傷させたり麻痺させたり、眠らせたりはできないのだから。

 

 あと何より粘り玉が高い。

 自作しようにもいい感じのむしくいぼんぐりの数が足りない。むしくいでも廃棄しないよう畑作隊には頼み込んでいるものの、そもそも畑作のプロ集団はむしくい状態にさせないのが仕事。

 七百円とお高めな消耗品。オヤブンを疲れさせるには最低三個は欲しいから一体につき二千百円。そこにギガトンボールの値段を上乗せし、捕まってくれなければまた二千円が軽く吹き飛ぶ。

 

 

「皆さんに教えてるのはあくまでも最終手段です。戦えるポケモンがいなくなる前か後か、もはや自分の身しか頼れるものがなくなった時に()()()()()()()()()を知っていれば……」

 

 

 ポケモンを庇い、無我夢中で逃げ帰った人は大勢いるだろう。

 焦燥でもつれる足を動かすのは大変だ。どこからどう来るのか分からない攻撃なんて避けようがないし受けたら死ぬ。

 だから知ってほしい。攻撃のパターンを覚えてほしい。そして無事に生きて帰ってほしいのだ。

 

 

「おれみたいに手持ちが半壊してもそこから巻き返しが可能になる訳です!」

 

「ならねえよざけんなよ」

 

「途中まで良いこと言ってたのになんで急に舵を切るんだ舵を」

 

「もう二ぃ~三歩前に着地してくれない? 難しそ? もうちょっと人間寄りの感性でさ」

 

「ショウ先輩助けてください! 先輩方にいびられています!」

 

「しごかれてんだよ後輩(おまえ)に!! 先輩(こっち)が!!」

 

 

 バンバンと机を叩きながらの抗議が屋内に響く。

 そうは言ってもいつまでもおれがひとりで『純白の凍土』の調査をする訳にもいかないだろう。特に大大大発生が凍土で起こったらおれがひとりで『氷山ベース』を守るしかないし、調査の手も回らない。

 どうしよペリーラさん、と赤毛の隊長を見上げた。

 腕を組みながら講義を見守っていたペリーラさんはにこやかな笑顔で立ち上がると、手近な警備隊員ふたりの首根っこを掴んで外のバトルフィールドに放り出す。

 

 

「へ」

 

「あの、ペリーラ隊長?」

 

「テルのように出来るかはともかく……。ポケモンに共に戦ってもらうギンガ団員として、肉体を鍛えるのは至極当然のことだな! こんなにもガブリアスがいるんだ、相手になってもらおうじゃあないか!」

 

 

 ひゅ、と何人かの喉が鳴る。

 マユルドの糸で作ったアームカバーを装着したガブリアスが鎌を振り上げて歓待の意を示すと、ペリーラさんは先陣を切って単身飛び込んでいった。

 

 

「……後で覚えてろよ、後輩(テルてめえ)……!!」

 

「ああもう、やってやる! やってやるよ! ウオオオオオオ!」

 

 

 午後のコトブキムラに響き渡る勇猛の声。

 村人たちから遠巻きに眺められる中、差し入れを持ってきたムベさんに縋り付いて体捌きのコツを教わりながら、赤い制服と青い制服は斜陽が差すまでに何度も宙を舞ったのだった。

 

 

「ん? どしたのバクフーン」

 

 

 くいと袖口を引かれ顔を上げる。

 彼が手を向ける先、遠くのイチョウ商会の荷車前でツイリさんらしき人がぶんぶんと手を振っていた。あの元気っぷりからしてエシモさんではないだろう。

 

 

「ペリーラさん、呼ばれてるんでちょっと抜けますー」

 

「あいよー!」

 

「終わったらすぐ戻りまーす!」

 

 

 ひと声かけてから階段を小走りで下りて本部前の荷車に向かう。

 何か良いことでもあったのか、ツイリさんはゆるっとした表情で腕を下げるとその手に握っていた白い封筒を「はい!」とおれに手渡した。

 

 

「ウォロからの手紙! 届いたんだよ~!」

 

「マジすか! やったー!」

 

「これが商会(うち)宛て。そっちがテルさん宛てだね。この前の返信じゃないかな」

 

「あの人手紙にお返事とか書くタイプなんだ……」

 

 

 手紙なんて届けるために書くんですから読んだ時点で目的は達成されているでしょう、とか何とか言ってお返事くれないタイプだと思っていた。まさかただの偏見だったとはね。いや最初から偏見だけど。

 

 

「ウォロは結構筆まめだよ」

 

「ソーナノ!?」

 

「うん。割と記録魔」

 

「報告書は横着するけど日誌を任せると欠かさず書いてくれるんだよねえ」

 

 

 いや報告書はちゃんと書けよ。おれだって無い語彙力絞って必死に書いてるんだから。見ますかおれのシンオウ旅のレポート。ナナカマド博士の眉間に皺を刻ませシロナさんから「ちょっとこれはあんまり人に物事を伝えられる文章じゃないわね」と真面目なトーンでご指導いただいたんだぜ。

 

 

「なんか意外ですねえ……」

 

 

 小刀(カッター)で封を切るとほんのりお香みたいな匂いが鼻孔をくすぐる。封筒の中にはなんと二枚も入っていて、えっそんなに書いてくれたのと嬉しさが込み上げた。

 早速読んでみようと広げた瞬間に見慣れた筆跡が目に入る。違うな、これ赤ペン入ってるだけだ。古代シンオウ人本家の方がおれの古神奥語に修正を入れてくれてる。すみませんもっと勉強します……。

 とはいえおれが出したのは一枚なので残り一枚は正真正銘ウォロさんからのお返事のはず。

 修正箇所は後からじっくり見直すとして今はそっちに目を通したい。

 確認もそこそこに一枚便箋をめくって──

 

 

 

 

 ΤΡ

 

 ΤΓΜ ΨΜ ΣΜ

 

 Α ΚΚΡ ΕΤ ΣΡ ΥΡΣΚ ΟΜΥ

 

 ΖΟΥΤ ΙΚΣ ΚΖΣ αΡ

 

 ΤΓΚτΣ ΣΤ ΔΡ ΣΖ ΙΚΣ ΟΚΡ ΜΤ ΗΝΟ ΗΝΤ ΣΡΡ

 

 ΚΝΝΤΥ ΨΚΡ ΟΤΡ ΣΤ ΠΚΜΝ ΙΝΤ ΟΤΣ

 

 ΡΓα ΗΝΟ ΣΖΜ ΗΥΟΥ ΙΝΤ αΤΕ ΣΡ

 

 Ν ΣΡ ΚΜ ΤΥ

 

 Α ΚΙΗ ΚΤΝΡ ΣΡΝΙ ΚΜ

 

 ΜΔΡ αΤ ΟΣΕ ΝΓΡ

 

 ΙΚΣ ΗΝ ΔΡ ΟΚΡΡ ΜΔΡ ΟΣΚ ΝΡ

 

 ΚΕΡ ΜΔ Α ΚΚΡ ΗΤΤ αΡΤΝ ΕΡ ΝΓΥ

 

 ΩΟΡ

 

 

 

 

「読めるかァ!!」

 

 

 ブチ切れそうな気持ちを抑えられずに絶叫する。

 古神奥語で書かれたらそりゃ読めますよおれはね。というか本家の古神奥語見たかったという気持ちで書きましたよ古神奥語でね。

 

 これは何マジでこの何これは。

 

 アンノーン文字と似て非なるこの文字は何? 何語? 古代……もしかして古代城都語? あの人古代城都語もイケるの? いやイケたとしてもわざわざそれで綴らない気がする。あの人は民族の言葉や文字は大事にすると思うから、軽い気持ちで他所様の文字は使わない。と思う。これも偏見。じゃあこれ古代シンオウ人の言葉なのかあ。え、古神奥語じゃないのそれ。

 どういうことなのアルセウス。書いたの御身の信徒ですよね、どうすればいいんだこれ。

 

 

「あのっ……おれのだけ暗号で書かれてたんですけど商会宛てのはどういう……」

 

「ええ? 配達料も無料じゃないのに手の込んだイタズラするなあ……」

 

「んーまあ簡単に言うと、滞在してる町でちょっと大きめの火事があったみたい。で、その影響で船の手配が遅れたから帰るのが想定より遅くなるんだって。多分戦かな」

 

「……はい?」

 

 

 さらっと告げられた内容に一瞬思考が空白で染まる。

 火事。町の。船の手配。戦?

 戦って──戦争?

 

 

「地方間での戦争はともかく、町の中での小競り合いだ。ヒスイだってつい最近までコンゴウ団とシンジュ団が争っていたんだし、別に珍しくはないよ」

 

 

 俺がいた時もあった、とギンナンさんはやっぱりさらりと口にした。

 ツイリさんもさして驚いた様子は無く、「あー港町の隣町だもんねえ。影響出るよねえ」と手紙の文字を指でなぞる。

 

 

「ウォロさんがいる町、って?」

 

「ん? うーんそうだな……対の塔が聳える花の都、って言ったら伝わる?」

 

 

 ジョウト地方の対の塔。その言葉が指すのは確実にスズの塔と焼けた塔(カネの塔)だ。

 豪商が居を構える町と聞いた時からある程度予想はしていたけれど、やっぱりエンジュシティ──今はまだエンジュシティって名前ではないかもしれない──か。 

 

 

「塔の片方は今回の火事で焼けてしまったらしい。……そっか、もうアレ見られないんだ」

 

「………………ん?」

 

「うん?」

 

 

 エンジュシティの前身たる花の都。対の塔が聳え、おそらく対の伝説のポケモンがそれぞれの塔に舞い降りる町。

 片方が焼け落ちた火災が生じ、隣の港町から出す船の手配に支障が出た。

 隣の港町にさえ影響を及ぼす程の火事か、そもそも火事が起きた原因かもしれない戦で、焼け落ちてしまった対の塔の片割れ。

 

 

「ホウッ……!!」

 

 

 叫びかけた口を反射的に手で覆った。

 だってそれは今に伝わる「神話」だ。落雷か戦か発端は何か分からないがカネの塔は炎に包まれ、炎に巻かれた名もなき三体のポケモンが命を落とした。海の神ルギアは炎を雨を呼んで炎を鎮め、虹の神ホウオウは三匹のポケモンに新しい肉体を与えてその魂を蘇生した。

 それがエンテイ・ライコウ・スイクンと呼ばれている三聖獣であり、未来の世界でも大切に祀られているホウオウとルギアの神話であり、焼けた塔に纏わる大切な歴史。

 

 嘘。

 そんな。

 いや、まさか。

 あいつ商会の金で家族旅行した先で神話の瞬間に立ち会ってるなんて──!!

 

 

「……戦なんて、無いのが一番っスよね」

 

「そうだね」

 

「そりゃあねえ」

 

 

 戦も火事も起こらないのが何よりだ。それは良識として持ち合わせている。

 命を落とした三匹のポケモンはもちろん、被害に遭った人たちのことを思えば、「立ち会えて羨ましい」なんて「歴史に残る瞬間を見届けられて良かった」なんて感情は到底湧き上がらせてはいけないものだ。

 

 だから今考えるべきはそこではない。

 この時代にカネの塔の焼失が起こったという事実の方に目を向ける。

 カネの塔の焼失はしっかり記録に残っているからだ。

 

 

 ──それはおれの居た時代からおよそ百五十年前。

 

 

 はじめて正確な年数を実感して、その数字の大きさに乾いた笑みが声もなく零れた。

 長い歴史を持つヒスイの地にとってはほんの一幕でしかないような百五十年の歳月は、百年も生きられないただの人間であるおれにはあんまりにも遠く、分厚く、重く。

 おれの知るシンオウ地方の時代にはどうやっても帰れないのだと、今になってつくづく実感したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやそんなことないな。ディアルガいるし」

 

 

 何をナイーブになっているのでしょう。おれの手元には激しい戦いを繰り広げて共にパルキアの暴走を食い止めたディアルガ様がいらっしゃるのだ。

 時を操る力を持つ時間神の力を以てすれば、百五十年の時渡りなど容易だろう。おそらく森を起点にしなければ渡れないという条件があるのではないかと云われているセレビィのような制約も無いと思う。

 

 という訳で仕事終わりにやってきたのは放牧場。

 道行く人から度々拝まれる時間神は、放牧場の隅で四肢を折り畳みながら大変大人しくコトブキムラを眺めていた。

 

 

「あのですねディアルガ。たいへんつかぬことをお訊きしますが……おれを元いた世界に時渡りさせることって可能ですかね」

 

 

 時間神はじっとおれを見下ろして沈黙する。

 伝達者がいないのでその意を文言として読み取ることはできないが、見上げ拝謁した眼に灯る色から心を垣間見る。

 どこか物憂げに下がる首の角度。ツツ、ツーと独特な電子音が響き、反射的にアルセウスフォンを取り出した。

 

 ──すべてのポケモンとであえ。

 

 変わらず表示される神託の縁がほのかに青鈍色に光っていた。

 画面からディアルガに視線を移せば、彼の神は静かに頷いておれを見つめる。コトブキムラに吹く風は夜を連れ込み、月と明星の光は太陽に比べて酷く冷たい。

 ……できないことはないけど、まずこの使命を果たさないことにはなんとも。って感じかな?

 首を傾げてみればディアルガは無言で頷いた。神託に灯る青鈍色は彼の神の意なんだろう。アルセウスの分身体であるディアルガがアルセウスの神託に同意している──考えてみれば当たり前だ。神の権能はそうそう気軽に使ってよいものではない。

 

 となるとさっさとポケモン図鑑を完成させなければ。

 大大大発生のおかげでタスクが埋まりやすくなっており、未捕獲だったポケモンたちのほとんどを捕まえられている。

 困るのは現状どうやっても捕まえられない、出会えないポケモンたち。もとい、ジバコイルとラムパルド、そしてトリデプスだ。

 

 おそらくジバコイルは『時空の歪み』でやってきたコイルやレアコイルがテンガン山の磁場に当てられて進化したことで、()()()()の存在として定義され直したのだろう。かつて歪みの中で捕獲したニューラがマニューラとなって今も牧場にいるのと同じだ。()()()()からの強い干渉を受けた場合、歪みの向こうからやってきたポケモンたちは()()()()のものになる。

 ジバコイルは捕獲できているのに、コイルとレアコイルは確認できていない。

 山麓の歪みで一度だけ会ったラムパルドとトリデプスも、あれから一度も出会えていない。できればズガイドスとタテトプスの状態で来てほしい。

 一度『時空の歪み』によって大変なことになったコトブキムラでは決して口にできないが、あの現象を再びと言わず目的を達成するまで何度でも起こしてほしい自分がいる。

 

 それと。

 ()()()()()()()()()姿()()()()()()()()

 

 ズイの遺跡には何度も足を運んでいるが未だにアンノーンを見かけていない。ユウガオさんにも訊いてみたが情報は得られなかった。

 アンノーンがズイの遺跡にいないなんて、そんなことあり得るのだろうか?

 あり得るも何も現状こうして不在なのだからあり得る、という答えしか出ない疑問がずっと前から湧いている。出ない理由に心当たりがあるのが悪い。だっておれ、あの子達を悪用したんだもの。

 

 そう。

 細かなタスクを埋めて進捗も成果も変わらず挙げてはいるけれど、現状おれの図鑑作成はどうにも行き詰まっていた。

 

 

「……とりあえず、『純白の凍土』で大大大発生が起きるのを待つか……」

 

 

 ね、とバクフーンのボールを撫でる。指の中で小さく揺れた器に笑みが零れた。

 クレベースもウォーグルも野生での生息は確認できているから、どんな子が大発生しても不思議ではないし先日みたいに変なテンションにはならないはず。

 …………オヤブンルカリオの群れに囲まれたらどうしよう。センサーじゃなくて波導で予測回避してくるから流石に分が悪いんだけど。一旦ハクさんのルカリオと手合わせさせてもらおうかな。

 

 

「それじゃあディアルガ、また明日」

 

 

 頭を下げて踵を返す。

 今夜はウォロさんからのお手紙を解読しなければいけないので、夕食はイモヅル亭で早めに済ませてある。

 古代シンオウ人独特のお手紙ルールとかが無いのなら、少なくとも「ΤΡ」はおれの名前を指しているはず。この二文字は古神奥語だと「T」と「P」だけど、そこに圧縮されている意味は「TERU」になる訳だ。この時点で古神奥語の基本である「二文字で一音」からは大きく逸脱することになる。ついでに「Ρ」は「P」ではない。似た文字があっても同じもの、同じ意味、同じ読みではない。

 で、「ΤΡ」が「テル」なら末尾の「ΩΟΡ」は「ウォロ」を指してるはずだよね。てことは「Ρ」は「ル」と「ロ」、「RU」と「LO」に当て嵌まるという訳で──うわあ、なんだか久しぶりに興奮してきた! 初めてズイの遺跡の古神奥語を解読した時もこんな感じだった!

 

 

「よし──解読王に、おれはなる!」

 

 

 浮かんだ月に謳う様に高く叫びながら宿舎へ走る。

 ヒスイの澄んだ空気に青冴えた夜空はいっとう美しくて、今にも降り出しそうな星々の瞬きが宝石の如く輝いていた。

 

 

 

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