シンオウの昔日-翡翠英雄奇譚-   作:ヒュペルボレイオス

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虹霓の鳳と白銀の鵬

 

 

「うわっととと! こらエン、危ない危ないって……おーい、聞け」

 

 

 そのポケモンがじゃれついたのは、両の手を荷物で塞がれている町人の足元だった。

 ポケモンにとっても町人にとってもそれはいつもの光景であり、特別怯えるような素振りも、今更声を荒げて怒鳴るほどのことでもない。

 危ないとは言ったものの、深く鮮やかな夕日の色を宿したポケモン──エンはきちんと加減を理解しているし、町人も不用意に自分が慌てふためかなければバランスを崩して倒れ込むことは無いと分かっていた。

 

 

「エンは本当に食べ物の匂いに敏いねえ」

 

「じゃれつく相手が分かりやすいよな」

 

 

 そのポケモンは人懐っこく、一度戯れが許された相手を絶対に忘れない。

 特に茶屋や食事処を営んでいる人間に対しては敏感で、そうでなくとも懐に団子でも忍ばせていれば必ず感知してねだってくる。嫌がる素振りを見せれば素直に諦める賢さと可愛さも持っており、ある意味たちが悪い。

 

 ライは食べ物よりも賑やかなもの、特に楽器を好む傾向があった。三味線を背負って歩いていればいつの間にか後ろをつけており、期待の眼差しで見上げてくる。

 一曲奏でてやればそれはもう嬉しそうな顔をするものだから、町ではしょっちゅう誰かの演奏や歌声が響いていた。

 

 綺麗なものを好むスイは飴細工やガラス細工の前で釘付けになって動かなくなっているのがよく目撃される。欲しい訳ではなく、ただきらきらと光を反射させる様子が気に入っているらしいので、満足するまで眺めさせておくしかない。

 スイが惚れ込んだという箔の付いた品はいっとう人気を集め、その審美眼は事実目利きの人間を唸らせるほどだと云う。

 

 三匹はこのようにして町の人間たちから愛されており、三匹もまたこの町の人間が好きだった。

 誰のものという訳でもない彼らは町に溶け込み、受け入れられながら毎日を楽しく過ごしている。

 

 

 

 

「……良いなあ」

 

 

 ──その光景を眺めて、巫の口からそんなような言葉が零れ落ちた。

 それは羨望ではなく、良いものを良いと言うだけの意味合いしか込められていない。食事処の二階から見下ろす先では、恐れられることも、邪険にされることもない三匹のポケモンたちが楽しそうに人間たちと戯れていた。

 それはあの三匹に限ったことではない。

 既にポケモンを戦わせる文化が根付いているカントーと陸続きだからだろうか。ジョウトには、この町には、共に暮らすポケモンを連れ歩く人間が数多く存在していた。

 

 

「あんなに楽しそうなのに戦の気配があるなんて……疑うわけではありませんが、ちょっと信じられないと言うか……」

 

 

 ()()が閉じこもったままのボールを見つめ、祭具は心配の色を声に乗せる。

 楽しそうとは言うがそれは祭具が鈍感なだけだ。

 あの三匹の前では楽しそうに振る舞えているだけであり、彼らが去れば物々しい空気への不安が口を衝いて出る。あの三匹がこの町の清涼剤なのだろう。彼らの前では楽しそうにしていたい──そんな思いが共有されている様だった。

 

 

「……何事も無ければいいよね」

 

 

 明日、ワタクシたちはこの町を発つ。

 豪商の取り寄せた石板はプレートではなく、神楽も修得した今この町に留まる理由は無い。

 早急に帰ってこいとせっつかれているのもある。時空の裂け目から漏れ出たエネルギーの粒子って何なんですかね。時の神に訊けばいいのに。

 

 

「クレィア」

 

「はい?」

 

「おぜんざい半分こしましょうか」

 

「! する! します!」

 

 

 花開く様に明るくなった表情にくすりと笑む。

 町人の気持ちも分からなくはない。()()()()()()と無縁の無邪気な存在には、そういう表情をしてほしくない。

 いつものようにただ笑って手元にいてほしい。

 清水に汚泥を垂らしたくないように、綺麗なものに汚いものを混ぜたくないように、侵されたくない聖域の如き存在には、相応しくないものを見せたくない。

 もっとも──祭具(クレドクィア)の場合は、“使い物にならなくなると困るから”なのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 ──という穏やかな昼間の時間は、やはり薄氷の上に成り立っていたのだと実感した。

 宵闇の帳が下りた町に響き渡る鐘の音。カンカンと短い間隔で打ち鳴らされる音はとても耳障りで早々に頭痛を引き起こす。

 提灯とは違う赤々とした戦火の光と熱は目が痛く、焦げ臭いにおいが鼻を刺激する。立ち昇る黒煙によって渾天は穢され、大通りは人でごった返した。

 

 発端はただの自然現象だったはずだ。

 深夜に轟いた雷鳴に慄いたのも束の間、聳え立つカネの塔は業火に包まれた。

 まるで巨大な松明だった。町を象徴する対の塔の片割れが盛大に炎上している──その光景は張り詰めていた人々の空気を最悪の形で刺激して、誰かのせいにしたがる人間の悪癖が花火の様に爆発した。

 

 雷のせいに見せかけた火付けではないか。

 雷自体が意図的に引き起こされたものではないか。

 誰が連れているポケモンにその力があるか。

 誰がどんな勢力と繋がりを持っていたか。

 

 心を読み取った勇敢なる者(ルカリオ)が思わず顔を顰めるような疑心暗鬼が席巻し、やがて雷は誰が誰に従わなかった祟りだとかそういう方向にも膨れ上がり、もはや言ったもの勝ちの惨状へと事態は転がり落ちていく。

 薄氷の上とは言ったが、ほんの少しの衝撃でこんな有り様になるほどだとは思わなかった。

 そんなこと今言ったってどうしようもないでしょう? としか思えないような議論をする暇があるなら、塔の炎を全員で団結して鎮めればいいのに。

 

 

「こちらですお客人。この道は灯籠も無く人通りもほとんど無い。ここを通れば無事にこの町を出られる」

 

「助かります。いやはや、まさか夜中にこんなことになるなんて」

 

「すみません……みんな混乱してて」

 

 

 襟巻きに鼻先をうずめ、案内役のエノキは「どうして……」と嘆きを漏らす。

 暴動への変転を早くに感知した豪商は「ギンナンのとこの大事な子だから」とワタクシたちを一刻も早く町から逃がす手筈を整えた。その先見の明こそが彼の家をそこまで大きくさせたのだろう。影響力の大きい豪商も当然言い掛かりのような疑心の矛先を向けられる。そんな自分では匿いきれないだろうからと、とにかく逃がす方向に舵を切ったのだ。

 

 屋敷の裏手の小さな戸をこっそりと抜け、裏路地を縫う様に走り抜けた先。

 町外れの小道に差し掛かり、あとはこの道を南下して隣町を目指すだけとなったその瞬間、耳の奥を打つ何かの遠吠えがあった。

 嫌な予感に横隔膜が痙攣する。目立つ白髪を被衣で隠していた巫が悲痛な顔で振り向いたとき、その予感は最悪の形で的中し、実現することとなる。

 

 

「も……戻ってください、ウォロ!」

 

「は?」

 

「カネの塔にいるんですあの子たちが! このまま、このままでは死んでしまいます!」

 

 

 アナタにも聴こえたでしょう、と金の眼が問い掛ける。

 それが代弁者である我々の聴覚に拠るものなのかは分からない。聴こえない人間の感覚を知る機会なんて無いのだから。

 確かに聴こえはしたとも。カネの塔が燃えたということは、カネの塔に住み着いているあの三匹も巻き込まれたということだ。今際の際に天へ捧げられた遠吠えの意味なんて考えるまでもないだろう。

 ──どうする?

 ──もし焼死体と対面した時、この祭具が不要な感情を得てしまったら。

 ──悲しみの材料も怒りの矛先も揃っている。

 ──発現しないよう制御出来るか?

 ──まあ出来ないことは無いか。

 

 

「仕方ありませんねえ……。すばしっこい彼らのことです、逃げ果せている可能性の方が高いですよ!」

 

「ありがとう、それならそれで嬉しいです!」

 

 

 疾風の黒獅子(ウインディ)をボールから出し巫共々背中に乗る。「お客人!?」と困惑するエノキへにこやかに笑い掛ければ、彼はそれだけで何を読み取ったのか思い詰めたような顔をして押し黙った。

 要は死体さえ見せなければいい。生死不明であれば、身軽な身のこなしで逃げたのだと説いてやれる。黒獅子(ウインディ)大地の槌(ガブリアス)は耐性があるから、多少火傷はするかもしれないけれど少しの時間なら炎の中でも捜索が可能だろう。

 

 町外れにさえ熱気が届くほどに燃え盛る塔は近づく毎に肌がひりひりと焼け付いた。自分の前に乗る巫も慣れない熱に息苦しいのか微かに苦悶の吐息が零れる。

 ワタクシはどちらかと言うと辺りの騒乱が耳障りで一秒でも早く離れたい。

 祭具は雑音など拾っていないのか、炎に包まれるカネの塔を見上げては三匹の無事を祈るように瞑目して俯いた。

 

 

「近づいちゃダメだよあんた!」

 

「お前もヌオーと一緒に下がらねえか!! もうその子は限界なんだぞ!!」

 

 

 塔の周辺には一部の町人が消火活動に当たっていた。

 水タイプと思わしき何種類ものポケモンたちが幾度も技を出しては、尋常ではない炎の勢いに敗北を繰り返す。長時間ここにいたのか、ヌオーと呼ばれた縹色のポケモンは皮膚の表面が目に見えて乾き切ってひび割れていた。

 人間の生活圏で人間を傷付けないよう暮らしてきたポケモンの力なんてそう強いものではない。

 火の勢いは一向に弱まらず、消火に当たれる頭数だけがじりじりと減っていく。増援は見込めないだろう。いつ風が吹いて飛び火するか分からず、内輪揉めの火種も起爆し続けているのだから。

 

 

「中に、あのポケモンたちがいますよね!?」

 

「多分な! まあいないなら何よりだけど、いないにしてもこの火をどうにかしないとルギアの止まり木が無くなっちまう!」

 

 

 ──ふと、疾風の黒獅子(ウインディ)が耳を動かし空を仰いだ。

 同時にこれまで無かった風が吹き荒れカネの塔の火の塊が分かたれる。燃えたままの木片が飛び散ったのか、誰もが延焼を覚悟した。その予想は裏切られることなく現実のものとなり、周辺家屋の屋根が新たな火の手を戴冠する。

 

 最後の火種がそれだった。

 扇状に飛び広がった火の粉は木造家屋を糧に瞬く間に膨れ上がって町を襲う大火へと変貌を遂げる。たった数秒の変化だった。一陣の風が舞っただけで齎された災害に人もポケモンも恐れ慄き、二拍ほどの沈黙を各地で挙がった悲鳴が破る。

 我先に逃げ出す者で往来は詰まり、近くの路地にも人が殺到する中、炎は家から家へ寺院から社へと勢力を拡大して町を槐色に染め上げた。

 繁栄を示す建築物の数々がただの薪に成り下がる。

 巨大な手のひらに握り込まれるかの様な猛火が人の群れに迫る。

 

 

「“いわなだれ”!」

 

 

 獅子の咆哮に応じた土塊が宙で岩塊を形成し、業火のエサに成り下がるより早く立ち並ぶ家屋を押し潰す。岩の奔流に軋んだ茶屋が音を立てて崩壊し、隣の長屋諸共“いわなだれ”の下敷きとなった。

 食事を失った炎は土煙に煽られつつも侵攻を阻まれ、一軒先の人間の群れを前に立ち往生。

 水が無いなら燃料を断つしかない。ほんの少しの後味の悪さは、盛る火の音に紛れた感謝の声と一緒に遠退いていく。

 

 

 ──()なら、どうしただろう。

 

 

 頭をよぎった紺青の瞳が柔く笑む。

 都合の良い時に都合良く現れて事態を解決に導いては、その実自分の好きなようにしかやっていないアレは、こんな時どういう手に出たのだろう。

 こんな時にも都合の良いポケモンを連れていただろうか。「なにボーッと突っ立ってんですか!?」と叫んで人員を動かせただろうか。

 なんて、不甲斐のない思考を小さな咳が剪定する。風下に牙を剥くのは炎だけではない。夜空を穢す黒煙が自分たちの喉を蝕み出した。

 急いで獅子の背を飛び降りる。巫の鼻と口を頭衣の袖口で覆いながら、既に走り出した疾風の黒獅子(ウインディ)がこれから何をするのかを人間に説明するために指示を出す。

 

 

「短時間で構いません! あの三匹を探してください!」

 

 

 最早それは塔の形をしているだけの火柱だった。

 神の欠片によって世界に広まった力の中でも炎と岩の二種類を備える彼女だからこそ臆さず飛び込んでいけるような業火の巨塔。

 血統さえあれば『群青の海岸』は間違いなく彼女の領域(もの)だっただろう。そう感じさせる程に勇ましい背中が焔の中へと消える。

 先代キングの時とは違ってあのポケモンたちと血の繋がりは無い。同族でもない。引き際を弁えた賢女であるのだから、深刻なダメージを負う前に見切りを付けて撤退するだろう。

 お客人、と男の声に振り向くと息を切らしたエノキがガス提灯を手にしたまま走ってくるのが見えて頭痛がした。

 

 

「なに戻ってきてるんですか!?」

 

「何ってだって、お客人を町から逃がすのがぼくの仕事です!」

 

 

 嘘をつきなさい。

 その仕事はジブンたちをあの道に案内した時点で果たされている。あそこから戻ったのは単にこちらの都合であり、この男にはもう何も関係ない。

 それなのにわざわざこんな、火元にまで追い掛けてくるなんて根っからのお人好しか愛すべき愚者かのどちらかだ。命が惜しくないのか。

 

 

「道は覚えましたから! アナタはジブンたちに構わず──」

 

「塔が崩れるぞ!!」

 

 

 割れ鐘の様な声と被って木材の悲鳴が煙火を切り裂く。

 焔に削られた柱と梁がへし折れ、屋根瓦の一部は剥落し音を立てて割れ砕け、内部から何かが爆ぜる音が重く響いた。

 大梁が限界を迎えたのだと悟る。高く築き上げられた塔は自らの重みを支える骨を失い、轟音と共に地を鳴らして瓦礫へと零落していった。

 

 内部から“だいふんげき”もかくやとばかりに炎を纏った疾風の黒獅子(ウインディ)が飛び出したのはその直前。たとえ親兄弟でなくとも本当にぎりぎりまで探し続けた獅子の、黒い体毛に施された煤化粧が火の粉に煌めく。

 彼女がジブンたちの隣へと舞い戻ったその刹那。

 塔が崩壊を迎えたその瞬間。

 

 

 都合の良い大雨が、前兆も無く降り注いだ。

 

 

「なっ……」

 

 

 元来、雨は雲がなければ降らない。

 雨粒が地面に落ちるまでの間に風に攫われるなどして雲が消えることはあるが、それは小雨程度の話。大雨や嵐は、それだけの水を抱える雲が要るのだと賢者が昔言っていた。

 その理からこれは完全に逸脱している。

 渾天は今も白く丸い月を湛えているし、そこに叢雲は掛からない。

 ()()()()()()()()()()()()

 整えられた地面を雨粒が叩いて跳ねる。吠え立てる様に唸りをあげた炎が天から雪崩れる水の勢いに屈服させられる。瞬時に沸騰して生じた気泡が次々に爆ぜる音が各地で挙がる。この塔の上だけでなく、この町全体の上空から雲無き雨が篠を突いた。

 赤黒く染まっていた木材は濡れそぼって紅を失い、ただ黒焦げただけの残骸に変わる。

 

 そして──月よりも輝く虹の羽が、星よりも瞬く銀の羽が、青冴えたソラで羽ばたきながら眼下の町並みを俯瞰していた。

 

 

「……ホウオウ、ルギア……?」

 

「あ、ああ……! 降らせてくれたんだ! ルギアが、ルギアが雨を!」

 

 

 戸惑いのどよめきが歓喜のざわめきに変わるのにそう時間は掛からなかった。

 建造物を糧に町を呑み込まんとしていた炎のにおいが雨のにおいに掻き消され、各地で立ち昇る煙は黒から白へと移り変わる。

 人々が見上げる先で翼を広げる白銀の鵬と虹霓の鳳。

 ルギアと呼ばれた白銀の鵬は茫然自失といった様相で焼け落ちてしまったカネの塔の近くを舞う。彼の白銀が翼を休めに降り立っていた九重の塔は今や見る影も無い。

 神殿を失った白銀は虹霓に向かってひとつ悲しげに鳴くと、雨を引き連れて南方の空へと飛び去っていった。

 

 残された虹霓の鳳が焼けた塔の上で悠然と羽ばたく。

 彼の神殿であるスズの塔は瑕も無く、九重の屋根を持って高く空に伸びている。

 ただ落雷ひとつの有無でここまで変わってしまった対の存在に何を想うのか、人間が推し量ることは叶わない。

 

 虹霓は大きく翼を広げ、甲高く雄々しい声を夜空に響き渡らせた。

 伴って溢れ出す虹色の輝き。仄かな赤、澄んだ青、柔き緑は鳳を中心に天地を照らし、月光と溶け合って幻想的な煌めきを作り出す。

 尾羽が揺れる度に光の粒が弾けて舞う。それは厳寒に閉ざされた楽園を照らす光明とは別のものでありながらも、焦土に色彩を取り戻す月虹の輝きとして人々の目を惹きつける。

 

 そして、虹の神は奇跡を起こした。

 

 月虹に煌めく粒子が焼けた塔を包容する。

 積み上がった瓦礫は道を譲るように飛散し、その下から白光に包まれた獣がゆっくりと立ち上がった。

 光は獣の新たな尾となり、長く流麗な動きでしなる。新たな鬣となり、豊かに悠然と背を流れる。小柄だった体格は恵まれたものに変性し、三者三様の遠吠えと共に光の中から新生した。

 

 稲妻の如き尾を揺らす。刈安色の逞しい体には雷電の軌跡に似た黒い紋様が幾つも走り、後頭部から伸びる紫苑色の鬣は真実雨雲そのものだった。

 隣には金の額飾りを冠した黄櫨染の獅子が佇み、鉄の様な甲殻と噴煙の鬣が背を彩る。黒い鉄の輪が地を踏みしめる太い四肢に嵌まっているのは何らかの封印だろうか。

 最後の一体は優美が際立つ風貌だった。羽衣に似た帯状の白い尾が風もないのに宙を揺蕩い、水晶の角が光を乱す。深い紅碧の鬣は靡く度に光沢に濡れ、真冬の空を踊るオーロラを思わせる。

 

 姿形こそ大きく異なり多少厳しくはなったものの、その人懐こい眼の光は少しの変わりも無い。

 カネの塔に住み着くこの町の名もなき三匹のポケモンたち。ライとエン、そしてスイに与えられた新しい姿だった。

 

 直前の様子からして進化とはまた違った現象。

 三匹があの火災と崩落の中で生きていたとは考えにくい。熱と煙に巻かれ崩れた瓦礫の下敷きになった彼らはきっと生を終えていた。

 それを不憫に思った虹の神は三匹を()()させたのだ。

 何か新しく力を与えられたのだろう。三匹にはそれぞれ雷と火と水の性質が色濃く発現している。それも一連の流れ──落雷・火災・降雨──と照らし合わせたかのようにぴったり同じ要素だ。落雷と火災の性質を持つ二体が逞しく、降雨の性質を持つ一体が麗しいのは齎した影響の方向性の違いだろうか。

 

 

「きれい……」

 

 

 被衣の下で金の眼を輝かせた巫が心からの称賛を送る。

 神話に綴られ、伝承として何百年と語り継がれるだろう光景から目が離せないのは自分も同じだった。

 天地開闢とも生命創造とも違う神秘。

 命の再生──喪われたものを再び喚び戻す、神にのみ許された御業にして奇跡。

 川に流すことも無く執り行われた神技。

 もはや戦などと言っている場合ではないだろう。

 一秒でも早く、この光景を、この顛末を、後世への戒めを絡めつつ虹と銀の神々に捧げるべき信仰を記録しなければいけないのだから。

 

 新生した三体が焼けた塔から飛び降りる。

 今宵でこの町とは死に別れると思っていたのだから当然だ。

 涙の膜が張った眼を愛しげに細めながら、彼らは様子を見守っていた町人たちの元に駆け寄って──誰かに、石を投げられた。

 

 

「……は?」

 

 

 スイの白い尾を掠めた石が地面に転がる。

 咄嗟に立ち止まらなければその石は体のどこかに命中していた。煤汚れた石を一瞥し、スイは今一度町人を見上げる。

 及び腰の男たちが女子供をエンたちから守るように立ち塞がる。

 顔に浮かぶ表情はまるで火災が未だに続いているかのように怯えに満ち、とても長年この町で共に暮らしていた隣人に向けるべきものではない。

 

 

「コラッタ、“でんこうせっか”!」

 

「行けポッポ! “かぜおこし”!」

 

 

 ジョウトに来てから見慣れたポケモンが人間の指示を受けて襲い掛かる。

 たった今感激と共に駆け寄らんとしたライたちに向けるそれは決してじゃれ合いなどではない。

 

 

「な……何しているんです、アナタたち──!!」

 

 

 心の底から理解を拒んだ状況に黒獅子が発った。

 目にも止まらぬ早さで突っ込むコラッタとスイの間に割って入り、“でんこうせっか”とついでに“かぜおこし”を受け止める。威力は全く脅威ではない。三匹に命中していたとしても大した怪我は無かったと思う。

 あくまで、肉体に限った話ならば。

 

 

「落ち着いてください、彼らはカネの塔の火災に巻き込まれたあの三匹です! アナタたちが仰ぐ虹の神によって蘇ったのを見たでしょう!?」

 

 

 巫を三体の傍、黒獅子(ウインディ)の背後に控えさせながらワタクシは町人らの前に立つ。

 銀の神が去ったことで受けた衝撃によって混乱しているなら落ち着いてほしかった。

 仰ぐ神が顕現し、その権能を振るって奇跡を起こした──なんて。

 その短い命の中でひとたび目撃しただけで、今後の人生がどんなものでも、幸福だと言い切ってしまえるような経験だったのだから。

 

 

「彼らがアナタたちに危害を加えるとでも!? あり得ないと分かるでしょう、分かりますよね! このかんばせを一目見れば!」

 

「余所者が知ったような口を叩くな!!」

 

 

 野太い否定が一蹴する。

 余所者なのは認めるけれど知ったような口も何も見れば分かるだろうに何を言っているんだこの現地人は。誰か冷静な人間はいないのか。

 見回した視界に映る人間の顔つきに浮かぶ色をひとつひとつと確かめる。

 

 

「……“それ”が、あの子達であるものか。姿形も、鳴き声だって全く違うじゃないか」

 

「死んだポケモンが生き返ったって? じゃあホウオウは、死んだ命を好きにいじくり回せるってのか」

 

「ライはあんな牙持ってなかったよ……エンだって、あんな大きな爪なんか無かった。そんなもの、何に使うって言うんだい……!」

 

 

 警戒があった。困惑があった。

 敵愾があった。嫌悪があった。

 恐怖があった。拒絶があった。

 浮かぶ色はどれも排斥に繋がるものでしかなくて、再誕を心から喜ぶ人間はひとりもいなかった。

 

 ……じゃあ何だ。あのまま死んでいればよかったのか。愛くるしい姿のまま炎と煙に巻かれ、瓦礫の下で潰れたままなら追悼に涙されたというのか。

 姿形が変わるから何だと言うんだ。鳴き声だって進化のひとつでもすれば変わるだろう。神が命をどうにかできるなんてそんな()()()()()()()を何故恐れる。

 爪も牙もポケモンにあって当然のものを今更取り沙汰すのはおかしいだろう。そこのコラッタとポッポにもあるのが見えないのか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!?

 

 

 

 ──オマエが全なる神の威光を取り戻さないからだ。

 

 

 

「っ……!」

 

 

 

 ──使命を果たせ。楽園に帰れ。神の欠片を蒐めて繋ぎ、天への道を取り戻せ。

 

 ──天地(あめつち)に日の神の威を示さなければ、人の心は神を忘れたまま。

 

 ──没した日華を空に昇らせ、あの日の約束を叶えなさい。

 

 ──コギト(思い)は役目を遂げたのに、ウォロ(望み)はいつまで待たせるのです?

 

 

 

 軋む頭蓋に視界が霞む。

 幻聴の奥で町人が何か話しているはずなのに、そちらに耳を傾けようとしているのに何も聴こえない。

 北風の様な笛の音が耳の奥で鳴り響く。あれだけ遠かったはずの鐘の音がもう真隣から耳を打つ。

 傍らの黒獅子(ウインディ)が唸り声と共に牙を剥き出し威嚇を始めた。何を言われたのか知らないがオマエが戦うと力量差がありすぎて殺しかねないから落ち着い、て。

 

 

「ウォロ」

 

 

 笛と鐘の音に混じって澄んだ鈴の音が弾む。

 振り返れば聖霊に似た金の双眼が柔く笑みながらこちらを静かに見上げていた。

 三体のポケモンたちは三対の眼からあどけなさを消すと、一度だけ自分と目を合わせて何も言わずに踵を返す。

 町人に向ける眼差しさえ無かった。あれだけ親しく、長年続いていた絆は今ここで絶えたのだ。

 命は蘇り、肉体は新たに作り直されたとしても──人間と仲睦まじかったあのポケモンたちは、焼け落ちた塔と共に死んだのだと、他ならぬ彼ら自身が告げていた。

 

 

「行きましょう。もう、この町でやることはありません」

 

 

 あのポケモンたちの無事は確かめられた。

 新しい姿と力を得て、この町を去り、自由に生きていく。

 火事は鎮められた。

 止まり木を失った銀の鵬は南方の海に去り、町はこれから人の手で再び興されていく。

 

 

「ごめんなさい、引き返させて」

 

 

 警戒と敵愾の視線は余所者に向けられ、馴染みのない黒い獅子への嫌悪と拒絶が囁かれる。ワタクシが人の言葉としてそれらを理解したくないように、彼らもまたワタクシの言葉を受け付けられないのだろう。

 シントを築くほどに理解し合えた古きジョウトの民はもういない。

 ここにいるのは己の神の御業さえ蔑ろにする背信者。

 

 

「……ええ。帰りましょうか」

 

 

 虹霓の神の姿も既に無く、刻みつけられた深い傷跡だけが残る槐の町。

 このまま寂れて無くなってしまえばいい──そんな呪詛を吐くほどの興味さえ最早湧かなかった。

 ここはヒスイではない。彼らの生きる彼らの土地。余所者はこちら。故に取るべき行動は、こちらが去ることだけなのだ。

 巫を抱き上げた自分を咥え、疾風の黒獅子(ウインディ)は器用にも宙に(ほう)って背で受け止める。

 群衆の顔を見る暇も無く、その名の通り一陣の風となって人垣の無い小道を駆けた。

 

 忌まれた黒の鬣が闇夜に溶け込むのはとても早く、左右を流れる木々の色は水に溶ける染料の様に紫黒と混ざる。

 熱に炙られた空気、雨に晒された大気、棘に溢れた視線、何もかもを振り切って、痛いくらいに冴え渡る星空の下を港町目指してひた走った。

 なお着いてくるものがあるとするならば、耳を澄まさずとも嫋々として尽きない笛と鐘と咎の声。

 ……そうですね。帰りたいです。帰りますよ。我らの故郷たる、北風の吹く楽園に。

 

 ジョウトの地は。少し、疲れた。

 

 

 

 




エン・ライ・スイ
 無邪気な性格で食べるのが大好き、陽気な性格で抜け目がない、大人しい性格でのんびりするのが好きだった「名もなきポケモン」たち。元ネタは金銀の没ポケモンであり、三犬の原案だったと云われている。本作では三犬の生前説を採用。

ヌオー(♂)
 がんばりやな性格で負けず嫌い。ウパーの頃にカネの塔に忍び込んで迷子になった経験がある。

コラッタ(♀)
 せっかちな性格で物をよく散らかす。三犬があの三匹だと気づいてはいたが、怯えるパートナーの指示を無視することはできなかった。

ポッポ(♂)
 臆病な性格でおっちょこちょい。パニックになっている群衆の空気にあてられ半ば混乱状態だった。落ち着いてからは時折南の空を見上げている。

エノキ
 舞子の一族に生まれたが男児であるため商家の奉公に出された青年。
 普通に良い人ではあるが先の見通しが立たない状態での決断が出来ないタイプ。ウォロの側に立って町人を説得することが出来なかったのも、自分を召し抱える豪商の立場や実家への迷惑などを色々考え込んでしまったため。
 元ネタは構想段階でのマツバの名前。
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