錆びた扉が軋みながら開かれ、その隙間から荒廃した世界が広がった。吹きつける風は冷たく乾いており、僅かに鉄と血の匂いを含んでいる。咲夜はその感触を無視するように、一歩を踏み出した。
彼女の視線の先には、砂と瓦礫に覆われた荒野が広がっていた。かつては栄華を誇った都市だったのだろう。しかし、今ではその面影はほとんどなく、崩れた建物の残骸が無造作に積み重なり、まるで死者の墓標のように突き立っている。
空は異様なまでに赤黒く染まり、太陽のような光源があるにもかかわらず、まるで永遠の夕暮れが続くかのような陰鬱な雰囲気に包まれていた。
淀んだ空気は肌に重くのしかかり、遠くで微かに何かが燃えるような焦げた臭いが漂ってくる。
「……終末の世界、って感じね」
咲夜は静かに呟きながら、自らの右腕を見下ろした。灰色に鈍く光る義手――《ルナティックアーム》。それはまるで生きているかのようにわずかに脈動し、彼女の動きに応じて滑らかに応答する。
義手に感じる違和感はまだ完全には拭えないが、それでも少しずつ馴染みつつあった。これは単なる義肢ではない。戦うための武器であり、そして彼女に課せられた宿命そのものだった。
「さて……」
彼女はゆっくりと周囲を見渡した。この世界が一体何なのか、なぜ自分がここにいるのか。帰還の方法はあるのか――答えはまだ見つからない。
ただ一つ確かなことは、ここで立ち止まるわけにはいかないということ。
この異世界の一部として埋もれるわけにはいかない。
咲夜は腰のホルスターから《Lisette》と呼ばれるカスタムハンドガンを抜き取り、手の中で慣らすように回した。次に、アタッシュケースから鋭利なナイフを取り出し、そのまま軽く構える。
準備は万端だ。
――その時。
遠くから何かが擦れるような音が聞こえた。金属が引きずられるような、嫌な音。
咲夜の体が瞬時に反応する。彼女はすぐさま近くの崩れた建物の影に身を隠し、慎重に周囲を観察した。音のする方角へと視線を向ける。
何かがこちらに近づいてくる――
異形
それは、瓦礫の向こうからゆっくりと姿を現した。
《シャドウクリーパー》
それは人間の形をしていた。しかし、その姿は異常そのものだった。黒く変色した皮膚はまるで炭のようにひび割れ、関節は不自然にねじれ、指先には鋭い爪が伸びている。口は耳元まで裂け、赤黒い舌が蠢いていた。
最も異様なのは、その目だった――赤い光を帯びた瞳が、不気味に蠢いている。それは、まるで意志を持つかのように咲夜をじっと見つめていた。
「……歓迎されてるみたいね」
咲夜は軽くため息をつき、ゆっくりと《Lisette》を構えた。
次の瞬間、異形が猛然と動き出す。
「速い……っ!」
咲夜はすぐさま引き金を引いた。乾いた銃声が響き、弾丸が異形の肩口を撃ち抜く。黒い肉が裂け、黒い液体が弾け飛ぶ。
しかし――異形は止まらない。
さらに加速し、まっすぐ咲夜へと突進してくる。
「くっ……!」
咲夜は背を反らして後方へ跳び退きながら、素早く二発目を放つ。二発の弾丸が異形の膝を撃ち抜き、その動きが鈍る。だが、それでも止まらない。膝が砕けていようと、痛みなど感じていないかのように這いずって迫ってくる。
「しつこいわね……」
咲夜は冷静に《ルナティックアーム》を作動させた。義手の内部メカが動作し、仕込まれたナイフが瞬時に飛び出す。彼女は異形に向かって一気に踏み込み、異形の喉元を貫いた。
「……これならどう?」
彼女はさらに力を込め、ナイフを深く突き刺す。異形は苦しげに痙攣し、数秒後、地面に崩れ落ちた。黒い血が地面に広がり、辺りは再び静寂に包まれる。
「ようやく……」
咲夜は一度息を整え、銃のスライドを引いて次弾を装填した。しかし、彼女の警戒は解けない。遠くの瓦礫の隙間から、さらにいくつもの影が蠢き始めていた。最初の一体は、ほんの先触れに過ぎなかったのだ。
「……来るわね」
咲夜はナイフを構え直し、冷徹な目で異形たちを見据えた。数体、いや、それ以上。異形の群れが、闇の中から這い出してくる。
「なら、一体ずつ仕留めるまでよ」
彼女は一発、また一発と銃弾を放つ。異形の足を止め、次々とナイフで急所を突く。弾丸を撃ち、動きを封じ、ナイフで仕留め、また次へ――咲夜の戦いは熾烈を極める。彼女の周囲はすぐに異形の黒い血で染まり、その数がいくら増えようとも、冷静に、着実に、戦い続ける。
その手に握られた銃とナイフは、彼女にとって唯一の命綱だった。
彼女はマガジンを交換し《Lisette》のスライドを引き、しっかりとグリップを握り直す。足元を安定させ、僅かに膝を曲げ、銃口をまっすぐ異形へと向け、9mm弾が一体の異形の額を正確に撃ち抜いた。しかし、異形は即死しない。動きは鈍くなったが、咲夜に迫ろうとしていた。咲夜は即座に二発目を撃つ。
今度は狙いを変え、膝へと撃ち込んだ。弾丸は異形の関節を破壊し、バランスを崩させる。
「動きを止めるなら、こっちの方が効果的ね」
崩れ落ちた異形へと一気に接近する。その左手には、戦闘用にカスタムされたナイフが握られていた。
「終わりよ」
咲夜は異形の首元へと素早くナイフを突き立てる。刃が肉を裂き、異形はびくりと痙攣する。それでも完全には止まらない。
「しつこいわね……」
ナイフをさらに深く刺し込み、勢いよく刃を引いた。
喉元から黒い血が噴き出し、異形が力なく倒れる。それと同時に、別の方向から飛びかかってくる影。咲夜は直感でそれを察知し、とっさに横へと転がる。直後、異形の鋭い爪が彼女のいた場所を薙ぎ払った。
「ちっ……」
体勢を立て直しながら、素早く銃口を向ける。異形が次の攻撃を仕掛ける前に、咲夜はトリガーを引いた。弾丸が異形を撃ち抜き、腕が吹き飛ぶが、それでもなお動きを止めない。
「なら――これでどう?」
咲夜は素早く間合いを詰め、カウンターでナイフを突き立てた。刃が異形の腹部へと深々と突き刺さる。だが、それでも動きを止めない異形。
「タフすぎるわね……」
咲夜は瞬時に判断し、ナイフを握ったまま強引に捻る。内部の骨が砕ける音が響き、異形の動きが明らかに鈍る。
「仕上げよ」
咲夜はナイフを引き抜くと、すぐさま銃を突きつける。至近距離から放たれた銃弾が、異形のこめかみを撃ち抜き今度こそ、異形は完全に崩れ落ちた。
「ふぅ……ようやく終わったわね」
咲夜はマガジンを交換し辺りを見渡し右腕のルナティックアームを慎重に構えつつ、歩き始めた。
「この辺に……銃を扱ってる店があったはず」
男から地図を貰いこの都市の構造はおおよそ把握している。目指すのは、廃墟となった銃砲店。
武器と弾薬が手に入れば、戦いの選択肢が広がる。義手を微調整しながら進むと、目的の建物が見えてきた。咲夜は慎重に踏み入れる。看板はすでに崩れ落ち、入り口のドアは半ば吹き飛ばされている。
「……荒らされてるわね。」
中に足を踏み入れると、埃と金属の匂いが鼻を突いた。割れたガラスケース、散乱する弾薬の殻、そしてすでに持ち去られた銃器のラック。
「……遅かった」
だが、探る価値はある。咲夜はカウンターの裏に回り、物色を始めた。
すると――ガラスケースの中に、一丁のショットガンが眠っていた。木製のフレーム、ずっしりとした重量感のあるフォアエンド。W870-ポンプアクション式の散弾銃。この銃は、信頼性と連射性能を兼ね備えた強力な武器だ。
「……これはいいわね」
彼女は義手を使って慎重にガラスを壊し、ショットガンを取り出した。
フォアエンドを引いてみるとわずかに油が残った滑らかな動作音が響く。状態は良好。だが、肝心の弾薬がない。12ゲージのショットシェルがなければ、ただの鉄の塊に過ぎない。
「……どこかに残ってるはず」
そう考え、店内をさらに探る。
その時――背後から、小さな音が聞こえた。
咲夜は即座に動いた。
《Lisette》を抜き、振り向きざまに狙いを定める。
暗闇の中から、影が這い出してくる――異形との遭遇。影の中から現れたのはシャドウクリーパー。
「……やっぱりいたのね」
咲夜は構えたまま、一歩後退した。すると、暗闇の中からさらに数体のシャドウクリーパーが姿を現す。
「面倒…」
咲夜は素早くトリガーを引いた。銃声が響き、先頭のクリーパーの頭部を撃ち抜く。だが、それが合図となった。シャドウクリーパーたちが一斉に飛びかかってきた。
「数が多い……っ!」
咲夜はすぐに状況を判断し、カウンターを飛び越えた。物陰に隠れながら素早く棚を探ると――
「見つけた!」
埃まみれの12ゲージショットシェルが数発、崩れた棚の奥に転がっていた。咲夜は即座にW870に弾を装填し、迫る異形たちに向けて構える。轟音が店内に響き、先頭のシャドウクリーパーが粉砕される。
散弾の一撃は凄まじく、異形の上半身が消し飛んだ。残った個体が動きを止め、一瞬の間が生まれる。咲夜はその隙を逃さず、素早く次弾を装填し、再び引き金を絞る。もう一体が地面に叩きつけられ、痙攣しながら動かなくなる。
「……いい火力ね」
しかし、まだ動く気配のある個体がいる。咲夜は一歩踏み込み、近距離で銃口を向けた。
「これで終わりよ」
最後の異形が崩れ落ち、ようやく静寂が戻る。咲夜は銃を下ろし、息を整えながら周囲を確認した。
「拾い物にしては、悪くないわね」
手にしたW870――これからの戦いで、彼女の大きな武器となった。外に出て、咲夜は慎重に歩を進めながら、辺りの様子を探る。
「……厄介な地形ね。」
目の前には巨大な崩落地。元々は道路が続いていたのだろうが、今では深い断崖となり、その底には鋭利な鉄骨と崩れたコンクリートの塊が乱雑に散らばっていた。落ちれば助からない。
左右を見渡すが、迂回するには時間がかかりすぎる。ここで足止めを食らうのは得策ではない。咲夜はふっと息を吐き、左腕――ルナティックアームを持ち上げる。
「こっちのほうが手っ取り早いわね」
手首のギミックを作動させると、グラップリングフックが勢いよく射出される。狙いは対岸のビルに剥き出しになった鉄骨。フックは正確に狙いを捉え、ガチャンッと音を立ててしっかりと食い込んだ。
咲夜はフックの固定を確認すると、少しだけ膝を曲げる。そして、一気に跳躍した。
瞬間、ワイヤーが巻き上がり、彼女の身体が宙を舞う。重力に引かれそうになるが、しっかりとグラップリングの勢いに乗り、弧を描くように対岸へと滑るように移動する。
頬を撫でる風。宙を駆ける高揚感。そして、下に広がる奈落。
だが、咲夜の表情は微塵も揺るがない。
「――着地と」
靴の底がビルの縁に触れた瞬間、素早く膝を曲げて衝撃を殺す。そのまま軽やかに一回転し、瓦礫の上にしっかりと降り立つ。
グラップリングフックを収納しながら、咲夜は満足げに呟いた。
「悪くないわね。」
だが――その一瞬の油断を、奴らは見逃さなかった。
「ギィィィ……!」
不快な金属音のような咆哮が響く。咲夜が振り向いた瞬間、瓦礫の影から異形が這い出してきた。黒くひび割れた皮膚。異常に長い手足。四足歩行で、まるで影の中を這いずるかのような動き。無数の赤い光を宿した瞳が、じっと咲夜を見つめていた。
「……しつこいわね」
咲夜は肩をすくめながら、ベネリM4を手に取り、グリップをしっかりと握りしめた。
装填を確認する。目の前の異形――シャドウクリーパーは、まるで猛獣のように低く身を屈め、じりじりと距離を詰めてくる。その動きは音もなく、気配を消しながら獲物を狩る捕食者のそれだった。
「……隙を見せたら即死ってわけね。」
咲夜は冷静に状況を分析する。シャドウクリーパーは群れで行動する傾向がある。この一体の影に、他の個体が潜んでいる可能性が高い。視界の端に気を配りながら、そっと後退し、瓦礫の死角を探る。
「ギィィ……」
クリーパーが一歩踏み出した、その瞬間――ショットガンの轟音が響き渡る。
至近距離からの散弾が、異形の上半身を吹き飛ばした。弾丸を受けたシャドウクリーパーの身体は黒い霧のように弾け、断末魔の悲鳴を上げる。
だが――
「ギャァァァ!!」
遠くから、別の異形の咆哮が返ってきた。
「やっぱり」
撃った瞬間に、咲夜はすぐさま次の動作に移る。素早くグラップリングフックを射出し、すぐ近くの崩れたビルの鉄骨に引っ掛ける。ワイヤーが巻き上がると同時に、咲夜の身体が宙に浮く。
その直後――
数匹のシャドウクリーパーが、まるで獲物に群がる猛獣のように咲夜がいた場所へと殺到した。もし飛び上がるのが一瞬でも遅れていたら、彼女はあの鋭い爪と牙に引き裂かれていたことだろう。
「もうちょっと静かにしてくれる?」
宙を移動しながら、咲夜はグラップリングの勢いを利用して高所の瓦礫の上に着地する。見下ろせば、異形たちがうごめきながら、地上でこちらを探している。
咲夜は冷たい視線を向け、ショットガンを構えると――
「お仕置きの時間よ」
瓦礫の上から、咲夜は次々と異形を撃ち抜いていった。至近距離ならば一撃で吹き飛ばせるショットガンの威力も、距離が開けば散弾の拡散で致命傷を与えにくくなる。それでも、動きを鈍らせるには十分だった。
「……まだまだいるわね。」
地上のシャドウクリーパーたちは次第にこちらの射線を避けるように動き始める。四足の異形たちは壁を駆け上がり、天井を這い、咲夜の死角を狙って距離を詰めてきていた。
(賢い……いや、本能的な学習ってところかしら。)
次の手を考える間もなく、真横の壁面を駆け上がってきた一体が、彼女へと跳びかかってきた。
「ッ……!」
連続で引き金を引く。銃口から吐き出された9mm弾が異形の頭部を貫くと、クリーパーは悲鳴を上げながら瓦礫の下へと落ちていった。
しかし、それを見ていた他の個体が、一斉に襲いかかる。
「お行儀が悪いわね……!」
咲夜はすぐさまグラップリングフックを射出。対角線上の建物へと飛び移りながら、宙を舞う間にもハンドガンで正確に撃ち込んでいく。連続する銃声。狙いはシャドウクリーパーの関節――特に膝。彼らの動きを封じれば、反撃する時間を稼げる。
「さて……ここからは、ナイフの出番よ」
咲夜はグラップリングを解除し、瓦礫の上に着地すると、ルナティックアームのギミックを作動させた。義手から仕込みナイフが飛び出し、冷たい光を放つ。異形たちはまだ動きを止めていなかった。負傷してもなお、執念深く咲夜に向かってくる。
「……本当にしつこいわね」
一体が飛びかかってきた、咲夜は身を低くし、すれ違いざまにナイフを一閃。クリーパーの喉元が裂け、黒い霧のような血が噴き出す。続いて、背後に回り込んだ個体の頭を回し蹴りで弾き飛ばし、そのまま腕を振り抜いてナイフを突き立てる。
黒い血がナイフを伝い、異形は断末魔の悲鳴を上げると、地面に崩れ落ちた。
「……あとは?」
荒い息をつきながら周囲を見渡す。地面には絶命した異形の骸が転がっていたが、まだ微かに”気配”が残っている。
カツ……カツ……カツ……
静寂の中、規則的な足音が響いた。咲夜はナイフを構えたまま、ゆっくりと音のする方を見やる。そこに立っていたのは、シャドウクリーパーではなかった。
《ツイステッドハウラー》
人の身体に狼のような顎を持つ異形が、こちらをじっと見据えていた。
「……今度はあなたが相手ってわけね」
咲夜はナイフを握り直し、ゆっくりと戦闘態勢を整えた――。
咲夜の《Lisette(リゼット)》の見た目は、シルバースライドにカスタムされた、H&K USP Expert