シャルリア宮の第一夫君   作:倉庫から出す

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シャルリア宮の第一夫君

「この男を私の第一の夫にするアマス」

 

 

 地面に膝をついて首を垂れながら、何の悪夢なんだよと思った。

 

 俺の人生、ほどほどに頑張ってほどほどに良い感じをキープしてたのが、ここに来て急転落。

 

 一年前、十五歳でシャボンディ諸島に移住してからというもの、時たまエンカウントする天竜人の存在には細心の注意を払ってきたってのに。

 

 何で今日に限って、蝶よ花よと育てられてる天竜人が目の前で転んだ挙句、それについ手を差し出してしまったのか。

 

 つーか天竜人って転ぶもんなの? 前に見かけた天竜人はデケェ巨人族の背に乗って移動してただろ。雲の上の存在が下々民と同じ地面を歩くなよ!

 

 脳内では降りかかってきた理不尽に文句を垂れつつ、咄嗟に抱き止めた天竜人から身を離し平身低頭モードに移行したのは我ながら天晴れだろう。

 無礼者だと発砲される確率と、身を挺して天竜人の転倒を防いだ名誉下々民の称号を授けられる確率、半々くらい。もちろんこの判定には九割のポジティブが配合されている。

 

 そうやって顔面を真っ青にして震えていた俺に降ってきたのが、冒頭のセリフである。

 

 天竜人の後ろに控えていた男は、第一夫君(ふくん)としてお迎えする準備云々って言ってたような。

 

 何なんだよ夫君(ふくん)って。夫君(おっとくん)♡じゃダメなわけ?

 

 そもそも、俺はさっき抱き止めた天竜人が女だってことすら知らなかったんだよ!

 

 アイツら下界に降りてくる時はみんな似たような防護服を着てて、俺みたいな下々民は彼らを見かけたらすぐ頭を下げなきゃいけないから顔なんて当然見てない。

 言われてみれば、彼女に触れた時に花のような香りがしたような気はする。

 

「あ、あの……」

「さっさと私のものにするアマス。このノロマ!!」

 

 天竜人の隣に立っていたスーツの男がアマス使いに蹴られて蹌踉めく。

 なかなかに屈強な男を蹴りでよろめかせる女、やっぱり無理すぎる。俺は女の尻に敷かれたいタイプの下々民だけど、これはレベチって言うかぁ……!

 

「では第一夫君、こちらへ」

 

 すぐに持ち直したスーツの男の手には、奴隷のものよりはデザインが凝っている首輪が握られていた。

 

 そんなのないっスよ。顔面偏差値低すぎな天竜人の夫とかマジありえないっスよ!

 

 なんて口にしたら即射殺されちゃうので、せめてもの抵抗として両手で首元をガードしていたが、その道のプロによってあっという間に首輪を装着されてしまった。

 

 首輪にはジャラッと音を立てる鎖が付いていて、当然鎖の先は天竜人の手の中。

 

 ……あれ。俺って天竜人の夫になるんじゃなくて奴隷だった?

 

「鎖はお家に帰ったら外してあげるアマス」

「は、はあ……。ありがとうございます天竜人様」

 

 それ自体が敬称っぽい天竜人に様を付けるのは間違ってる気がする。俺の人生間違いだらけだ。

 

 絶対に目を合わせないよう顔を逸らしながら対応していたら、思ったより下の方から手袋をした両手が伸びてきて俺の頬を包む。そのまま顔ごとそちらに向けられた。

 

「顔をよく見せて」

 

 真っ先に目に入ったのは、落ち着いたクリーム色の髪。足元がこういう形の家具あるよなあ、髪型似てるなあ、なんて現実逃避しながら視線を下へ移動させ――薄黄色の、所謂シールドサングラス越しに天竜人と目が合う。

 

 思わず、はぁ? って声が出そうになった。

 

 天竜人の顔面偏差値低いって言ったの誰。不敬罪で射殺されとけ。

 

「予定を変更するアマス。今すぐ帰ってお父上様とチャルロス兄さまに、一番目の夫を迎えたことをお知らせするのアマス!」

 

 想像以上に美しく成人も迎えていなさそうな天竜人は、天使のような表情で「……先ほどのように私を抱き上げて港まで歩いてくださいまし」と悪魔的発言をした。

 

 

 

 

 

 

 これは完全に偏見だったわけだが、わざわざ下界に降りてくる天竜人の大半は男で、顔面偏差値が低くて、とっくに成人してるようなヤツばっかだと思っていた。

 今まで遠目に見かけた天竜人がみんなそうだったからだ。年齢に関しては、アイツら老け顔でもあるから実は未成年も混じってたかもしれない。

 

 

 

「本日からここが貴方の部屋です」

「はあどうも。……あー、実は家に色々置いて来ちゃって。取りに戻りたいんスけど」

「生活に必要なものはこちらに全て揃っています。部屋の冷蔵庫には常に食料が補充され、シャワールームも完備。この部屋から出るにはシャルリア宮の許可が必要ですので」

「やっぱり俺、夫じゃなくて奴隷ですよね?」

 

 初手から監禁とは恐れ入った。

 

 その後はやってきた女性達に大袈裟なくらい全身をくまなく洗われ(下々民は不潔ってか?)、バスローブだけ渡されて部屋に放置されてしまった。

 

 俺、寝る時は裸族だからバスローブいらないんだけどな。

 

 部屋には時刻が分かるようなものは置いてなさそうだ。

 移動中に出された菓子が美味すぎて食べすぎちゃったのと、その後爆睡したせいで腹時計も眠気時計も仕事してくれそうにない。

 

 天竜人に拉致されてんのに、自分でもよく眠れたなーって思う。夢うつつに誰かに頭を撫でられたことも覚えてる。

 ……あの菓子になんか混ぜられてたのか?

 

 まあ眠くないしこれ以外着るもんないし、ってことでバスローブを着て部屋の中を物色する。

 

 外したカーテンを垂らして脱出できないかと窓を開けたら格子がはめられていて、片腕しか脱出できそうにない。天窓なら格子はなかったが、天井が高すぎて俺に飛空能力が宿らない限り無理そうだった。

 それはそうと、天窓ってことはこの部屋は一番上にあるってことか。側面の窓に格子がなくても脱出は不可能だったかもしれない。トビトビの実を食べたジャンプ人間になりたさしかない。

 

「あーやめやめ! 俺は寝るぞ」

 

 いくらあの天竜人が美人だからってこんなトコにいつまでもいられるか。殺されるか死んだ方がマシな目に遭わされるに決まってる。

 

 ベッドの端にローブを脱ぎ捨て、全裸のまま横になる。

 

 移動中にあんだけ寝たのに、自動的に部屋の明かりが消えた途端とんでもない眠気に襲われ、俺はあっという間に眠りの世界へ旅立った。

 

 

 

 

 

 胸板に何かが這うような奇妙な感覚で目が覚めた。

 

 寝る前には真っ暗闇だった部屋には小さな明かりがいくつか点在し、薄ぼんやりと部屋全体が浮かび上がっている。

 

「…………?」

 

 意識はあるのに体が動かない。動かないっつーか、重すぎるっていうか。

 まさか金縛り?

 頭が半分寝てるのか声も出ない。

 

 目だけは動かせるから必死に自分の胸元を見てみたら、なんと腕が生えていた。

 

「よく眠ってアマス」

 

 続けてそんな声も聞こえてくる。腕は俺から生えてるんじゃなくてちゃんと持ち主がいた。俺の妻になったらしい天竜人の女だ。

 

 シールドサングラスどころか口元のマスクもしておらず、当然例のシャボンすら被ってない。

 天を駆けているかのような妙な髪型も、風呂上がりなのか胸元にかけて下ろされている。こんな状況でも丁寧に櫛を通したのが分かるくらいサラサラな髪だ。

 

「……それにしても。さっきからこれは何アマス」

 

 手袋をしていない手のひらがまた俺の胸元に触れていったかと思ったら、

 

「き、キャアアアアアッ!?」

 

 耳元でとんでもない声量で叫ばれた。

 奴隷は奴隷でも性奴隷かよって思ってたところに鼓膜破壊は聞いてないぞ!

 

 すぐに部屋の奥から複数人の足音がして、分厚い扉が開かれる。薄暗かった部屋も元の明るさに戻っていた。

 俺は咄嗟に目を閉じて寝ているフリをした。

 

「どうかなさいましたか、シャルリア宮!」

「な、なななどうして私の夫は何も着ていないアマスか!!」

 

 女天竜人がぺちぺちと俺の胸板を叩いた。

 緊急事態ではないと判断したのか、部屋に押し寄せてきた男達の足音が落ち着いていく。

 

「どうやら第一夫君は裸族のようです」

「裸族……? 下々民には服を着る文化がないと?」

「いいえ、シャルリア宮。入浴を除く、特定の場所やタイミングで衣服を脱ぎ捨てる性癖を持つ人間がいるのです」

 

 なんだか誤解しか生まなさそうな発言だな。

 

「それならいいのアマス……」

 

 天竜人なのに下々民の特殊性癖に寛容すぎるだろ。

 

「いつまでそこに突っ立ってる? さっさと私たちの寝室から出ていくアマス!!」

「ギャアアアッ!?」

「申し訳ありません!」

 

 えっ、なになに!? 真横から銃声したけど……まさか撃った?

 

「これで邪魔者はいなくなった」

 

 天竜人がぴとっと俺の胸に頭らしきものを乗せてくる。さっきまで俺の裸に狼狽えていたとは思えないリラックスぶりだ。

 

 ああ。俺もついに天竜人の慰み者へ降格か。相手が天竜人じゃなければご褒美もんだったのに。

 

「………………」

 

 そのまま、五分は経った。

 

 再び薄暗くなった部屋の中。銃声を聞いてからというもの、打楽器かってくらいドキドキと煩い俺の胸の上から聞こえてくる、規則的な寝息。

 女性らしい柔らかくて小さな手のひらは、ぎゅうっと痛いくらいに俺の左手を握りしめている。もう片方の手は俺の腕を包むように絡みついていて、もしかしなくても……寝てるっぽかった。

 

 マジかよ。この状況で寝んの?

 

 いやいや。ちょっと期待してたとかじゃないから。このままマグロ状態でなーにされるんだろって想像すらしてないし!

 

「………………」

 

 あ。ほんの少しだけ体が動く。寝返り程度ならなんとかなりそうだ。

 

 空調は完璧だが、俺みたいな裸族にはちょっと寒い。

 

 右腕だけで足元の上等そうな上掛けを手繰り寄せ、幸せそうに眠っている天竜人にも掛けてやった。

 

 

 

 

 

 

 それからはデートという名のペットのお散歩のような外出と、夜は急激な眠気に襲われて基本爆睡、たまに意識だけが浮上して天竜人に添い寝されている、という不可解な日々が続いた。

 

 俺の妻であるシャルリア宮はまだ十四で、俺の二つ下。彼女の父親であるロズワード聖は「お前にはまだ早いえ」と娘が夫を迎えたことに難色を示していた。

 

 そりゃそうだろう。天竜人も一般的な父親のような心配をするんだなあと思っていたら、「一人目にはまだ精通していない人間の子供を選びなさい」という言葉が続いて横転した。そういう問題じゃないんスよ。

 シャルリアは「やだアマス」と返し、夜は凶暴化しないようにキチンと管理しているからと父親を無理やり納得させていた。

 

 凶暴化しないように管理って何だ。やっぱりあの強烈な眠気は人為的なものだったのか。

 

 いくら男が女と比べて性欲が強い傾向があるっていっても、天竜人相手だと吹き飛ぶ理性もクソもないだろとは思う。

 

 最近はちょっと……自信ないけど。

 

 寝る時のシャルリアの格好がやばいんだよ。ネグリジェはネグリジェでも透明でスケスケなタイプ。裸よりエロいという、わけ分からん姿でベッドに潜り込んでくる。

 

 いくら相手が天竜人とはいえ、異性が毎晩あんな格好でベッドに入ってくるなんて、同じ健全な男ならどんだけキツいか分かってくれるだろ。

 

 

 

「今日はシャボンディ諸島に行きたいアマス」

 

 俺の名前を知っているかも怪しいシャルリアが、一緒に眠っていたベッドから降りてサイドテーブルにチラシを広げる。

 

「チャルロスお兄さまは、ここのケーキが下々民が出してる店にしては美味しいと言っていたの」

「ああ……北東の大きなライブ会場がある地域ですね」

 

 シャルリアがこちらを振り返って、心なしか落ち込んだような表情をする。

 

「食べたことが?」

「いいえ。近くに寄ったことがあるだけです」

 

 数ヶ月前の俺なら、天竜人と普通の恋人同士のような会話をしているなんて思いもしなかっただろう。

 

 彼女はパッと喜色を浮かべ、「すぐに出かける準備を!」と常に部屋の前に待機している男達を呼びつけていた。

 

「さあ、こちらへ」

 

 シャルリアがこちらに向けてきた手のひらにあるのは、特注の首輪。

 目が肥えてない俺には正直ガラスと区別がつかないが、おそらく宝石が埋め込まれてる。シャルリアはこれと同じデザインの腕輪をしており、首輪をつけた人物を制御する為のものらしい。

 

 ……まあ、腕輪を持つ人物から一定以上離れたら爆発するんだろうな。発信機の役割も果たしてるんだろうし。

 

 黙って頭を下げれば、シャルリアが慣れた手つきで俺に首輪を装着した。この首輪になってから鎖はなくなったからまだマシではある。

 

 シャルリアの腰に腕を回して抱き上げる。ネグリジェから外出用の服に着替えているとはいえ、上から防護服を着るからか全体的に薄着だ。

 

 色んなところが密着してて気が狂いそう。

 

 不屈の精神を搭載している俺は何とか耐え抜き、シャボンディ諸島で天竜人とケーキに舌鼓を打つという難関ミッションを無事にクリアしてみせた。

 

 

 

 

 

 そろそろ逃げ出さなきゃなーと思いながら、なんと一年経った。

 

 早い、早すぎる。時の流れ、走馬灯よりも早かった。

 

 正直もう逃げなくても良い気がしてきてる。

 

 何度か野良の天竜人とエンカウントして殺されそうにはなったが、寝室以外では必ずつけている首輪のおかげか「なんだシャルリアの一番目かえ」と命までは奪われずに済んでる。

 なんだかんだ死ぬことはないんじゃね? って舐めちゃってるんだよなあ。

 

 それはまあいいとして。

 

 一番の理由はシャルリアが可愛い。ここ最近どうも可愛くて仕方がない。何というかこう、見た目だけじゃなくて。

 

 もう仕方なくない?

 見た目がめちゃくちゃ好みな女と一年間同衾するとかそんなの恋じゃん。好きになっちゃうよ。

 あえて全国の同性を巻き込んでいくわけだが、男ってそんなもんだろ。単純なんだ俺たちは。ちょっといいなと思ってる女の子に微笑まれるどころか、同じベッドで何回も眠ってみろ。眠った数だけ好きになっていくに決まってるじゃないか。

 

 ああ認めるとも。天竜人アンチだった俺は、今ではすっかりシャルリアのことを愛しちゃってるんだ。

 

 

 

「第一夫君。どちらへ?」

「少し庭を散歩しようかと。……付いてきますか」

「はい。シャルリア宮の命ですので」

 

 今日は他の天竜人一家とお食事会があるらしく、シャルリアは朝から不在だ。

 彼女の兄であるチャルロス聖はそのような場にも夫人たちを同席させているらしいが、俺は一度も連れて行かれたことがない。

 一度だけ家族内の食事に呼ばれたことがあるくらいだ。その時は緊張でろくに食べられなくて、シャルリアが大袈裟に心配してたっけ。

 

 寝室の前に立っていた黒服の男たちを連れて庭に出た。

 

 彼らは一体どういう立ち位置の人間なんだろう。彼らが奴隷のような扱いを受けているところは見たことがないし、下々民にしては態度がデカすぎる。態度がデカいわりに所作の一つ一つには気品を感じる瞬間もあって、まるで貴族みたいだ。

 

 天竜人という尊い身分の人間の身の回りの世話をする人物は、それなりの家の出身じゃなきゃダメってことか。

 

 そんな彼らでも天竜人の機嫌を損ねたらすぐに殺されるんだから、やっぱり天竜人は自分達以外の人間は等しくゴミだとでも思ってるんだろうな。

 

 

 

 まず一日では回りきれない庭を適当に歩いて見て回る。途中で黒服の男にシャルリアが所有している奴隷に乗るように勧められたが、丁重に断っておいた。

 

 俺はそこそこ体力がある方だし……というか庭をちょっと散歩するだけで奴隷の背に乗る必要ある?

 

 一度だけシャルリアと一緒にロズワード聖が所有する魚人族の男に乗ったことはある。なかなかにデカい男だったので正直落ちそうで怖かった。

 ロズワード聖は「気性は荒くなく扱いやすい、お前もこのような奴隷を選びなさい」とシャルリアに言い、シャルリアは「巨人族なら彼と二人で乗れるアマス」と機嫌よさそうに返していた。俺を夫に迎えた時のように「お前にはまだ早いえ」と言われていたが。

 

 今日はシャルリア含むこの家の天竜人は全員出かけてる。一人でゆっくり庭を歩ける貴重な時間をもう少し堪能したかったが、黒服の男たちをいつまでも付き合わせるのも悪いからな。

 

「ありがとうございました。もう部屋に……あそこにいらっしゃる方は?」

 

 彼らにそろそろ帰ろうと言いかけたその時、同じように庭園を散歩している人物を見かけた。

 

「チャルロス聖の第四夫人です」

「チャルロス聖の? 一緒にお食事会に向かわれたのでは?」

「お食事会にお出かけになられたのは第一夫人と第二夫人、第三夫人だけです」

「……ああ」

 

 とくに気に入ってる三人だけ連れて行ったってことね。あの人もとんでもない美人なのになあ。

 

 それにしても、チャルロス聖の夫人は一人で自由に庭を散歩できるようで羨ましい。俺はやっと付き人必須で庭を歩けるようになったところだ。直接監視の目があってもなくても敷地外から出ることなんて出来ないのに。

 

「第四夫人が何か?」

「いえ。何でもないです」

 

 まあ俺には関係ないか。さっさと帰ろう。

 

「シャルリア宮はいつお帰りになりますか」

「本日はあちらにお泊まりになられますので、明日の午後には戻られると思います」

 

 午後ね。じゃあ明日の午前も散歩しよ。

 庭の花はある程度好きにしていいらしいし、小さな花束でも作ってシャルリアにあげよう。ああ見えて可愛いものが好きなんだよな。そういうところも好き。

 

「お待ちください! シャルリア宮の第一夫君……ですよね」

 

 すっかり恋する乙女な思考回路になっていたこともあり、背中に掛けられた声に反応が遅れた。

 

「私はチャルロス聖の第四夫人、サフィーナと申します。どうか、少しだけでもお話を!!」

 

 いつの間にかチャルロス聖の第四夫人が真後ろに立っていた。彼女は両手を胸の前で組み、全身が小刻みに震えている。顔面は蒼白で今にも叫び出しそうだ。

 

 不味い。こんなのはマリージョアに来てから何度も見てきた。

 ()()は、人間が狂う寸前の顔だ。

 

「……おい、アンタちょっと落ち着いて、」

「助けて!! シャルリア宮は夫君にだけは慈悲深くお優しいと聞いています。私はきっと明日にでも処分されてしまう、どうか夫君からシャルリア宮に……私、私は……もう!!」

「うわっ!」

 

 スーツの男達の制止は間に合わず、勢いよく抱きつかれた俺はそのまま押し倒されてしまった。

 慌てて起き上がろうとするのを阻止するかのように、夫人は俺の胸に縋り付いてくる。まるで小さな子供のようだった。

 

「お家に帰りたいよ、お父さん、お母さぁん……! 死にたくない…………」

「……処分って。チャルロス聖の夫人は入れ替え制ですよね。貴方は下々民に戻される、それだけのはずです」

「違うの!! お食事会に行かれる前、チャルロス聖のご機嫌を損ねてしまった……。以前もそう。あの方を不快にさせた夫人は奴隷に堕とされるか、殺されてしまう!!」

 

 ぽたぽたと上から降ってくる涙が俺の頬を濡らしていく。

 

「何でもする……何でもしますから、私を助けてください!」

 

 そんなこと言われても。俺にどうしろっていうんだ。

 

 確かにシャルリアは俺に優しい。ロズワード聖やチャルロス聖の、自分の夫人への扱いを知ってるからこそ余計にそう思う。

 

 たまたま彼女が夫に優しいタイプの天竜人だったってだけで、今みたいな扱いがいつまで続くかも分からないのに。

 そのうち第二、第三夫君がやってきて俺も下々民に戻されたり奴隷のように扱われる日がくるかもしれない。

 

 想像すらしたくない。そんな地獄みたいな未来。

 

「……俺なら死ぬけどな。シャルリア宮に俺以外の男が触れる日がくるくらいなら」

 

 夫人が絶句してるのを見て己の失言に気がついた。何でもするから生きたい、帰りたいと懇願してる人に向ける言葉じゃない。

 

「……あ、いや。夫人に死ねと言ってるわけじゃなくて。あくまで俺の…………え?」

 

 ピピピピピピピピッ!!

 

 庭全体に届きそうなほど大きな機械音。一瞬周りに天竜人の奴隷がいるのかと思ったがいるはずもなく。よりによって俺が付けている首輪からしているようだった。

 

「こ、これって」

「いいから離れて!!」

「きゃあっ!」

 

 せめて爆発に巻き込まないように夫人を勢いよく突き飛ばす。

 

 これが奴隷達と同じものだとしたら天竜人が設定した場所、つまり庭を含む住まいから出ない限りは、主人から離れたペナルティを受けないはず。

 実際にさっきまでは鳴っていなかったし、過去にシャルリアと丸一日離れていた時も平気だった。

 

 なのに……どうして今更。首輪の不具合か?

 

 思考している間にも機械音は続く。

 

 マジか、俺ここで死ぬのかよ。

 

 こんなことならシャルリアにキスの一つでもしておけばよかった。

 どうせ死ぬんだ。後で不敬罪で射殺されたって一緒じゃないか。クソッ、勿体ないことした!!

 

 

「…………………………ん?」

 

 俺、死んでない。生きてる。

 

「んん?」

 

 いつの間にかあの不快な機械音が消えてる。

 

 そっと首輪に手をかける。さっきまで自覚できるくらい首輪全体が熱をもっていたのに。今は温い程度。

 

「…………はぁ」

 

 安心した途端に力が抜けた。

 

 何だったんだ? ほんとに。不具合だとしたら洒落にならんぞ。

 

「第一夫君。大丈夫ですか」

「ああハイ。つーか、真っ先に逃げてましたね。まあいいですけど」

 

 安全を確保してから声をかけてきたスーツの男達を恨めしげに睨む。

 

「第四夫人は我々が部屋までお連れいたしますので。ご心配なく」

 

 他の男達に支えられながら立ち上がった夫人を目で追いかけていたからだろう。そんな言葉を付け足される。

 

 夫人は動揺から抜け出せないらしく、半ば抜け殻のような姿で連れて行かれてしまった。

 

 ……ありゃあ、もうダメだろうな。

 

 チャルロス聖が外出前に不快にされたとかいう過去を忘れてたとしても、あの調子じゃ近いうちに夫人の枠から外されるだろう。

 

 

 

「本日はいつもの消灯時間はありません。お好きなタイミングでお眠りください」

 

 寝室へ続く扉を開いた時、そんなことを言われた。

 

 そうそう。例の強制的に体を眠らせる薬(俺が勝手にそう呼んでるだけ)は、今日みたいにシャルリアが外泊してる時には使われないんだった。

 

 扉が閉まる。

 俺一人だけになった寝室をぐるっと見渡す。

 

 一人だけの夜は随分久しぶりだ。

 夜の時間を好きに使えるワクワク感と、シャルリアがいない寂しさが半々くらい。

 強制的に寝てるから一緒にいるって表現は違う気はするけど。

 シャルリアはアレだ。俺のことを添い寝ペットだとでも思ってるに違いない。

 

「積みまくってる本でも読むか?」

 

 マリージョアに来てからというもの、ある程度時間を潰せる趣味が読書くらいしかなく、以前の俺ならあり得ないくらい本の世界にのめり込んでる。読書に飽きたら筋トレしたり、シャルリアと行きたい場所を探すために雑誌に目を通したり。

 

 まさしくヒモ男の怠惰な生活だ。

 

 もう俺の世界、シャルリアを中心に回っちゃってる。

 

「……やっぱり寝よ。起きてても碌なこと考えねーし」

 

 ベッドメイキングを済ませ、パパッと服を脱いで潜り込む。

 

 暗くなった部屋の中。

 頭の中には第四夫人の言葉がずっと居座っていて、なかなか消えてくれそうになかった。

 

 

 

「う…………」

 

 腹部の圧迫感による息苦しさで目が覚めた。

 

 目を閉じたまま伸ばした手のひらが、さらさらとした髪に触れる。

 

「んっ!?」

 

 勢いよく目を開けて上体を起こす。

 寝室にはいつの間にか常夜灯が点いていた。ある程度闇に慣れた目が、俺の腰に抱きついている人物の姿を捉える。

 

「シャルリア宮」

 

 俺の声に彼女が僅かに身じろぎする。眠っているわけではないらしい。

 

「驚きました。お帰りは明日の昼以降だと聞いていましたので」

「…………」

 

 何も答えないシャルリアを不審に思いながらも、予定より早く会えたことが嬉しすぎて自然と声が弾む。

 

「サイドテーブルの花は見てしまいましたか? 夕方に庭で摘んできたもので、本当は明日花束にしてお見せしようと思っていたのですが…………シャルリア、宮?」

 

 ニコニコと締まりのない顔で続けていた言葉を途切れさせる。

 

 緩慢な動きで顔を上げたシャルリアが、なぜか泣いていたからだ。

 

 揺らぐ瞳からは控えめな雫が静かに頬を流れていき、それとは対照的に怒りを湛えるかのように眉は吊り上がっている。

 

「……え」

 

 上手く言葉が出てこない。常夜灯の微かな灯りに照らされたシャルリアの顔を凝視したまま、全身が石にでもなっちゃったみたいだ。

 

「どうして泣いて……。まさか食事会で何かありましたか? 誰かが貴女を傷つけたとか」

 

 とりあえず上体を起こし、頬の涙を拭おうとした手を掴まれる。

 

「シャルリ――」

 

 言い終わる前に押し倒された。

 前から思ってたけど、彼女は見た目に反して力が強い。

 

「一体どうし……んっ」

 

 何も喋るなと言わんばかりに唇を塞がれる。突然の柔らかな感触に脳が痺れていく。

 こちらへ体重をかけてくるシャルリアを支えるように、両腕を彼女の細い腰に回した。

 

「…………」

 

 ただただ必死そうに目を瞑って唇を押し付けてくるシャルリアを、目を開けたまま見つめる。

 

 どうしよう。シャルリアへの愛おしさが込み上げると同時に、新手の焦らしプレイによってそろそろ限界を迎えそう。一種の拷問かな?

 

 身も心も悶々としていたら、ようやく唇を解放された。

 

「一体どうされたのですか?」

「他の女が触れた」

「え?」

「どうして天竜人である私のものに、私以外の女が触れるのアマス」

 

 他の女が触れたって…………あっ。

 

 もしかして第四夫人に押し倒された時に……あの首輪の警告音って、まさかそのせいで?

 

 自分以外の女が俺に触れたからって……たったそれだけのことで、大事な食事会を抜け出して帰ってきた?

 

 シャルリア――――天竜人が?

 

「…………シャルリア」

 

 宮をつけずに名を呼ぶ。伸ばした左手は振り払われることなく、彼女の頬に辿り着いた。

 嘘は良くない。きっとスーツの男達から庭での出来事を全て聞いているだろうから。

 

「チャルロス聖の第四夫人も気が動転していたようです。俺も咄嗟に避けることができず……すみませんでした」

 

 俺の背中に腕を回してきたシャルリアを抱きしめる。

 小さな嗚咽を漏らす存在が愛おしくって仕方がない。シャルリアの肩に手を置き、彼女が顔を上げたタイミングで両の瞼へキスを落とす。

 

「チャルロス兄さまにお願いして、あの女は奴隷にしてやるアマス。私たちの視界に入らない場所で、死ぬまで地獄のような日々を送るように」

「はい」

「……あの女に頼まれたのに。それでいいの」

「俺がこれまでにそういったお願いをしたことがありましたか? それに関係のない人だ」

「関係がない?」

「第四夫人がどうなろうと興味がないんです。俺たちにとって意味のない人間ですから」

 

 きょとんとしてるシャルリアは年相応で可愛らしい。

 彼女より、よほど俺の方が悪い人間だろう。あれだけ必死に懇願されたのに、心の底からあの人のことをどうでもいいと思ってる。

 

 無防備な彼女につい調子に乗ってしまい、瞼だけでなく頬にも口付けた。彼女の唇から漏れる艶っぽい声に落ち着いていた熱が戻ってくる。

 

 ついにシャルリアの唇にも影を落とした。正しい角度から、正しい場所に。ついでに、ちゅっとリップ音までつけて一旦離す。

 どこか切なげな表情をしてるシャルリアと目が合う。きっと、俺たち同じ気持ちだ。でも。

 

「……無断で触れて申し訳ありませんでした」

 

 これ以上はダメだ。今日はシャルリアがいないはずの日で、いつもの強制的に眠らせる薬は投与されていない。

 まさに興奮状態に陥った獣が唯一理性を取り戻した瞬間。

 多分このままそういう流れに持っていくこともできる。でもそうしたくない。俺は今のシャルリアとの関係を大事にしたいんだよ。

 

「もう寝ましょう」

 

 シャルリアを自分の胸に引き寄せる。彼女が目を閉じて身を任せてくれたのが分かって、ホッと息をつく。

 ベッド上部のボタンを押して常夜灯を消す。

 

 いつもはほとんど体を動かせないから、擦り寄ってくるシャルリアに腕枕するので精一杯だった。

 

 まあ……今日は色々なことがあったけど一番幸せかもしれない。

 

 痛くない程度にシャルリアを強く抱きしめ、あっという間に眠ってしまった。

 

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