シャルリア宮の第一夫君   作:倉庫から出す

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混沌

 シャルリアに抱きしめられているとホッとする。

 

 この細くて柔らかな腕が俺の背中に回ってくるだけで、まるで大きなものに守られているかのような安心感を抱く。

 

 それにシャルリアと過ごす時間はとても眠い。退屈というわけではなく、警戒心だとかこれまで生きるのに必須だったものが根こそぎ剥ぎ取られてしまうというか。

 

 就寝時間までシャルリアとベッドの上でまったり過ごしていた時。彼女の肩に頭をのせて、彼女が読んでいた本の文字をぼんやり追いかけていたら寝落ちしてしまったこともある。あれには自分でも心底驚いた。

 

 というか、さっきからとんでもないことをたくさん言われてるような。

 

 …………この感情を俺だけじゃなくてシャルリアも? それって、つまり。

 

「あの……シャルリア宮」

「何アマス?」

「うえぁっいや、何でもない……です」

 

 何だ今の声。俺の体のどこから出てきたんだよ。

 

 いつものようにシャルリアを抱きしめ返そうとしたのに上手くいかない。両肩には異常なくらい力が入ってるし、なんとかシャルリアの腰に回した腕は彼女に触れる寸前で止まってしまっている。

 

 おかしい。俺がおかしくなった。さっきから思考も纏まらない。

 

 至近距離で俺を見上げてきたシャルリアの瞳がとても綺麗だ。色も形も、全てが芸術作品かのように完璧で美しい。

 

「…………そんなに熱心に見つめても、ここでは何もあげられないアマスわ」

 

 露骨に見つめすぎたらしく、シャルリアが恥じらうように俺から顔を逸らしながら口にする。

 

 そんなつもりは一切なかったと言えば嘘になってしまう。

 

 でも今の俺を占める欲の全てを性欲として片付けるのはあまりにも惜しいというか、これはもっとこう、ほら……なんか違うんだよ! やっぱり今の俺はおかしい!

 

「申し訳ありません……危険ですから離れてください」

「やだアマス」

「では俺のことは視界に入れないようにしてください。このままでは俺が耐えられません」

「私が私の夫を好きな時に好きなだけ見てはいけないと仰るの?」

「それ、は……。ええっと……いけないというわけではありませんが」

 

 ああ言えばこう言う。これではいつかシャルリアとケンカしても、絶対に口では勝てそうにない。

 

「そうアマスね。あなたは私のものですもの。私が見たい時に見るアマスわ」

「……はい。いくらでも見ていってください」

 

 というか俺が雑魚すぎた。なんだよ、いくらでも見ていってくださいって。

 

 俺がシャルリア相手に手が出るようなケンカをするはずもないし、この人にはこの先一生敵わないんだろうな。

 

 

 

 

「シャルリアの夫を私の奴隷にするのを楽しみにしていたのに。残念アマス」

 

 シャルリアの手を取り、ロズワード聖の待つVIP席へ向かう途中。

 会場の右奥に仮で用意されたと思われる席からこちらへ移動してきたらしい、ティアンナ宮と鉢合わせになった。

 

 彼女は俺とシャルリアを交互に見つめ、言葉とは裏腹に満足そうに目を細めている。

 

 入札時のティアンナ宮の様子を見ていた身としては「もしかして」と思い当たる節があったが、シャルリアからすれば、自分に売られたケンカとしか考えられなかったのだろう。

 

「私の夫を奴隷にだなんて。いくらティア姉さまでも冗談では済まされないアマスわ」

「余裕がないのアマスね、シャルリア」

 

 苛立った様子で睨みつけてくるシャルリアに、ティアンナ宮ですら意外そうに目を瞬いていた。

 

「そう心配しなくても、私がこのコを奴隷にしたとしても痛めつけるようなことはしないアマス。そうアマスね? お前に見送りをさせた日も私は優しかったはずだもの」

「……ティアンナ宮のお見送り……ですか?」

 

 突然振られて驚いたのもあるが、何の話だか全く分からなかった。

 

 俺の反応にティアンナ宮が怪訝な顔をする。

 

 隣に立っていたシャルリアが、するりと俺の腕に自分の腕を絡ませてくる。

 自身の頭を俺の肩に寄せてきた彼女は、いつかのティアンナ宮のように勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

「ティア姉さま? この人は私以外の女とのつまらない会話などすぐに忘れてしまうの。……でもご心配なさらないで。奴隷に上手く乗るコツは、私が一から教えてアマスわ」

 

 

 

 ロズワード聖を挟んだ奥の席に行こうと言うシャルリアの後に続こうとして、ふと立ち止まってティアンナ宮を振り返った。

 

 彼女はゆったりと扇子を仰いでおり、「どうかしたのアマス?」と困った子供を見るような目で俺を見る。

 

「ティアンナ宮。貴女は、ここにシャルリア宮がいらっしゃるまでの時間稼ぎをしてくださっていたのではないのですか?」

 

 ティアンナ宮が口元に扇子を持っていって広げる。彼女がこのようにする時は、大概が自分の表情を通して相手に感情を悟られないようにする為だと俺は知っていた。

 

「……なぜこの私がわざわざそんなことを? フフ、シャルリアの夫はいつも可笑しなことを言うのアマスね」

「ティアンナ宮ほどの方であれば、最初から高額な値を提示して競り相手の出鼻を挫くこともできたはずです」

 

 無駄なことが嫌いだと公言していた彼女のことだ。このような競りの場における、初っ端から高額な値を宣言して相手の心を折る手法を知らないはずもない。

 それをわざわざ相手の懐事情を察した上でじわじわと値を上乗せしていくなんて、時間稼ぎ以外の理由が見つからない。

 

「私のような者のためにお心を砕いてくださり、本当にありがとうございました。ティアンナ宮がいてくださらなければ、私はこの先ずっと絶望の中にいたことでしょう。感謝してもしきれません」

 

 胸に手を当ててお辞儀をする。これまでの彼女への言葉の全てが嘘だったわけではないが、こればかりは最初から最後まで心の底からの本音だった。

 

 もしも俺があの王族らしき女に落札された後であれば、この状況はさらに厄介なことになっていただろう。

 今でも会場の端の方に座っているあの女は、隣にいる夫と思われる男に「相手は天竜人だから」「あのまま続けても競りで負けていただろう」と必死に宥められている。

 

 あの女もシャルリアとティアンナ宮に感謝するべきだ。余計な手出しをして、ただでさえ残り少なそうな寿命を縮めることはなくなったのだから。

 

「ティアンナ宮?」

「……フン。残念だという言葉に嘘はないアマスわ」

 

 ティアンナ宮はそう言ってパタパタと扇子で顔を扇ぎ、「さっさとシャルリアのところへ行くアマス」と犬猫を追い払うような仕草をした。

 

 

 

 

 

 奴隷が舌を噛んで自決したり、天竜人の夫が商品として並ぶなど、オークション開催側の不手際が続いたせいで会場内は荒れに荒れていた。

 

 ディスコ達は「万全の準備をして皆様には安心して目玉商品を見ていただきたい!」と十五分の休憩時間を設けることにして、今は幕を引かれたステージは沈黙を保っている。

 

「やっと来たアマス、チャルロス兄さまっ!」

 

 なんとかチャルロス聖も目玉商品の競りには間に合ったようだ。シャルリアが嬉しそうな顔で席を立ち、入り口に立っているチャルロス聖の元へ駆け寄っていく。

 

「これだからノロマな奴隷はイヤなんだえ……」

 

 チャルロス聖を会場まで乗せてきた奴隷のズボンは太腿の途中で破けており、露出した膝は血で真っ赤に染まっている。

 こちらはこちらで散々な目に遭っていたようだった。

 

「お父上様がチャルロス兄さまに巨人を買っても良いと仰っていたの」

「わちしは巨人より人魚が欲しいんだえ〜。巨人は欲しがっていたシャルリアが買ってもらうといいえ」

「チャルロス兄さま……大好きアマスわ」

 

 普段は子供っぽい振る舞いが目立つチャルロス聖だが、シャルリアとの会話の中では、この人も兄と呼ばれる立場にある人なんだなと思わされることが多い。

 シャルリアと他愛のない話をしていたチャルロス聖が俺の存在に気づいて首を傾げる。

 

「なんでシャルリアの夫はシャボンを被っていない? 上着やグローブも、あれでは下界の汚れが付いてしまうえ」

「いいのアマス。お家に帰ってから私がキレイにしてあげるつもりアマスから」

 

 まさかのシャルリアが直接俺のことをキレイに!?

 

 二人の後ろで胸を押さえてドキドキしている俺とは裏腹に、チャルロス聖は完全に興味を失ったらしく「そうかえ」と鼻をほじり始める。

 

「よかった。どうやら目玉商品前の休憩時間みたい。ケイミーは無事よ!」

 

 チャルロス聖とシャルリアが前方にあるVIP席へ向かった直後、また新しい客が会場に入ってきた。

 

 数人の男女……いや人間かどうかすら怪しい存在が混ざってる。全員が特徴的な容姿をしているせいか、一気に会場入り口周辺の注目を集めていた。

 

「お前はあの時の天りゅっ……じゃないんだったか? 今はシャボンも付いてないな」

 

 真っ先に俺に気づいたヒトデのような生き物が叫ぶ一歩手前で正気に戻る。

 

「…………ああ」

 

 思い出した。奴隷の収容部屋で俺の右隣に座っていた人魚は、このヒトデと一緒にいた女だ。

 

 ボンチャリを持っていた麦わら帽子の青年は見当たらない。つまりヒトデはそのままヒトデで女は人魚で、麦わらの青年もああ見えて魚人だったのか?

 彼と一緒にいた口元がタコのような男はまさに魚人っぽかった。ガイコツのような男は、体が透明で中の骨が透けている魚の魚人だろう。名前は忘れたが珍しい魚図鑑で見たことがある。

 

 最後のあのタヌキのような生物は…………アイツは何だ。海獣か?

 

 この場にはタコのような男はいるが、麦わらの青年同様、ガイコツやタヌキのような生物もいないようだった。

 

「あ? なんだこの男は。ナミすわぁん! この男に何かされましたか!?」

「う、ううん。ハチ達の知り合いみたい……」

 

 次から次へと騒がしい奴らだ。

 遅れて会場に入ってきたスーツの男がくるくると体を回転させながら俺とヒトデ達の間に割って入ってくる。

 

「おれ達、ナミ達と別れて13番GRに向かう途中でコイツに会ったんだ。首輪が爆発した男を病院に連れて行くって言ってて」

 

 ゴリラと人を足して二で割ったような男がスーツの男に説明し始める。……あの時こんなゴリラいたっけな。

 

 ゴリラのような男の顔を見ようとして、先に隣に立っているスーツの男の顔が視界に入った。

 端がぐるりと円を描く特徴的な眉に、一定の長さに保たれた髭。記憶にある姿とは微妙に違うものの、見知った顔だった。

 

「お前…………デュバルか?」

 

 どうして今の今までこの男のことを忘れていたんだろう。

 

 以前の俺はそれなりに記憶力に自信があった。さっきのティアンナ宮のことといい、このような重要なことを忘れるなどあり得ない。

 

 俺が記憶しないのは、この先の人生で思い返す価値もないだろうと判断するほどどうでもいいものに限定していたはずだ。

 少なくとも、そのどうでもいいの枠にデュバルは入らない。

 

「あぁん!? おれの顔を見てデュバルだとぉ!?」

 

 デュバルだと思った男は、デュバルが絶対にしないであろう表情で俺に掴みかかってこようとする。

 ゴリラ男が「ダメだってサンジ! でも仕方ないよ、似てるんだからさぁ!」と男を全力で止めていた。

 

「…………黒足のサンジ?」

 

 そうだ。あの日俺が見た手配書の顔写真はデュバルのものだったのに、名前の欄には『黒足のサンジ』と書かれてあった。

 さらにこの男はどう見ても普通サイズ。デュバルは身長が四メートル以上ある大男だったはずだ。

 

「お前……わざわざ整形して名前まで変えたのか? どんなカラクリかは知らないが身長まで変えて。だから足がつくようなバカな真似はやめておけと何度も言ったのに」

「だぁからぁっ……! おれのどこがあの野郎に似てるってんだよ!!」

「デュバルは確かに整形したけどっ、サンジはデュバルに似てるだけでデュバルじゃなくって! ……ああもうややこしいぞ二人とも!」

「何がややこしいのか説明してみろチョッパー!!」

 

 チョッパー。……麦わらの一味のわたあめ大好きチョッパー?

 そういえばボンチャリの時にいたタヌキのような生物、あの手配書のペットによく似ていたような。それがこのゴリラと同一人物?

 

 どうやら本当に目の前の男はデュバルではないらしい。そして、あの麦わら帽子の青年は麦わらのルフィということになる。あの屈託のない笑みが印象的だったせいで逆に気づかなかったようだ。

 

 この間までエニエス・ロビーにいたってのに、もうここまで来てしまったのか。

 

「あなた。そこで何をなさっているの?」

「シャルリア宮」

 

 いつまで経っても俺がやってこないことに痺れを切らしたらしい。シャルリアが一人で戻ってきたようだ。

 

「申し訳ありません。珍しい生き物を見かけましたので、つい足を止めてしまいました」

 

 シャルリアは俺の言葉を受け、麦わらの一味と思われる彼らに目を向ける。正確には、どこからどう見ても珍しい生き物である喋るヒトデに。

 

 ヒトデはシャルリアを見るなり短い悲鳴を上げ、タコのような男の後ろに隠れてしまった。そんなヒトデの隣では、デュバル似の男が目をハートにして今にも昇天しそうになっている。

 

「ペットにしたいアマス?」

「いいえ。サルウがいますから」

「そうアマスね。サルウったら、あなたを勝手に連れ出した奴隷がよほど気に入らなかったのか全身に噛みついていたアマスわ」

「……シャルリア宮。その奴隷のことでお伝えしなければならないことがあります」

 

 シャルリアは全て分かっているとでもいうように微笑む。

 

「あのコはもう捨ててしまったからどうでもいいの。それに、私の夫が奴隷ごときに気を遣うことなどあってはならないアマスわ」

 

 そう言って、いつも俺がシャルリアにやっているように俺の手を引く。

 

「そろそろ休憩時間が終わるアマス。巨人か、人魚か。楽しみアマス」

 

 シャルリアに手を引かれたまま、一緒に一つ一つ階段を下りていく。

 

「ニュ〜〜……あの男、天竜人の夫だったのか」

「今のって、夫をどこにやったんだって倒れてた男に酷いことしてた世界貴族だよな……?」

「あんな美しい人の夫だと!? なんっっって羨ましいんだチクショウッ!!」

 

 麦わらの一味のそんな言葉が背中に届く。

 

 先に席に着いていたチャルロス聖たちと合流する頃には、彼らのことなどすっかり頭のどこかに消えてしまった。

 

 

 

 

 

「――皆様、大変長らくお待たせいたしました。ただいまより人間大オークションを再開させていただきます!」

 

 休憩時間を挟んだことで不満を抱えていた客側もクールダウンしたようで、オークションの再開を歓迎する拍手が会場内に鳴り響いた。

 

「ふふ。可笑しいアマスね」

 

 隣に座っているシャルリアがくすっと笑う。どうやらディスコの巧みな話術が気に入ったらしい。

 

 ディスコはすっかり冷えてしまった会場内の熱気を取り戻そうと、身振り手振りで客達の注意を引きつける。さらにはこちらにストレスを与えない絶妙な加減で、勿体ぶるようにステージ上に新しい商品を運び込んできた。

 

「それでは、お約束していた超目玉商品をご覧ください!!」

 

 数人がかりで運ばれてきた商品には大きな布が被せられており、こちらから中の様子は分からない。

 

 ディスコは客達の好奇心を十分に刺激したのを確認したのち、大きく両手を広げる。ディスコにのみ当たっていたステージのライトのほぼ全てが商品へと向けられた。

 

「この眩い光によって照らし出されたシルエット! ……そうです! ここにいらっしゃる多くの方々が探し求めていたであろう、あの種族っ!」

 

 ディスコがパチンと指を鳴らせば、商品を覆っていた分厚い布があっという間に下ろされる。

 

「魚人島からやって来た! 人魚のケイミーです!!」

 

 ガッカリしているシャルリアとは対照的に、チャルロス聖はその場で立ち上がって「人魚がいるえ〜!?」と目を丸くして大騒ぎしていた。

 

「このしなやかに揺れる尾鰭に、ハリのある美しい肌。光を反射してキラキラと輝く鱗はまるで海の宝石のよう! 皆様、目を閉じて想像してみてください。この美しい人魚を眺めながら過ごす一日。夢の中にいるかのように魅力的だと思いませんか?」

 

 相変わらず口から生まれたような男だと思いながらディスコを眺めていたら、膝の上に置いていた腕にシャルリアの指がそっと触れてくる。

 

「あの男はあなたに対してもあのようにしていたの?」

「あのように、とは売り文句のことでしょうか」

「ええ。あなたの名や容姿について、ここにいる者たちにどう言ったのか」

 

 シャルリアはどうやら機嫌がよろしくないようだった。天竜人の夫である俺の名がこのような場に晒されてしまっては、天竜人の品位が落ちるのではないかと心配しているのかもしれない。

 いや、可愛い嫉妬の可能性もある。前者であったとしてもシャルリアは可愛いからいいんだけど。

 

「俺の名や出身については彼らには伝えなかったので、不明のまま紹介されました」

「そう。他には?」

 

 他にはって、今まさにケイミーという人魚についてディスコが熱く語っているようなことだろうか。

 あの時は会場内にいるかもしれないシャルリアを探すのに必死で、ほとんど聞いていなかった。

 

「……そうですね。俺には顔しか取り柄がないそうですから、商品としての売り文句を考えるのに苦心されたようです。色々頭を捻っていただいたようですが、正直あまり出来がいいとは思えませんでした」

 

 今となっては俺が直接あの男をどうこうすることは出来なくなってしまった。これくらいの仕返しは許されるだろう。いっそ店ごと潰れてしまえ。

 

 シャルリアは一切の色が消えた目でディスコを見つめ、次に俺を振り返った時には、見ているこちらが蕩けるような笑みを浮かべていた。

 

「下々民の戯言を気にする必要はないアマスわ。あなたの良さは私だけが知っていればいいの」

 

 

 

 

 

 今回のオークションの超目玉商品である人魚は、チャルロス聖に落札されることになりそうだった。

 

 当然そうなるだろうとは思ってたけど……まさか初手で五億という額を出すとは思わなかった。

 ロズワード聖に「お前はまた無駄遣いを」と苦々しく言われていたことから、天竜人基準でも安くない額ではあるらしい。

 

 しかし、シャルリアには「あなたの首輪より安く済んだアマスね」とさらっと言われてしまい、今後何があっても「首輪についてる宝石一つくらいとってもバレないんじゃね?」などといったバカなことは考えないようにしようと思った。

 先ほどの俺の落札予定だった金額を考えると、豚に真珠どころの話じゃない。

 

「時間いっぱいとなりました! チャルロス聖の五億ベリー以外の入札はありませんでしたので、人魚のケイミーは――」

 

 ディスコが落札完了を宣言する直前、会場の入り口から何かが爆発したのかと思うほど大きな音が響いた。

 

「何アマス? この音は……」

 

 立ち上がろうとするシャルリアを覆い隠すように抱きしめる。VIP席に備え付けられた屋根の隙間から飛んできた小さな破片がいくつか俺の肩に当たった。

 こんなところにまで破片が飛んでくるなんて。本当にどこかが爆発したのかもしれない。

 

 僅かな足元の揺れはすぐに落ち着き、逃げ惑う客達の悲鳴だけが残された。

 

「動かないで」

 

 敬語を使うことも忘れ、シャルリアを自分の背中に隠すようにして周りを見渡す。ティアンナ宮達も怪訝そうに周りを見渡している。

 俺たちの後ろのスペースで寛いでいたサルウは、落ち着いた様子で自身の肉球をぺろぺろと舐めていた。

 

「もっと上手く着陸しろよ!!」

「トビウオを何だと思ってんだ! そもそも突っ込めっつったのもおめーだろうがよ!!」

 

 会場全体に響き渡る声のうちの一つは、つい最近聞いた気がする声だった。

 

「シャルリア宮をお願いします。衛兵達で囲み、決してお怪我をさせることのないように」

「はい」

 

 すぐに駆け寄って来た俺の付き人にシャルリアを任せる。

 何か言いたげなシャルリアがティアンナ宮と共に衛兵達によって完全に隠されたのを確認してから、VIP席を離れて通路に出た。

 階段をいくつか駆け上った先、ちょうど入り口からステージへと全力で走り抜けていく青年とすれ違った。

 

「ケイミー!! よかった、探したぞ〜!!」

「麦わらのルフィ?」

 

 俺の小さな呟きは彼には聞こえなかったようだ。一心不乱に駆けていくルフィの後を、あのタコのような男が追いかけていく。

 

 一体、何が起きてる?

 

 一旦通路に出てしまえば、VIP席の立派な壁や屋根によって遮られていた視界が良好になる。

 

 オークション会場の入り口の扉は一部が破壊されており、陸で見ることは滅多にない大型トビウオが頭にタンコブを作った状態で気絶している。そんなトビウオのそばには、海賊狩りのゾロと思われる男が立っていた。

 

「…………正気かよコイツら」

 

 無法地帯の人間でも軽率に触れることのない、この島一番の癌である人間オークションにトビウオで突っ込んできた挙句、一味の船長は真っ先にステージへ。……たった一人、ケイミーという人魚を助けるためだけに?

 

 頭の中のネジが一本どころか最初からネジすらついてない人間でなければ、そのようなことは出来ないはずだ。

 

 思考とは裏腹に胸を妙な高揚感が駆け抜けていく。

 手配書を手に、外は随分楽しそうだと思いを馳せていたあの時とは比べ物にならない。輪郭すら朧げだったそれらが急速に色づいていき、もう少しで掴めそうな錯覚に陥った俺を、再び上がった複数人の悲鳴が現実へと引き戻した。

 

「きゃああ〜っ!! 腕が……どうして魚人がここにいるのよぉ!」

「誰かっ、あの魚をつまみ出してー!!」

 

 無鉄砲にステージへ向かおうとする麦わらのルフィを引き止めようと無我夢中だったのだろう。タコのような男の服からは追加で四本の腕が飛び出していた。

 

「おい、そこをどくえ」

「チャルロス聖」

 

 本当に魚人族だったのかと呆けている俺をチャルロス聖が押し退ける。いつの間にかVIP席を離れていたようだ。

 

 チャルロス聖は懐から金色の銃を取り出す。シャルリアや俺が持つ物とは色やデザインが違う。

 

 彼は真っ直ぐ銃を構え――至近距離で二回銃声が鳴り響いた。

 

 魚人の体はゆっくりと傾き、やがて階段をいくつも転がり落ちて動かなくなる。灰色の階段は瞬く間に血の色で染め上げられ、この状況にそぐわない安堵の声がいくつも上がった。

 

「撃たれてよかったわ。……魚人なんて何をしでかすか分からないもの」

 

 魚人の男が倒れた直後から、麦わらの青年が纏う空気ががらりと変わってしまった。嬉しそうな声で人魚の名を呼んでいた時や、31番GRでいくつか言葉を交わした時ともまるっきり違う。

 

 一言も言葉も発さず、魚人の奴隷がタダで手に入ったと無邪気に喜んでいるチャルロス聖へ近づいていく姿に無性に嫌な予感がした。

 

「まさか、嘘だろ」

 

 相手は天竜人だ。絶対にありえない。

 天竜人が参加するオークションでこれだけの騒ぎを起こすだけでは飽き足らず、この世界の創造主に手をかけるなんてことは。

 

 体が動かない。これから何が起こるか分かっているくせに、いや分かっているからこそか。もう何もかもが手遅れになっている。

 

 こんなの…………めちゃくちゃだ。

 

 麦わらのルフィは、自分の腕を掴んで再度引き止めようとする魚人の手をそっと解いて胸の位置へと戻す。

 一連の動作はこれまでの無骨で粗暴な振る舞いからは考えられないほど優しく、どこか祈りのようにも感じられるものだった。

 

「魚は二発も当たったのにベラベラと喋って……そこのお前もムカつくえ〜!!」

 

 チャルロス聖が再び銃を構えて発砲する。彼の銃の腕前はよく知らなかったが、もしかするとシャルリアよりも上手いかもしれない。

 

 でも、今回ばかりは相手が悪かった。

 

 銃弾はチャルロス聖が狙った箇所に当たったにも関わらず、ルフィの体はまるでゴムのように伸び――跳ね返った銃弾はチャルロス聖の顔の真横を通り過ぎていった。

 

「は?」

 

 俺とチャルロス聖の声が重なる。

 有名な海賊団の船長が悪魔の実の能力者なんてことは別に珍しくない。ただあまりにも非常事態が続いたせいで、完全に思考の隙間を突かれてしまったようだ。

 

 この場にいるほぼ全員が呆気に取られている間にも、ルフィの時間だけは流れていく。

 

 彼は右の拳に力を入れ、力一杯振りかぶり、

 

「なあっ…………!? あの男、まさか」

「天竜人を殴っただとおおおっ!?」

 

 チャルロス聖の体はいくつもの客席を巻き込みながら、ついには会場の入り口付近まで殴り飛ばされてしまった。

 

 

 

 

 

 昔の俺だったら殴り飛ばされた天竜人を見て大笑いし、不敬罪で即射殺されていたかもしれない。だが、今の俺はまったく笑えなかった。

 

 この間聞いたばかりな革命の足音が、もう目の前にあることに今更気がついたからだ。

 

 天竜人の権力を恐れない人間。

 過去にもそのような存在が複数いたことは、図書室で本を読み漁ったことでよく知っている。しかしそれらは革命軍を除いて全て過去のものとなり、相変わらずこの世界は天竜人を中心に回り続けている。

 

 昔の俺はどうにもそれがつまらなく、くだらないものに思えて仕方がなかった。

 でも今は違う。今の俺の世界の中心にいるのは自分ではなくシャルリアだ。

 

 俺の世界がシャルリアを軸に回っているうちは他の世界もそうでなくては困る。革命なんて起きてはならない。天竜人に仇なす存在なんて以ての外。

 

 俺の最も高貴なる妻は、いつまでもこのつまらなく、くだらない世界で唯一の例外であってほしいから。

 

「チャルロス兄さま!? そんな……お父上様にも殴られた事などないのに!!」

 

 かなりズレた物言いをしたシャルリアが衛兵達を押しのけて通路に出てくる。

 

 無礼を承知でシャルリアの前に立ちはだかって両腕を掴む。抵抗されるかと思ったが、彼女はそのまま俺に抱きついてきた。

 

「どうして下々民ごときがチャルロス兄さまにこのようなことができるのアマス……?」

 

 いつものシャルリアであれば真っ先に麦わらの青年に銃を向けていたはず。それほどチャルロス聖が下々民に殴られてしまったことがショックなのか、俺の背中に回した腕で服に皺ができるほど強く抱きしめてくる。

 

「下々民が私たちに刃向かうなど……あってはならないのに」

 

 それは、俺に「あなたは違う」と言った時と同じ響きをしている気がした。

 

「おのれ! 下々の身分で息子に手をかけるとは!!」

 

 怒りで顔を真っ赤にしたロズワード聖がところ構わず銃を乱射する。

 平静を失っているロズワード聖の銃弾は麦わらの一味には当たらず、むしろ無関係な客達に被弾していた。それでも俺達やティアンナ宮がいるところには一切飛んできていない。

 

「レディー達に当たるだろうが!」

 

 デュバル似のサンジという男がロズワード聖の懐に入り、その長い足でロズワード聖が持つ銃を蹴り飛ばす。

 

「これ、借ります」

「えっ?」

 

 シャルリアから離れ、そばにいた衛兵が持っていた槍を拝借する。衛兵は「じゃあおれは……丸腰!?」と叫んだ直後、海賊狩りのゾロと思われる剣士に装備ごと腹を切られていた。

 丸腰じゃなくてもアレは無理だったろうから俺のせいじゃない。

 

「キャーッ!? 何よあんた、ハチ達の知り合いじゃなかったの!? どうしてこっちを狙ってくるのよ!」

「………………」

「何か言いなさいよ! 無視すんなァ!!」

 

 槍を片手に泥棒猫のナミを追いかける。彼女は涙目で泣き叫んでいたと思ったら、今度は顔を般若のようにして怒っていてとにかく騒がしい。

 

 逃げ足だけは無駄に速い彼女に、これではキリがないと持っていた槍をぶん投げる。槍はたった今ナミが踏み出した左足すれすれに突き刺さり、また大きな悲鳴が上がった。

 

「ちょっと! 危ないじゃない!」

「………………」

「だから無視すんなっつってんでしょうが!!」

 

 ナミが突き出して来た細長い棒状の武器を頭を傾けるだけで避け、左手で掴む。

 

「このクソ野郎!! ナミさんに何する気だ!」

 

 ついさっきまでロズワード聖と対峙していたサンジの声が真後ろからする。

 こうすれば誘き寄せられるんじゃないかと思ったら本当に来た。なんて分かりやすい奴なんだ。

 

 左手で掴んでいた細長い棒から手を離し、そのまま床に突き刺さっている槍に手を伸ばす。

 

「ああ? 砕けねェ!?」

 

 振り返って構えた槍がサンジの蹴りを無事に受け止める。

 ……普通は衛兵の槍や鎧は蹴りで砕けるもんじゃないんだよ。天竜人の護衛を一任されている彼らの装備はその辺の物とは質からして違う。蹴りや刀の一振りで砕いてしまうコイツらが異常なだけだ。

 

「お前達が天竜人にさえ手を出さなきゃ、大人しくしてたってのに」

「……はぁ?」

「何なのよアイツ! こっちのことは完全に無視しておいてサンジくんのには答えるわけ!?」

「な、ナミ……落ちついて。ハチの傷に響くから」

 

 俺がサンジと話してる間に、ナミは魚人の手当てをしていたゴリラ男、チョッパーの背中に隠れていたらしい。離れたところからヤジのようなものが飛んでくる。

 

「これ以上、あの方の大切なものを踏み躙るなと言ってるんだ」

「……あの方っつーのは、あそこの麗しいレディーのことか?」

 

 サンジは妙に落ち着いた様子で、ポケットから煙草とライターを取り出して火をつける。

 

「同じ男として、お前が彼女のために動いてることは理解した。……だがな、おれたちにもケイミーちゃんを救い出すっていう譲れない目的があんだよ」

「あの人魚はチャルロス聖によって落札された。よってすでに所有権はお前達にはない。諦めろ」

「どいつもこいつも、ケイミーちゃんをまるで物みてーに……」

 

 煙草を咥えながらブルブルと震えていたサンジが唐突に蹴りを放ってくる。

 

「ふざけんじゃねェぞッ!!」

 

 これを直に受けたら痛いだろうなという直感が働き、槍で受け止めることもせず全力で避けた。つもりだったが、あまりの速さに避け損ねたらしい。

 蹴りが掠った頬には真っ直ぐな切り傷が入り、時間差でヒリヒリと痛み出す。

 

 ……あ、しまった。天竜人の夫が顔に怪我をするなんて。またシャルリアに叱られてしまう。

 

 傷口から浮かび上がってきた血を手の甲で拭い、再び体の前で槍を構えた。

 

「そうか。なら仕方ない、ここで全員死ね」

「うおっ!?」

 

 両手で握った槍を勢いよく突き出す。サンジが咥えていた煙草がポロッと床に落ちる。彼は床を蹴って俺の槍を避け、標的を失った槍は手前の客席に勢いよく突き刺さった。

 

「外したか」

 

 これだから武器を使うのは嫌なんだ。どれも扱いが下手なせいで狙ったところに当たった試しがない。

 

 刺さった槍を引き抜けば、ギリギリ形を保っていた客席が崩壊する。

 VIP席はともかくそれ以外の席は質の悪い安物だな。

 

「次は外さない」

「ハッ……上等だ。こいよ、てめェには一からテーブルマナーを叩き込んでやる」

 

 言外に戦い方に品がないと言われてしまった。

 天竜人の夫として戦いも上品であるべきだったか?

 

「それは助かる。ありがとう」

「……はあ? 何言ってんだ」

 

 サンジはいつの間にか咥えていた二本目の煙草も床に落としていた。

 

「何の音だ! 海賊達の増援が来たのか!?」

 

 頭上から再び爆発音のようなものが複数回鳴り響く。

 衛兵達の戸惑いの声に、俺とサンジは同時に天井を見上げる。

 

 まるで空を泳ぐように飛んでいたのは――大型のトビウオ。

 

 そのうちの一匹が、俺とサンジの間に勢いよく突っ込んできた。

 

 咄嗟に後ろに飛び退いたおかげで潰されずに済んだようだ。辺りにはかなりの砂埃が舞い、近くにいたはずのサンジの姿すらほとんど見えない。

 

「離すアマス! 私の夫が……っ!!」

「今近づかれては危険です。どうかお下がりください、シャルリア宮!」

 

 土煙の向こう側、シャルリアと衛兵達の声が微かに聞こえてくる。数秒後には銃声も鳴り響いていた。

 

 完全に気絶して伸びているトビウオから誰かが降りてくる。

 男はこのサイズのトビウオに乗るには明らかに重量オーバーな体格をしていて、その為に制御不能となったトビウオが俺とサンジの元へ墜落したと思われた。

 

「なっ……てめェ、デュバル! おれごと殺す気かァッ!!」

「すまねェ若旦那! おれァ外で待機して逃走経路を確保しようと思ってたんだが、海軍に見つかっちまって慌ててトビウオに飛び乗ったもんだから……!」

 

 急速に視界が良好になっていく。

 

 デュバルと呼ばれた男もようやく俺の存在に気がついたらしい。

 こちらを振り返った顔には全く見覚えはなかったが、控えめに円を描く眉には馴染みがあった。

 

 男は俺と目が合った瞬間に全身に汗を掻き、この世の絶望をかき集めてまとめて口に入れてしまったかのような顔をした。

 

「お……お前は…………一時期オラ達の村に棲みついてた悪魔のような男ぬらッ!?」

 

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