シャルリア宮の第一夫君   作:倉庫から出す

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人生ドン底ライダーズ

「…………デュバルか?」

 

 さすがに二度目となると俺も慎重にならざるを得なかった。

 

 あの独特な訛りのある言葉遣いに、俺を前にして小動物のように震えている姿。身長も余裕で四メートルはある。

 

 いやこれはデュバルだな。間違いない。

 

 自覚できるほど頬が持ち上がり、いわゆる満面の笑みというものになった。

 

「デュバル! 久しぶりだな」

「なしてお前がここにいるんだらっちゃ!?」

 

 正反対の表情を浮かべる俺たちに、ここにいる麦わらの一味も困惑気味だ。

 

「コイツを知ってるのか?」

「あ……若旦那。コイツ……いや、この人はおれたちの村で……その、おれをパシ……いや親しくしてくださっていた方で、うん」

「ぜってェ嘘だろそれ」

 

 即座にサンジに突っ込まれたデュバルが「うおおおおん」と漢泣きをする。

 

「やっとあの暗黒期から抜け出したと思ってたのにいいいい! オラが何をすた? 住み慣れた心地のいい村で、住民たちをオドし回っていたオラを逆にオドしパシリのように扱う悪魔! そいづがいなくなったと思っだら、今度は例の手配書のせいで村にもいられなぐなり……。それでも悪魔に支配される人生よりはマシだと今日まで耐え忍んできたのにぬら…………」

「海軍に追いかけ回されるより辛い悪魔との生活、気になるな」

「同情の余地はないけどね」

 

 チョッパーとナミの言葉など聞こえてもいないらしく、デュバルの語りは止まらない。

 

「それだけに飽き足らず、この男はオラの女にまで手を出す始末!!」

「お前、あの顔で女がいたのか?」

「うおっやめてください兄貴! ヘッドはピュアだから、目が合って微笑まれただけで自分に気があると思っちゃうんスよ!」

 

 いつの間にか集まっていたデュバルの腰巾着達が、フォローのていでデュバルにトドメを刺していた。

 

 というかコイツら未だに俺のことを兄貴呼びしてるのか。俺の方が年下なんだからやめろと言ったはずなのに。

 

「まあ……お前はやってたことはともかく、特定の相手には誠実で義理堅い奴だったから女がいてもおかしくはなかったよな。あの顔じゃなければ」

「そっ……そうぬら……? そんな褒めてもなぁんにも出ないべっちゃよぉ」

「ヘッド! 悪魔の言葉は最後まで聞いてください。この手でおれ達が何度のせられてしまったか忘れたんですか!?」

 

 デュバルは頬を染めて分かりやすく照れている。あの頃から顔以外は変わっていないようだった。

 

「この男のせいで村の女達が恋人と別れ、夫と離婚し、さらにはババアまでもが若返り、生態系が完全に壊れたことを思い出してくださいよぉ!」

 

 人を侵略的外来生物みたいに言うな。

 

 デュバルは当然雷に打たれたかのように「はっ!」と勢いよく頭を上げる。

 

「危なかった……忘れるところだった……。そう、あの頃のおれ達は……まさに『人生ドン底ライダーズ』だった!」

 

 大の大人が床に両手をついて泣きじゃくってる姿はなんとも情けないものだった。

 

「ドン底から這い上がろうとしていたおれは例の手配書でさらに人生を狂わされ、人攫いにまでこの身を落とした。しかし、そんなおれを救ってくれたのもサンジの若旦那だった!!」

「……ぶ、ふふっ。手配書……そうか、お前黒足のサンジだと思われて海軍や賞金稼ぎ達に……アレ似てるもんなぁ」

「一ミリも似てねェよッ!!」

 

 堪えきれずに笑ってたらサンジに全力で否定された。そっくりだろうが。

 

「よって今のおれ達は『人生バラ色ライダーズ』! 過去の悪魔なんぞに屈しないぜ!」

 

 さっきから何度も人を悪魔呼ばわりしやがって。デュバルのくせに。

 

「はうっ……!」

「アイツに睨まれただけで心折れてんじゃねェよ!!」

 

 隣に立っていたサンジがデュバルの尻を容赦なく蹴り上げた。

 デュバルは両手で尻を押さえながら涙目でサンジに訴えかける。

 

「でも若旦那! あんたもこの男がおれたちにしてきた仕打ちを知れば、」

「…………あなた?」

 

 ピシッとその場の空気が凍る音がした。もしかすると、凍ったのは俺自身かもしれなかった。

 

「さっきから女、女と。一体何の話をしているのアマス」

 

 この声がこれほどまでに冷たく聞こえたことがあったか?

 

 いつの間にか俺の背後に立っていたシャルリアの右手には銃が握られており、自分を引き止めようとする衛兵達を撃ってここにきたようだった。

 

 俺の付き人は離れたところでサルウを抱きかかえ、どうやらティアンナ宮に捕まっているらしい。

 

「天竜人?」

 

 デュバル達が怪訝そうに俺とシャルリアを交互に見る。

 

「シャルリア宮…………その、これは」

 

 何とか後ろを振り返ったものの、シャルリアの顔を見るのが恐ろしくて目すら合わせられない。

 明らかに目が泳いでる俺を捕まえるため、シャルリアが片手で俺の頬を掴んで無理やり自分の方へ向ける。

 

「妻である私に話せないことなの」

「……貴女に嘘はつきたくありません。どうかお許しください…………」

 

 やっと絞り出した言葉がこれってあまりにも情けなさすぎる。

 

 妻だからこそ話せないんだよ。俺だってシャルリアの過去の男の話なんて聞きたくないし、そいつとの出来事を事細かに聞かされた暁には発狂する自信がある。

 

 しかも昔の俺はそれはもう自由を謳歌していて、とてもじゃないけど愛する人に話せるような内容じゃない。

 

 シャボンディ諸島で暮らしていた頃は『堅実に生きる』ことを楽しむことにしていたから、まだ比較的大人しい生活をしていた。

 

 問題はデュバルといた頃だ。あの時が一番ひどい。当時のモットーは確か……『欲望のままに生きる』だったか? この時点で最悪を極めてる。

 

 シャルリアはこんなにも美しくて綺麗なのに、これ以上俺の穢れを知られてしまったら……今度こそ幻滅されてしまう。それだけは絶対に嫌だ。

 

 少し潤んだ瞳でシャルリアを見つめれば、彼女は途端に表情を和らげた。

 

「……そう。いいアマスわ」

 

 見逃してもらえた! と希望を抱いたのも束の間。

 

「帰ってからあなたの体に聞けばいいのアマス。きっと自らすべてを私に話したくなるアマスわ」

 

 

 

 体に聞くだなんて、一体なーにされちゃうんだろってウキウキしてる楽観的な俺と、拷問の類を警戒する慎重な俺がいる。

 

 爪か指か腕や足そのものか。今のうちに自分の体に別れを告げておいた方がいい気がしてきた。

 

「あの悪魔のように傍若無人な男が女相手にいいようにされてるだなんて……」

「おれたち夢でも見てるのか?」

 

 デュバル達は俺とシャルリアの関係性が衝撃的だったらしい。ぽかんとした顔で突っ立っていた。

 

 突然のシャルリアの登場につい動揺してしまったが、今はそれどころじゃないんだった。

 

「シャルリア宮。ここは危険です、衛兵のところへお戻りください」

「やだアマス。あなたは妻である私を置いて好き勝手しているというのに、私がそうしてはならない理由があるのアマスか」

「それは……。貴女が怪我をするのではないかと心配なのです」

「あなたのそばにいて、私が怪我をするはずがないアマス」

 

 俺を信頼してくれてるっぽいのは嬉しい、けど。シャルリアにはかすり傷一つ負ってほしくない身としては、そんなのは俺が十人いても無理そうだった。

 

 この場にいるのは麦わらの一味だけじゃない。それなりに世間に悪名を轟かせている海賊もチラホラ見えるし、天竜人の夫君という肩書きだけは立派な俺がどうこうできる相手じゃないことは明らかだ。

 

 昔から戦闘なんてものはからっきしだったからな。この無駄に頑丈な体のおかげで何とかやってこられただけで、武器すら満足に扱えない。

 

「……分かりました。この命にかえてもお守りします」

 

 シャルリアは満足げに微笑み、慣れたように俺に手を差し出してくる。彼女の手を下から掬い上げるように握って、誓いを立てるように手の甲に口付けた。

 

「ぐふぅっ! なんて……なんて羨ましいんだっ……」

「若旦那!?」

 

 突然胸を押さえて膝から崩れ落ちたサンジにデュバル達が慌てて駆け寄る。仲間であるナミやチョッパーは「ハイハイいつものいつもの」と魚人族の男の治療に戻っていた。

 

「ひとまずロズワード聖の元へ急ぎましょう」

 

 俺が先導しますからと続くはずだった言葉は、再び天井を突き抜けてきたトビウオの存在によって途切れた。

 

 先ほどとは違い、オークション会場に侵入してきたトビウオは三匹。そのうちの一匹はロズワード聖の頭上を泳ぐように飛び回り――

 

 天井の高さにあるトビウオから飛び降り……いや無理やり落とされた男がロズワード聖を下敷きにした。

 

「きゃあああああ!! お父上様っ!?」

 

 今にも卒倒しそうなシャルリアの背中に腕を回して支える。

 

 まさかチャルロス聖どころかロズワード聖まで手にかけるとは。あの長鼻の男、どこまで命知らずなんだ。

 

 あのサンジという男はかなりの女好きでフェミニストでもあるようだったから、まさかシャルリアには手を出さないだろうと安心していたが……。

 一味全体がそうとは限らないし、ここには他の海賊も複数いるんだった。バカか俺は。

 

 トビウオから落ちてきた長鼻の男に下敷きにされたロズワード聖を見つめる。床にめり込んだ挙句、トビウオが破壊した天井の瓦礫を被っているようだった。

 ティアンナ宮は俺の付き人が別の場所へ移動させていたらしく、シャルリアと同じように悲鳴を上げていた。

 

 …………死んでないよな? 全然動かないけど。

 

 俺はともかく、シャルリアは大切な父と兄を失うなんて耐えられないだろう。

 彼女が余計な悲しみを抱くことがないよう、彼らには生きていてもらわなければ困る。

 

 それに……仮に二人が死んだ場合、家はシャルリアが継ぐことになるのか?

 

 ロズワード聖の年齢と彼の夫人の多さを考えると、子供がチャルロス聖とシャルリアだけとは限らない。

 同じ家に住んでいてもロズワード聖やチャルロス聖の姿を見かけることは滅多にないんだ。

 俺が自由に歩くことを許可されているエリアの外でシャルリアの兄や姉、弟や妹が過ごしていれば存在にすら気づかないかもしれない。すでに嫁入りや婿入りをして家を出ている可能性だってある。

 シャルリアが未成年という理由から、ロズワード聖の弟でありシャルリアにとっては叔父にあたる人が選ばれることもあるだろう。

 

 シャルリアが家を継ぐならまだいい。もしも俺やシャルリアに都合の悪い人物が当主の座につくことになれば……。

 

 ロズワード聖はああ見えて息子と娘にかなり甘い。やはり今は生きていてもらわなければ。

 

「シャルリア宮。ティアンナ宮とオークション会場の裏から外に出ましょう。すでに会場全体を海軍が取り囲んでいるようですから、外にさえ出れば保護してもらえるはずです」

 

 今はこうするしかない。トビウオが飛び回り海賊達が暴れている会場を無事に抜けられるかは分からないが、ここに留まっている方が危険だ。

 

 ……デュバルのヤツ。なんでアイツらが麦わらの一味に手を貸してるんだ。まさか俺やシャルリアにまで手を出すつもりか?

 

「外に出る? あなたの頼みでもきけないアマス。お父上様や兄さまを傷つけた下々民を、」

「っ、シャルリア宮! ご無礼をお許しください!」

 

 シャルリアの言葉を途中で遮り、彼女の腰に片腕を回して抱きかかえた。近くの客席の背もたれ部分を蹴ってふわっと飛び上がる。

 

 先ほどまで俺たちがいた場所にはボロボロの衛兵が突っ込んできて気絶してしまった。麦わらの一味の誰かにやられたらしい。

 

「ハイ、ハイッ! 失礼しますよ!!」

 

 衛兵を飛ばしてきたと思われる人物が、そのままこちらへ向かってきているようだった。

 

 なんだあの武器は。杖にしては形状が……。

 

 ガイコツのような男が手にしている杖を軽く振り上げる動作をしたと思ったら、衛兵達が次々と斬り伏せられていく。

 

 近くの衛兵達を斬るついでといわんばかりに、男の杖が俺とシャルリアを通り過ぎようとして、

 

鼻唄三丁(はなうたさんちょう)…………」

 

 いや、これはシャルリアからは逸れている。最後の狙いは俺だけだ。

 

 とてつもなく速い斬撃に斬られたことを自覚したのと、シャルリアの無事を確信したのはほぼ同時だった。

 

「――――矢筈斬(やはずぎ)りッ!!」

 

 ガイコツの男が杖の形をした刀を鞘に収めた直後、俺の脇腹から勢いよく血が噴き出す。

 

「あなたっ!?」

 

 …………あんなに速い剣は初めて見た。それでも片腕で抱えていたシャルリアを無事に床に降ろせたのは自分を褒めてやりたい。

 

「これはこれは! すみません!! 私、あなたがこちらのお嬢さんを攫おうとしているのではないかと勘違いしていたようです! ヨホホホ!!」

 

 勘違いで人を斬っておきながら、なんて軽いノリなんだ。

 

 ガイコツ男は「おや?」と首を傾げる。

 

「あなたはまさかボンチャリの時の。そちらのお嬢さんは……ハッ! あの時の世界貴族!?」

「私の夫を斬るとは…………死ぬアマス、骨!!」

「骨とは失敬な! この立派なアフロが目に入らないはずがないでしょうに!!」

 

 シャルリアがガイコツ男に向けた銃は、人とは思えぬ軽やかな動きで全て避けられてしまっていた。

 

「う…………」

「動いてはダメアマスわ!」

「……問題ありません。見た目より深くはないようですから」

 

 斬撃の速さに全振りしているからか思ったより浅い。どうやら内臓にすら達していないようだった。

 足首の長さまである服を適当に破き、腹にきつめに巻きつけておく。

 

「ところで、おキレイな世界貴族のお嬢さん」

 

 無礼どころではない呼び方をした男が、骨だけながら真顔に見えなくもない表情で続けて言った。

 

「パンツ。見せて頂いてもよろしいでしょうか?」

「…………は?」

 

 パンツ。シャルリアのパンツを見せろだって?

 

「ギャーッ!? いきなり殴りかかってくるなんて酷いじゃありませんか!!」

「シャルリアの……俺の妻の下着を見たいなどと、二度と口にできないようにしてやる」

「ヨホホ……私、死んで骨だけの身でして! 目も口も! 無いんですけどね!!」

 

 ガイコツは大袈裟な叫び声を上げたかと思えば、今度は笑えないジョークを飛ばす余裕を見せつけてくる。

 

「まあまあ落ち着きましょうよ! あなたとあちらのお嬢さんが夫婦の仲なのであれば、パンツの一枚や二枚……」

 

 俺によって床に押さえつけられているガイコツ男は陽気な口調で続けようとしたが、俺の表情を見た途端に口を噤む。

 

「まさかあなた……見たことが、ないッ!?」

「…………」

 

 とりあえず無言でガイコツ男の頭を叩いておいた。

 

 ……仕方ないだろ。シャルリアは俺と夜を共にする時は、上も下も一切下着を身に付けていないのだから。

 

 男としては、バスローブを脱がせた後にもう一段階薄い布を脱がせる工程があればと何度思ったことか……ッ!

 

「ところでお前。なんで骨なのにタンコブができてるんだ。アフロって腫れるのか?」

「もっと他に気にするところがあるだろうが!」

「まずガイコツは動かねェし髪も残らねェよっ!!」

 

 さっきから地味に気になっていたことを尋ねたら多方向からツッコミが飛んできた。

 

 もっと他に気になるところ。確かにあるな。排泄とか食事関連とか。

 

 でも俺はこんなことをしている場合じゃないんだった。麦わらの連中と関わってると何故か本来の目的を見失いそうになってしまう。

 

 今度こそシャルリアを連れて外に出ようと振り返ったのに、そこには誰もいない。ついさっきまでシャルリアがいた場所には何故か俺の付き人とティアンナ宮が立っている。どうやら付き人が彼女をここへ連れてきたようだった。

 

「衛兵は何をやっているのアマス……!! 伯父上様達にこのような仕打ち、海軍大将はまだなのアマスか!?」

「ティアンナ宮。シャルリア宮や第一夫君と共にここから避難しましょう」

「この目であの海賊共が私たちに降伏するところを見るまでは離れないアマス!」

 

 シャルリアといいティアンナ宮といい。いつ海賊の攻撃が飛んでくるか分からない状況で勇ましすぎる。

 

 ガイコツ男のことなど頭からすっぽり抜け落ち、俺は急いで二人の元へ駆け寄る。

 

「先ほどまでこちらにいらしたシャルリア宮はどちらへ?」

「シャルリア宮はあちらです。第一夫君」

 

 俺の付き人はサルウを腕に抱いた状態でステージの方へ手のひらを向ける。

 

 煌びやかなステージには瓦礫が散乱し、目玉商品である人魚の水槽は上部が斬り落とされていた。

 

「きゃあっ!?」

「初めからこうしていれば良かったのアマス」

 

 人魚の水槽に手をかけたシャルリアの左手には銃が握られていた。

 

 シャルリア……いつの間に。俺がガイコツ男に気を取られてる間に移動したのか。

 

「お前さえいなければ……私の夫が斬られることも、兄さま達がこのような屈辱を受けることもなかったアマスわ」

 

 舞台袖に隠れていたディスコが慌てた様子で飛び出してくる。

 

「しょ……少々お待ちくださいシャルリア宮! そちらの人魚は、まだチャルロス聖からお支払いをいただいておりませ……」

 

 シャルリアは左手に銃を持ったままディスコの腹を正確に撃ち抜いた。

 

「下々民如きが私たちに物申すなんて気分悪いアマス」

「シャルリア宮!」

 

 その場に倒れたディスコをゴミを見るかのように見下ろしていたシャルリアが、駆け寄ってきた俺を見て少しだけ表情を和らげる。

 

「人魚のことはもう放っておきましょう。これ以上ここにいては……」

「どうして震えているのアマス?」

 

 …………一体何なんだ? さっきから寒気が止まらない。

 

 あのふざけたガイコツに斬られたせいで血が足りないせいかと思ったが違う。

 

 このような感覚を以前は日常的に感じていた。人間が到底住むことのできないような場所では力こそが全て。力を持たざる者は強者に屈するか――その気配を察知して逃げ回るしかない。

 

 俺はずっとそうやって生きてきた。

 

 この身に染みついた習性は、どれだけ平和ボケした生活を続けても完全に消すことは出来ない。

 

「そこで待っていてくださいまし。この魚をすぐに――」

 

 俺の様子がおかしいから、さっさと人魚を撃ち殺してしまおうと考えたんだろう。

 

 右手に持ちかえた銃を水槽の人魚に向けたシャルリアだったが、引き金を引く前にその体は崩れ落ちてしまう。

 

「シャルリア!?」

 

 足元に転がっていたディスコを踏みつけ、背中から倒れようとするシャルリアの体を受け止めた。

 

 意識がない。先ほど一瞬だけシャルリアの周囲を駆けていった『圧』に悪意は感じられず、彼女の首元に添えた指先からは少し速いだけの鼓動が聞こえてくる。

 本当に……ただ気を失っているだけだ。

 

 シャルリアを抱えて胸を撫で下ろしていた俺に、ステージの裏から声が投げかけられる。

 

「もしやとは思っていたが、やはりキミか!」

 

 『売』の一文字が大きく書かれていた壁が、まるで厚めの紙を破るかのように簡単に抉られていく。

 壁の向こう側から顔を出したのは、数十分前まで同じ格子の中にいた巨人族の男と――丸メガネをかけた老齢の男。

 

 巨人族の男は嫌でも目についたが、この老人については今の今まで存在にすら気がついていなかった。

 

 どうやらオークション前にディスコが「死にかけのジジイ」と称していたのは彼のことだったらしい。

 

 ……死にかけ? とんでもない。この人は俺が海賊団の船長を撃ち殺してしまった例の騒動を、たった一人で収めてしまった化け物だ。

 

 なぜ実力を隠してひっそりとシャボンディ諸島で暮らしているのかは分からないが、絶対に敵に回してはいけない人物。

 

「見慣れた作業着姿ではなかったからなァ。天竜人の夫にされたと聞いていたキミが、こんなところにいるはずもないと思うだろう?」

 

 老人は豊かな顎髭を撫でながら快活に笑う。

 

「久しぶりだな、ラース君。キミのところのコーティング道具ほど扱いやすいものはなかったから実に残念だ」

 

 かつての得意先のうちの一つ。コーティング職人のレイさんは俺の名を呼び、過去を思い出すかのように目を細めた。

 

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