シャルリア宮の第一夫君 作:倉庫から出す
突然のカブトムシ対決(仮称)ブームはあっという間にマリージョアに広がっていった。
昨日は寝る寸前までチャルロス聖とカブトムシについて語り合っていたこともあり、ほんの少し寝不足だった。
「今日はシャルリアは一日いないと聞いた。お前、わちしとシャボンディ諸島へ行くえ!」
シャルリアは例のパーティーがきっかけで他の天竜人の屋敷に招待され、朝から夜まで留守にしている。
シャルリアがいない時間は、世界から光が消えてしまったかのよう。
今日もマリージョア内であればどこに足を運んでいいそうだから、久しぶりに神の庭にでも行こうかと考えていたところだった。
そこにタイミング良く現れたチャルロス聖の提案は大変魅力的に感じられた。
「シャボンディ諸島で何をなさるのですか?」
「むふーん。まずはいつもの店でソフトクリームを食べて、それから昆虫屋に行くえ! お前も行きたいはずだから誘ってやったんだえ〜」
シャボンディ諸島の昆虫屋行きたすぎる。というかそんなものまであるのか。
あれだけ自然豊かな場所なんだ。様々な昆虫を取り扱ってるんだろうな。
俺が知らないということは、無法地帯じゃなくて観光地の方だろう。
「嬉しいです。すぐに外出の準備をしてきます」
強いカブトムシが売り切れてしまう! とそわそわしているチャルロス聖を宥めつつ、急いで支度を済ませて二人で下界へ降りた。
「シャルリアの夫にも食べさせるえ」
「畏まりました」
チャルロス聖の従者がソフトクリームを二つ注文し、そのうちの一つをもらった。
「ありがとうございます」
「ここのソフトクリームは美味だえ!」
チャルロス聖に催促されて一口食べてみる。なるほど、これは美味い。
俺が知るソフトクリームの値段より桁が二つくらい多かっただけはある。これまでに俺が食べていたソフトクリームはソフトクリームじゃなかったのかもしれない。それほどの美味しさだった。
チャルロス聖はシャルリアと違って食べ歩きしてもいい派らしく、お互い片手にソフトクリームを持ったまま店を出る。
この場にシャルリアがいれば「端のうアマスわ」と叱られていただろう。
「シャルリアはお前をここで見つけたと言っていたが、ずっとここで暮らしていたのかえ?」
「シャボンディ諸島には一年ほど滞在していました。私は……放浪者、だったのだと思います」
これまでの俺はずっとその時の気分だけで生き方を決め、滞在時間の決定権だけを未来の自分に与えていた。
俺はそこそこの飽き症らしく、大体どの生き方を選んでも半年か一年ほどで飽きてしまう。
酷い時は数日間で次の島へ移動したこともあった。
「どこか珍しいところへ行ったりはしてないのかえ。わちし、魚人島に行ってみたいんだえ〜」
「魚人島は私も行ったことがありません。行き来したことがある人によると、とても幻想的で美しい場所だそうです」
今でも少しだけあそこに行ってみたかったと思う。
多分、レイさんとの会話に何度もあの島の話題が出てきたからだろう。もう人魚はどうでもいいが、あの人が語ってくれた魚人島への羨望は今でも消えてくれない。
「むふーん……ますます行きたくなってきた。でもお父上様にはミョスガルドのような
チャルロス聖は残念そうに肩を落とす。
ミョスガルド……ドンキホーテ・ミョスガルド聖か。以前ロズワード聖がドンキホーテ一家について言及した時に、この人の名前も挙げていたはずだ。
「決めた!! 昆虫屋の次は人間屋に行くえ!」
「はい。私もご一緒させてください」
チャルロス聖はあっという間にご機嫌になって口笛まで吹き始める。
「下々民は店から出ていくえ」
俺達は観光地にある昆虫屋に入り、チャルロス聖の一声で貸切状態となった店内をゆっくり見て回る。
「お前、良さげなのを選ぶえ」
「そうですね……これはどうでしょうか。体は小さいですが、好戦的で力も強いです」
「これにする。あっちのクワガタはどうだえ。カブトムシとクワガタはどっちが強い?」
「個体によります。私が以前住んでいた場所では、カブトムシとクワガタは分けずに一緒に戦わせていました」
チャルロス聖は選択肢の幅が広がったことが嬉しいらしく、キラキラと目を輝かせて俺の話に耳を傾けていた。
「ならクワガタも買うえ!」
彼はクワガタの方は自分で選び、他にも珍しい昆虫を何匹か購入して衛兵達に持たせていた。
「さっき買った蝶は標本にする。今度お前にも見せてやるえ〜」
「ピラニアも見たいです」
「どうしてもと言うなら一緒に見せてやってもいいえ」
「ぜひ。人間屋に人魚が入荷しているといいのですが」
どうして毎回ツンデレ仕草を挟んでくるんだろうか、この人は。分かりやすくていいけど。
昆虫屋を出て、ここに来るまでと同じようにチャルロス聖の隣に並ぶ。
最初は従者のようにチャルロス聖のやや後ろを歩いてたけど、「話をしづらい」って理由で隣を歩くように指示されたんだよな。
……シャルリアはともかく、チャルロス聖の隣を元下々民が堂々と歩いて大丈夫なんだろうか?
ペットであるサルウは隣どころか前を歩いてるんだから、そういう意味ではセーフかもしれない。天竜人にとって
でも天竜人のペットって基本的に聖地生まれの聖地育ちなんだよな。つまりサルウは俺より遥かに高貴な存在ということになる。どうりでシャルリアの顔を舐め回しても許されるはずだ。
俺はただの犬猫ではなく、聖地出身の高貴な犬猫を自認すべきだったらしい。
「今日はどちらの人間屋に行かれるのですか?」
「一度も行ったことがない人間屋が二十二番にあるんだえ」
あそこに人間屋なんてあったっけ。チャルロス聖が行ったことがないってことは、最近できたところなんだろうか。
「一年ほど前に出来た店だが、小さな店で品揃えが良くないだろうからと後回しにしていた」
俺が不思議そうにしていたからか、チャルロス聖が親切にも付け足してくれる。
「あのミョスガルドの頭がおかしくなる前、小さな人間屋で人魚を手に入れてきたことがある」
「掘り出し物ですね」
「むーん、そうなんだえ」
人魚レベルの商品は、必ずオークション形式で競り落とされるものだと思ってた。人攫いの気まぐれか店側の気まぐれか。例外もあるようだ。
「ミョスガルドのやつ。頭がおかしくなってからは自分の奴隷を全て解放し、今では一人も持ってないんだえ。あやつが所有していた人魚はそれ以前に魚人の奴隷達と共に逃げ出していたらしいが……。わちしが持っていれば逃亡なんぞさせなかったのに」
チャルロス聖が唇を尖らせながら口にする。
……天竜人が奴隷を解放だって? 下界の一部の貴族達ですら奴隷を持つのは常識であり、もはや水のような必需品扱いとなっているのに?
「まああの変わり者のことはどうでもいいえ」
チャルロス聖は自分が乗っている奴隷の背中を強めに叩く。奴隷は微かな呻き声を上げたが、必死に歯を食いしばって耐えていた。
「お前、今日はずっと歩いているがシャルリアの奴隷は借りなかったのかえ?」
「はい。自分の足で歩く方が気が楽ですから」
「自分で歩きたがるなんておかしいえ」
外出時には好きな奴隷を連れて行って良いと言われているものの、未だに奴隷の乗り心地をいいと思えない俺には無用の長物だった。
「それに少しは体を動かしていないと、いざという時にシャルリア宮やチャルロス聖をお守りできなくなってしまいます」
「……そうかえ」
チャルロス聖は不思議な生き物を見るかのように俺を見つめ、「奴隷が欲しくなったらわちしのお小遣いで買ってやってもいい」とまで言ってくれた。
「でも人魚はわちしのだからダメだえ!」
「ふ……はい、分かりました。ありがとうございます」
「何を笑っているんだえ?」
なんだか普通の兄弟の会話みたいだなあと思って少し笑ってしまった。
すでにチャルロス聖がこの程度では気分を害さないことを知っている俺は、浮かべていた笑みをそのまま彼に向ける。
「申し訳ありません。チャルロス聖がお優しいので……嬉しかったのです」
「大袈裟で変な男だえ」
チャルロス聖は俺に「キモすぎだえ」と言った時とほぼ同じ顔をしていた。今回もキモかったらしい。
遊び相手としては好感触なものの、俺自身への好意は皆無なようだった。
「そう仰らないでください。本当に心から嬉しいと思っているんですよ」
チャルロス聖はフンッと鼻を鳴らす。
「お前が妙なことを言っている間に人間屋に着いた」
「私との会話は有意義で時間を忘れたという意味でしょうか?」
「違うえ」
今日はやけにツンデレのツンの要素が多いなと思いながら、奴隷から降りようとするチャルロス聖のすぐ隣に立って肩を差し出す。
チャルロス聖は左手を俺の右肩に置き、難なく地面へと降り立つ。
「奴隷小屋より狭い店だえ」
「……そのようですね」
チャルロス聖に促され、同じように店を正面から見上げる。
俺の方がチャルロス聖の会話に夢中で周りを見ていなかったようだ。
「どうしてここに人間屋が……」
二十二番GRと聞いて、真っ先に頭に浮かんだのがここだった。
歪なビールのイラストが彫られた木製の看板はどこにも見当たらず、屋根の部分には『人間屋』の三文字が並ぶのみ。
完全に一から建て直したのか、数年前の面影は一つも残されていない。
チャルロス聖は奴隷の鎖を従者の一人に預け、扉の前でこちらを振り返る。
「さっさと中に入るえ」
「あっ……はい。お待たせして申し訳ありません」
店内に入れば、外観と同じように全てが真新しくどこか無機質にも感じられた。
ここには薄汚れた丸テーブルも、酒が飛び散ってベタついている椅子代わりの木箱も、店主の特徴的な字で書かれたメニュー表もない。
――俺に無理やり酒を勧めてくるバカで愉快な男達も、そんな俺達に呆れて小言を漏らすお節介な女もいない。
「天竜人ォッ!? こんな小せェ人間屋に来るなんて……とりあえずいらっしゃいませー!!」
店主だと思われるヒゲ面の男が大慌てでやって来て、床に頭を擦り付ける。
店内には俺とチャルロス聖以外に客の姿はなく、わざわざ下々民を追い出す手間が省けたようだ。
「むーん……。奴隷の数も少なければ質も良くない」
チャルロス聖の顔には「がっかり」と書かれていた。
一年前に出来たばかりなだけあって、店内も清潔で目立つ汚れも見当たらない。
奴隷は下段に十六人、上段に二十人ほど収容されており、上段への移動には短い階段を使うようだった。
特殊ガラスの向こう側にいる奴隷達は、客が天竜人だと知るや否や、割り当てられている小部屋の隅で小さくなってしまっている。
小部屋には、簡素な板で最低限覆われたトイレだけが置かれていた。
俺だったら嫌がらせ目的でトイレ外で用を足してるだろうな、などと最低なことを考えながら奴隷を一人一人見ていく。
「段差にはお気をつけください」
上段の奴隷の元へ行こうとするチャルロス聖に手を差し出そうとしたが、すぐに引っ込めた。
危ない危ない。いつもシャルリアにやってる時の癖が出てしまったようだ。
いくら世界貴族でも、男が男にエスコートされたくはないだろう。
「やはり人魚はいなかったえ」
上段から降りて来たチャルロス聖に「そのようですね」と答える。
「待ちなさい、ボーヤ達っ! お探しの人魚ならここにいるわよ」
「人間オークションの人魚が逃げていなければ、今頃わちしの水槽でピラニアと人魚が泳いでいたのに……」
「チャルロス聖。がっかりなさらないでください。次はもっといい人魚と出会えるはずです」
「わざとらしく無視すんなァッ!!」
さっきからぷかぷかと水の中に浮かんでいた女……女?が、いつかのナミのように叫ぶ。
チャルロス聖と二人、後ろを振り返って彼女の姿を視界に収める。
他の奴隷達の部屋は格子で区切られているが、彼女の部屋は側面にもガラスが張られており、中の水が外に流れないようになっていた。
正面のガラスの上部には『マリン』と書かれたネームプレートが貼り付けられている。
彼女は俺たちの視線が自分に向いたことが嬉しいのか、「うふん♡」とウインクを飛ばしてくる。俺は全力で避けたが、チャルロス聖はもろに食らってしまった。
「あたしが人魚のマリンよ。ああん、天竜人だなんて素敵じゃない♡ あたしもついに奴隷の身分から世界貴族の妻に……このシンデレラストーリィーは誰にも止められない♡」
「チャルロス聖。殺しますか?」
精神攻撃を受けている気がしたので、チャルロス聖の前に立って懐から銃を出す。
人魚を自称している女は美しいブロンドの髪を色っぽい動作で耳にかける。
しかし片方の鼻からは鼻水が垂れており、鼻の下や顎には髭剃りの跡が濃く残っていた。さらには、何度も水から顔を出しては荒い呼吸を繰り返している。
どう見ても人魚ではないし、女であるかすら怪しかった。
「本当にいい男ねェ♡ アンタならあたし、いいわ……今日まで大切に磨いてきたこの体を滅茶苦茶にされても……♡」
「くっ……チャルロス聖……! ここは危険です、私のことはいいですから逃げてください……!!」
「お前死にそうだえ!?」
どうやらこの女、俺のことも天竜人だと思っているらしく、先ほどの天竜人の妻云々といった発言も全て俺に向けてのものだったらしい。
無理だ、死んでしまう。
「はぁ、はぁ……耐えられない……美しいシャルリア宮の夫である私が、このようなジュゴンに求婚されるなど…………」
「お前が死んだらわちしがシャルリアに叱られるんだえ!!」
チャルロス聖が俺の肩を掴んで揺さぶる。
「もう店を出ましょう、チャルロス聖。ここに人魚はいなかったのですから……」
「そ、そうすればお前は死なないえ?」
「はい……最後にシャルリア宮を一目見てから…………死にたかった」
「わちしは死ぬなと言ってるんだえ!?」
チャルロス聖の従者が俺に肩を貸してくれたおかげで何とか倒れずに済んだ。
女の悲痛な叫びを浴びながら店を飛び出し、冷たい飲み物を受け取って一息つく。
「取り乱してしまい……申し訳ありませんでした」
本当にあの女は何者なんだ。俺をここまで弱らせるとは只者じゃない。
そもそも天竜人相手にあの態度はおかしいだろ。チャルロス聖は呆気にとられてしまって射殺するという発想すら出なかったようだが、普通ならその場で殺されてるぞ。
「あれは一体」
「二股になった人魚かえ? わちしが欲しいのは若い人魚で、二股は見たこともないが」
人魚って二股になると水中でまともに息もできなくなるのか? そんなはずが……でも俺も二股は見たことがないし、本物の人魚はケイミーという女しか見たことがない。絶対にないとは言い切れないのがキツいところだ。
アレを人魚族だと認めてしまったら過去の俺が可哀想じゃないか。かつて憧れた魚人島の人魚にジュゴンが混ざってるかもしれないなんて……あまりにも残酷すぎる。
「お前もオークションで若い人魚を見たはず。さっきの奴隷も人魚としての特徴は同じだったえ」
「……同じ、ですか」
人魚に詳しそうなチャルロス聖が言うなら……と耳を傾けてみる。
「水の中にいた」
「高頻度で水から顔を出して息継ぎしてましたよ」
「足も人魚のものだったえ。オークションの人魚と変わらない」
チャルロス聖の言葉を咀嚼し、コンマ一秒くらいで自分の脳内から不要な情報を削除した。
「いえ。私は本物の人魚を見たことが一度もありませんので、比べることもできません」
「消した!! 今、オークションの人魚の記憶を消したえ!?」
本物を見たことがないんじゃ、あの女が人魚かどうかの判別もできない。この話は保留だ。
チャルロス聖はいつかの長鼻の男のように肩で息をしている。随分お疲れの様子だった。
「とりあえず次の目的地に行くえ」
シャボンディ諸島での用事はこれで終わりだと思っていた。
不思議そうにしている俺に、チャルロス聖は「むふふーん」と歌うように続ける。
「お前が面白い店を作ろうとしているとシャルリアから聞いた。これからわちしにも見せるんだえ!」