シャルリア宮の第一夫君   作:倉庫から出す

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血を裏切る者

 ついに今日、火拳のエースの公開処刑が行われる。

 

 マリージョアの住民達も、白ひげという大きな時代の終わりには興味津々らしい。

 聖地にはシャボンディ諸島にあるものよりも大きなモニターがいくつか設置され、朝から天竜人達が配信開始を待ち望んでいた。

 

 俺とシャルリアは彼女専用のサロンで、後からやって来たチャルロス聖を交えて軽めの朝食をとっていた。

 

「むふーん。やっと世界一の美女の顔を見ることができる……! シャルリアの夫、お前もわちしと配信を見に行くえ!」

「チャルロス兄さま。この人は私と神の庭で過ごす約束をしているのアマス。それに私の夫が海賊女帝に興味を持つはずがないアマスわ」

「…………そうですね」

 

 一度くらいはその顔を確認しておいた方がいいかもな、と考えていたせいで反応が遅れてしまった。

 

 シャルリアの眉がぴくっと動いたのと、チャルロス聖が言葉を挟んだのはほぼ同時だった。

 

「そうなんだえ。この男、どうにもおかしい。わちしがパンゲア城に誘ってやった時も、シャルリアより美しい女が存在するはずがないなどと言っていたえ」

「まあ……ふふっ。そうだったのアマス……」

 

 シャルリアは嬉しそうに微笑んだかと思えば、次第に照れが勝ったのか恥じらうように顔を逸らしている。

 少し珍しい反応だった。もっと余裕のある反応をされると思っていた俺も釣られてモジモジとしてしまう。

 そんな俺達を向かい側の席で見ていたチャルロス聖は「またかえ」と興味なさげに鼻をほじっていた。

 

「……それはそうと兄さま? 私が海賊女帝に劣っているとでも?」

「ちっ、違うえ! シャルリア、お前はわちしの世界一可愛い妹だえ!!」

「それならいいのアマス。チャルロス兄さまは世界一大好きな兄上様アマスわ」

 

 ジュゴンの投げキッスにすら微塵も動じなかったチャルロス聖が、滝のような汗をかきながらシャルリアに弁解していた。

 

「わちしはもう行くえ……」

 

 チャルロス聖はガッカリした様子で席を立ち、シャルリアへの挨拶もそこそこにサロンを出ていく。

 

「兄さまったら。あなたを誘う為だけにここに来たのアマスね」

 

 シャルリアが呆れたようにため息をつく。

 

「兄さまがここまであなたを気に入ってくださるとは思わなかったアマス」

 

 チャルロス聖は新種の面白い玩具が手に入って喜んでいるだけだ。

 そういう意味では気に入ってくれてるんだろうけど、多分シャルリアの考えているものとは違う。

 

「今日はサルウも連れて行くアマス。先に犬屋に寄ってあのコの新しい服を買いたいアマスわ」

「また噛んで脱ぎ捨てるかもしれませんよ」

「いいアマス。今度こそ気に入るかもしれないもの」

 

 サルウは服自体が嫌いっぽいけど、シャルリアが気にしないなら別にいいか。あの可愛い犬に似合う服を選ぶ時間や、それを一瞬でも着せてあげること自体が楽しいんだろう。

 

 

 

 

 

「まあサルウ。この服も気に入らないのアマス?」

 

 犬屋に着いてすぐシャルリアが選んだ服を器用に頭から脱ぎ、その次の服は鋭い牙で噛みちぎって脱ぎ捨てたサルウ。今は俺の膝の上に避難してきている。ここにいればシャルリアが次の服を着せてこないことを知っているからだ。

 

 ずっと俺の顔舐めを狙っているサルウを必死に押し戻していると、シャルリアが拗ねたように口にする。

 

「サルウはあなたのことばかり好きアマスね」

「服が苦手なだけだと思います。今のままが落ち着くのでしょうね」

「……そう。可愛いのに惜しいアマス」

 

 シャルリアは手に持っていた三つ目の服を商品棚に戻す。

 その服には全体に宝石が散りばめられており、いかにも重そうに見える。売り文句を読んだ限りでは俺の服と同様に軽量化されており、縫い付けた宝石を犬達が誤飲しない工夫もされているようだった。

 

「サルウったら」

 

 着せ替えごっこ終了の気配を察知したサルウが、俺の膝からシャルリアの胸元へと移動する。拗ねていたはずの彼女はすっかり上機嫌になっていた。

 

「ふふ、そうね。このコはわざわざ服で着飾らなくても十分愛らしいアマスわ」

 

 シャルリアは目を閉じて愛おしそうにサルウに頬を寄せる。

 ……サルウ、相変わらず羨ましい奴め。

 

 ふと目を開けたシャルリアが俺に顔を向ける。

 

「あなたは誰よりも可愛らしい私の夫アマス」

「…………ありがとうございます」

 

 最近シャルリアに心を全部読まれてる気がするのは気のせいか?

 

 

 

 

 

「サルウ。あまり遠くへは行かないように」

 

 分かっているのかいないのか。サルウはバウバウッと何度か鳴いて駆けていく。

 

 犬屋から神の庭にやってきた俺達は入ってすぐサルウを放流し、自分達はのんびりと景色を楽しんでいた。

 放流と言ったが、サルウの世話を任せている従者が常に目を光らせているから問題はない。

 

「あなたはサルウに対して過保護アマスね」

「……そうでしょうか」

「ええ。あのコは賢いから大丈夫アマス」

 

 シャルリアは俺に手を差し出し、「もう少し奥を見に行きたいアマス」と微笑む。

 こうやってシャルリアと丸一日一緒にいられるのは人間オークション以来初めてだ。サルウのことは従者に任せて目の前の彼女に集中すべきだろう。

 

 シャルリアの手をとって歩き出す。

 どちらかといえば俺が先導するように歩いているにも関わらず、不思議と彼女がどこへ行きたいのか、何に興味を示しているのかが手に取るように分かってしまう。

 彼女が立ち止まるのとほぼ同時に俺の足も止まり、彼女が急に道を曲がろうとも難なく合わせることが出来る。

 

 この不思議な感覚はなんだ? 俺のお粗末な見聞色の覇気ではないだろうし……。

 

「以前ここに来た時のことを覚えているアマス?」

「はい。俺にとって特別な日でしたから」

 

 あの頃の俺は自分がシャルリアに恋をしている自覚もなければ、窮屈な聖地での暮らしにうんざりしていた。

 

 シャルリアのことは、元下々民に対して随分と寛容な天竜人だなとしか思ってなかった。彼女の兄であるチャルロス聖の夫人は入れ替え制だとも聞いていたから、俺のこともそうしてほしいと願っていたほど。

 

「あの時貴女は、俺のことを奴隷ではないとハッキリ否定してくれましたね」

「……それだけのことが特別なのアマス? 天竜人の夫が奴隷ではないのは当然アマスわ。あの方も分かっていて口にしたのアマス」

「奴隷かどうかではなく、貴女が俺に向けられた悪意に対して気分を害してくださったのが嬉しかったのです」

 

 俺はシャルリアの美しさに一目惚れしたが、内面にも惹かれ始めたのはきっとあの頃からだろう。

 

 シャルリアは柔らかな笑みを浮かべる。

 

「それも当然のことアマスね。私の唯一無二の夫があのような方に奴隷呼ばわりされるなんて、とても我慢できることではないもの」

 

 シャルリアのただ一人の夫。

 オークションの時にもそのように言ってくれていたけど、こうして改めて言葉にされると……。

 

 シャルリアの指が俺の頬に触れてきたかと思ったら、俺という人間の形を確かめるかのように撫でていく。

 

「あなたを天竜人にすることが出来れば、あのような無礼を受けることもなくなるのに」

「…………それは」

「前例はあるアマス。いつかそうしてあげられるかもしれないアマスわ」

「俺は今のままでも構いません。下々民でなければ、貴女に見つけてもらうことすら出来なかったでしょうから」

 

 頬に添えられていたシャルリアの手を両手で包み込む。

 

「……そうアマスね。あなたが下々民のままだとしても、私があなたを愛しているという事実は変わらないアマス」

 

 いつものように上手く表情を作れない。

 

 天竜人であるシャルリアが下々民という俺の身分を肯定した挙句、以前俺が口にした『どうして事実を捻じ曲げてまで側に置いてくれるのか』という問いに対する直接な返答だったからだ。

 

「分かっているアマス。ここにはあなたと私しかいないから言っているの。お父上様達の前では決して口にできない……」

 

 今の俺はシャルリアの言葉の重みが嫌というほど理解できてしまう。

 

 生まれた時から天竜人として()()()教育を受けてきた彼女が、下々民という身分ごと俺を受け入れることが何を意味するのか。

 

 図書室で目についた本を片っ端から読んだおかげで、シャルリアのように夫人や夫君をまるで恋人のように扱った天竜人が少なからずいたことも知ってる。

 でも彼らはあくまで「天竜人の夫人や夫君」という身分にある者を愛したのであって、相手が下々民でも構わないなどとは思わなかったはずだ。

 

「下々民が天竜人を恐れていることも知っているアマス。……あなたと初めて会った時、私がどのような罰を下すのかと怯えていたことも」

 

 シャルリアのこれは、天竜人にとって危険ともとれる思想なんじゃないのか?

 

 この世界の創造主である彼らが、下々民如きの気持ちを慮るなんてこと、あっていいはずが――

 

「あなたの私への愛は、私が何者であるかに左右されるものアマスか?」

「…………いいえ。貴女が何者であったとしても、出会ってしまったからには愛さずにはいられなかったでしょう」

 

 シャルリアは俺の言葉を受けてもまだ不安そうに視線を揺らがせている。

 そう、不安なんだ。俺という存在のせいで、これまで彼女を構成してきた世界の前提からひっくり返っているんだから。

 

 不幸中の幸いと言うべきか、今のところ彼女の例外は俺だけに適用されている。側から見れば「天竜人の夫人や夫君を愛している」ただの少数派との区別も付かない。

 俺やシャルリアが口を滑らせなければ、彼女が下々民の男を愛してる事実を誰かに悟られることもないはずだ。

 

「シャルリア」

 

 シャルリアを抱き寄せると、すぐに俺の背中に彼女の両腕が回ってきた。

 

「俺は天竜人シャルリア宮の夫であり、それ以外の何者でもありません」

「…………分かっているアマス」

「ですが、貴女が俺の全てを受け入れてくださったことはこの先一生忘れません。……俺が貴女と同じ気持ちであることもどうか忘れないでください」

 

 背中に回ってきていたシャルリアの腕が一瞬強張り、すぐに強く抱きしめ返される。

 

「……ええ。決して忘れないアマスわ」

 

 シャルリアの声は微かに震えていた。

 

 

 

 

 

「そちらにお隠れになっているのは、どちら様でしょうか」

 

 シャルリアには「貴女に似合う花を贈りたいから庭園の入り口で待っていてほしい」と伝え、一人だけここに残った。

 正確には離れたところに俺の付き人が立っているが、あの男は俺やシャルリアに都合の悪いことは見て見ぬふりをしてくれるから今回は居ないも同然。

 

「私のような者が尊き身分にあるお方に声を掛ける無礼をお許しください。……罰はいくらでも受けますから、どうかお姿をお見せいただけないでしょうか」

「……待てっ! 罰など与えない。私は『尊き身分にある者』ではないんだ!!」

 

 人一人をすっぽりと覆い隠してしまう巨大な花の後ろから飛び出してきたその人は、その場に膝をつこうとした俺の腕を掴んで顔を上げさせた。

 

「私は人間だ……あなたと同じ、何も変わらない」

 

 防護服のような服を身に付け、緑の髪を天に向かって結い上げている男性は、どこからどう見ても尊い身分にある天竜人にしか見えなかった。

 

 彼は何も言えないでいる俺を見て「す、すまない! 痛かっただろうか?」と掴んでいた腕を離す。

 

「……痛くはありません。ありがとうございます」

「そうか……それは良かった」

 

 その人は心底ホッとしたように頬を緩ませていた。

 

「私はドンキホーテ・ミョスガルドという者だ。この名を一度は聞いたことがあるだろう」

 

 ドンキホーテ・ミョスガルド聖。

 ロズワード聖やチャルロス聖だけでなく、先日のパーティーでも何人かが名前を挙げていた人だ。

 

 聖地の癌、天竜人の恥さらし、同じドンキホーテ一族のホーミング聖に劣らぬ奇人、そして……創造主の血を裏切る者。

 

 ミョスガルド聖を形容する言葉はいくつもある。

 しかし同情の声も上がっており、彼の奇行の全ては「直接魚人島に赴いたことで罹った奇病」のせいだと考えている人もいるようだった。

 良くも悪くも、それ以降天竜人が魚人島に足を踏み入れたことはないとも聞いている。

 

 下界の一部の貴族にもこの件が歪んだ伝わり方をしており、「魚人族に触れるだけで奇病にかかる」という迷信が流れているそうだ。

 

「盗み聞きのような真似をしてしまってすまない。たまたま通りがかっただけで……いやまさかあのシャルリアが」

 

 …………やはり、聞かれてしまっていた。

 

 シャルリアはこの人の存在に気づいていなかったようだが、俺は最初から気づいていた。

 

「私はどうなっても構いません。シャルリア宮には何一つ非はないのです」

「待て待て待て! 先ほども言っただろう、私はあなたを罰しない!」

「…………私は元下々民であり、今はシャルリア宮の夫という身分を与えられているだけの存在です。ミョスガルド聖にそのように扱っていただく必要はありません」

 

 先ほどからどうにも噛み合わない。天竜人らしからぬ言動といい、俺に対してまるで対等であるかのような物言いまで。

 

 ミョスガルド聖はきゅっと眉を寄せ、言いきかせるように俺の両肩を掴む。

 

「私は八年ほど前に、リュウグウ王国のオトヒメ王妃によって人間にして貰ったのだ!」

「人間にして貰ったとは、一体何を仰られているのか……」

 

 ロズワード聖が同じ天竜人であるこの人を奇人と称していた理由がやっと分かった。

 

 この人はただ奴隷を解放して所有しなくなっただけじゃない。天竜人として致命的な欠陥がある。

 

 神でありながら己を下界のただの人間と対等であると主張するなんて……。奇病による同情票がなければとっくに排斥されていただろう。

 

 先ほどの件を知られてしまったのがこの人で助かった。

 彼がシャルリアのことを言いふらしたとしても、間違いなく正気を疑われるのはミョスガルド聖のほうだ。すでに天竜人たちから「まともではない」というレッテルを貼られている彼が何を口にしようが、信じる者はいない。

 

 全身を支配していた緊張が少しずつ落ち着いていく。

 天竜人相手となれば口封じに殺すことも容易じゃない。それも杞憂だったようだ。

 

「シャルリアが下々民だろうとあなたを愛してると言ってるのを聞いて、私がどれほど嬉しかったか……!」

「…………ミョスガルド聖。何か誤解をされているようですね」

「私に隠す必要はない。これまで奇病のせいだなんだと私の言葉に一切耳を傾けてくれなかった彼らが、今度こそ変わってくれるかもしれないんだ!」

「私は何も隠してなどいません。ただ誤解を解きたいだけです」

 

 ……この人が相変わらずシャルリアの世界を脅かそうとしているのも事実。

 

「シャルリア宮は少し混乱されていただけであって、ミョスガルド聖がお考えになっているようなことはありません。天竜人が下々の人間を気にかけるはずがないのですから」

「あえてこう言うことを理解してくれ。下界で生まれ育ってきたあなたの本音はどうなんだ。同じ人間を下々民と呼び、時には奴隷として命を軽く扱う天竜人の存在を是としているのか?」

 

 本当に妙な気分だ。天竜人とこのような会話をしているなんて、数分前の自分に言っても信じないだろう。

 

「他人の命を軽く扱うのは天竜人だけではありません」

「それはその通りだが……当事者となれば話は別なはず。自分自身や下界に残してきた家族があのような目に遭っても同じことが言えるだろうか」

 

 シャルリア達の奴隷への扱いを思い浮かべる。下々民を自分達とは全く別の生き物だと認識しているからこそ、何の躊躇いもなく一般的には残虐非道だとされることも出来てしまう。

 

「言えるでしょうね。地面を歩く小さな虫を避けて歩くより、いっそ踏み潰してしまった方が楽なこともあります。むしろ虫の存在にすら気がつかないかもしれない。私がこのような人間であるというのに、どうして当事者になったからといって非難できるのでしょうか?」

 

 それに、と言葉を付け足す。

 

「家族が血の繋がりのある者のことだとすれば、どうなろうと興味はありません。……すでに奴隷になっているかもしれませんね」

 

 故郷にいた頃、人攫いや天竜人といった言葉は何度も耳にした。世界政府非加盟国だったせいだろう。いつ誰が天竜人の奴隷になっていてもおかしくはない。

 

 ミョスガルド聖は完全に言葉を失っており、唖然とした表情で俺を見つめてくる。

 天竜人達とは別の意味で話の通じない男だとでも思っているんだろう。

 

「ミョスガルド聖。今日の出来事は他言なさらないでください。シャルリア宮をありもしない噂で煩わせたくないのです」

「いやしかし……私にとってシャルリアの変化は非常に喜ばしいことで、」

「どうかお願いいたします。この先もずっとシャルリア宮のお側にいたい……これが私の本音です。もし間違った噂を信じる方がいらっしゃれば、私達は一緒にいられなくなるでしょう」

 

 この手の輩には下手な説得よりも、罪悪感を刺激したほうが効くことが多い。

 

 俺の予想通り、ミョスガルド聖は次の言葉を飲み込んでくれたようだった。

 俺の肩を掴んでいた両手が力なく下ろされる。

 

「…………そうだな。シャルリアはまだ成人もしていない子供だ。私が歩もうとしている修羅の道には巻き込めない……」

 

 ミョスガルド聖は独り言のように小さく呟く。

 

「ありがとうございます」

「……そうだ。あなたの名は? まだ聞いていなかったな」

 

 聖地で誰かに名を尋ねられたのも初めてだった。

 

「ラース、とお呼びください」

「ラース。またこのように話をさせてもらえないだろうか。他愛のない話でも構わない、今の私には話ができる相手が一人もいないんだ」

 

 絶対に嫌だ。などと言うわけにはいかないので、神妙な顔を作っておいた。

 

「シャルリア宮のお許しを得ることができれば可能かもしれません」

「そうか!」

 

 シャルリアが許可を出すはずがない。彼と話をすることは二度とないだろう。

 

 ミョスガルド聖は子供のようにパァッと表情を明るくさせていた。

 

「私のこともミョスガルドと気楽に呼んでくれ」

「……そういうわけにはいきません。ミョスガルド聖」

 

 何この天竜人……こわ……。

 友好タイプと見せかけて後で俺を不敬罪で罰するつもりじゃないだろうな。

 

 たった今時間を意識し始めたかのような素振りを見せておき、ミョスガルド聖に頭を下げる。

 

「申し訳ありません。私はそろそろシャルリア宮の元へ戻らなければなりません」

「そうだな。引き止めてすまなかった」

「いえ。それでは失礼いたします」

 

 ミョスガルド聖もここへ来た本来の目的を思い出したらしく、こちらに背を向けて庭園のさらに奥へと消えて行った。

 

 離れたところに待機していた俺の付き人が戻ってくる。

 

「第一夫君」

「ミョスガルド聖との会話をシャルリア宮に報告しますか」

「私は何も耳にしておりません」

 

 この男は今回も見て見ぬふりをしてくれるようだ。

 

 シャルリアが待つ入り口へ向かう途中、妙に目を引く花が植えられた花壇の前で立ち止まる。

 

「…………どこかで見たことがあるような」

 

 全体をふんわりとした薄いピンク色に染め上げられた花や、内弁が白なのに対して外弁だけが淡いピンク色の花。中には鮮やかな赤色のものもあり、一見全て違う花のように見えた。

 このエリアは色ではなく花の種類ごとに分けているようだから、この花壇にあるものは全て同じ花ということになる。

 

「そちらになさいますか?」

「はい。この薄ピンクのものを包んでください」

 

 俺が選んだ花は付き人によってあっという間に綺麗に包装されていく。本当は花束にしたかったけど、シャルリアには「一輪がいいアマス」と言われているからこの一本だけだ。

 

「……やっと来たアマス!」

 

 庭園の入り口へ戻った俺を出迎えたのは、シャルリアの抱擁だった。

 ついでに彼女が抱えていたサルウによる全力顔舐めも。あんなの避けようがない。

 

「遅いアマス。もう少しで迎えに行くところだったの」

「ごめん。どの花にしようか悩んでしまって」

 

 ……あれ。なんで今、シャルリアに対して馴れ馴れしい口調になったんだ?

 

 しかしシャルリアは気にした素振りすらなく、ぷくっと頬を膨らませる。

 

「私に似合う花くらいすぐに決められるはずアマスわ」

「……貴女にはどれも似合いますから、一つに絞るのに苦労したのです」

 

 今思えば俺が初めて「シャルリア」と呼び捨てにした時もとくに言及はされなかった。とはいえ流石にあの馴れ馴れしさはナシだろう。

 

「私に言い訳はしないでくださいまし。……あなたがそこまで悩むなんて、どのような花を選んでくださったの?」

 

 実際にはすぐにこの花に決めたが、シャルリアが特別に好きそうだと感じたのも嘘じゃない。

 

 背中に隠していた薄ピンク色の花をシャルリアに差し出す。

 花を受け取ったシャルリアは「……これは」と驚いたように葉の縁部分を指で撫でている。

 

 そして、全てを理解したようにくすっと笑った。

 

「あなたの誕生花が私に似合うだなんて。これまでで一番嬉しい贈り物アマスね」

「あー……」

「ふふ。知らずにこの花を選んだのアマスか」

 

 とんだナルシストすぎる。どうりで見覚えがあったわけだ。

 

「別の花にします」

「やだアマス。もう私のものアマスわ」

 

 シャルリアに手を伸ばすも、花を持ったまま避けられてしまった。両手で大切そうに握っていて、そう簡単に手放してくれそうにない。

 

「シャルリア」

「……いやアマス。そんな顔をしたってダメ」

 

 名前を呼んだだけなのに。そんな顔をしてもってどんな顔だ。

 

「分かりました。その花で構いませんが……部屋には飾らないでください」

「無理なお願いアマスね。私達の部屋にこの花以上に相応しいものはないアマス」

 

 俺のささやかな願いは無情にもバッサリと切り捨てられてしまう。こればかりは俺の自業自得だから強く出られない。

 

 何とか別の花と入れ替えられないかと考えているうちに、シャルリアに手を引かれて庭園の外へ出た。

 

「そろそろ諦めがついたアマス?」

「いいえ」

「困った人」

 

 シャルリアはそう口にしながらも、愛おしそうな目で俺を見つめてくる。

 俺だってこんなガキムーブはしたくないけどさぁ……。

 

 神の庭からロズワード一族の屋敷へ戻る途中、神々の交流場の前を通った。

 

 ここはパンゲア城の社交の広場にも劣らぬ規模だと言われており、巨大な映像電伝虫が設置されている。

 その為、火拳のエースの公開処刑を見るために集まった天竜人達でいっぱいになっているようだった。

 

「まだエースの処刑は始まらないのかえ?」

「見るえ。映像だけでなく音声まで入ってきた」

 

 今はまだ正午前。世経の情報にミスがなければ、公開処刑は今からおよそ三時間後に行われるはずだ。

 

 天竜人達は各自が従者に用意させた椅子や奴隷に腰掛け、その時を今か今かと待っている。

 

「ここで少し休んでいくアマスわ」

「畏まりました。すぐに軽食をお持ちいたします」

「チャルロス兄さまもここにいるのアマス?」

「チャルロス聖はパンゲア城でご覧になられているようです」

 

 シャルリアと彼女の付き人の会話で、まだ昼食をとっていなかったことを思い出す。

 

 交流場側の人間が用意してくれた椅子に座り、シャルリア側に置かれた小さなテーブルの上に次々と料理や飲み物が運ばれてくる。

 シャルリアに目配せされた従者がテーブルを俺とシャルリアの間に移動させ、俺の分の飲み物も置いてくれた。

 

 屋敷で過ごしていると時々忘れそうになるが、一歩外に出ればわざわざシャルリアが指示しない限り俺の分は用意されないことが多い。

 他の天竜人は、外で自身の夫人や夫君の料理まで用意させないからだろう。

 

 そう考えると、一度目の外出でシャルリアが「この人の分も」と言ってくれたことも、チャルロス聖が「シャルリアの夫にも食べさせるえ」と高級ソフトクリームを食べさせてくれたのも破格の対応だったのだと改めて実感する。

 

「やっとこちらの電伝虫にも映像がついた」

 

 これまではマリンフォードにいくつも設置された電伝虫のうち、軍艦からの映像と湾岸に設置された大砲越しの映像のみが表示されていた。

 

 それが正午を目前にして中央の真っ暗なモニターにも光が灯り、広間の最後尾にそびえる巨大な処刑台を中心に配置した映像が映し出される。

 

 処刑台の真下には海軍本部の最高戦力と称される海軍大将達が待機しており、彼らの姿がモニターに映った瞬間、天竜人達の間にも感嘆の声が上がった。

 下界のいざこざをコンテンツとして消費する天竜人にとっては、まさに絶景――この言葉が相応しいだろう。

 

「こちらの映像も動いたぞ。これは最前線の……王下七武海だえ!」

 

 変わり映えのない軍艦からの映像を垂れ流していたモニターが切り替わり、軍隊の最前列に立っている五人の猛者達の姿を映す。

 

「美しいえ……!! あれが噂に聞く世界一の美女、海賊女帝ボア・ハンコック!!」

 

 男性天竜人の視線を一身に集めたその女性から、俺も目が離せなくなった。

 正確には、彼女が自身の身体に纏うようにしてそばに置いている巨大な蛇から。

 

「…………サロメ?」

 

 記憶にある姿より大きくなっていたが、俺が幼い頃に可愛がっていた蛇を見間違えるはずがない。

 

「あなた」

 

 シャルリアも同様に例の女性に釘付けになっていた。女性から視線を逸らさずに俺を呼ぶ。

 

「あの者は……何アマス」

 

 シャルリアの視線の先にいる女性は俺と同じ色の髪を風に靡かせ、興味なさげな冷ややかな目でマリンフォード全体を見渡していた。

 

 そっくりとまではいかないものの、俺を知る者であれば一目見ただけで血縁者であることを見抜いてしまうだろう。

 

「あの女性がボア・ハンコックであれば、俺の三人いる姉のうちの一人だと聞いています」

 

 俺が把握している血の繋がりのある人間は両親と三人の姉達。この中に顔を見たことがある人物は一人もいない。

 俺が故郷を離れた日に、姉達のものと思われる三つの後ろ姿とレイさんとシャッキーさんを遠目に見かけただけだ。

 もう一つやけに等身の低い影もあった気もするが、あれは何だったんだろう。

 

「顔を見たのは今日が初めてです」

「あなたが海賊女帝を見たがっていたのはそのせいだったのアマスね」

「はい。先日、他人と顔が似ているせいで悲惨な目に遭っている男を見かけましたので……」

 

 もしも俺の顔が海賊女帝にそっくりだった場合、デュバルのように海兵に追い回される可能性もゼロじゃないわけだ。彼女がこの先もずっと王下七武海でいる保証はどこにもない。

 

「思っていたよりも似ていないので安心しました」

 

 育ての親には「とくにハンコックによく似てる」って言われてたから、区別もつかないくらい似てたらどうしようかと思った。

 やっぱり男女差は大きいな。俺が女に生まれてたら危なかったかもしれない。

 

 シャルリアが次の言葉を口にする前に、他の天竜人の興奮した声が耳に届く。

 

「ついに火拳のエースが出てきたえ!」

 

 正午を少し過ぎた頃、処刑台の奥からエースと思われる男がその姿を見せた。

 

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