シャルリア宮の第一夫君   作:倉庫から出す

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山茶花

 今更あんなふざけた名前で呼ばれるなんて冗談じゃない。俺の母親とやらは、俺の性別を認識した上であの名前をつけたのか?

 

 姉様を乗せた船の姿が見えなくなるまで見送り、深いため息をつく。やっと嵐が過ぎ去ってくれたようだ。

 

「シャロム。お前のことは一度聖地へ連れ帰るが、天竜人には絶対に粗相をするなよ」

 

 相変わらず俺に巻きついたままだったヘビが不服そうに舌をチラつかせる。

 

「もしもシャルリア宮にお怪我をさせるようなことがあったら…………分かってるならいい」

 

 全てを言い切る前に首を縦に振られた。

 甘えるように擦り寄ってきたシャロムの頭を手のひらで撫でてやる。なんだか気が抜けてしまった。

 

「……久しぶり。サロメもシャロムも、もう会うことはないと思ってたよ」

 

 中性的な容姿と相まって今の口調だと舐められてしまうからと、男らしいものに変えた日のことを思い出す。

 今ではむしろこちらに違和感を覚えるくらいには染まってしまった。

 

 シャロムと共にボンドラに乗り、あっという間に聖地へ戻ってきた。

 

 あの長い階段もシャロムに乗ったままであればあっという間に終わってしまう。

 シャロムはトラベレーターに驚いて早々に普通の道を進み、周囲の森に目を向けては興味をそそられた様子で何度も俺の顔を窺っていた。

 

 パンゲア城と神々の地の間にある最初の門の前で警備に止められる。

 

「シャルリア宮の第一夫君! ……そちらの巨大なヘビは?」

「私のペットです。無断で神々の地に入れるわけにはいきませんので、先にシャルリア宮にお会いしたいのですが……」

 

 シャルリアはどこだろう。元々は姉様を城の外まで連れ出したらすぐに戻るつもりだったから、シャルリアとの合流場所も天竜門の前だった。

 こういう時に付き人がいない不便さを実感する。あの男であれば電伝虫を使ってすぐにシャルリアの従者に連絡をとってくれるのに。

 

「シャルリア宮でしたら、皆さまとパンゲア城にいらっしゃるかと思います」

 

 シャルリアがまだパンゲア城に? それに皆さまって誰のことだ。

 

 とりあえずヘビ連れでもパンゲア城に入る許可は得た。シャロムから降りて自分の足で歩く。

 

「……あら。シャルリアの夫が来たアマス」

「ティアンナ宮」

 

 パンゲア城の正門前は天竜人達で混雑しているようだった。姉様を奴隷や妻にしようと集まった人達だろう。

 この場にティアンナ宮がいるのは意外だった。

 

「海賊女帝がお前の実姉だと聞いて、私の夫人にしてやろうと足を運んでやったのアマス」

「夫人……ですか」

 

 そういえばこの人、夫君や夫人が複数人いるってシャルリアが言ってたな。

 

 ティアンナ宮が扇で口元を隠したまま俺のすぐ目の前までやってくる。そして耳元で囁くように口にした。

 

「お前が逃したのアマスね。シャルリアに頼まれて」

「…………ティアンナ宮」

「フフ。秘密にしておいてあげるアマスわ。可愛いお前とシャルリアのためだもの」

 

 ティアンナ宮は開いた扇の先で俺の頬を撫でていき、漸く後ろにいるシャロムに気がついて目を丸くさせる。

 

「まあ。これほど大きなヘビを見たのは初めてアマス」

 

 ティアンナ宮の感嘆の声は大きく、この場にいた天竜人が一斉にこちらを振り返った。

 

「シャルリアの夫! ボア・ハンコックはどこだえ!!」

「そのヘビがいるということはまだ近くに!?」

 

 一斉に取り囲まれてしまって身動きが取れない。俺はさっさとシャルリアを探しにいきたいのに……!

 

「これは姉様……いえ、ハンコックに預けていた私のヘビです。先ほど()()()()ボンドラの前でお会いしましたので、そのままお見送りさせていただきました」

 

 あっという間に目の色を変えた天竜人達がボンドラへと駆けていく。中には奴隷に乗る時間すら惜しいといった様子で自分の足で走ってる人もいた。

 …………天竜人って走れたのか。

 

 ぽかんとした顔で天竜人達の後ろ姿を目で追いかけていると、この場に残っていたティアンナ宮がくすくすと笑う。

 

「可笑しいアマスね。ただの下々民相手にあのように必死になって」

「そういえばチャルロス聖も見かけませんね」

「ここにはいないアマス。海賊女帝には興味がないと言っていたアマスわ」

 

 公開処刑前にもわざわざパンゲア城に足を運んでいた人が?

 中継で見た姉様が好みじゃなかったのかな。何度か見かけたチャルロス聖の夫人の容姿からして、むしろ好きそうだと思ってたのに。

 

 ティアンナ宮はここ一番の愉快そうな顔をしていた。

 

「可哀想アマス。あれほど楽しみにしていた海賊女帝の姿が、見慣れた者の姿だったもの。とてもがっかりしていたアマスわ」 

 

 それは……まあ……確かに。

 ネタバレを食らっていたことにすら気づかないまま当日を迎えてしまったんだ。俺でも萎えたかもしれない。後で謝っておこう。

 

「ティアンナ宮のことも落胆させてしまったでしょうか」

「いいえ。私はむしろ、」

「あなた! …………それにティア姉さま」

 

 ティアンナ宮の言葉に、ずっと聞きたかった愛しい声が被さるようにして降ってくる。

 

「シャルリア宮?」

 

 勝手に頬が緩み、当たり前のように開いた腕の中にシャルリアが飛び込んできた。彼女の細い腰を引き寄せて僅かな隙間も作らせないほど強く抱きしめる。

 思わず口から安堵のため息がこぼれた。

 

「戻るのが遅くなってしまい申し訳ありません。天竜門の前にいらっしゃらなかったので心配しました……」

「ふふ。あなたの姉君のことで質問攻めにされていたの。私の願い事は叶えてくださったのアマス?」

「はい。無事に終わりました」

 

 天竜人が元下々民の姉を『姉君』と呼ぶなんて、前例すらなさそうだな。

 

 シャルリアが眩しいくらいの笑みを浮かべる。

 

「うれしい。大好きアマスわ」

「えっ、あっ……あの……俺も、です」

 

 いっぱいいっぱいになりながら答えたが、シャルリアは不満げだった。

 

「ちゃんと言葉にしてくださらないと分からないアマス」

「…………愛しています」

「私も愛してるアマス。ところで、あなたの後ろにいるヘビは何アマス?」

「ああ、これは」

 

 すっかり忘れてた。密着していたシャルリアの体を離して振り返ろうとしたら、ボトッと何かが地面に落ちる音がした。

 

「な……な……何なのアマス!? 私の目の前で…………その顔……私の存在を忘れていたのアマスね!?」

 

 顔を真っ赤にしたティアンナ宮が立っていた。

 やばい。こっちも忘れてた。

 

「なんて無礼な……!! 私の存在を忘れて二人でいつまでもイチャイチャと……」

 

 ティアンナ宮が落とした扇子を拾い上げる。手のひらで軽く土埃を払った。

 

「せっかく綺麗なのに汚れてしまいましたね」

「そ、そんなものはどうでもいいのアマス……」

 

 地面に触れてしまったものをティアンナ宮にお返しするわけにはいかない。扇子は後ろに控えていた彼女の侍女に渡しておいた。

 

「あなた。ティア姉さまに付き合う必要はないアマスわ」

 

 眉を寄せたシャルリアが俺の腕を引くような動作をする。

 後ろ髪を引かれたが、ティアンナ宮をそのままにしておくこともできない。

 

「…………シャルリア宮、ティアンナ宮。どうか私の後ろへお下がりください」

 

 何かしらのフォローをしなければと思案していた俺の背後から、強烈な殺気の塊が近づいてきていることに気がついた。

 

 広げた左手の後ろに二人を隠し、右手は懐の銃へと伸ばす。

 

「あの者は……」

 

 幾分か声を低くしたティアンナ宮の視線の先には、ピンク色のコートを羽織った特徴的な容姿の男が立っている。

 

 先の戦争で政府に召集された王下七武海の一角、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。王下七武海で最も危険だと言われている男だ。

 

「フッフッフッ……! パンゲア城(ここ)で会うのは二度目だ。以前のように天竜人と共に尻尾を巻いて逃げ出さねェとは」

「何のことでしょうか。チャルロス聖は貴方を恐れて逃げ出したのではなく、食人花が見たい私の我儘に付き合ってくださっただけです」

 

 天竜人であるシャルリアやティアンナ宮を前にして膝をつくことも畏まった口調になることもなく、不遜な態度のまま俺に話しかけてくるとは思わなかった。

 

 この男はもう天竜人ではないと聞いていたが……。

 ミョスガルド聖のように天竜人失格のレッテルを貼られているだけであって、天竜人の身分そのものを失っているわけではないのか?

 

 俺の真後ろにいるシャルリアの表情は分からないが、斜め後ろに立っているティアンナ宮の不愉快そうな顔はよく見える。

 神経質なところがある彼女がこれほどの無礼を働いた男に対して何も口にしていない時点で、ドフラミンゴがただの元天竜人ではないことは明らかだった。

 

「フッフッフ……相変わらずイカれた野郎だ。そんな男を好き好んでそばに置いてる女も変わり者と言える」

「……次にシャルリア宮を侮辱すれば貴方の首をもらいます」

 

 俺の苛立ちを察知したシャロムが、ドフラミンゴに対して威嚇するように牙を剥き出しにする。

 

 以前シャルリアのことを「悪名高いロズワードの娘」と呼んだことといい、どこまでも命知らずな男だ。

 

 ドフラミンゴは何もかもが愉快だと言わんばかりに笑い出し、乱暴に俺の肩を鷲掴みにしてきた。そして俺一人にだけ聞こえるような声で囁いてくる。

 

「おれの店を潰して新しい店を始めようとしてるらしいな」

「ああ、その節は助かりました。おかげさまで最小限の準備だけで店が始められそうです」

 

 心の底からの感謝の言葉を述べたら、煽りだと解釈したらしいドフラミンゴの額がビキッと不穏な音を立てていた。

 

「フッフッフッ……!! それどころかディスコに店を手伝わせているとか」

「ええ。過去は忘れて私のためだけによく働いてくれていますよ。優秀な人材の提供までありがとうございました」

 

 ドフラミンゴの額から再度ビキキッと音が鳴る。

 いずれ知られるだろうとは思ってたけど、予想していたより情報が流れるのが早いな。

 

「おれのものに手を出してただで済むと思ってやがるのか?」

「………………おれの? ディスコとそういう……その件に関してはすみません。私も知りませんでしたので」

「は?」

 

 あの時の電伝虫の会話からして、すでに捨てたはずの店と男に対して妙に噛みついてくるなと思ったら……。

 

「ディスコはすでに私の所有物となっています。私のものはシャルリア宮のものでもありますから……。申し訳ありませんがお返しすることはできません」

「…………お前。何を勘違いしていやがる」

 

 怒りがカンストしたのか、ドフラミンゴは浮かべていた笑みを引っ込めて無表情になっていた。

 

「ドフラミンゴ! そこまでだ!!」

 

 騒ぎを聞きつけた海軍が来てくれたようだ。

 

 ドフラミンゴは完全に興が削がれたらしく、海兵達の小言を聞き流しながら大人しく連行されていく。

 

「あなた」

 

 ドフラミンゴ達の姿が完全に見えなくなった頃。シャルリアが俺の下ろした左腕を遠慮がちに掴み、心配そうな顔で見上げてくる。

 

「あなたの怒った顔は初めて見たアマス」

「…………申し訳ありません」

「謝ることではないアマスわ」

 

 これでも我慢できた方だろう。デビル・ディアスの時のような失態を起こさずに済んで良かった。

 しかも今回の相手は王下七武海。俺一人が死ぬならまだしも、下手をすればシャルリア達を巻き込んでいたかもしれない。

 

「お父上様も皆さまも、どうしてあの者の好きにさせているのアマス? あの者は認証チップを返還しているはずなのに」

「……あの者は始末したくても出来なかったと聞いているアマス。私も詳しいことは知らないアマスわ」

 

 チャルロス聖も現在のドフラミンゴの立ち位置については何も聞かされていないようだった。

 少なくともロズワードに連なる家の子供には共有されていない事項があるらしい。

 

「あの者の話は後にするアマス。あなた、早くお屋敷に帰って二人でゆっくりしたいアマスわ」

「はい。シャルリア宮……このヘビなのですが」

「貴方の大切なヘビなのであれば私もサルウと同じように可愛がりたいアマス。名前は何というの?」

「シャロムといいます」

 

 シャルリアは「素敵な名前アマスね」と微笑む。そしてシャロムに手を伸ばそうとした。

 

「これほど美しいヘビがいるなんて」

「あっ、シャルリア……!!」

 

 シャロムは昔から俺以外の人間を嫌っていて、アマゾン・リリーの皇帝だったトリトマ様や、当時俺がよく遊んでいたマーガレットという少女にも容赦なく噛みついたことがある。

 姉様は、シャロムが麦わらのルフィにも噛みつこうとしていたとも言っていた。あの人間嫌いと噛み癖は今も健在ということになる。

 

「…………あれ」

 

 シャロムはチロチロと舌を出してシャルリアの匂いを確認したかと思えば、剥き出しにしていた牙を大人しく仕舞う。それどころか、彼女の差し出した手のひらに自ら擦り寄って撫でられていた。

 

「まあ可愛い。サルウとはまた違った感触で撫でていて心地いいアマスわ」

「それは…………良かったです」

 

 何だこのヘビ。そんな目を細めて気持ちよさそうにしてるところなんて俺でも見たことな……主人と女性の好みまで似てるってこと?

 

「…………あの、シャルリア宮?」

「心配なさらないで。あなたが一番可愛いアマス」

 

 こちらを振り返ったシャルリアがよしよしと俺の頭を撫でてくれる。俺が一番ならいいや。

 

「……はぁ。私も帰るアマス。見てるだけで疲れるアマスわ」

 

 ティアンナ宮は額を押さえながらため息をつき、言葉通り連れていた奴隷に乗って天竜門の向こうへと去っていった。

 

 別方向では、遠目にボンドラへ駆けていった天竜人達が肩を落として戻ってくる姿も見える。船を出してアマゾン・リリーに向かうほどの執念を持った人はいなかったようだ。

 

「あなた。私達も奴隷に……まあシャロム。乗せてくれるのアマス?」

 

 俺とシャルリアを長い尻尾でぐるりと一周したシャロムが俺たちを乗せたまま天竜門へ進む。

 門番達は巨大なヘビに驚いていたが、シャルリアの姿を認めてすぐに開門してくれた。

 

「まだ少し浮かない顔をしているのアマスね。ドンキホーテ一族のあの者のことを考えていらっしゃるの?」

「……はい」

 

 俺はここまで根に持つタイプじゃなかった気がするんだけどな。シャルリアのこととなるとそうはいかないみたいだ。

 

「この世で最も尊い存在であらせられるシャルリア宮に対してあのような言動……やはり許せません。しかしそれ以上に自分が許せないのです。俺が『イカれた野郎』なせいで、あの者に貴女を侮辱する隙を与えてしまったのですから」

 

 シャルリアが気遣うようにそっと俺の頬に手を添えてくれる。……あたたかい。

 

「あなたと一緒にいられるのなら、誰に変わり者だと言われても構わないアマスわ」

「…………まさか、こんなことが以前にもあったのですか?」

 

 俺はバカだ。前例があるとはいえ元下々民を大切に扱う天竜人は少数派。

 まさか同じ天竜人がシャルリアに悪意を向けることはないだろうが、異端だと一歩距離を置く程度のことはしていたかもしれない。

 

 今の俺の顔色はよほど悪かったらしい。シャルリアが安心させるように微笑む。

 

「すべて過去の話アマスわ。あれほどただの下々民に熱を入れるなんてと笑っていた友人達も、先日のパーティーであなたを一目見た途端に『私も欲しい』だの『自分の全ての夫と交換したい』などと勝手なことを口にしていたアマスね……」

 

 シャルリアは微笑んだままなのに妙に恐ろしい。俺達を運んでくれているシャロムもビクビクと何度もこちらを振り返っていた。

 

「それに引き換えチャルロス兄さまのご友人達は素敵アマス。あなたの見た目ではなく中身の魅力に気づいてくださったもの」

 

 チャルロス聖の友人というより俺含め心が子供のままな男達というか……。

 確かに見た目を褒められるよりも、一緒に過ごして楽しそうにしてくれるほうがずっと嬉しい。

 

「ところで……あなたの名前は本当にラースというのアマス?」

 

 不意打ちすぎる。上手く表情を作れなかったからバレバレだった。

 

「……ラースというのは、育ての親であり名付け親でもある方に考えていただいた名です」

「そうだったのアマスね。従者の報告書であなたの名がラースだと知った時から、本当の名前とは少し違うと感じていたのアマス」

 

 こういう時の彼女は鋭すぎる。この流れはもう誤魔化せない。シャルリアには嘘をつきたくないし……。

 ミョスガルド聖に名を尋ねられて「ラースとお呼びください」と有耶無耶にした時とは状況と相手が違う。

 

「俺の……母親に付けられた名は…………サ、」

「サ?」

 

 こちらが身を切るような必死さだからか、シャルリアも真剣な表情で耳を澄ませてくれていた。

 

「…………サザンカ、です」

 

 本当に忌々しい名だ。何で俺がこんな女みたいな格好良さのカケラもない名前を押し付けられなきゃいけないんだよ。

 

「綺麗な名前アマス。男性らしさはないアマスけど……あなたであれば名に負けるようなこともないアマスわ」

 

 やっぱりシャルリアは優しい。この場限りの慰めではなく、心の底からそう思ってくれているのが伝わる。

 

「きっとあなたの誕生花だからその名を付けたのアマスね。ラースという名にも由来があるのアマス?」

「サザンカと関係のある花の名前からとったとか。俺が知っているのはそれくらいです」

「……そうアマスか」

 

 ラースも厳密には花の名前ってことになるらしいけど、当時の俺はそこそこに格好いい響きをしていたこの名をすぐ気に入ってしまった。

 

 シャルリアは何か言いたそうに俺を見つめ、ふっと目元を緩ませる。

 

「もう一つ聞きたいことがあるの」

「何でしょうか」

「人間オークションの夜、これまであなたがどのように生きてきたかを教えてくれたアマスね? あなたはとても飽き性で、様々な場所を転々として……」

 

 シャルリアが俺から視線を外して周りに広がる景色に目を向ける。

 

 そろそろ日が傾き始める。奴隷よりも格段に速く移動できるシャロムのおかげで、夕焼け色に染まる空を見ることなく屋敷に戻れそうだった。

 

「…………今もそうなのアマスか」

「え?」

「私と出会った日のあなたはどのように生きることを決めて、今のあなたはいずれ来る日を待っているのアマス?」

 

 シャルリアの夫になり、堅実に生きていた自分を終わりにして新しく始めようとしたのは。

 

 ……いやあの。あれをシャルリア本人に言うの? 今から? マジで言ってる?

 

「………………シャルリア。貴女が考えているような深刻なことでは、」

「私に話しづらいということは、あなたは私とのこの時間がいつかは終わると考えているのアマスか」

 

 シャルリアが俺の胸元の服を掴み、至近距離で見上げてくる。その目は不安げに揺れていた。

 

「…………怒りませんか?」

「私が怒るようなことを口にするのアマスね」

「俺ではなく、むしろ貴女からこの時間を終わりにすると言われかねないことです」

 

 事前に聞くようなことじゃなかったな。

 俺の服を掴んでいるシャルリアの手を自分のもので包み込む。

 

「その……俺はこれまでに天竜人の女性と関わったことがありませんでしたから……天竜人の夫というのはつまり、性奴隷……のようなものだと思っていたのです」

「……それで?」

「………………高貴な女性に……貴女に、あんなことやこんなことを……あの本当にこれ言わないといけませんか?」

 

 すべては女天竜人とのセックスって特殊なプレイをさせられそう、気になる! という過去の自分のクズすぎる好奇心によるものだった。

 何なんだ俺は。下半身に脳みそついてんのか?

 

 これまでのように「どう生きるか」を決めたのはシャルリアに出会った翌日。

 

 初日のシャルリアの様子からして今すぐ手を出されることはなさそうだと判断して、今度はその過程を楽しむことにした。

 いけすかない天竜人を自分に心酔させ、どうせなら「夫君(おっとくん)♡」呼びをさせたいし、命に危険が及ばない範囲で聖地を引っ掻き回してやりたい。そう思っていた。

 

 蓋を開けてみれば相手に心酔したのは俺のほうで、シャルリアに名前で呼んでもらえないなどといった理由で思い悩み、常に振り回される側だった。

 

 シャルリアはすっかり言葉を失っていたが、やがて何かに気づいたらしく「……それでは」と言葉を紡ぐ。

 

「過去のあなたの目的はとっくに達成されていたの?」

「一部ではありますがそうです。それに、俺が貴女と夜を共にする頃には残りの全てがどうでも良くなっていました」

 

 シャルリアの手をぎゅうっと強く握る。

 

「幻滅しましたか……?」

「いいえ。私はとっくにあなたが今でも子供のような人だと知っていたもの」

 

 初対面の下々民が裸族だと知っても受け入れてくれただけあってシャルリアは寛容だった。

 

 彼女は艶やかに笑い、俺の指を自分のもので撫でるように触れてくる。

 

「あなたが私との夜を好んでいることも分かっているアマスわ」

「…………俺、そんなに分かりやすいですか」

「ええ。とても」

 

 即答された。これまではむしろ「何を考えているのか分からない」って言われ続けてきたのに。

 

「俺は貴女が望んでくださる限りずっとおそばにいます。シャルリア、貴女と一緒にいられるのなら俺はどのように生きても幸せでいられると確信しているからです。……貴女もそうであればいいのですが」

 

 シャロムの動きが止まったことで屋敷の前に到着したことに気がついた。

 先に一人で地面に降り、振り返ってシャルリアに手を差し出す。彼女はすぐに俺の手のひらに自身のものを重ねてくれた。

 

「私もきっとそうアマスね」

 

 全てを委ねるようにシャルリアが俺の胸に飛び込んできた。彼女を抱き上げたまま屋敷の門をくぐる。

 

「お父上様があなたを神の騎士団に推薦するのはどうかと仰っていたアマスわ」

「神の騎士団……神殿にいらっしゃるという、特別な騎士の方々のことでしたね」

「ええ。私があなたを天竜人にしたいと言ったら提案してくださったの」

 

 神の騎士団。彼らもまた天竜人であり、聖地の秩序を守る存在だと聞いている。正式に騎士団に所属するには神の従刃(じゅうじん)と呼ばれる見習いを経る必要があるそうだ。

 

「神の従刃となった時点であなたは天竜人となるはずアマス」

 

 シャルリアはこれまでにも「これ以上あなたの存在を軽んじられたくない」と俺が天竜人になることを望んでくれていた。

 シャルリアが望むならいくらでも神の従刃とやらになるのに、なぜか彼女は浮かない顔をしていた。

 

「でもやだアマス」

「どうしてですか?」

「あなたが私と過ごす時間が減ってしまうもの」

 

 想像の斜め上からきた可愛らしい返答に軽い眩暈がした。

 

「……シャルリア。以前もお伝えしたように、俺はあなたと出会うことができた下々民という身分も気に入っています」

 

 とはいえ、この先もシャルリアの庇護を受けて生きていけるとは限らない。今の俺はシャルリアより立場の強い天竜人のたった一声で簡単に揺らいでしまうほど危うい立ち位置にいる。

 

 今すぐどうということはないだろうが、いずれ本腰を入れて考えなきゃいけない日がくるだろう。

 

「俺も今は一分一秒でも長くあなたと過ごしたいです。時間はあります、これからゆっくり二人で考えていきましょう」

「ええ。そうアマスね」

 

 まずは何事も知ることから始めなければ。

 

 屋敷に戻ってすぐに明日の図書室の利用許可をもらい、この後の時間は全てシャルリアに使うことにした。

 

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