シャルリア宮の第一夫君   作:倉庫から出す

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グラジオラスの花束

「あっ、ねえ! ちょっとこっちにきて。ほら……もう少し寄れるでしょ?」

 

 俺と同い年の女に手を引かれ、右手に工具を持った状態で作業場の裏にまで連れ出された。

 

 女はキョロキョロと周囲を警戒しており、人目につきにくい絶妙な隙間に無理やり俺を押し込んだ挙句、なんと自分まで入ろうとしてくる。どう考えても無茶だった。

 

「……お嬢さん。俺、見ての通りまだ仕事中なんスけど。あとここ狭いです」

「しぃーっ! 見つかっちゃうじゃない」

「また親父さんとケンカしたんですか?」

 

 むっと分かりやすく唇を突き出しているこの女は、俺が世話になってる会社のご令嬢であり、男だらけの作業場に躊躇いなく混ざってくる男まさりな気性の持ち主でもある。

 

 社長令嬢といっても、ここはシャボンディ諸島の“癌”とまで呼ばれる無法地帯の一つ。世間一般的な優雅なイメージとは対極の位置にある。

 

 彼女はいつだって煤などで汚れたエプロンを身につけていて、その下は当然のように作業着だ。しかも俺のような作業員とまったく同じ物。この手の服に女性向けサイズがあるはずもなく、わざわざ余分な丈を折ったり縫い付けてまで着ている。

 

「俺を親子喧嘩に巻き込まないでくださいよ」

「……今回は貴方のせいでケンカしたの! だから、これくらいはいいじゃない」

「マジすか。親父さんが俺をクビにしようとしてたとか?」

 

 内心そこそこ焦っていたら、お嬢さんが「違うわよ!」となぜか顔を真っ赤にして怒っていた。

 

「それだと貴方が辞めるのが嫌で駄々を捏ねてるみたいじゃない!」

「はぁ……まあどっちでもいいんで、作業に戻らせてください」

 

 色々面倒になってきて無理やり出ようとしたら、「ダメ!」という声と共に腕を掴まれて引き戻されてしまった。

 大した力じゃないからこのまま振り解くことも出来る。ただ、そうすると後々もっと面倒なことになるってことは、うんざりするほどよく知っていた。

 

「…………結婚の話よ」

「誰がですか?」

「私!」

「おめでとうございます」

「相手は、貴方!」

「…………初耳なんスけど」

 

 並でいいはずの人生に、とんでもない荒波が押し寄せようとしているらしかった。

 

「早すぎやしませんか。俺、まだ十五なのに」

「そんなの私だって……って、なんでそんなに落ち着いてるのよ。もっと他に言及するところがあるでしょう!」

 

 他にって「俺たち出会ってから一年も経ってないのに」とか? それこそ今更だろ。

 

「俺は親父さんが決めたことに従うだけです。いずれそうなるだろうとは思っていたので。相手がお嬢さんってのは予想外でしたが」

 

 そう口にすれば、お嬢さんは傷ついた顔をして黙り込んでしまう。俺の作業着をシワができるくらい強く握りしめて震えていた。

 

 それにしても大事な一人娘をぽっと出の素性も分からない男にあてがうなんて、あの人もなかなかに酔狂なことを考える。

 

「……初めて会った時お父さんに言ってたわよね。『自分には帰るところがない。何でもするからここに置いてください』って」

「よく覚えてますね」

「帰る場所ができるなら、誰と結婚しようが構わないっていうの……?」

 

 一体何の話をしているのやら。

 思わず嘆息をもらす。

 とはいえ、このまま彼女のペースで会話を続けていては埒が明かない。

 

「俺も人間ですから、選べる立場にあるなら好きな人との結婚を望んだと思いますよ」

「…………なら、私たちがそうなればいいってことね!」

 

 さっきまで悲しみに暮れていたお嬢さんの顔は喜色で満ちていた。

 工具を持っていない方の俺の手を握り、まるで神に祈りを捧げるかのように自分の頬へ添える。

 

「私が貴方の帰る場所になってあげるわ。愛のない結婚なんてさせない」

「この会話でどうしてそういう流れに、」

 

 お嬢さんが急に俺の胸元に顔を近づけてきたと思ったら、すんすんと匂いを嗅ぐ。

 

「汗とオイルの匂いがする。私のような美人とくっついてるのに、恥じらいはないわけ?」

「俺、仕事中だって言いましたよね……。人間なので汗くらい掻きますし、今更お嬢さん相手に気を遣うのはおかしいでしょう」

 

 これ以上この場で言及されたくないのか、無理やりな話題転換に戸惑いつつ、一旦解放されるならという気持ちで乗っかる。

 

 お嬢さんはふふっと花のように笑い、俺の右手から工具を攫っていった。

 

「ちょっ、何をする気ですか」

「仕事仕事ってうるさいから私も手伝ってあげようと思って。早く終わればサボってたこともバレないでしょ?」

 

 エプロンを翻しながら歩き出したお嬢さんを追いかけるように足を踏み出す。

 

「俺はサボってません。冤罪です。それに今やってる作業はお嬢さんには無理ですよ。大型機器の移動と微調整ですから、持ち上げることさえ出来ないはずです」

 

 意気揚々と作業場に向かおうとしていたお嬢さんの足が止まる。

 

「あれを一人で持ち上げられる貴方が異常なのよ……。普通はシャボンの力を借りて数人がかりで台車に載せて移動させるものなのに」

「どちらにせよ、お嬢さんのその格好では調整作業も無理でしょう。サイズの合っていない作業着やエプロンは巻き込み事故に繋がりますからね。親父さんにも言われてるはずです」

 

 立ち止まったお嬢さんの手から工具を取り戻す。

 明らかにしょぼくれている姿に、ついため息がこぼれた。

 

「一応覚えてはおきます」

「……何を?」

 

 不安そうに見上げてくる彼女の頭に手のひらをのせる。

 

「――俺に、愛のない結婚はさせないと言ってくれたことをです」

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・

 

 

 

 

 

 ジリジリと照りつけてくる太陽の下。

 

 開いた本の見出しに書かれた『グラジオラス』という文字を親の仇の如く見つめ、その下の挿絵に視線を移動させた。

 

「で、コイツが何だってんだよ……」

 

 左手に持った本と、庭園の一角に生えている目の前の花を見比べる。挿絵と同じ花が咲いているだけで、それだけではこの先には進めないことは明白だった。

 

 花の名はグラジオラス。

 どうにも花らしくない名前だ。どちらかというと伝説の聖剣だとかに付けられてそうな大仰な名前ではある。正直、俺の名前よりかっこいい。

 

「見た目はユリっぽいのにユリ科じゃなくてアヤメ科で……アヤメって何。アヤメ科は被子植物じゃなくて単子葉植物、いや被子植物の中の単子葉植物であり……? さすがにこんなのは関係ないか」

 

 その場でペラペラとページを捲っていく。

 マリージョアにくるまでは本を読むどころか、なんとか最低限の読み書きができる程度に学のなかった俺が、まさか植物図鑑なんてものを手にする日が来るとは。

 

 事の発端は数日前まで遡る。

 

 チャルロス聖の第四夫人の一件で、シャルリアが出先から急遽戻ってきた日の翌日のこと。

 

 前日にあんなことが起きたこともあり、お互い何となく気まずい状態で朝を迎えたわけだが、シャルリアはサイドテーブルに生けていた花を一輪だけ手に取ってこう言った。

 

「今はこの一輪だけ受け取っておくアマス。近いうちに足りない分を揃えておいてくださいまし」

 

 なんで一輪だけ。……足りない分って何?

 

 シャルリアの纏う雰囲気がいつもと違ったこともあり、素直に尋ねることもできず今日に至るわけだ。

 

 とりあえずあの一輪だけじゃダメで、いくつか本数が必要だってことは確定してる。で、肝心のその本数が皆目見当もつかない。

 

 いくつもの植物図鑑と睨めっこした結果、シャルリアが受け取ってくれた花の名前がグラジオラスだってことと、それがピンク色の花を咲かせる種類だってことは分かった。

 

 この花はどうやらピンク以外にも紫や白、赤など様々な色の花を咲かせるらしい。

 あの日俺が用意した花瓶の中にはピンクと紫のグラジオラスがそれぞれ一輪ずつ生けてあったはず。同じグラジオラスでも紫のは違うって認識で合ってるのか?

 

 しかもこの花、原種とそうじゃないものがあり、さらに原種の中にもいくつか種類があって……っていう花に疎い俺からすると拷問みたいな情報量だった。図鑑と目の前のグラジオラスの見た目がちょっと違うのもそのせいだろう。

 

「わっかんねぇーなあ」

 

 もどかしさから髪をぐしゃぐしゃにして気を紛らわせる。

 これまでの俺にとって植物は食えるか食えないかの存在でしかなかったから、そもそも観賞用に花を育てるって発想がなかった。

 

 開いていた植物図鑑を閉じる。俺に与えられた自由時間がそろそろ終わってしまう。

 

 隅々まで庭師の手入れが行き届いた庭園で大きく伸びをする。

 

 俺が普段着ている服はシャルリアが選んでくれたものだ。どこぞの天才科学者の技術の結晶だとか何とかで、この季節でもほとんど暑さを感じない。

 とはいえ限度はあるもので、広い庭園内を歩き回って花を探していたから少し汗を掻いてしまった。

 

「……あ、ありがとうございます」

 

 常に俺の後ろに控えている付き人のうちの一人が、すかさず俺にタオルを差し出してくる。

 以前は彼らにこういった対応はされなかったのに最近はどうも親切すぎる。

 

「今日も付き合わせてすみません。部屋に戻る前にシャワーを浴びてもいいですか?」

「はい。早急に手配いたします」

 

 特殊な服を着ている俺と違って彼らのは普通のスーツっぽいし、絶対暑いだろうに文句のひとつもこぼさない。

 俺だったらこんな炎天下の中ずっと立たされてたらブチ切れてるぞ。

 

「ここにいたアマスか」

 

 タオルで軽く汗を拭っていたら、シャルリアがこちらへ歩いてくるのが見えた。

 

 女の奴隷が持つ日傘の中にいるシャルリアは、身につけている藤色の繊細なデザインのドレスと相まってどこぞの国の王女様みたいだった。

 いや、天竜人なんだからその辺の王女より高貴な存在なのは間違いないんだけど。

 

 奴隷二人がかりで持つ日傘はなかなかに大きく、目の前までやってきたシャルリアだけでなく俺ごとすっぽりと覆い隠してしまう。

 季節が秋に変わったかと思うくらいの涼しさだった。

 

「ふふ。泥がついてる」

 

 シャルリアはそう言い、懐から出したハンカチで俺の頬についた泥を拭ってくれる。

 

「ここでやることが残ってるアマス?」

「いいえ。これから戻ろうとしていたところでした」

 

 シャルリアは俺が持ってる植物図鑑に目をやり、何やら意味深な笑みを浮かべた。

 

「それなら、いつものように私を抱き上げてくださいまし」

「はい。…………あ」

 

 いつものようにシャルリアの腰に腕を回そうとしたが、今の自分の状態を思い出して一歩後退る。

 

「申し訳ありません、部屋に戻る前にシャワーを浴びるつもりだったのですが」

 

 こんな汗と泥塗れの状態でシャルリアに触れるなんて無理だ。

 この服ならある程度消臭もしてくれてそうだけど、顔や首など、露出した部分に掻いた汗の匂いまではどうにもならないだろう。

 

 シャルリアは不思議そうに首を傾げる。

 

「部屋にあるシャワールームは気に入らないアマスか?」

「……いえ、そういうわけではないんです」

 

 ハッキリとしない物言いになってしまった。

 自分でも自覚できるくらい熱を持ってしまっている顔を見られないよう、顔を逸らしながら口にする。

 

「貴女に会う前にシャワーを浴びておきたかったんです。……あまり、見苦しい姿をお見せしたくなくて」

 

 てっきり、シャルリアは俺たちの寝室で待ってくれているものだと思ってたから。

 

 なんかもう、この発言自体がすでにみっともなくて情けない気がする。さっき顔に泥をつけてただろって脳内の自分が刺してくるのも最悪だった。

 

 でも男だったら、好きな女の前では少しでもマシな自分でいたいに決まってるだろ!

 

「こちらを向いて」

 

 いつかのように下から伸びてきた手が、俺の頬を包むように触れてくる。

 あの日と違うのは、グローブ越しではなく素手だということ。水仕事など一切したことがないであろう隅々まで手入れの行き届いた手は、しっとりしているのに滑らかだ。

 

 シャルリアの手があまりにも心地よくてうっとりしていたら、そんな俺の隙をつくかのように、背伸びをしたシャルリアの唇が額を掠めていった。

 

「…………えっ」

 

 完全に思考が停止して固まっている俺に、シャルリアが艶やかな笑みを浮かべる。

 

「これでも気になるというのなら、私と一緒に湯浴みをしてくださいませ」

 

 

 

 

 

 シャルリアと湯浴み? もちろん丁重にお断りした。

 

 脳内で誰かが「何やってんだお前ェッ!!」と物凄い形相で責めてきたが、俺はいたって正気である。正常な頭で熟考した結果、俺にはまだ早いと判断した。

 

 ここに来たばかりの俺だったら二つ返事でシャルリアとの湯浴みを堪能し、美人な女天竜人最高! とでも思っていたかもしれない。

 正直、今でも似たようなルートを辿る自信しかない。シャルリアとの湯浴みが最高じゃないはずがないし。

 

 でもシャルリアは俺が断ると確信していたようだった。どうも俺は彼女に試されていたらしい。

 

「とにかく。今は目の前の課題を何とかしないとな」

 

 今日も俺の手には例の植物図鑑が握られており、目の前には天に向かって真っ直ぐ伸びる美しい花たちがある。

 

 今日の収穫は、どうやらこの花には千以上の品種があるらしいという情報のみ。もう勘弁してほしい。

 あとは名前の由来が見ため通り剣にまつわるものだとか、まあこれは関係ないだろうなと思うような無駄知識ばかりが増えていってる。

 今ならこの花を球根の状態から育てられる気がしてきた。

 

 ここまで来たらいっそ本当に育ててみようか。

 

 そんなことを考えていた俺の体を大きな影が覆い隠す。

 影の大きさからしてあの日傘だ。ということは、

 

「シャルリ、」

「何アマス? 伯父様の庭園に使用人風情が座り込ん…………その首輪、まさかシャルリアの一番目アマスか」

 

 シャルリアの日傘とほぼ同じデザインのものが、見たことのない天竜人の頭上で揺れている。

 

 しまった。今日は来客のある日だったのか?

 

 慌ててその場に跪こうとした俺の顎に扇子のようなものが伸びてきて、無理やり顔を上げさせられた。

 

「……ふうん。どんな醜い顔をしているのかと思ったら。シャルリアの趣味が悪くなったというわけではなさそうアマスね」

 

 扇子は俺の顎から首輪へと移動していく。

 

「生意気な首輪だこと。私ですら、お父上様からエルエムの品をいただいたことなどないというのに」

 

 首輪からも離れていった扇子が、天竜人の口元で花を咲かせるように開かれる。

 

「でも、こんなところで庭師の真似事をさせられているなんて可哀想。私なら毎日のように可愛がって、部屋から一歩も出さないアマスわ」

 

 畏れ多くもかなり情熱的な言葉をいただいてしまったが、悲しいことに目の前の女天竜人はチャルロス聖にそっくりだった。妹であるシャルリアよりもよく似ている。

 冗談は顔だけにしてほしいものだ。

 

 チャルロス聖似の天竜人は俺の手元にある花に目を向ける。

 

「……あら。この花、グラジオラスじゃないの」

「ご存知なのですか?」

「シャルリアの誕生花のうちの一つですもの。従姉妹である私が知らないはずがないアマス」

 

 天竜人はついでと言わんばかりに「そんなことも知らないなんて、これだから元下々民はおバカでイヤなのアマス」と鋭利な言葉で俺を刺し殺していった。

 

 というかこの人、シャルリアの従姉妹だったのか。どうりでチャルロス聖に似ているわけだ。

 

「この花を見ていると昔を思い出すアマス。愚かにもシャルリアにグラジオラスの花束を贈った使用人の末路……ふふ、可笑しいアマスわ」

 

 ――――グラジオラスの花束。

 

 直感的にこれだと思った。シャルリアが俺に何を期待してくれてるのか、その答えがきっとここにある。

 

「私は元下々民でお恥ずかしながら学もない人間です。どうか貴女のような高貴で聡明なお方にご教授いただきたいことがあります」

「なっ、何アマスか」

 

 無礼を承知で女天竜人の扇子に手を添え、正しいかも分からないそれっぽい言葉遣いで彼女に顔を近づける。

 

「グラジオラスの花束を贈ることに、一体どのような意味があるのでしょうか?」

「……下々民はそんなことも知らないアマスか」

「いいえ。私が無知なのです」

 

 俺の勢いに圧倒されたらしい天竜人が深いため息の後に「花言葉を調べるアマス」と答えてくれた。

 

 花言葉か。……花言葉って何だ。アイツら喋るのか?

 

「あの……その花言葉というのは、どういう」

「私にそんなことまで説明させる気アマス!? それも他でもないシャルリアの夫にっ!」

 

 なぜか顔を真っ赤にして怒鳴られた。とりあえずその場でぺこぺこと頭を下げて謝罪する。

 世界貴族の沸点、未だに謎が多い。

 

 とはいえ、彼女のおかげでここ数日間の悩みの種がどうにかなりそうなのは事実。彼女はいわば救いの女神のようなものだ。

 

 ああ、チャルロス聖そっくりな顔をしているのに後光が差して見える。

 

「私のような者にまで親切にしてくださりありがとうございました。シャルリア宮の従姉妹……様? 君? ええっと」

「…………ティアンナ。家族にだけはティアと呼ぶことを許しているアマス」

「ティアンナ宮、貴女のお心のように美しい名ですね。私はこれから花の声に耳をすませてみることにします、またお話できたら光栄です、それでは失礼します」

「はっ?」

 

 マリージョアに来てから生み出した、頭を下げた状態で後退する技を披露して庭園を後にした。

 

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