シャルリア宮の第一夫君 作:倉庫から出す
シャルリアの従姉妹であるティアンナ宮の訪問は、どうやらシャルリア本人にも知らされていなかったらしい。
さっき会ったシャルリアは「あのバカ女……何をしにきたアマス」と不穏な顔で不穏なことを言っていた。彼女が身内の天竜人に『バカ』なんて言葉を選ぶくらいには仲が悪いらしい。
そんなシャルリアは突然の訪問とはいえ従姉妹をもてなす必要があるらしく、今日は久しぶりに夕方のティータイムは俺一人。
「ここまで豪華なものでなくて良かったんですが」
「いいえ。当初の予定通りのものを食べさせるようにと命じられております」
相変わらず機械的な答えしか返ってこない男にため息をつく。
天竜人たちの付き人をしている彼らはみんな似たような背格好にサングラスを付けていることもあり、個人を区別するのはなかなかに困難だ。
ただこの男は特徴的な髪型をしていることもあって見ればすぐに分かる。明言はされていないが、俺専用の付き人のような立ち位置にいるらしく寝室以外の場所に行く時には必ず着いてくる。いつ食べたり眠ったりしているのかも分からない。
サイボーグやアンドロイドの類いだと言われても納得するくらいには、人間らしさというものを感じられない存在だった。
「お飲み物は紅茶でよろしいですか」
「はい」
俺が今いるここはサロンと呼ばれており、貴族たちのお茶会に使われることが多い場所だ。
他の天竜人はどうか分からないが、シャルリアたちは一人など少人数でのティータイムにもサロンを利用していて、ガラス越しに庭園が一番美しく見えるこの場所はシャルリア専用のものとなっている。
メイドに紅茶を淹れてもらってる間、ティースタンドにのせられた軽食をぼんやり見つめる。
噛み砕けないとか物理的に食べられないもの以外は大体何でも食える人間だったのに、最近は自信がない。
ここにきてから随分舌が肥えてしまったようだ。
「お口に合わないのであれば別のものをご用意します」
「……いや、食べます。どれも美味しいです」
そうだった。どうせこれを下げてもらってもまた別の同程度の品が出てくるだけだ。
昔の俺が一番嫌っていた無駄というものを、どうにも最近は自ら進んでやってしまっている。
生きるか死ぬかで生きるを選択し続けた人生の中で、与えられる食事が豪華すぎるなんて贅沢な悩みを持つことなんてなかった。生活に安定なんてものが訪れたのも、シャボンディ諸島に移住してからのことだった。
とりあえず紅茶に口をつけ、ガラスを挟んだ向こう側に広がる庭園の景色に目を向ける。
……花を鑑賞することにも、何の意味があるんだって思ってたけど。
花を愛でるシャルリアの横顔を眺めている時間は好きだ。なぜかずっと見ていられる。
時々俺の方を見て柔らかく細められる目や、花のものかシャルリアが付けている香水なのか分からない香りも、耳を掠める甘やかな声も、全てが奇跡のように愛おしい。
この瞬間が永遠に続けばいいのになあ。
これまで生きてきて、時間を止めたいなどと思ったのは初めてだった。
焼きたてのスコーンに手をつけようと伸ばした腕が、銃声のような鈍い音を耳にして止まる。
付き人たちにも聞こえたようだ。俺から少し離れ、電伝虫を使って小声で何かを話している。
「も、もうしわけありません!」
俺に新しい紅茶を淹れてくれていたメイドが、動揺したせいか少しだけ紅茶をテーブルに溢してしまった。
マリージョアでは発砲音は日常的に聴こえてくるもの。ここに来たばかりの新人だろう。
「すぐにテーブルクロスごと新しいものに取り替えます!」
「このままでいいです。そろそろ庭園に行こうと思っていたので」
「しかし、」
「ティータイム中に失礼いたします。シャルリア宮から今すぐ庭園へお連れするよう命じられました」
たった今サロンに入ってきた衛兵は真っ直ぐこちらへ歩いてきて、涙目になっているメイドを押しのけて俺の前に立つ。
「……向こうで何かありましたか?」
「あなた様が気になさる必要はありません」
どいつもこいつもそれしか言えないのかよ。
なんていう不満はおくびにも出さずに「分かりました」とだけ答える。
俺の付き人はこういった些細なことも逐一シャルリアに報告するらしく、少しでも俺を不快にさせた(と付き人が判断した)相手が処分されてしまったことがあるからだ。
サロンから庭園にきたところで、陰鬱な気分はマシになるどころか悪くなる一方だった。
グラジオラスの花が植えられている一角に腰を下ろし、指でピンクの花弁の裏側を撫でるように触れる。
すでに三十分以上はこうしているが、今日も大した収穫は得られないかもしれない。
「……誕生花か」
誕生花という言葉は初めて聞いた。おそらく誕生石のようなものだろう。これについては以前耳にしたことがある。過去に、俺の誕生石だからと黒みがかった青色の石を貰ったことがあるからだ。
「あっ」
シャルリアの誕生花がグラジオラスってことは、これを彼女の誕生日である3月29日にちなんで329本用意すればいいんじゃ……!!
なんていう俺の安直な思いつきはコンマ二秒ほどで打ち砕かれた。
どう見てもこの庭園には329本も植えられていない。ピンク色のグラジオラスに限れば50本あるかないかくらい。
そもそも誕生日が12月31日のやつはどうするんだって話になってくる。1231本の花なんて、庭の一部ごとプレゼントするしかなくなってしまう。
脳内のティアンナ宮が「これだから元下々民は頭まで空っぽでイヤなのアマス」と再度息の根を止めようとしてきたので、一旦記憶から消すことにした。
「またバカの一つ覚えのように庭園にいたアマスか」
ええい、記憶から消したってのにしつこい女だな。
完全に消し去ろうと頭を振ってから気づいた。昼間と違って、一人分の小さな影が俺の足元で控えめに揺れている。
「……ティアンナ宮?」
「何アマス。その死人でも見たような顔は」
「失礼しました。シャルリア宮とご一緒しているものだと思っていたので……」
「私、無駄な時間を過ごすのは大嫌いなの」
昼間に会った時のように扇を広げて口元を隠しているティアンナ宮は、あの時とは温度感の違う眼差しで俺を見下ろしてくる。
俺はその場で立ち上がり、左胸に手をあててお辞儀をした。
「またお会いできて嬉しいです。私はこの辺りで失礼させていただきます、ティアンナ宮におかれましてはこの美しい庭園を心ゆくまでご鑑賞いた、」
「まっ、待つアマス! 先ほどといい、その妙な去り方は何なのアマスか!?」
昼間のように高速後ろ歩きで去ろうとした俺に、ティアンナ宮が待ったをかけてくる。
これまでこの手で幾度となくチャルロス聖を撒いてきた身としては、制止の声をかけられた場合のことは考えてなかったと反省する他ない。
「高貴なお方に背中を向けて去るのは失礼なのではないかと……かといっていつまでも視界にお邪魔してはご不快にさせてしまうかと思い、このような形になりました」
「二度とやらないでちょうだい。とんでもなく間抜けに見えるから」
よほど酷かったらしい。語尾のアマスどころか世界貴族らしい言葉遣いが抜け落ちていた。
二度とやらないでの部分に対しては自信がなかったので「善処します」とだけ返し、今度はできるだけゆっくり後ろ向きで歩く。
今のはわりと自信があったのに、再度ティアンナ宮からストップがかかった。
「どうして私の前からさっさと去ろうとするアマス」
「ティアンナ宮がこちらにいらっしゃったのに、私のような身分の者が居座るわけにはいきません」
「それは……そうアマス、が」
先に身分の高い人が庭園にいたならば俺はそこに近づいてはいけないし、後から身分の高い人が来たなら俺は早急にその場を明け渡さなければならない。
元下々民なりにある程度身の程を弁えているつもりだったが、何か間違えたか?
不安な気持ちのままティアンナ宮を見上げたら怯んだような短い悲鳴が上がる。熱を冷ますためか、扇子で顔に風を送っていた。
ティアンナ宮はごほんと咳払いをし、ちらっとこちらに視線を寄越してくる。
「…………花言葉はもう調べたアマス?」
「それがまだなんです。せっかく教えていただいたのに申し訳ありません」
まるで庭園に飾られた聖剣のような、そんな気品さえ感じられる花に目を向ける。
「花の声に耳をすませてはいたのですが、」
「花の声?」
「え? はい。俺は聞いたことないですけど喋るんですよね? ここの花」
「ぶっ」
「ぶ?」
貴族との会話中にまず聞くことはないだろうなと思うような音がした。
思わず顔を上げた先には、相変わらず扇子で口元を隠したティアンナ宮がいる。その眉は限界まで下がっており、扇子を持つ手はぷるぷると小刻みに震えている。
どう見ても……爆笑する寸前だった。
「……ふっ、ここまでおバカな人間がこの世に存在するなんて…………」
「…………あの」
「グラジオラスの花言葉を知らないどころか、花言葉を花自体が喋ると勘違いする始末! こんなおかしなことがあっていいアマスか……」
ティアンナ宮はついに我慢することを諦めたらしく、扇子で顔全体を隠してひぃひぃと苦しげに笑っている。
かなりバカにされていることは分かったが、どうにも悪意は感じられなかったので、彼女の笑いが落ち着くのをただ待つことしかできない。
いやそれにしても笑いすぎだろ。結局花言葉って何なんだよ。
「ここの花が喋るとして、それが私たちと同じ言語だと思っていたアマス?」
「…………」
俺ってただ無知なだけでやろうと思えばやれる人間だと自認していたが、実はものすごく頭が悪かったりする?
「そこまで笑わなくてもいいじゃないですか……」
もう羞恥でどうにかなりそう。
つい拗ねたような口調になってしまった。マズい、不敬罪で射殺されるか?
ティアンナ宮の反応は予想していたどれとも違っていた。
「本当に惜しいアマスね」
ティアンナ宮は妙に色っぽい笑みを浮かべ(何度も言うが彼女はチャルロス聖にそっくりだ)、開いていた扇を閉じる。
「ピンクのグラジオラスの花言葉は、ひたむきな愛。そしてほぼすべてのグラジオラスに共通するのが、身分の離れた恋人たちの禁断の愛」
「……身分の離れた恋人たち」
驚くほどに今の俺とシャルリアの関係そのものだった。
ティアンナ宮の扇子の先端が昼間のように俺へ伸びてきて、顔を彼女の方へ向けられる。まるで内緒話をするかのような距離感だった。
「ここから先は自分で調べるアマス。天竜人の夫がいつまでも無知のままでは恥ずかしいもの」
「……はい。ありがとうございます」
俺の返答に満足したのかティアンナ宮の扇子が離れていく。
「なんとお礼を申し上げたらいいのか。ティアンナ宮はお優しい方ですね」
「私の愛らしい従姉妹のためですもの。これくらい当然アマスわ」
ティアンナ宮が閉じていた扇を軽く開いてパシンッと音を立てて再度閉じる。
それが合図だったようで、後ろに控えていた二人の奴隷が彼女の頭上にあの大きな日傘を開いた。
空に咲く花のような日傘の下、最後にこちらを振り返ったティアンナ宮は、言葉にし難い不穏な色を瞳に宿していた。
「それに私……手間暇かけて美しく咲かせた花を摘み取ることが何よりも大好きなの」
本当は花言葉について調べるために図書室に行きたかったが、ちょうど夕食の時間になってしまった為に明日に延期することになった。
「
「ティアの相手をするのに疲れてもう動きたくないアマス」
シャルリアは何かとこの寝室は狭すぎると不満を漏らすけど、俺が以前住み込みで使わせてもらっていた部屋の何倍も広い。寝室だけなのに。
シャルリアがあの部屋を見たら「ここは豚小屋アマス?」とでも言いそうだ。
「寝るのは日付が回った頃アマスね……」
シャルリアが憂鬱そうに口にする。
俺たちが普段寝る時間は、多少前後することはあっても大体二十三時だ。どうやら夕食後も暫くは体があかないらしい。
「はい。ここでシャルリア宮が戻られるのをお待ちしております」
そう口にすれば、シャルリアは心の底から安らいだ顔をする。
「そうアマスわ、近いうちに犬を見に行こうと思っているの」
「犬……ですか?」
「ええ。お父上様からの贈り物アマス。私と一緒に可愛いコを選んでくださいまし」
「分かりました」
そういえばシャルリアは犬や猫といったペットは今のところ飼ってないんだっけ。
「犬は好きアマス?」
「見る分には好きです。……ただ彼らには好かれないようで、よく吠えられてしまいます」
他人が散歩してる犬とすれ違う程度なら向こうも大人しいものだが、なぜか手が届く範囲にまで近づくと親の仇の如く吠えられる。
そんなわけで、これまでに一度も犬や猫といった小動物に触れたことがなかった。
「そろそろ私と同じ銃を持たせてもいいアマスね。そのような躾のなっていない犬をすぐ黙らせられるように」
「……お心遣いは嬉しいです。ですが俺は銃を扱えないので、万が一にでもシャルリア宮に当たってしまったらと思うと恐ろしいです」
俺に吠える犬を片っ端から処分してたらこの世から犬が消えかねない。
まともに銃を扱ったことがないのも本当だ。
シャボンディ諸島の造船所では海賊相手の商売をしていたこともあって、護身用の銃を所持している人はいた。俺が世話になっていた会社の社長もその一人。
俺も一度だけ、コーティング費用を踏み倒そうとした海賊が大暴れした時に、そばにいた誰かの銃を拝借したことがある。肩を狙ったつもりが脳天を撃ち抜いてしまったらしく、どこぞの海賊団の船長を即死させてしまった。
その後は船長の死に怒り狂った船員と造船所の血の気の多い職人たちの争いにまで発展し、最終的にこちら側が勝利して海賊側の財宝をすべて回収できたことで俺のミスは不問にしてもらった。
ついでに懸賞金がかかっていた奴らを近くの海軍の駐屯基地にまで持っていく猛者まで現れたほどだ。
普段は無法地帯の住民として海軍に中指を立てている癖に、こういうところはちゃっかりしている。
などと過去に思いを馳せている間に、テーブルに並べられていた食事はすべて下げられていた。
惜しむように部屋を出ていくシャルリアを見送り、寝室の隅に急拵えとして作られたにしては大きな本棚から数冊の本を取り出す。
「これが『貴族の常識! 〜花言葉入門〜』で、こっちが『恋人に贈られたい花とその意味』、そして『ロマンチックで情熱的な夜の誘い方』……これは違うか?」
三冊目を棚に戻すか数秒ほど悩み、あまりにも気になるタイトルだったので手元に戻した。
これ読みたいの、絶対俺だけじゃないだろ。
追加でもう二冊ほどそれっぽい本を手にして、ベッド横の小さな椅子に腰掛ける。
今日はいつもより少しだけ長く起きていられる。
調べ物をするにはうってつけの夜だった。
頭のどこかで「もう起きなくては」という文字が浮かんでいるのに、体が上手く動かない。目も開けられなくて真っ暗だ。
例の強制的に体を眠らせる薬とはまた別の、単純な寝不足からくる疲労感だろう。
以前は数日は眠らなくても平気で動けたのに、シャルリアの元で恵まれた生活を一年続けただけでこの有様だ。日に日に生き物として弱くなっていってる気がしてならない。
でも流石に起きなきゃな、と力を入れた眉間を誰かの指が優しく撫でていった。
自分でも不思議なくらいあっさり目が開いて、こちらを見下ろしているシャルリアと目が合う。
「ふふ。珍しいアマスね。私より遅く起きるなんて」
俺の眉間を撫でていた指が頬に降りてきて、軽くくすぐるような動きをする。
何も言わずにベッドに腰掛けているシャルリアを見つめていたら、不思議そうに首を傾げられた。
「どうかしたアマス?」
「……なんだか、見惚れてしまって」
幸せとやらに実体があるのなら、このような形をしているのかもしれない。
寝起きとは思えない癖一つない髪は、シャルリアが動くたびにさらさらと絹糸のように流れていく。短く切り揃えられた前髪は彼女の意思の強い瞳を隠すことはせず、微かに揺れるだけで俺の心を捉えて離さない。
初めて会った時にも美しい人だとは思った。でもきっとここまでじゃなかった。
この感情の正体が恋や愛だというなら、これまでの俺がそう認識していたものたちは何だ?
これまでの俺は――それらを知らなかったんじゃないか?
俺の頬に留まっていたシャルリアの手を握る。
瞠目している彼女の手を軽く引き寄せ、俺に全てを委ねるように倒れ込んできた体を抱きしめた。
シャルリアは耳元でころころと鈴を転がすように笑う。
「寝ぼけているアマスか?」
彼女の言う通りまだ頭が寝ているのかもしれない。
だってこんなにも満たされている。
「……そうかもしれません。貴女を抱いていると心地が良いので、ずっとこうしていたいです」
自分でもこんな笑い方ができたのかと思うくらい、気の抜けた自然な笑みが浮かんだ。