あいつは頭がおかしいんじゃないか。ベッドに転がり、天井を見つめながら思う。というより、天井を見つめるくらいしかできないのだ。起きあがれなくはないけれど、なにせセクタムセンプラで滅多切りにされたので半身を起こすのも大変なのだ。
手を伸ばし、握ったり開いたりする。よし動く。もう片方も同じようにする。問題なし。
――そもそも
あいつがなにを考えているか、それとも考えていないのかサフィヤにわかるわけがない。ルーナ・ラブグッドとはすなわち謎で未知だ。そんな彼女は席を外している。病室は静かなものだ。比較的軽傷な患者がここに収容されている。重傷者――どのあたりから重傷なのかサフィヤにはわからないが――は、聖マンゴに運ばれているらしい。
本来、セクタムセンプラで斬られたら重傷の区分のはずだが、それを除外してでも聖マンゴの枠を確保するしかなかったのだろう。相当な数の負傷者が出て、死亡者も何割かいるはずだし、生死の境をさまよっている者もいるはずだから。
ラブグッドの無事は確認したが、一体何人死んだことやら。考えただけで嫌な気持ちになる。あいつが生き残ったのは奇跡だ。なにせ簡単に押さえ込めるわけだし。弱っちいのに戦場に出てくるなんてバカかあの女。レイブンクローの髪飾りの複製がほしいと言われてつい「うん」と言ってしまったが……。
「作ってどうするんだ」
どうしよう普段から付けるのか。髪飾りというか冠を? おかしな女がさらに笑われる羽目になるだろうが。それか作ること自体に意味があるとか。サフィヤのリハビリも兼ねているんだろうか。いやいや。まずラブグッドにレイブンクローの髪飾りの複製(寮にあるらしい)のスケッチを描いてこさせないといけない。あとはラブグッドが作った「複製」も参考資料に欲しい。
「すぐじゃなくていいんだ」
と言っていたが。曖昧なオーダーもあったものだ。サフィヤが作ろうと思ったときに作ればいいよとか……。
「あー……」
脳内を検索。「装飾品を贈る意味とは」「手作り 装飾品」。結果。
「しまった」
親しい男女間で――。地域によっては装飾品づくりの腕がいい男がモテ――。親愛の情を示し――。その昔リアイス一族の錬金術師が婚姻の品としてつくった――の首飾り等が移送中に強奪され――犯人一味は血祭りに――よってこれをブラッディ――と呼ばれるようになり――伝説ではあるがそれは血のように赤い――。
「親しい男女間」
たいしてなにも考えずにうんと言ってしまったぞ。やっぱなしとか言えないよな。いやいやラブグッドがサフィヤの腕を見込んで頼んできただけだろう。八つ当たりに近い形で……。
「うわあ言ってた」
過去の自分。髪飾りくらい作ってやるとか言ってた! ラブグッドのやつこれを本気にしたのか? そもそも装飾品どうこうは純血家系だけの認識なのか、一般魔法族も常識なのか?
療養の身で余計なことを考えまくって目眩がしてきた。ラブグッドのことは別に嫌いではない。変ではあるが。助けたのだって咄嗟のことだ。あの密着事件は……ああするしか……捕まってたらなにされてたかわからないし……。なんであんなに易々と押さえ込まれるくせに無茶するかなあの女。バカめ。
呻きを押し殺す。あれはかなり発育がいい方とか思ってはいけない。そんな眼で見たくないのに。今のままで結構だ。一番楽な関係だ。よし、適当に流してしまえ。髪飾りの期限は決まっていないし。
決めてしまえば気分がよくなった。はあ、とため息を吐くと、なにかが――おそらく扉が――きしむ音がした。やれやれ、ラブグッドのお帰りだ。
足音がする、ラブグッドの弾むようなそれではない。誰だろう。マダム・ポンフリーか? それにしては荒々しい。そして複数だ。
なんだかものすごく嫌な予感がした。杖。枕元に置いてあるそれを手に取ったとき、鋭い音とともにカーテンが開かれた。
「ここにいたか」
カロー兄妹の狗。
目が覚めて、無理矢理にでも脱出しておくべきだった、と後悔してももう遅い。戦の後、誰かが吊し上げられるのは歴史が証明しているではないか。しかも、終わってからたった数時間しか経っていない。悲しみを癒すには到底足りない。だが、勝った喜びに酔い、失ったものの重さを突きつけられ――怒りのやり場を探すには十分な時間だ。
つまり、カロー兄妹の狗を引きずり出そうと誰かが思っても不思議はないわけだ。
縛られ、引きずられる。今はたぶん、戦死者を清め、安置し、記録をとるのに皆忙しいのだろう。だから玄関ホールから外に出ても、誰も追って来ない。助けも呼べない。杖は取り上げられた。
「君たちはもっと理性的だと思ったんだけど」
無言で蹴られた。医務室から玄関ホールへ、外――階段を引きずられたせいで酷い有様だ。あちらこちら打ち付けて痛いったらない。道々思い出したように蹴られるわでさらに酷い。
ぬけぬけと医務室にかくまわれやがって。お前は闇側に荷担したくせに……恨みと怒りの声が降ってくる。憎らしいほどいい天気なのが少し笑えた。
草地を引きずられる。だらだらと血が流れるのがわかった。
――とっくのとうに
死んでいるべきだったのだ。どこか奥底から囁きが聞こえる。死んでいるべきで、でも死ななくて。――はサフィヤのことを……。ふっと浮かんだ思いは、泡沫のように消えていく。忘れたことすら忘れた記憶。封じたこそすら忘れたそれ。永遠に沈むべきもの。
濃い水の匂いがする。ああ、湖を目指しているのか。それだけを思う。なにを言う気力も失せていた。これはサフィヤの自業自得だ。カロー兄妹に媚びたのは事実だし、生徒たちを傷つけたのも事実だ。仮に裁判になったら、情状酌量はされるだろうが有罪は確実だ。
ずるり、と引きずられる。何人がこの祭りに参加しているんだろう。サフィヤを始末しても、鬱憤なんて晴れないのに。だからバカは嫌なのだ。
『かわいそうにねえ』
安っぽい同情を向けてくる連中も。
『所詮孤児なんだろう』
偏見の眼で見てくるやつも。
サフィヤはどいつもこいつも嫌いだった、と今更思い出す。スラグホーン家に引き取られた孤児。貴族の中では微妙な立場だ。所詮孤児。ホラス・スラグホーンが庇護しているから……でも、遠戚の子なんでしょう? じゃあ半純血どころか、もっと血が……。
サフィヤは周りを騙して生きてきた。だから、嘘には敏感だ。獣が臭いを嗅ぎ分けるように、綺麗に化粧された上っ面のその内側、隠れた本音を察してしまう。
――ホラスは
なにかを隠しているのかもしれないし、とんだ狸だけど……サフィヤに同情し、引き取り、家庭を与えてくれた。あれこれ理由を付けていたが、なんだかんだ言って善人だし、裏があろうと眼を瞑ろうと思っている。それだけのものはもらった。
だから、できたら言うことを聞きたかったのだ。きちんとした令嬢と結婚しどうこうとか。省に入ってとか。
――あまりにも
囁きと歌が聞こえてくる。彼らにとってこれは祭りだ。皆が戦後処理で忙殺されている間の、ちょっとした祭り。たぶん事故で片づけられる。
眼を瞑る。
サフィヤはあまりにも疲れていた。令嬢だって信用できるかわからない。社交の場で出会って、あるいは縁談があって……打算で結びついて、それでどうなるだろう。
嘘の臭いを嗅ぎ取るだけだ。
――だから
令嬢は嫌だった。友人ならいい。だがその先は無理だ。誰かとつきあったことはない。結婚なんて考えられない。真実の愛なんて信じていない。仮に……そうなると、したら。
普通の家庭の子で、表裏がない子がいい。
どこかでずっと思っていた。
「……なにやってるの!」
叫びに眼を開ける。いつの間にか湖畔に転がっていて、湿った泥が頬についている。
サフィヤを連れてきた誰かたちは背を向けている。閃光が次々と生まれては消えていた。
「あの、バ」
何度バカと言っただろう。切れた唇が痛む。立ち上がろうにも足をへし折られたようだ。指も駄目だ。
多勢に無勢だろうが。さっさと逃げろ頼むからと念じていたら、血に飢えた獣どもがまとめて吹っ飛んだ。そして宙を飛び、飛沫がサフィヤにかかる。
骨折が何か所か。血塗れ、泥だらけ、挙げ句に水浸し。最低だ。
「……女の子一人になにやってんだてめえら」
冷え冷えとした声が降ってくる。
「お前はグリフィ」
現れた影が舌打ちする。それきり声が聞こえなくなった。サフィヤは怖くて湖のほうを見られなかった。元より拘束されていて、足も折られていて、動けないのだけど。だから影のほうを見るしかなかった。病室の寝間着を身にまとい、青ざめた顔には紅と群青がぎらぎらと光っていた。今にも誰かを始末しそうだ。
「ねえ、死んじゃうわよ」
「別にいいけど。事故で片づけようか」
なんでこんなところにいるのか英雄。数時間前に英雄になったばかりの英雄。その背を撫でているのは、マグダラ家の令嬢だ。心なしか頬を上気させている。なんだか妙に……と考えてやめた。
「あとで引き上げるわよ」
「いいとこだったのに……」
なにがいいとこだったのか聞かない方がよさそうだ。いや、英雄の寝間着がちょっと乱れてるとかそんなことは見ていない。野外かよとか思わない。言わざる見ざる聞かざるだ。
――騒ぎがあって
「いいとこ」だったのに中断してきたと……。この場から消え去りたいと強く思ったが、痛みに声を上げる。
「なんで脱走してるのよサフィヤ!」
おいラブグッドと言っても聞いてない。痛い。抱きつかれている。締め上げられていると言ってもいい。
あちこち折れてるのに。
「ちが……」
「心配させないでよ」
「人の話」
「なんで襲われてたの」
「聞け――」
もうだめだ無理だ。なんで体中痛いのに押しつけられたものの柔らかさに意識がいくのか最悪だ。僕はそんな破廉恥な男だったのかもう勘弁してほしい。気を失いたい、と切に思い。
「おいルーナ、君の彼氏が死にかけてるぞ」
「何回か死にかけないとバカが治らないからいいもン」
「そうか」
「うん……ねえ、ウィスタとクインはなにしてたの」
「大人の探索の旅」
君にはまだ早いと、英雄が言う。本当にその通りだ。まだ早い。ルーニーには早い。ついでにサフィヤは彼氏じゃない。
言おうとしたが、身体と精神が限界を迎えた。闇に呑まれ――再び意識を取り戻し。
「聖マンゴに入ることになったって」
しっかり治してね。脱走したら駄目だよ、とルーニーに怖い顔で言われ、サフィヤはうんと言うしかなかった。
付き合うつもりがなかったのに彼氏認定を受け、結局結婚したのは別の、後の話だ。